島の高台から海を見下ろす。
崖といってもいい高さだけにさほど磯臭くもなく、環はただ素直にその景色をなかなか奇麗じゃないかと思った。
「やれやれ、厄介な課外活動に巻き込まれてしまったものだな」
そして悩ましげなポーズを取りながら吐き捨てる。
すでに他校の女生徒がトンネル側からゆっくり歩いてきているのが見えていた。
反射的にいつものように甘い言葉を囁きに行きたいという衝動に駆られたが、友好的……なはずはない。たとえ彼女が見た目に反して温厚な性格なのだとしても、自分が相手にとって敵であるという事実は変えられないのだから。
「それでも、進むしかないか」
何をするにも情報が足りなかった。このままでは何もできないし、そんなのは趣味じゃない。それにリスクを取ってでも生きる道を模索するのが今の自分に課せられた責任だろう。敵同士でも必ず戦闘が起こるわけではないし、うまく話をつければ情報交換くらいはできるはずだ。
そう、このプログラムの選出方法がランダムだったはずがない。
なにせ仲間全員がホスト部関係者。死んでもらいたい誰かがいて、その誰かとチームを組めるよう集めたとしか思えない。もちろんその標的にされたのは財界に影響のある鳳か須王のどちらかだろう。
他校にも金髪ツーテールや金髪リーゼントがいたことから考えると、異国人とのハーフに対する嫌悪も含まれているように思える。となるとやはり自分しかいない。
(謝らないとな……いや、その前に守らなくちゃいけない)
娘ハルヒを、そして家族同然の仲間たちを。そのために何ができるか。
一応案はある。うまくいけばプログラムから5人全員が脱出できる手段が。
だが、まだそれができる状況を作れていない。今にも仲間が生命の危機を迎えているかもしれないというのに。環ははがゆかった。
念のために遮蔽物のある場所まで待ち、距離をおいて背後に降り立つ。
「やあお嬢さん。お友達をお探しかな?」
「!!」
「おっと、緊張しないで。僕はいつだって悩める女の子の味方さ。信じておくれかわいい人」
「来ないで」
冷たい眼光で冷淡な返事。並の男であれば即退散していただろうが彼はホスト部部長。彼女が「かわいい」という言葉に一瞬とはいえ機敏に反応したことにちゃんと気付いていた。
そう、彼女は過剰に警戒しているだけ。これなら説得も可能なはずだ。
相手の感情を爆発させないよう、ゆっくりと歩み寄る。こちらも無警戒というわけにはいかないので両手を上げるようなアピールはせず、ごく自然に。
「君の名前が知りたいな。僕は須王環」
「……榊」
「できれば下の名前で呼ばせてくれないかな。ダメかい?」
「それはダメだ」
「おお!」
まだ俺と彼女の間にある隔たりは大きいのかとオーバーに嘆こうとした環だが、直後におちゃらけている余裕がすでにないことに気付かされた。
彼女は、拳銃を取り出しこちらに向けて構えようとしていた。
「それ以上近づけば、撃ちます」
ぶれるそぶりさえ見えない理想的ともいえるフォームで環に狙いをつけながら榊は告げる。
「あなたを悪い人だと決め付けるつもりはない。でも、わかってほしい」
(これは……)
昔のアニメ映画だったろうか。似たような状況を見たことのある気がする。
警戒心の強い野生の小動物と姫様と呼ばれていたヒロインの触れ合い。自分は姫でなく殿だし相手は小動物どころか相当の長身だがそこは気にすまい。確か、姫は最初、噛まれても一切手をあげないことで小動物の信頼を得たはずだ。
でも相手が拳銃じゃその「最初」が命取りになるわけで……どうしたものだろう?
「わかるとも。君にとって突然現れた俺は危険人物ってことだろう? だからこそ信用してもらうために誠意を見せたいんだ。折角君のような人に出会えたのだから」
「まだ無理。会わなかったことにしよう」
そのあと榊は何かつぶやいた。環にはよく聞き取れなかったが、お互い敵意がないように見えても噛まれることはあるとか、そういった趣旨の事を言っていたようだ。
「そうか……榊くんがそうしたいなら、止めはしない。でも二つ質問させてくれないか」
残念だがここが引き際だろう。そう判断して環は数歩下がった。榊も銃口を下げる。
「まず1つ目。榊くんと同じように俺も仲間に会いたいと思っている。ここへ来る前に誰か見かけているならその人物の特徴を教えてくれないか。残念なことにここへは君以外誰も来ていないんだ」
ふるふると首を横に振る榊。
「そうか。じゃあ次の質問だ」
「連絡を取り合える道具を持っていないかな? 携帯電話でもなんでもいい」
「!!」
反応ですぐわかった。彼女はなんらかの機器を持っている。
「あるんだな! お願いだそれを貸してくれ!」
知らずのうちに大きく踏み出していた。そのことに気付いたのは目の前の彼女が再度銃をこちらにはっきりと構えたため。
まずい。いくら相手に殺意がなくともこれだけ感情が不安定な状況ならこのまま勢いで引金を引かれかねない。そうなれば当然射線上にいる自分は……死ぬ。
環の眼前に流れる景色がスローモーションになる。そして―――銃声が響いた。
「ははっ……」
体が動かない。痛覚すら麻痺しているのかどこを撃たれたのかは全くわからなかったが、尻餅をついたまま環は動けずにいた。
榊は座り込んだこちらを見て驚いたように目を見開き、次に何故か学校があるはずの西を向き、脱兎のごとくトンネル側へと駆け戻っていった。撃ったことに悪意がなかったのならせっかく美人なのだからせめて看取っていってほしかったと思う。だがもうそれも叶うまい。
「世の中全てが上手くいくわけじゃない。そんなことは知っていたさ」
それでも、自分のふがいなさが腹立たしくて泣きそうになる。こんな最期になるなんて。
俯くと、ゆっくりとした歩調で誰かの足音が聞こえてくる。彼女が戻ってきたわけでないとするとこれがあの世へのお誘いというやつだろうか。
「落ち着け」
だが、聞こえてきたのはあまりに聞きなれた声だった。
ぶっきらぼうで、それでいて安心感を覚える低い声。
「……銛先輩?」
手を差し伸べてくる。起きろということなのだろう。
「先輩、俺はもう」
彼もまたふるふると首を振る。寡黙で長身、まるで榊と言った子とまたいるかのような錯覚に環は陥りそうになる。
「これを撃った」
「……え?」
(これ……拳銃?)
言われたことの意味を整理する。
つまり、榊は何もしておらず、銃声に驚いて逃げていったと。そういうことのようだ。
顔が紅潮するのが自分でもわかった。照れ隠しの意味も込めて勢いよく立ち上がる。
「ありがとうございます。おかげで助かりました」
「空に撃ったのは間違いだったか?」
表情を変えずに銛之塚は訊ねる。殺しておいたほうが良かったかという意味のことを、さも平然と。
(そうか、先輩たちは「覚悟」ができてたんだ……)
たとえ軍人であろうとほとんどの人間には良識がある。好きこのんで人を殺しているわけではない。国や任務を共にする隊の仲間のために己の感情より理性を優先させて動いているだけだ。
見た目の威圧感とは程遠い温厚な先輩ではあるが、埴之塚の血統に仕える銛之塚の人間。そういった割り切りのできる要素は備えていたのかもしれない。
生きて帰るためには、どれだけ後悔することになろうと今この時だけは決して躊躇わない。その覚悟を環は見せ付けられた気がした。
ため息をつく。
「俺は……未熟だ」
「環。お前は、」
「?」
「お前はお前だ。自分の価値観を見失うな」
「そうですね。俺には知らない庶民を見殺しにはできても、自分で手にかけることはできそうにないです」
皮肉ではない。むしろ自嘲だ。
「だから、桜蘭のみんなだけでもプログラムから脱出させてみせます」
不思議そうな顔をした銛之塚に環は言う。
「役人が賄賂で動いてくれるのは世の常ですよ、銛先輩」
島という閉鎖された空間だからこそ、大抵のことは隠蔽可能。ならば優勝校にならずとも金の力で解決できるはずだと環は考える。スマートなやり方でないのは承知しているが、仲間を血生臭いことに巻き込まない方法の中ではそれが最善だと思えた。
「足りないなんて言わせない。島の関係者全員に便宜を図らせるくらいの個人資産はあるつもりです。鏡夜なら俺より持ってるかもしれませんけど」
「何か手伝えるか?」
「校舎にいる政府の人間と交渉しないと何も始まりません。携帯か何かありませんか?」
「いや」
「そうですか……榊くんは何か持っているみたいだったな……」
考え込む環。すると銛之塚が言った。
「追ってくる」
「彼女は混乱しています。危険ですよ!」
トンネルの方向へ独りゆっくりと歩を進める銛之塚。それが彼女の命を奪いにいく歩みだと気付いていてもなお、環にはそれを制止しに行くことも、彼についていくための一歩を踏み出すこともできなかった。
【D-8 海沿い/一日目 朝】
【須王環@桜蘭高校ホスト部】
【状態】:健康
【装備】:なし
【所持品】:支給品一式、ランダム支給品0~3
【思考・行動】
1:政府関係者を買収しプログラムから抜け出したい
2:銛先輩の行動自体は肯定。とりあえず彼の戻ってくるのを待つ
【銛之塚崇@桜蘭高校ホスト部】
【状態】:健康
【装備】:ピースメーカー(弾数5/6)
【所持品】支給品一式、ランダム支給品0~2
【思考・行動】
基本:積極的マーダー
1:優勝して帰還する。仲間には期待できないし、しない
2:殿の欲しがっている携帯の入手。榊が見当たらないなら諦めてそのまま海沿いに灯台方面へ向かう
「はぁ……はぁ……」
走り終えて随分経ったのに、動悸がおさまらなかった。
短距離走ならこれくらいどうということもなかったはずなのに。
(騙されたっ!!)
榊が銃声に驚いて振り向いた先にいたのは、間違いなく環と名乗った男と同じ制服の男。
つまり、好青年に見えたあの男は標的を足止めするために平和を望むふりをしていた、ただの囮だったのだ。当たらなかったから生きていられたものの、殺意を持った二人組に命を狙われていたという事実は変わらない。これが、プログラム。
認識が甘すぎた。自分だけが非戦を望んでいてもどうにもならない。
ちよちゃん・大阪・智・神楽。殺し合いなどできそうもない彼女たちならなおさらだ。逃げ出すことすらできるように思えない。誰かが守りでもしない限り。
歯を噛み締める。
「私が守る」
銃はある。必要なのはそれを実際に使う勇気のみ。
とはいえここで何の策もなく引き返せば返り討ちに遭いかねない。目的は敵を倒すことではなく仲間を危険に晒さないこと。まずは逃げ切ることを考えないといけない。
朝の澄んだ空気の中を、長身の少女は再度駆けていった。
【E-7 トンネル出口/一日目 朝】
【榊@あずまんが大王】
【状態】:軽度の人間不信
【装備】:グロック17(17/17)
【所持品】:支給品一式、トランシーバー
【思考・行動】
基本方針:マーダーキラー
1:仲間を探したい。山頂なら望遠鏡があるかもしれないので誰にも会わなければ行ってみる
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最終更新:2008年05月18日 09:45