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⑥その他

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⑥その他

(このページには「メディア研究」に関する新たな知見があった場合、なんでも記述できるようにしています)

映画「ダヴィンチ・コード」が人気です。原作もベストセラーになりました。

ここで、「レオナルド・ダヴィンチ」のなぞについて論じてみましょう。

原作・映画でも取り上げられているなぞ。

・シオン修道会


シオン修道会(仏:LePrieuredeSion)は1970年代以降のフィクションおよびノン・フィクション作品にさかんに登場する謎の組織の名称。組織名の「プレウリ・ド・シオン」は日本語で「修道会」と訳されてはいるが、実際には修道会でなく、カトリック教会やローマ教皇庁とも一切関係がないことから誤解を招く訳語であるといえる。中世ヨーロッパには、実際に「シオン修道会」(OrdredeSion)なる修道会が実在し、「プレウリ・ド・シオン」の主催者たちはこの実在の修道会とのつながりを主張していた。

シオン修道会(プレウリ・ド・シオン)とは何かということを巡っては、ヨーロッパの歴史において最も影響力ある秘密結社であるというものから、根も葉もない嘘であるというものまでさまざまな見方がある。2003年に出版されたベストセラー小説『ダ・ヴィンチ・コード』によってその名が知られるようになり、同組織の実在の証拠なるものも示されているが、通常の歴史学者たちや歴史学会ではそれらには一切信憑性がないとしていて、その存在を認めるものはない。


・絵画「最後の晩餐」

絵はこちらが詳しい。

・「ウィトウィルス的人体図」

・テンプル騎士団

創設は1096年第1回十字軍の終了後であり、ヨーロッパ人によって確保されたエルサレムへの巡礼に向かう人々を保護するために設立された。

第一回十字軍を指揮したテンプル騎士団はエルサレムでキリストの子孫を見つけて連れ帰ったとされている。これが第一回十字軍の隠れた目的のひとつだった。

テンプル騎士団は実はシオン修道会という秘密結社の軍事部門だった。

この秘密結社はキリストの血筋を引く聖杯を守ることを使命とし、テンプル騎士団が堕落し、フランス王フィリップ4世に財産を没収されてつぶされた後も存続しており、現在もキリストの子孫をどこかで密かに守り続けている。

そして、レオナルドダヴィンチこそはこのシオン修道会の総長だった。

引用wikipedia(テンプル騎士団で検索)


・絵画「岩窟の聖母」

・マグダラのマリア


マグダラのマリアについて四福音書がはっきり語っているのは、悪霊に憑かれた病をイエスによって癒され、磔にされたイエスを遠くから見守り、その埋葬を見届けたこと。そして、復活したイエスに最初に立ち会った一人とされる。『マタイによる福音書』などによれば、彼女は復活の訪れを弟子(使徒)たちに告げるため遣わされた。このため彼女は初期キリスト教父たちから「使徒たちへの使徒」と呼ばれた。

マグダラのマリアともう一人のマリアは、安息日が終わって、週の初めの日の明け方にイエスの納められている墓に向かった。その時、大地震が起こり、墓の入り口を塞いでいた大きな石が転がり、墓の入り口が開いた。マタイによる福音書によると、それは天使の仕業であり、墓の中にはイエスの遺体はなく、天使にイエスの復活を告げ知らされた婦人たちは

『恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。』

しばらくしていつの間にかマグダラのマリアのそばには復活したイエスがついていたが、最初、彼女はそれがイエスだとは気づかなかった。「マリア」と呼びかけられてやっと、彼女はそうと気づいた。

『彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。』

そこで、イエスは自分に触れようとするマグダラのマリアに、父である神のもとへ上る前であるため、触れないようにと言われた。また、他の弟子たちにイエスの復活を告げ知らせるようにと言われたのである。

外典の中にマグダラのマリアは、イエスとの親密な様子のみならず、男性たちと並ぶイエスの弟子として現れる。これら最新の聖書研究はイエス宣教の旅での女性たちの役割や、マグダラのマリアの地位を見直させることとなった。


<記事引用>

『ルカによる福音書』において、イエス・キリストに七つの悪霊を追い出してもらったという女性の名前。イエス・キリストや十二使徒らとともに、宣教の旅を続けた。『新約聖書』の各福音書では、イエス・キリストが十字架にかけられ処刑された時、その様子を見ていた女性たちの筆頭として描かれている。中でも、『マルコによる福音書』及び『ヨハネによる福音書』では、復活をはたしたイエスは、まず最初に、イエスの墓を覗きに行ったマグダラのマリアの前に姿を現したと記している。マグダラのマリアはイエスが復活したことを、使徒たちへ伝えに行ったが、誰も信じなかった。ここの様子はグノーシス異端書『マリア福音書』に詳しく書かれており、イエスが死んだ後、使徒たちが嘆き悲しんでいるところに、マグダラのマリアがやってくる。ペテロはマグダラのマリアに、「あなたの覚えているイエスの言葉を私たちに話して欲しい」と促した。すると、マグダラのマリアは、たった今見た、イエスの幻視の事を語り始めた。驚いたペテロとアンドレは、そのマグダラのマリアの言葉を信じず、非難した。仲介に入ったレビがペテロに言う、「イエスが彼女をふさわしいものとしたならば、彼女を拒むあなたは、何様なのか」と。『救い主の対話』では、他のものすべてに勝る使徒としてマグダラのマリアを賞賛し、「万物を知る女」としている。グノーシス主義において、マグダラのマリアは十二使徒よりも、はるかにイエスに近く、その奥義を授かった女性とされ、『トマスによる福音書』などでも、あまりにイエスの近くにいるマグダラのマリアに対して、ペトロが嫉妬を抱くシーンが書かれている(ペテロはカトリックの始祖とされる使徒である。故に、これをグノーシス主義のカトリック批判とも言われている)。また、『ピリポ福音書』では、イエスの伴侶とされ、イエスはマグダラのマリアを他のどの弟子よりも愛し、しばしばキスを交わした事が書かれている。こうしたことから、マグダラのマリアはイエス・キリストの恋人だったのではないかと言われている。
 マグダラのマリアの生涯について詳しい事は、ヴァラギオンの『黄金伝説』に書かれている。マグダラのマリアはシルスとユーカリアの娘で、王家の血筋をひいていた。彼女と弟ラザロ、姉マルタは七つの城、ベタニヤの村、エルサレムの大半を所有していた(ラザロとマルタと、ベタニヤのマリアは『新約聖書』の各福音書にも登場する。ここではベタニヤのマリアと、マグダラのマリアが混同視されている)。マリアはガラリヤ湖畔のゲネサレから一マイル離れた、マグダラに住んでいた。マリアはヨハネと婚約をしていたのだが、ヨハネはイエスの使徒となり、イエスについて行ったので、婚約は破棄されてしまった。深く傷ついたマグダラのマリアは、ふしだらな生活を送り、七つの悪霊にとりつかれてしまう。その七つの悪霊をイエスが祓い、二人は親しい関係となる。イエスの死後、マグダラのマリアは、イエスの母マリアと十四年間すごしていた。その後、ユダヤ人たちによって帆の無い船に乗せられ、流刑にされてしまう。船は南フランスのマルセイユにつき、そこで彼女は宣教をはじめた。晩年が近づくと、自らサント・ボームの洞窟に入り、そこで生涯を閉じた。なお、マグダラのマリアの遺体は、その後、サン・マキシマンの地下納骨堂に移された。現在、聖マリ・マドレーヌ教会には、彼女のものとされている頭蓋骨が保管されている。南フランスの伝説では、イエスとマグダラのマリアの子が、メロディング王朝の祖となったという。かのレンヌ・シャル・トーの教会は、マグダラのマリアを奉じたものだった。
 マグダラのマリアは、「ふしだら」を人々に咎められた事から、「悔い改めた娼婦」というイメージで語られる事が多い。1224年に改心した娼婦のために各地で特別の修道会が創設され、「マグダラのマリアの館」と名づけられた。こうした「マグダラのマリア=娼婦」というイメージは、イシュタルやアロフディーティといった、キリスト教以前の愛の女神たちが、娼婦と呼ばれた事に由来しているのかもしれない。グノーシス主義でマグダラのマリアがもてはやされたのは、グノーシス神話の女神ソフィアもまた、「娼婦」と呼ばれたからである。マグダラのマリアとは、原始キリスト教が失った、女性原理そのものと言えるかもしれない。
 なお、ピェール・ジュネルの『聖人略伝』を見るに、現在ではイエスの復活を人々に伝えた女性として、地位を回復している。マグダラのマリアの記念日は、七月二十二日とされている。


・聖杯伝説

などなどについて調べてください。

・イエス・キリストの復活についての文章(引用=http://www.enjoy.ne.jp/~asaasa6/sekkyo/sekkyo040411.htm

説教題:「イエスの復活」 2004年4月11日  聖書:マタイによる福音書 28章1-10節

復活

 イースターはイエスが復活した嬉しい日。 そんな単純なものではないのかもしれない。 イースターはびっくりし震え上がる日なのかもしれない。

 イエスは復活なさった、と書かれている。しかし正確には復活させられた。 神によって甦らされた。 イエスは弱い人間のままで十字架で殺された。 絶望の叫びをあげて。 いかにもうちひしがれて、と言った有り様だった。

 イエスはその絶望するような状況を自分で振り切って自分の力で復活した、と聖書は言っていない。 復活させられた、と言っている。神によって復活させられた、と言っている。 そこまでただの人間でありつづけたということだろう。

 イエスがどのように復活させられたのか、よくは分からない。どんな形で復活させられたのかもよく分からない。 肉体をもってなのか、それとも幽霊みたいなのか、よくは分からない。しかしよくは分からないが復活のイエスは自分について来ていた女たちや弟子たちに会ったことが福音書に記されている。

 そしてそのことから弟子たちは元気になっていった。 彼らは絶望していた。 神よ、どうして私を見捨てたのかと叫んだのは十字架上のイエスだけではなく、弟子たちも同じだったのかもしれない。 仕事を捨ててイエスに従っていたのだ。イエスの呼びかけに応えて、弟子となることを誇りに思ってついてきていたのだろう。 いろんなイエスの奇跡も目撃し、イエスの言葉に諭されたり感動したりしながら、この人は偉大な人だという気持ちもだんだんと大きくなっていたに違いないと思う。 ところがその自分たちの師匠が、実質的に社会を牛耳っていたユダヤ教の指導者たちの反感を買い、神を冒涜した、社会を混乱させたということで捕まり、十字架につけられて、強盗と同じように処刑されてしまったのだ。

(中略)

 イエスは復活させられた。 死からも復活された。 イエスを縛りつけるものは何もないことが明らかにされた。

 しかしそのイエスとの出会いがなければそれはただの不思議な話に終わってしまう。 イエスと出会うことで弟子たちにとっての復活があったように、私たちもイエスと出会うことで初めて私たちにとっての復活、イースターがやってくるのではないだろうか。

 私たちは今、顔と顔を合わせるようにイエスと会うことはできないだろう。 しかし私たちは聖書を通して、イエスの言葉を聞くことを通してイエスに出会うことができるのだと思う。 イエスの言葉が私たちの心の中にあるとき、イエスは私たちの心の中に生きているようなものだ。

※「ダヴィンチ・コード」または、「ダヴィンチ」に関する質問を書いてください。



①上映時間はどのくらいですか?(落合)
たしか150分くらいかな。2時間半。9:40上映開始で12:00終了だったと思う。(さとう)


②映画「ダヴィンチ・コード」は各地で上映禁止になったりしていますが、なぜでしょうか?

「ダヴィンチ・コード」はイエス・キリストの血筋を引く「聖杯」を守るという「シオン修道会」がストーリの重要な部分となっていて、この秘密結社を追いかけて関係者を暗殺する役割をカトリックの一派である「??」に負わせている。
従来のカトリック教会のキリスト教解釈を覆すような内容であるためだけではなく、カトリックが積極的に関与しているから。

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