JFK暗殺事件 製作中
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JFK暗殺事件 製作中
ja
2011-01-11T08:06:38+09:00
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カルカノライフル
https://w.atwiki.jp/voodoo65/pages/31.html
<p><strong><span style="font-size:larger;"> マンリカ・カルカノライフル(Mannlicher-Carcano
rifle)</span></strong></p>
<p> <img alt="" src="http://www11.atwiki.jp/voodoo65/?cmd=upload&act=open&page=%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%82%AB%E3%83%8E%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%95%E3%83%AB&file=carcanorifle.jpg" /></p>
<p>■カルカノ・ライフルに関する陰謀説</p>
<p>
イタリア製のマンリカ・カルカノライフルは第二次世界大戦でイタリア軍が使った粗悪なライフルである。照準器も合っておらず、手動式のボルトアクションライフルであるため、一発発射する度に、ボルトで銃弾を再装填しなければならず、暗殺事件に見られるような10秒足らずの間に3発も発射するのは不可能である。</p>
<p>■陰謀説に対する反証</p>
<p>
第二次世界大戦後、イタリア陸軍は米軍式のM1ライフルに装備を入れ替えたため、大量のカルカノ・ライフルが米国の民間市場に放出された。このライフルは、ボルト操作の容易さや速射性、反動の少なさから、暗殺事件前の米国の銃雑誌では、お勧めのスポーツ銃として紹介されていた。</p>
<p>
以下のYoutubeのビデオでは、カルカノ銃を使って、僅か2.3秒で100メートル先の標的に3発の銃弾を命中させた後、5.1秒で6発を発射し全て命中。さらに600メートル先の目標にも正確に当てている。</p>
#video( http://www.youtube.com/watch?v=rGOQ2oebB2M)
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
2011-01-11T08:06:38+09:00
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メニュー
https://w.atwiki.jp/voodoo65/pages/2.html
<p align="left"> </p>
<table border="0"><tbody><tr><td><a href="http://www11.atwiki.jp/voodoo65/pages/28.html">事件の概要</a></td>
</tr><tr><td><a href="http://www11.atwiki.jp/voodoo65/pages/3.html">デイリープラザ</a></td>
</tr><tr><td><a href="http://www11.atwiki.jp/voodoo65/pages/5.html">ザプルーダフィルム</a></td>
</tr><tr><td><a href="http://www11.atwiki.jp/voodoo65/pages/4.html">モーマン写真</a></td>
</tr><tr><td><a href="http://www11.atwiki.jp/voodoo65/pages/6.html">アンブレラマン</a></td>
</tr><tr><td><a href="http://www11.atwiki.jp/voodoo65/pages/7.html">バッジマン</a></td>
</tr><tr><td>
<p><a href="http://www11.atwiki.jp/voodoo65/pages/9.html">銃声録音テープ</a></p>
</td>
</tr><tr><td><a href="http://www11.atwiki.jp/voodoo65/pages/8.html">映画『JFK』の嘘</a></td>
</tr><tr><td><a href="http://www11.atwiki.jp/voodoo65/pages/10.html">バブーシカレディ</a></td>
</tr><tr><td><a href="http://www11.atwiki.jp/voodoo65/pages/11.html">玄関の男</a></td>
</tr><tr><td><a href="http://www11.atwiki.jp/voodoo65/pages/12.html">パークランド病院</a></td>
</tr><tr><td><a href="http://www11.atwiki.jp/voodoo65/pages/14.html">副大統領警護車</a></td>
</tr><tr><td><a href="http://www11.atwiki.jp/voodoo65/pages/15.html">その後の弾丸</a></td>
</tr><tr><td><a href="http://www11.atwiki.jp/voodoo65/pages/16.html">オズワルド</a></td>
</tr><tr><td>
<p><a href="http://www11.atwiki.jp/voodoo65/pages/17.html">頭部の傷(位置)</a></p>
<table style="width:142px;height:227px;" border="0"><tbody><tr><td><a href="http://www11.atwiki.jp/voodoo65/pages/18.html">ハーパーの破片</a></td>
</tr><tr><td><a href="http://www11.atwiki.jp/voodoo65/pages/19.html">魔法の銃弾(弾丸編)</a></td>
</tr><tr><td><a href="http://www11.atwiki.jp/voodoo65/pages/22.html">魔法の銃弾(弾道編)</a></td>
</tr><tr><td><a href="http://www11.atwiki.jp/voodoo65/pages/31.html">カルカノ・ライフル</a></td>
</tr><tr><td><a href="http://www11.atwiki.jp/voodoo65/pages/20.html">3人の浮浪者</a></td>
</tr><tr><td><a href="http://www11.atwiki.jp/voodoo65/pages/23.html">群集の中の不審人物</a></td>
</tr><tr><td>#</td>
</tr><tr><td><a href="http://www11.atwiki.jp/voodoo65/pages/24.html">ジーン・ヒル</a></td>
</tr><tr><td><a href="http://www11.atwiki.jp/voodoo65/pages/30.html">マリリン・シッツマン</a></td>
</tr><tr><td><a href="http://www11.atwiki.jp/voodoo65/pages/25.html">パレードルート</a></td>
</tr><tr><td>#</td>
</tr><tr><td><a href="http://www11.atwiki.jp/voodoo65/pages/26.html">トンデモ説</a></td>
</tr></tbody></table>
疑惑の証人</td>
</tr><tr><td><a href="http://www11.atwiki.jp/voodoo65/contact">管理者に連絡</a></td>
</tr></tbody></table><p align="left"> </p>
<p align="left"> </p>
<p align="left"> </p>
2011-01-10T11:42:23+09:00
1294627343
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マリリン・シッツマン
https://w.atwiki.jp/voodoo65/pages/30.html
**マリリン・シッツマン(Marilyn Sitzman)
※マリリン・シッツマンは、有名なザプルーダの秘書である。彼女は、グラシノールの木の柵の最も間近にいた人物の一人であるが、第二の狙撃犯を真っ向から否定する証言を行ったため、陰謀説を唱える人々からは無視され続けてきた。
#image(http://www11.atwiki.jp/voodoo65/?cmd=upload&act=open&page=マリリン・シッツマン&file=sitzman.jpg,width=250,height=275)
<デイリープラザのコンクリートの台座上から撮影するザプルーダーとシッツマン>
『ダラスの6秒間』(未訳本)の著者ジョシュア・トンプソンは、有名なザプルーダフィルムが撮影された際に、エブラハム・ザプルーダ氏の横にいた秘書のマリリン・シッツマンにインタビューを行った。『ダラスの6秒間』の102ページによると、このインタビューは1966年11月29日に実施された。
トンプソン:私は、マリリン・シッツマンさんと話しをしています。マリリン・シッツマンさんはエブラハム・ザプルーダさんと一緒にコンクリートの台座の上に立っていた方です。
では、マリリンさん、あなたの言葉で、11月22日に何が起きたのかを語っていただけませんか?最初から、すなわち暗殺事件の起きる、5,6分前からお願いします。
シッツマン:はい、大統領のパレードがやってくる前ですが、ザプルーダさんは、カメラで試し撮りをしました。かえでの木、たぶんかえでだと思いますが、その前の芝生でです。
トンプソン:なるほど
シッツマン:それで、もともと決めていた場所かどうか判りませんが、あの場所の上に上って撮影することにしたようです。あの場所はなんて言いましたっけ?
トンプソン:四角いコンクリートの台座ですね?はい
シッツマン:そうです。彼はその上に立ち上がると、私に後ろ側に立つようにお願いされました。カメラのテレスコープレンズを通して撮影しようとすると、目眩がして、よろけるので、その時は、私に後ろ側で支えて欲しいとのことでした。そこで、私は彼のすぐ後ろに立ちました。そのとき、パレードがヒューストン通りと、メイン通りの交差点に差し掛かったのが見えました。その時点では、彼はまだ撮影を開始していませんでした。ヒューストン通りを進む様子を眺めていました。 先導のオートバイが角を曲がり、坂道を下りだした辺りで撮影を始めたのです。それから、しばらくは特に変わった様子はありませんでした。(ここで、ドアをノックする音で、録音を中断)
トンプソン:(録音再開)中断してすいませんでした。たしか、パレードがヒューストン通りに差し掛かって、その通りを進んでいたところまでお話頂いたかと思います。
シッツマン:繰り返しになりますが、最初の音がするまでは、特に変わった様子はありませんでした。ケネディ大統領の反応を見た感じでは、最初は爆竹の音かと思いました。彼は手を上げながら顔を隠すように、左にもたれかかりました。パレードは、そうですね、そのまま坂をおりてきました。次に起きたことは、とにかく正確に覚えていますが、私たちの真正面で、彼に銃弾が命中しました。彼の顔の横の方に銃弾が命中しました。
トンプソン:側頭部のどの辺りに命中しましたか?
シッツマン:耳の上から前のほうにかけてです。
トンプソン:耳の上から垂直に線を書いたとすると、それよりも前ということですか?
シッツマン:そうです。
トンプソン:それが意味するところは、こめかみよりも後ろで、頭の側面ということですか?
シッツマン:耳と目の間ぐらいです。
トンプソン:耳と目の間ですね。
シッツマン:そこから脳みそが吹き飛ぶのが見えました。わかりますか、頭がパックリと開いたんです。とにかく見るに耐えない光景でした。頭が吹き飛んだのですから。
トンプソン:そのときの大統領の頭の動きについて覚えていますか? たとえば、銃弾が命中した衝撃で、頭がどちらに動いたとか、体がどう動いたとか。
シッツマン;いいえ、私がみたのは、大統領の頭に銃弾があたり、頭がどうなったかしか覚えていません。誰がどう言おうとも、頭だけしか見ていなかったんです。それ以外の動きとか、ほかの事については全く覚えていません。とにかく、これまで見た事も想像したこともないような光景でした。
トンプソン:頭が、衝撃でどう動いたとか、前とか、後ろとか、左側にとか、見ていませんか?
シッツマン:いいえ、思い出せません。私は見ていたのかもしれませんが、覚えているのはそれだけです。
トンプソン:わかりました。わかりました。
シッツマン:銃撃の音についてですが、最初の音は、まるで爆竹のような音でした。2発目の音も1発目と同じように聞こえました。2発の音に違いはありませんでした。もし仮に、2発目の銃弾が1発目と違う場所から発射されたとしたら、たとえば、右側のもっと近い場所から発射されたとしたら、私の耳にはもっと大きく聞こえたはずですし頭の横で鐘が鳴るように感じたと思いますが、そんなことはありませんでした。だって、私は木の柵の間近に立っていたんですよ。本当にすぐ近くでした。でも2発の音に違いはありませんでした。
#image(http://www11.atwiki.jp/voodoo65/?cmd=upload&act=open&page=マリリン・シッツマン&file=zapfence.jpg)
<マリリン・シッツマンの位置から見た木の柵の位置>
トンプソン:あなたの耳には、特別大きく聞こえるようなことはなかったと。それらは・・
シッツマン:ええ、そうです。その日に聞いた一番大きな音は、サイレンでした、その・・
トンプソン:それから、あなたが見た光景ですが、頭部への銃撃の後、車はトリプルアンダーパスの方へ消えていった?
シッツマン:ええ、それから立っていたコンクリートの台座を降りて、丘を下っていきました。そこで道路を横切ってきた男の人たちと会いました。たぶん、シークレットサービスか、CIAか、そんな人たちだったと思いますが、何が起きたのか聞かれました。私は「大統領が殺された」って答えました。それからまた丘を上がっていきました。そこでFBIの人たちから話を聞かれました。身分証を見せてもらったのですが、名前は思い出せません。そのあと、私は、プラザのアルコーヴ(構造物)の陰に歩いていきました。裏側ではなく、アルコーヴの内側です。
トンプソン:プラザのアルコープですね。
シッツマン:そして、後ろを振り返ると、皆が、こちらの同じ方向に走ってくるところでした。皆一斉に丘を上ってきているのです。
トンプソン:どちらの方向に走っていましたか?鉄道の操車場のほうですか?それとも駐車場のほうですか?
シッツマン:走っている人もいましたし、とにかくアルコーヴに行きました。そこには、人々が群れていました。たぶん、丘にいたほとんどの人がそこに来たのではないでしょうか。それからその日の出来事でもう一つ覚えているのは、黒人のカップルのことです。彼らは、だいたい18歳から21歳くらいの若い男女で、ちょうど私の右側で、木の柵のすぐ真ん前あたりにあるベンチに座って昼食をとっていました。
トンプソン:整理すると、あなと木の柵の間、木のすぐ・・・
シッツマン:そこには木がありました。そして、プラザの構造物が延びていました。コンクリートと呼ぶのか、壁と呼ぶのかわかりませんが。その壁と木の柵の間です。
トンプソン:そのベンチはあなたに向かってどちら・・・
シッツマン:それは、通りの方向に向いていました。
トンプソン:通りに向かってですね。並行にですか?丘を下る方向ですか?前方を向いてですか?
シッツマン:彼らはそこで昼食を取っていたのです。食事が入った袋を持っていました。そしてコーラを飲んでいました。なぜ、私がそのことを覚えていたかと言いますと、最後の銃声がした後、車がトリプルアンダーパスのほうに消えました。そのとき、ガラスが割れる音がしたのです。そして、音の方向に目をやると、その黒人の男の子がコーラのボトルを投げ落として、投げ落とすと同時に後ろの方に向かって走り出しました。もちろん、その行為自体は、特におかしな点はありませんでした。なぜなら、皆、その方向に走っていたんですから。それから私の左手にいた丘の人々もそちらに向かって走り出していました。
トンプソン:うーん、ところで、グラシノールの木の柵、あるいはドーム型の構造物の裏側に位置する駐車場で、何か目にとまるような車を見ませんでしたか?
シッツマン:駐車場には車がたくさん停まっていました。いつものようにね。あれはテキサス教科書倉庫ビルの駐車場なんです。
トンプソン:あの日も、たくさん停まっていましたか?
シッツマン:あの日も、いつでもです。
トンプソン:うーむ
シッツマン:あそこはいつでも満車なんです。実際、誰のための駐車場か、実際のところ私もよく知らないのですが、鉄道会社の人たちや、テキサス教科書倉庫の人たち、あるいは別の人かもしれませんが、とにかくいつも満車でした。
トンプソン:それでは、頭部への銃撃の直後の光景について何かお話いただけますか?ザプルーダー氏の撮影されたフィルムを見ると、銃撃の後はカメラを右手に向けながら木の柵がある方向にカメラを向けています。木や木の柵などの周辺部に向けてです。あなたも頭部への銃撃の後はそちらのほうを見ましたか?
シッツマン:私の考えでは、彼(ザプルーダ氏)はあの子達が投げたコーラの瓶が割れる音を聞いたのではないでしょうか?そのとき、彼はビクッと飛び上がりましたが、私は銃声ではないと分かりましたので飛び上がることはありませんでした。。
トンプソン:そんなはずはない
シッツマン:でも、ガラス瓶の割れる音は、銃声よりも大きかったんですもの。
トンプソン:ちょっと、話が違います。私は以前、ザプルーダーフィルムを見て気がついたことがあります。だいたい318コマ目と319コマ目あたりですが、突然、画面が揺れます。まるでカメラマンが大きな音に驚いたかのようにです。この点について、ご意見をお聞かせ願えませんか?
シッツマン:いいですか、私たちはケネディ大統領の頭に弾が当たって、こんな風に破裂した光景を目の当たりにしたんですよ。こんな光景を見て、平常心でいられると思いますか?飛び上がって驚くにはごく普通の反応だと思いますけど。
トンプソン:言い換えると、音よりも目でみた光景で驚いたということですか?
シッツマン:その通りです。ただし人それぞれだと思いますよ。人によっては凍り付く場合もあるでしょうし、人によっては、特に女性では、あんな血なまぐさい光景で、気を失う人もいるかもしれません。
トンプソン:たしかにそうですね。私もフィルムを見てもそうなりました。では、お聞きしますが、この木の柵と、コンクリートの壁あるいは、遊歩道のあたりですが、銃撃の後、この付近を見ましたか?
シッツマン:はい
トンプソン:この辺りに誰かいましたか?
シッツマン:いませんでした。ただ、先ほどの黒人のカップルが走っていくところでした。
トンプソン:わかりました。彼らはベンチから立ち上がって、木の柵とパゴラ(デイリープラザの構造物)の間を走っていったのですね。
シッツマン:間の遊歩道を走っていったか、あるいはアクローヴの方にいったか、覚えていません。ただ、瓶が割れる音で、私は直ぐにそちらの方を見たのです。直ぐにです。そうしたら、彼らは後ろの方に向かって走っていったのです。それからまた、すぐに向きを変えて、通りのほうで何が起きたのか見ようとしたのです。彼らは、私たちには何も関係のない人たちでしたから。
トンプソン:彼らの隣に立つ前に、彼らがベンチに座っているのを見ましたか?
シッツマン:そうです。10分から15分くらい前、この辺りをうろうろしていて、見物する場所を探していました。私たちが台座のような場所に行ったとき、彼らはそこに既に座っていました。
トンプソン:なるほど、彼ら2人が、壁の端のほうか壁際に移動したか気がつきましたか?
シッツマン:いいえ、よくは分かりませんが、そこにずっといたと思います。
トンプソン:もちろん、あなたはパレードに注目していた訳ですよね。だから、その場所にいたかどうか分かりませんよね?
シッツマン:そうですね。ただ、彼らがずっと座っていたような感じがしました。どうしてかと言うと、私が見たときに、そこから立ち上がっていましたから。
以下、ニックスフィルムの映像に写った人影についての質問が続くが、この人影は後に光線の具合による陰であると証明されたため省略する。
2008-03-01T22:23:13+09:00
1204377793
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嘘つき列伝
https://w.atwiki.jp/voodoo65/pages/27.html
<h4>疑惑の証人</h4>
<p>
ケネディ暗殺事件では、定期的にセンセーショナルな証言を行う新証人や、ジャーナリストが登場して世間を騒がせるが、やがて偽者である事が判明して、消えていく。 しかし、その後も、彼らの証言だけが検証される事もなく、繰り返し引用される場合も多いので注意が必要である。</p>
<img src=
"http://www11.atwiki.jp/voodoo65/?cmd=upload&act=open&pageid=27&file=308.jpg"><br>
<h4>ノーマン・サイミラス</h4>
<p>
サイミラスはカナダ・オンタリオ在住の、飲料業界紙の記者である。 彼は、1963年11月19日~21日までダラスで開催された、業界団体のカンファレンスに出席するため、ダラスに滞在していた。 彼の証言によると、事件前日、ジャック・ルビーの経営するクラブ、「カルーセル」に仲間と訪れ、ジャック・ルビーから大統領のパレードをデイリープラザで観る事を薦められたという。 事件直後、彼はカナダの新聞社に電話し、自分は暗殺を間近で目撃し、事件の瞬間を撮影したと話した。 その後、カナダの複数の新聞社、ラジオ局のインタビューを受け、暗殺時の模様を詳細に語った。 サイミラスは、その後、シカゴ経由でカナダに帰国する際、彼の証言の重要性を認識したAP通信社から、写真提供の要請を受け、まだ未現像の写真をAP通信シカゴ支局に提供した。 現像されたフィルムは、ほとんどがカンファレンスのもので、パレードを撮影したフィルムは、そのうち2,3枚で、ブレた車の前部と後部が写っていたという。 AP通信は、ニュース価値がほとんど無い判断し、彼の記事と写真が掲載される事は無かった。 また、写真が撮影された場所もデイリープラザでは無いと思われた。 しかし、事件後しばらくして、カナダで複数の雑誌のインタビューに応じ、サイミラスは、自分が撮影したフィルムには、暗殺の瞬間のテキサス教科書倉庫ビルの6階が写っており、そこには2人の人影と、ライフルが写っていると話した。 この衝撃的な記事はカナダの雑誌に掲載されたが、写真は今は手元に無いとし、度重なる写真提供の要請に応じず、写真が一緒に掲載される事はなかった。 彼の証言の重要性を認識したFBIは、カナダの警察当局に捜査協力を依頼し、証言を取ったが、結局、信頼に足る証拠と写真が提供される事はなかった。 </p>
<br>
<p><img src=
"http://www11.atwiki.jp/voodoo65/?cmd=upload&act=open&pageid=27&file=gordon.jpg">1988年テレビ番組に出演するゴードン・アーノルド<br>
</p>
<h5>ゴードン・アーノルド</h5>
<p>
事件から15年、1978年ダラス・モーニングニュースに衝撃的なインタビュー記事が掲載された。 ダラス在住の元陸軍兵士、ゴードンアーノルドが、暗殺事件当日にグラシノールで暗殺者にフィルムを奪われたと証言したのだ。 彼の証言によると、事件当日の1963年11月22日、彼は母親から借りた8ミリカメラを持って大統領のパレードの撮影に出かけた。 最初、グラシノールの木のフェンスに行ったところ、シークレットサービスか、CIAの身分証明書を持った男に、向こうに行くように言われた。 仕方なく木のフェンスから手前のコンクリートの壁の付近で撮影することにした。 大統領のパレードが近づいてくると、突然、自分の真後ろから発砲音がして、左耳の真横を銃弾がかすめていった。 彼は驚いて地面に伏せた。 その直後、ダラス市警の警官の服装をした男が2名彼の横にやってきて、一人は拳銃を片手にし、もう一人はライフルを持っており、彼を蹴り上げると、フィルムをよこすように要求した。 彼はカメラを差し出したが、母親から借りたものなので、カメラを返すように要求すると、2名の警官の服装をした男は、フィルムだけ抜き取りカメラを返した。 その翌日、彼は陸軍のアラスカの基地に転勤になり、この事実を長らく第3者に話すことはなかった。 彼の姿はモーマン写真を拡大すると写っているとの説もあるが、大変不鮮明な影である。 彼の直ぐ隣にいたはずの、ザプルーダと、秘書のシッツマンは、彼の姿を目撃していない。 また、当日、デイリープラザで撮影された、数百枚に上る写真にも1枚もゴードン・アーノルドの姿は撮影されていない。 さらに、事件直後のグラシノールには、多くの人間が駆け上ったにもかかわらず、ライフルを構えた犯人にフィルムを抜く時間はあったとは思えない等の理由から、かれの証言の信用度は極めて低いとされた。 </p>
<p><img src=
"http://www11.atwiki.jp/voodoo65/?cmd=upload&act=open&pageid=27&file=JFKhoffmanE.jpg"><br>
</p>
<h5>エド・ホフマン</h5>
<p>
エド・ホフマンは聾唖者で、口がきけなかった。 事件から4年後の1967年、彼はFBIに事件当日に不審な男を目撃したと証言した。 その証言によると暗殺事件当日、彼は職場に向かう途中、ステモンスフリーウェーで、大統領のパレードがあるのを思い出し、路肩に車を止めると、大統領のパレードの到着を待った。 彼が居た場所は、グラシノールから西側の線路を挟んだ場所で、そこから、事件直後にテキサス教科書倉庫ビルの裏側から2人の不審な男が走り去るのを目撃したと語った。 FBIが検証したところ、ホフマンのいた場所からは、塀が邪魔になってテキサス教科書倉庫の裏側が見えないことがわかった。 さらに、彼が居た場所のすぐ近くには3名のダラス市警の警官が警備の為、配置されていたが、誰一人として彼を目撃した者はいなかったため信憑性に乏しいとされた。 ところが、1970年代の後半に、さらにバージョンアップした話を、今度はマスコミ向けに発表した。 それによると、彼は事件直後にグラシノールの駐車場からライフルを持った男が歩いてきて、別の男にライフルを渡すと、それを分解して、車で持ち去るのを目撃したと話した。 その目撃談を近くの警官に知らせようとしたが、口がきけないので誰も気づいてくれなかったとした。 多くの研究家が彼の証言を検証したところ、当日の鉄道操車場には、長い貨車が止まっており、彼の主張どおりの視線をさえぎる事が明らかになった。 また、グラシノールの裏手の駐車場は、すぐに野次馬で一杯になったため、銃を分解する時間など無かったこともわかった。<br>
</p>
<h4><img src=
"http://www11.atwiki.jp/voodoo65/?cmd=upload&act=open&pageid=27&file=JFKoliverB.jpg"></h4>
<h5><br>
ビバリー・オリバー</h5>
<p>
ビバリー・オリバーは、ジャック・ルビーが経営していたクラブ「カルーセル」の歌手で、事件当日、デイリープラザにた<a href="http://www11.atwiki.jp/voodoo65/pages/10.html">バブーショカレディ</a>は自分であると証言した。 彼女の証言によると、当日、デイリープラザで、ケネディ大統領が暗殺される瞬間を、8ミリカメラで撮影したものの、事件の2日後にやってきたFBIか、CIAのエージェントにフィルムを渡してから返してもらっていないと話した。 また、彼女は、カルーセルで、よくジャック・ルビーと、オズワルドが会っており、オズワルドはCIAの要員だったと衝撃的な証言を行った。 ところが、彼女の証言を詳細に分析していくと、すぐに様々な矛盾が噴出した。 まず、彼女が撮影したとする8ミリカメラは、日本製のヤシカ・スーパー8で、米国での発売は1965年だった。 また、彼女がオズワルドとジャックルビーが会っていたとされる日時は、カルーセルで働いていない事も明らかになり、それ以外の様々な矛盾により彼女の証言全体の信憑性が問われる事になった。<br>
</p>
<br>
<p>続く</p>
2006-07-24T16:35:16+09:00
1153726516
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https://w.atwiki.jp/voodoo65/pages/1.html
#ref(warren.jpg)
**ケネディ暗殺事件 単独犯行説 vs 陰謀説の歴史
91年に公開されたオリバーストーン監督の映画「JFK」は第3次ケネディ暗殺ブームを巻き起こした。 米国のテレビ局ABCが2003年の暗殺40周年に実施した世論調査では、ケネディ暗殺事件が陰謀であったとする人の数は実に70%に達した。 一方で、米国の主要なメディアは、陰謀説に対しての取り扱いは冷淡であり、基本的には単独犯行説の支持を貫いている。
また、本事件の直接の被害者であるケネディ家や、当時のケネディに近い側近達は、陰謀説に基づき再調査の依頼を主張した事はない。 さらに米国の司法当局や法曹界も、ほぼ一貫して単独犯行説を支持している。 この温度差は、いかにして生じているのか? 陰謀史観(コンスピラシー・セオリー)的な考え方では、メディアも法曹界も、FBIも、ダラス市警も、目撃者も、全てCIAの陰謀と繋がっている事になるが、それは安易な発想である。
実際には90年代以降に加速した情報公開と、近年の鑑識技術、コンピュータによる解析技術の進化で、ウォーレン報告書のかなりの部分は、正確であったことが立証されつつある。 すなわち陰謀論の多くは幻だったわけである。(これもCIAによる証拠隠滅工作の結果であると考えるのは、完全なコンスピラシー・セオリーである) 一方で、陰謀が全く無かったとする説も逆接的には極論である。 トンキン湾事件、松本サリン事件等、当初の通説とは異なり実際に陰謀が存在する場合もある。 本HPではこのグレー部分を最大限取り除く目的で、ケネディ暗殺学の最新の動向を提供する事を目的とする。
**ウォーレン委員会
ケネディ暗殺事件直後の1963年11月25日、テキサス州の検事総長ヴァゴナー・カールは、暗殺事件の捜査は、公開裁判形式で、FBIの協力の下、テキサス州にて行いたい旨を、ジョンソン大統領に申し入れた。 テキサス州出身のジョンソンもこの方法に同意し、事態が進むかに見えたが、議会から横槍が入った。
仮に、結果がソビエトや、キューバの陰謀による国家元首殺害事件だった場合、戦争に突入する可能性も否定できなかったのである。 そのため調査は、連邦政府管轄で行うものとし、ウォーレン最高裁判所長官の下で、上院、下院、政府から任命された委員が事件の捜査を行う、いわゆる「ウォーレン委員会」が組織された。
この最初の会合は事件から2週間後の1963年12月5日に開催され、1964年6月30日までに報告書を取りまとめるように期限が設けられた。 FBIからは25000ページにも及ぶ膨大な報告書も提供され、本格的な調査が開始された。
しかし、調査の決定的な証拠であった検視写真とX線写真については、ケネディ家より正式に提供を拒否された。 最重要証拠を利用できなくなった事で、困った委員会は、ロバートケネディ司法長官の裁量で、委員長のウォーレンと ランキン委員の2名だけに、検視写真と、X線写真の閲覧を許した。 この出来事が後に大きな混乱を生じさせる原因となった。 委員会は、この時の閲覧を元に不確かな図を元に事件捜査に重要な、弾道を特定しなければならなかったのである。
また、調査も実質的にFBIの調査を追従する形で行われた。 さらにFBIやCIAは全ての情報を開示していない可能性も当初から指摘されていた。
このため、結論を出す過程で、最も紛糾したのは、一発の銃弾による、ケネディとコナリーの負傷だった。(魔法の銃弾説)、不確かな図からは、1964年当時、この説を立証できる技術的なバックグラウンドができなかったのである。 しかし、結果的に、委員会が取りまとめた結論は、オズワルドによる単独犯行、発砲は3発、組織的な背景は無いと結論付けた。
**陰謀説の起源
もともと、オズワルドが射殺された事件は、何らかの口封じではないかと噂されていたものの、当初、ウォーレン報告は、短い期間でまとめられ、周囲からは絶賛された。 個人研究家が、細部での矛盾を指摘することもあったが、単独犯行説が揺らぐ事は無かった。 初期の段階で、陰謀説を提起し、政府を攻撃しようと試みたのは、主に米国における左翼勢力だった。 最初に出版された1965年発行の”Who killedKennedy?”は、ヨーロッパ在住の共産主義者の米国人、トーマス・ブキャナンによるものであった。
1966年に出版されたマークレーン(後の「ダラスの熱い日」の作者)の”Rush to thejudgement”(急ぎすぎた判決)は、初めて陰謀説の本としてはベストセラーとなった。 マーク・レーンは筋金入りの左翼で、いわゆる人権派弁護士だった。 彼は、もともとウォーレン委員会に対してオズワルドの弁護をさせるように要求して、却下された経験を持っていた。
マーク・レーンは、法廷では主に、刑事被告人の弁護を専門とする敏腕弁護士で、その被告人を無罪にするための手法をフルに使って、ウォーレン報告書の矛盾を突いた。 魔法の弾丸、グラシノールの目撃者、3発発砲説の矛盾等の、ケネディ暗殺事件における主要な問題点は、このときに、そのほとんどが構築されている。
マーク・レーンの本がベストセラーになったことを受けて、これ以降、米国の出版会では、ケネディ暗殺物が大ブレークする。
続く
&counter()
&counter(today)
2006-05-20T22:53:38+09:00
1148133218
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魔法の銃弾(弾丸編)
https://w.atwiki.jp/voodoo65/pages/19.html
<h4>魔法の銃弾(Magic Bullet)</h4>
<p><img src=
"http://www11.atwiki.jp/voodoo65/?cmd=upload&act=open&page=%E9%AD%94%E6%B3%95%E3%81%AE%E9%8A%83%E5%BC%BE%EF%BC%88%E5%BC%BE%E4%B8%B8%E7%B7%A8%EF%BC%89&file=33-3318a.gif"> <img src="http://www11.atwiki.jp/voodoo65/?cmd=upload&act=open&page=%E9%AD%94%E6%B3%95%E3%81%AE%E9%8A%83%E5%BC%BE%EF%BC%88%E5%BC%BE%E4%B8%B8%E7%B7%A8%EF%BC%89&file=33-3321a.gif"></p>
<p>
ウォーレン報告書の証拠物件CE399と呼ばれる魔法の銃弾は、米国の銃創の専門家、銃弾の専門家を巻き込んで30年以上も、論争の的となってきた。 ケネディ大統領暗殺事件における、最も注目すべき証拠物件である。 この銃弾は、パークランド病院に収容されたコナリー知事のストレッチャーから発見された。 ウォーレン報告書によると、この銃弾は、ケネディ大統領の喉を貫通後、前に座っていたコナリー知事の右胸部を貫通し、さらに右手首を貫通し、骨を砕き、左の太ももに止まったとされている。</p>
<p>
この銃弾の特筆すべき点は、銃弾自体が完全な形で残っている点だった。 7ヶ所以上もの傷を人体に作り、かつ銃弾が、完全な形で残っているのは、銃弾の専門家の常識でも考えられない事だった。 銃弾に残された線条痕は、オズワルドのマンリカ・カルカノ銃から発射された事を示していたが、多くの暗殺研究家は、この銃弾こそが陰謀の絶対的な証拠であると考えた。 すなわち、オズワルドを陥れるために、何者かが事前に用意した銃弾をストレッチャーの上に置いて姿を消したと信じた。 </p>
<p><img src=
"http://www11.atwiki.jp/voodoo65/?cmd=upload&act=open&page=%E9%AD%94%E6%B3%95%E3%81%AE%E9%8A%83%E5%BC%BE%EF%BC%88%E5%BC%BE%E4%B8%B8%E7%B7%A8%EF%BC%89&file=ce856.jpg"></p>
<p>
上載写真は、証拠物件CE856である。 これはウォーレン委員会が、銃弾の再現を試みるために、解剖用の死体の手首に、カルカノ銃で銃弾を撃ち込んだものである。 銃弾は、フルメタルジャケットで、元々、弾頭は潰れにくく出来ているが、試射の結果、先端部が見事に潰れてしまった。 一方で、ケネディの頚部に見立てた山羊の肉塊での試射テストでは、銃弾は全く変形しなかった。 この弾頭部が綺麗なままの銃弾に関しては、ウォーレン委員会でも、下院暗殺特別委員会でも完全に説明をすることができなかったが、1発の銃弾で、2人の体を貫通し、手首を粉砕し、太ももで止まった、いわゆる魔法の銃弾説は見直される事はなかった。 </p>
<p>
ところが、この銃弾は、垂直方向には全く変形していないように見えるが、奇妙な事に水平方向には大きく変形している。(弾底部からの写真参照)</p>
<p><img src=
"http://www11.atwiki.jp/voodoo65/?cmd=upload&act=open&page=%E9%AD%94%E6%B3%95%E3%81%AE%E9%8A%83%E5%BC%BE%EF%BC%88%E5%BC%BE%E4%B8%B8%E7%B7%A8%EF%BC%89&file=ce399.gif"></p>
<p>
弾頭が完全なままで、全体が万力で締め付けられたような、珍しい変形であり、専門家も頭を悩ませた。 仮に陰謀グループが、無傷の銃弾を回収するために、ベッドやクッションなどに銃弾を打ち込んでも同様の変形は簡単には起きない。 </p>
<p><img src=
"http://www11.atwiki.jp/voodoo65/?cmd=upload&act=open&pageid=19&file=connally.jpg"></p>
<p>
コナリー知事の傷も奇妙であった。 背部の入り口とされる傷は、円形ではなく3センチ強の長い傷であり、出口は5センチ以上あった。 一方で、右手首の傷は出口よりも入り口のほうが大きかった。 仮に陰謀説が正しく、コナリーとケネディが別の銃弾で撃たれたとすると、入射口の傷の説明がつかなかった。 </p>
<p>
一方で70年代以降、弾道や銃創に関する研究が進み、銃弾の変形と、射出速度には密接な関係がある事が明らかになってきた。 通常、ライフル銃から発射される銃弾の初速度は2000フィート(609メートル)/秒以上であるが、何らかの理由で1200フィート/秒以下のスピードであれば、骨のような硬い物に衝突しても変形しないのである。</p>
<p><img src=
"http://www11.atwiki.jp/voodoo65/?cmd=upload&act=open&page=%E9%AD%94%E6%B3%95%E3%81%AE%E9%8A%83%E5%BC%BE%EF%BC%88%E5%BC%BE%E4%B8%B8%E7%B7%A8%EF%BC%89&file=bullet01.jpg"></p>
<p>
1992年、米国の事件・事故の調査を専門に行うFailureAnalysis協会が、カルカノ銃を使って、発射火薬量を調整し通常の約半分の毎秒360メートルのスピードで、解剖死体の手首に撃ち込む実験を行った。 実験の結果、解剖死体の手首の傷は、コナリー知事の傷と同様で、かつ銃弾は全く変形せず、CE399の銃弾よりも完全な形で回収された。</p>
<h4>回転説(Tumbling Theory)</h4>
<p>
国際銃創協会の委員長、マーチン・ファクラー博士は、1992年に、銃弾が回転してコナリー知事に命中したとの説を発表し、各種の証拠が全て整合するため、現在では、この説が最も有力となっている。 以下にその説を説明する。 これは、1993年に出版されたウォールストリートの弁護士、ジェラルド・ポスナー著の「CASECLOSED」で発表された。</p>
<p><img src=
"http://www11.atwiki.jp/voodoo65/?cmd=upload&act=open&page=%E9%AD%94%E6%B3%95%E3%81%AE%E9%8A%83%E5%BC%BE%EF%BC%88%E5%BC%BE%E4%B8%B8%E7%B7%A8%EF%BC%89&file=limo2.jpg"></p>
<p>
1) カルカノ銃から発射された銃弾は、初速2000フィート(609メートル)/秒で、ケネディの背中に到達した際のスピードは1800-1700フィート(510メートル-540メートル)であったと推察される。 </p>
<p>
2) 喉を貫通した銃弾は、骨には衝突していない(かすっている)ため、銃弾の形は、ほぼ完全な形を保っている(FBIでも実験・立証済み)、一方で、貫通する際に、銃弾の回転が始まったと推察される。</p>
<p>
3)ケネディの喉を出た銃弾は、回転しながら横倒しの形でコナリーの背中に命中した。 この時のスピードは1500フィート(457メートル)/秒程度になっている。 コナリー知事の傷口の大きさも、ほぼ銃弾の長さと一緒(約3センチ)である。</p>
<p>
4)肋骨を粉砕して胸を貫通した銃弾は、横向きに大きく変形していおり、前後逆さまに手首に突っ込み、弾底部の鉛の破片を傷口に残した。 一方で銃弾のスピードも900フィート(274メートル)/秒程度まで減速しているため形の変形は起きなかったが、回転はまだ止まっておらず、前後が逆転して飛び出してきたものと推察されている。</p>
<p>
5)手首を貫通した銃弾は、400フィート(120メートル)/秒程度までスピードが減速しており、既に皮膚を貫通する程度の速度しか残っていない。 手首の傷口と太股からは、銃弾の底部にある金属片の破片が発見されている。</p>
<p><img src=
"http://www11.atwiki.jp/voodoo65/?cmd=upload&act=open&page=%E9%AD%94%E6%B3%95%E3%81%AE%E9%8A%83%E5%BC%BE%EF%BC%88%E5%BC%BE%E4%B8%B8%E7%B7%A8%EF%BC%89&file=tumble.jpg"><br>
米国、ディスカバリーチャンネルで放映された際の、発射実験によるコナリー知事の傷口、実際の傷口が再現できている。</p>
<h4>銃弾の破片</h4>
<p>
FBIはカルカノ銃の6.5mmの銃弾をランダムに計測し、その平均値を一発当たり161.2グラムとした。 ストレッチャー上で発見されたCE399の重量は158.6グラムである。 これは、たった2.6グラムしか損失が無かったことを意味している。 暗殺陰謀説を取る研究家は、傷口から回収された破片からすると少なすぎると指摘した。 ケネディ大統領の喉の傷口からは全く破片が発見されなかったため、コナリー知事の傷口から発見された銃弾の破片が全てであるが、これらは粉のような破片が飛び散っており、さらに一部は体内に残されたままである為、正確な測定はできていないが、全体として1.5グラムと推定されている。 また手首から回収された破片は、CE399の弾底部(弾丸内部)と同一材質であることが確認されている。</p>
2006-05-20T07:58:10+09:00
1148079490
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事件の概要
https://w.atwiki.jp/voodoo65/pages/28.html
<p><img src=
"http://www11.atwiki.jp/voodoo65/?cmd=upload&act=open&pageid=28&file=title.jpg"></p>
<h4>事件の概要</h4>
<p><br>
第35代アメリカ合衆国大統領、ジョン・F・ケネディは、1963年11月22日金曜日、午後0時30分(中部標準時)、テキサス州ダラスで、市内をパレード中に、デイリープラザで頭部に致命的な銃撃を受け暗殺された。 任期中に死亡した大統領はケネディが8人目で、暗殺された大統領は4人目である。 暗殺事件に関する公式な調査として、ウォーレン委員会が発足し、1964年9月の最終報告で、犯人はデイリープラザに面した、テキサス教科書倉庫の従業員、リー・ハーヴィー・オズワルドによる単独犯行であると結論付けた。 後に、1976年から1979年にかけて、下院の暗殺特別委員会(HSCA)による別の調査が行われ、「陰謀の可能性がある」と結論づけた。 ケネディ暗殺事件に関しては、今日でも様々な陰謀説が唱えられており、世界的な関心の的となっている。</p>
<h4>テキサス遊説まで<br></h4>
<p>
ケネディがダラス訪問を決定したのは、翌年に迫った大統領選挙で再選されるために、前回の選挙で辛うじて勝利したテキサス州(ダラス市では敗北)での基盤強化を目的とするものであった。 訪問に際して安全上の懸念は以前から指摘されていた。 事件に先立つ10月24日、米国の国連大使アドリィ・スティーブンソンがダラスを訪問した際に、反対派の群集からプラカードなどで小突かれ、押し回されたり、激しい野次を浴びせられる事件が起きたばかりであった。 またダラス市内で狙撃される可能性も指摘されていた。 ケネディ自身も、自分が暗殺されるかもしれないと、パレードを警護するシークレットサービスに仄めかしていた。<br>
ダラス市警は、前月のスティーブンソン訪問時の失態を二度と起こさないように、過去最大級の厳しい警備体制を敷いた。 しかし、一方でシークレットサービスは、通常の警備体制よりも緩やかな体制で、パレードカーを警護するとダラス市警に伝えてきた。結果的には、パレード自体の警備体制は、通常の要人警護と同等の体制で挑むことになった。<br>
後に、ダラス市警本部長のジェシー・カリーは、もう少し重装備の警護を行っていれば、暗殺を未然に防ぐが、最悪でも現場で犯人を取り押さえることができたかもしれないと証言した。<br>
パレードのルートは、ダラス・ラヴフィールド(空港)から市内の中心部を通過して、昼食会場のトレードマートまでと決定された。 パレードに使われる車は1961年製リンカーン・コンチネンタルのオープントップの特別仕様車であった。 防弾仕様の大統領車は1963年当時は使用されていなかった。 超保守派グループのジョン・バーチ・ソサイエティはケネディ訪問日の11月22日の朝刊誌に、黒枠で囲まれたネディ批判の全面広告を掲載した。 ケネディに批判的な複数のグループは、パレードのルートに沿って、抗議のプラカードと提示するなどの散発的な行動を取ったが、進行を妨げるような妨害は無かった。<br>
パレードの隊列は、子供などと握手をするために2回ほど停車した以外は、順調に進行した。 リムジンはメイン通りに入った際に、男が大統領車に駆け寄ろうとしたものの、シークレットサービスに阻止された。 午後0時30分、大統領車は120度の左折を行い、テキサス教科書倉庫ビルの前を通過しようとしていた。</p>
<h4>暗殺</h4>
<p><br>
大統領車が教科書倉庫の前を通過する際に、ケネディ大統領に向けて弾丸が発射された。 発砲の時間は諸説あるが、6秒から24秒の間であると推定されている。 発砲時の車のスピードは時速15km/hから20km/hであった。 暗殺の瞬間はザプルーダフィルムにも記録されている。 シークレットサービスのクリント・ヒルは大統領車のすぐ後ろの警護車に乗っていたが、最初の銃声の直後に、車を飛び降りて大統領車に全力疾走で飛び乗ろうとした。 ヒルが、大統領車後部に取り付けられていた護衛用の手すりに届いた瞬間、次の発砲があり、大統領の頭部に命中した。 この時、運転手が車を加速させた為、一旦は引き離されたものの、かろうじて飛び乗り、トランクの上で動転しながら頭蓋骨の破片を拾い集めていたケネディ夫人を席に押し戻し、2人の上に覆いかぶさった。 すぐに車は全速力でパークランド記念病院に向かった。</p>
<h4>その他の負傷者</h4>
<p><br>
大統領車に同乗していたコナリーテキサス州知事も銃撃を受けて重傷を負ったが、一命は取り留めた。 医師が後に語ったところによると、コナリー夫人が、知事を引き寄せて膝の上に乗せたことにより、銃撃を受けた肺が窒息状態になるのを防いだとの事だった。 パレードの観客、ジェームズ・ターグもケネディが被弾した場所から280メートル離れた場所で、流れ弾による舗道の破片を頬に受けて負傷した。</p>
<p>**緊急治療室と死亡宣告<br>
外科治療1号室の病院スタッフは、運び込まれたケネディ大統領は一見して、致命傷を受けており、生存できる可能性が、ほとんど無い事がわかった。 午後1時(中部標準時)、心拍と停止が確認され、医師により正式に死亡が宣告された。ケネディ大統領の死が、公式に発表されたのは、それよりもさらに少し後の午後1時38分である。 この間、コナリー知事の救命治療が行われており、この日だけで2回の緊急手術が実施された。<br>
午後2時、ケネディ大統領の遺体をパークランド病院から、エアフォースワン(大統領専用機)に運ぼうとするシークレットサービスと、テキサスの司法当局との間で対立が発生していた。 事件は、テキサス州で起きた殺人事件であり、検視前に遺体を州外に運びだすのは、州法に違反していたのである。 しかし、最終的に大統領に対する殺人であり、治外法権的な取り扱いで、エアフォースワンに運び込まれた。 ケネディ大統領の死を受けて、ジョンソン副大統領(ケネディの2台後ろの車に乗っていたが、無傷だった。)が、ダラス・ラブフィールドに駐機中のエアフォースワン内で大統領の宣誓式を執り行った。(飛行中にエアフォースワンのコールサインを使うためには、地上で宣誓する必要があった。)</p>
<p><br>
以下続く</p>
<p>&counter()<br>
&counter(today)<br></p>
2006-05-19T06:47:18+09:00
1147988838
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トンデモ説
https://w.atwiki.jp/voodoo65/pages/26.html
<h4>ケネディ暗殺トンデモ説</h4>
<h5>リムジン運転手犯人説</h5>
<p>
いわゆる、タブロイド誌で報じられた、ネタ。 ザプルーダフィルムを良く観ると、大統領車のドライバー、ウィリアム・グリーアーが後ろを振り向いて、ピストルを発射したとの説をタブロイド誌のグローブが1992年3月17日に報じた。</p>
<p><img src=
"http://www11.atwiki.jp/voodoo65/?cmd=upload&act=open&pageid=26&file=importD7.jpg">(ダラス市警の新証拠29年目の開示、ケネディはドライバーに撃たれた)</p>
<p><img src=
"http://www11.atwiki.jp/voodoo65/?cmd=upload&act=open&pageid=26&file=hoax.jpg"></p>
<p>
ちなみに、米国でも真面目に誰もこの説を信じていなかったが、日本では、日本テレビの矢追純一のUFO番組でゴールデンタイムに放映してしまった。 その後、ザプルーダフィルムは90年代後半にコンピュータによる鮮明化作業が行われ、手に見える部分が、歩道の縁石であることが判明した。</p>
<p><img src=
"http://www11.atwiki.jp/voodoo65/?cmd=upload&act=open&pageid=26&file=hoax2.jpg"></p>
<h5><br>
<br></h5>
<h5>シークレットサービス射撃説</h5>
<p><img src=
"http://www11.atwiki.jp/voodoo65/?cmd=upload&act=open&pageid=26&file=edfa024128a0fcf9bc525010._AA240_.L.jpg"><img src="http://www11.atwiki.jp/voodoo65/?cmd=upload&act=open&pageid=26&file=hickey02.jpg"></p>
1992年に、暗殺研究家のボーナ・マニンガーが、ケネディ大統領の頭部への銃撃は、後続のシークレットサービスの警護車に乗っていたジョージ・ヒッキーが、取り出したAR15ライフルで誤って射撃したものであるとの説を、350ページのモータル・エラーとのタイトルの書籍にまとめ出版した。 書籍は、弾道解析や、破片分析、さらに目撃証言まで交えた本格的なものだったが、存命中のジョージ・ヒッキーが激怒し、出版社を名誉毀損で訴えた。 出版社は誤りを認め、書籍を絶版扱いにした。 この書籍の出版は、いかに、くだらない内容の陰謀説でも、もっともらしく証拠をでっち上げる事が可能であることを証明してしまった。 <br>
<h5>傘の秘密兵器説</h5>
<p><img src=
"http://www11.atwiki.jp/voodoo65/?cmd=upload&act=open&pageid=26&file=umbrella.jpg"> <img style="WIDTH: 224px; HEIGHT: 325px"
height="351" src=
"http://www11.atwiki.jp/voodoo65/?cmd=upload&act=open&pageid=26&file=piece1.gif"
width="224"></p>
<p>
暗殺研究家、リチャード・スパーグと、ロバート・カトラーによる<a href="http://www11.atwiki.jp/voodoo65/pages/6.html">アンブレラマン</a>の傘は、CIAが開発した秘密兵器で、小型のロケットランチャーが隠されており、ケネディの喉に当たったとする説。 この説も、もっともらしくザプルーダフィルムの解析や、CIAの内部資料を提示する本格的なものだったが、晴れた日に傘の兵器を使う間抜けさについては言及がなかった。<br>
</p>
<p>続く</p>
2006-05-14T09:23:04+09:00
1147566184
-
ジーン・ヒル
https://w.atwiki.jp/voodoo65/pages/24.html
<h4>ジーン・ヒル</h4>
<p><img src=
"http://www11.atwiki.jp/voodoo65/?cmd=upload&act=open&pageid=24&file=jeanhill.jpeg"></p>
<p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"><span style=
"FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">
ジーン・ヒルはケネディ暗殺事件を最も間近で目撃した一人である。 彼女は、オリバーストーン監督のJFKでも描かれており、グラシノールで当局の人間にコートハウス(裁判所ビル)に連行され、余計な事を喋らないように口止めされるシーンが描かれている。しかし、ジーン・ヒルの証言を詳細に分析していくと、時間の経過と共に証言内容も変わり、様々な矛盾を孕んでいることから客観的な姿勢で評価する必要がある</span></p>
<p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"></p>
<p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"><span style=
"FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">
彼女は、暗殺事件直後から、様々なテレビ、ラジオ、新聞のインタビューに応じており、その詳細な記録が残っている。 また、“連行”された時の模様についても、当事者のダラスヘラルド誌の記者が証言を残している。</span></p>
<p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"></p>
<p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"><span style=
"FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">
<img src=
"http://www11.atwiki.jp/voodoo65/?cmd=upload&act=open&pageid=24&file=jhill1.jpg">(左がジーンヒル・右がモーマン)</span></p>
<p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"></p>
<p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"></p>
<p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"><span style=
"FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">
ジーンヒル(</span><span lang="EN-US"><font face=
"Century">1963</font></span><span style=
"FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">年</span><span lang="EN-US"><font face="Century">11</font></span><span style="FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">月</span><span lang="EN-US"><font face="Century">22</font></span><span style="FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">日午後</span><span lang="EN-US"><font face="Century">2</font></span><span style="FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">時頃:事件発生90分後</span><span style="FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">) WBAPテレビのインタビューに答えて</span></p>
<p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"><span style=
"FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">
Q:銃を発砲した犯人を見ましたか?</span></p>
<p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"><span style=
"FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">
A:いいえ見てません。</span></p>
<p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"><span style=
"FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">
Q:銃声だけですか?</span></p>
<p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"><span style=
"FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">
A:はい、銃声だけです。</span></p>
<p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"><span style=
"FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">
</span></p>
<p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"><span style=
"FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">
<img src=
"http://www11.atwiki.jp/voodoo65/?cmd=upload&act=open&pageid=24&file=jean+hill.jpg">ジーン・ヒル1992年</span></p>
<p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"></p>
<p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"></p>
<p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"></p>
<p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"></p>
<h4 class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"></h4>
<h4 class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"><span style=
"FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">
証言の比較</span></h4>
<h5 class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"><span style=
"FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">
傷口について</span></h5>
<p class="MsoNormal" style=
"MARGIN: 0mm 0mm 0pt 18pt; TEXT-INDENT: -18pt; mso-list: l2 level1 lfo2; tab-stops: list 18.0pt">
<span lang="EN-US" style=
"FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-bidi-font-family: 'MS 明朝'"><span style="mso-list: Ignore">
・<span style=
"FONT: 7pt 'Times New Roman'"> </span></span></span><span style=
"FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">頭の髪の毛が持ち上がったように見えた(事件直後)</span></p>
<p class="MsoNormal" style=
"MARGIN: 0mm 0mm 0pt 18pt; TEXT-INDENT: -18pt; mso-list: l2 level1 lfo2; tab-stops: list 18.0pt">
<span lang="EN-US" style=
"FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-bidi-font-family: 'MS 明朝'"><span style="mso-list: Ignore">
・<span style=
"FONT: 7pt 'Times New Roman'"> </span></span></span><span style=
"FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">後頭部が吹き飛んだ(</span><span lang="EN-US"><font face="Century">80</font></span><span style="FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">年代)</span></p>
<h5 class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"><span style=
"FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">
犯人について</span></h5>
<p class="MsoNormal" style=
"MARGIN: 0mm 0mm 0pt 18pt; TEXT-INDENT: -18pt; mso-list: l2 level1 lfo2; tab-stops: list 18.0pt">
<span lang="EN-US" style=
"FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-bidi-font-family: 'MS 明朝'"><span style="mso-list: Ignore">
・<span style=
"FONT: 7pt 'Times New Roman'"> </span></span></span><span style=
"FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">見ていない、銃声だけ聞いた(事件直後)</span></p>
<p class="MsoNormal" style=
"MARGIN: 0mm 0mm 0pt 18pt; TEXT-INDENT: -18pt; mso-list: l2 level1 lfo2; tab-stops: list 18.0pt">
<span lang="EN-US" style=
"FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-bidi-font-family: 'MS 明朝'"><span style="mso-list: Ignore">
・<span style=
"FONT: 7pt 'Times New Roman'"> </span></span></span><span style=
"FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">警官の服装をした男がフェンスから発砲していた(</span><span lang="EN-US"><font face="Century">80</font></span><span style="FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">年代)</span></p>
<h5 class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"><span style=
"FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">
自分の行動</span></h5>
<p class="MsoNormal" style=
"MARGIN: 0mm 0mm 0pt 18pt; TEXT-INDENT: -18pt; mso-list: l2 level1 lfo2; tab-stops: list 18.0pt">
<span lang="EN-US" style=
"FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-bidi-font-family: 'MS 明朝'"><span style="mso-list: Ignore">
・<span style=
"FONT: 7pt 'Times New Roman'"> </span></span></span><span style=
"FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">すぐにグラシノールに上っていった。(事件直後)</span></p>
<p class="MsoNormal" style=
"MARGIN: 0mm 0mm 0pt 18pt; TEXT-INDENT: -18pt; mso-list: l2 level1 lfo2; tab-stops: list 18.0pt">
<span lang="EN-US" style=
"FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-bidi-font-family: 'MS 明朝'"><span style="mso-list: Ignore">
・<span style=
"FONT: 7pt 'Times New Roman'"> </span></span></span><span style=
"FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">すぐに道路に飛び出したので、護衛の白バイとぶつかりそうになった。(</span><span lang="EN-US"><font face="Century">80</font></span><span style="FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">年代)</span></p>
<p class="MsoNormal" style=
"MARGIN: 0mm 0mm 0pt 18pt; TEXT-INDENT: -18pt; mso-list: l1 level1 lfo3; tab-stops: list 18.0pt">
<span lang="EN-US" style=
"FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-bidi-font-family: 'MS 明朝'"><span style="mso-list: Ignore">
※<span style=
"FONT: 7pt 'Times New Roman'"> </span></span></span><span style=
"FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">写真の検証では、グラシノールに向かったのは</span><span lang="EN-US"><font face="Century">1</font></span><span style="FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">分以上後である。</span></p>
<p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"></p>
<h5 class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"><span style=
"FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">
裁判所のビル連行について</span></h5>
<p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"><span style=
"FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">
<span lang="EN-US" style=
"FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-bidi-font-family: 'MS 明朝'"><span style="mso-list: Ignore">
・<span style=
"FONT: 7pt 'Times New Roman'"> </span></span></span>事件直後に、ダラス・タイムズヘラルド誌の要請で裁判所ビルに向かった。</span></p>
<p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"><span style=
"FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">
<span lang="EN-US" style=
"FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-bidi-font-family: 'MS 明朝'"><span style="mso-list: Ignore">
・<span style=
"FONT: 7pt 'Times New Roman'"> </span></span></span>事件直後に、シークレットサービスに腕を掴まれて裁判所のビルで</span><span lang="EN-US"><font face="Century">3</font></span><span style="FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">発しか聞かなかったと恫喝された。(</span><span lang="EN-US"><font face="Century">80</font></span><span style="FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">年代)、その後、しばらく軟禁された。</span></p>
<p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"><span style=
"FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">
※実際は、事件当日の午後は、複数のテレビ・ラジオ・新聞のインタビューを受けている。</span></p>
<p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"><span style=
"FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">
</span></p>
<p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"></p>
<p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"><span style=
"FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">
<img src=
"http://www11.atwiki.jp/voodoo65/?cmd=upload&act=open&pageid=24&file=Featherston1.jpg"> 円内がダラスタイムズ紙のフェザーズトーン</span></p>
<p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"></p>
<p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"></p>
<p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"></p>
<p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"></p>
<p class="MsoNormal" style=
"MARGIN: 0mm 0mm 0pt 18pt; TEXT-INDENT: -18pt; mso-list: l0 level1 lfo1; tab-stops: list 18.0pt">
</p>
<p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"></p>
<p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"></p>
<p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"></p>
<h4 class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"></h4>
<h4 class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"></h4>
<h4 class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"><span style=
"FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">
ダラスタイムズ紙、ジム・フェザーストーン氏の証言(</span><span lang="EN-US">1964</span><span style="FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">年)</span></h4>
<p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"><span style=
"FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">
ダラスタイムズ紙のジム・フェザーストーンは、大統領のパレードを、ヒューストン通りの東側で見物していた。 その直後、なにか爆竹のような音がしたので、何が起きたのか確認しようと、エルム通りに向かって歩いていった。 途中で、同僚のフランク・ライトが居たので何が起きたのか尋ねてみると、「俺にも分からないけど、あそこに据わっている女性が、写真を撮ったみたいだよ。」と教えてくれた。 以下が、フェザーストーン氏の証言である。</span></p>
<p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"><span style=
"FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">
</span></p>
<p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"><span style=
"FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">
</span></p>
<p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"></p>
<p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"><span style=
"FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">
私は、デイリープラザに入るとすぐに、どうやら大統領が撃たれたらしい事がわかりました。 そこでデイリープラザのカーブの辺りまで行くと、メアリー・モーマンと、ジーン・ヒルという名前の2人の女性が居ました。 どうやらその場所が、大統領が撃たれた場所のすぐ近くで、モーマンは、ジャクリーヌ夫人が、大統領を抱えているポラロイド写真を撮影していました。 写真は、ピントも露出も甘かったのですが、とにかく、その瞬間を撮影していた存在しうる<a href="http://www11.atwiki.jp/voodoo65/pages/4.html">唯一の写真</a>のようでした。 そこで、その写真と、目撃証言が、ぜひ欲しくなったのです。 モーマンさんに、その写真をタイムズ・ヘラルド誌に提供してもらえないかと話をしたところ、承諾してくれました。 近くの裁判所のビルに記者クラブがあったので、一緒に来て話しをしてくれるようにお願いしたころ、</span><span lang="EN-US"><font face="Century">2</font></span><span style="FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">人とも了承してくれました。 記者クラブで本社の編集デスクに連絡すると、編集長補佐のトム・リペールに繋がり、大統領が撃たれたようだと告げると、「本当か? すぐに記事の口述書き起しの担当者に代わる」と落ち着いて言いました。 私が、記事の概要を、書き起こしの担当者に告げて、その後、メアリ・モーマンと、ジーン・ヒルの</span><span lang="EN-US"><font face="Century">2</font></span><span style="FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">人を順番に電話口に出てもらい、それぞれの口から直接、語ってもらいました。 モーマンさんは、写真を撮影する事に集中していたので、何が起きたのか、はっきり覚えていないと話しました。 ジーン・ヒルさんは、間近で目撃したケネディ大統領が撃たれた、その瞬間の模様を鮮明に覚えて、話てくれました。 そのうちに、記者クラブは、他の報道関係者が続々と詰め掛けました。 ヒルさんは、テレビやラジオのインタビューに求められるがままに、次から次に答えていました。 ところが話をしていくうちに、段々と脚色されて、話が少しづつ、まるで「荒野の決闘」のように劇的になっていくのです。 そのうち、グラシノールの向こう側で、逃げる男を警官が追いかけたと話したりし始めました。 そこで、あまり見てもいない事を、テレビやラジオで話さないほうがいいと忠告しました。 私は単に、後で恥をかくのは目に見えているので、忠告しただけだけですが、彼女は、どうやら私の意図が伝わらなかったようです。</span></p>
<p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"></p>
<p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"><span style=
"FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">
やがて午後遅くになって、副保安官が、記者クラブに</span><span lang="EN-US"><font face="Century">2</font></span><span style="FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">人の目撃者がいるのを聞きつけて、証言を取りたいので、警官が来るまで裁判所ビルに引き止めておいて欲しいとお願いされました。 そこで、ヒルさんと、モーマンさんにその事を告げました。 この間、私はずっと記者クラブの入室を許可する身分証明書を胸に付けていました。 </span></p>
<p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"></p>
<p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"><span style=
"FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">
なぜ、こんな話を今、申し上げているかと言いますと、この</span><span lang="EN-US"><font face="Century">2</font></span><span style="FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">,</span><span lang="EN-US"><font face="Century">3</font></span><span style="FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">ヶ月後、ヒルさんは、ウォーレン委員会に対して、私がデイリープラザで、モーマンさんの腕を掴み、カメラを取り上げたと証言していると聞いたからです。 彼女は、私が泣き叫ぶモーマンさんの腕を掴み、写真を盗んだと証言していますが、私が、モーマンさんとヒルさんを強制的に奇妙な部屋に軟禁したことはありませんし、部屋から外に出ないように強制したこともありません。 さらに、証言内容について、制限したこともありません。</span></p>
<p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"><span style=
"FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">
彼女のウォーレン委員会での証言は、明らかに私に対する名誉毀損です。 </span></p>
<p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"></p>
<p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"><span style=
"FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">
</span></p>
<p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"></p>
<p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"></p>
<h4 class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"><span style=
"FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">
没年</span></h4>
<p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"><span style=
"FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">
ジーン・ヒルは2000年11月7日、白血病のため69歳で亡くなった。</span></p>
2006-05-10T08:15:04+09:00
1147216504
-
魔法の銃弾(弾道編)
https://w.atwiki.jp/voodoo65/pages/22.html
<h4>魔法の銃弾(弾道編)</h4>
<p><img src=
"http://www11.atwiki.jp/voodoo65/?cmd=upload&act=open&page=%E9%AD%94%E6%B3%95%E3%81%AE%E9%8A%83%E5%BC%BE%EF%BC%88%E5%BC%BE%E9%81%93%E7%B7%A8%EF%BC%89&file=MBULLET.jpg"><img src="http://www11.atwiki.jp/voodoo65/?cmd=upload&act=open&page=%E9%AD%94%E6%B3%95%E3%81%AE%E9%8A%83%E5%BC%BE%EF%BC%88%E5%BC%BE%E9%81%93%E7%B7%A8%EF%BC%89&file=bogus4.gif"></p>
<p>
ケネディ暗殺事件の陰謀説の多くは、事件を一人の人間が行うのは物理的に不可能であるとの説に由来しており、この魔法の銃弾説も、その主要な根拠の一つであり、様々な書籍で不可能な射撃であると記載されている。 ウォーレン報告書によると、テキサス教科書倉庫ビルから射撃された銃弾は</p>
<p>
1)ケネディ大統領の襟から3.75インチ(約10センチ)下に着弾し、ネクタイの結び目近辺から外に出た。</p>
<p>
2)そこでいつの間にか、右側に進路を変えコナリー知事の右胸に着弾した。</p>
<p>
3)右胸を貫通した後、右手首を貫通し、太股に着弾した。</p>
<p><br>
また、ケネディとコナリーの銃弾の反応の違いにも、多くの疑惑が指摘された。 同一の銃弾による傷であるならば、銃弾に対する反応も同時に起きなければ、おかしいとの論理である。<br>
<img src=
"http://www11.atwiki.jp/voodoo65/?cmd=upload&act=open&page=%E9%AD%94%E6%B3%95%E3%81%AE%E9%8A%83%E5%BC%BE%EF%BC%88%E5%BC%BE%E9%81%93%E7%B7%A8%EF%BC%89&file=zap1.jpg">
</p>
<p>
ケネディ大統領の喉に銃弾が命中するのは、ザプルーダフィルムで大統領車が高速道路の標識の裏側に位置していた222コマから、226コマの間と推定されている。 標識の影から出てきた大統領は、明らかに喉近辺に異常を感じる動作を開始している。</p>
<p><img src=
"http://www11.atwiki.jp/voodoo65/?cmd=upload&act=open&page=%E9%AD%94%E6%B3%95%E3%81%AE%E9%8A%83%E5%BC%BE%EF%BC%88%E5%BC%BE%E9%81%93%E7%B7%A8%EF%BC%89&file=zap2.jpg"><br>
</p>
<p>
一方で、コナリー知事が最初に銃弾に反応するのは、それよりも1秒ほど後のザプルーダフィルムの237コマ目と238コマ目の間で、このコマの間で、コナリー知事の右肩が、がっくりと下がり、左の頬が膨らんでいるのが判別できる。 銃弾により圧迫された胸から空気が口に押し出されたものとされた。 </p>
<p>
この時間差が問題となった。 同一の銃弾で1秒の差があるのであれば、複数の狙撃者の可能性が高い。 一方で、この魔法の銃弾説には、複数の事実誤認が含まれており、様々な反証が成された。</p>
<br>
<h4>魔法の銃弾説に対する反証</h4>
<p>座席の位置の高低差と左右差</p>
<p>
普通の人間が直感的に理解できるのは2次元までである。 3次元を頭の中で再現するのは、場合によっては困難な場合も多い。 魔法の銃弾説も同様で、陰謀説による説明では、着座姿勢の上下が同じ高さ、左右も同じである。 ところが、ケネディ大統領のリムジンで、コナリー知事夫妻が座っていたのは補助席であり、着座位置は15センチほど下になる。</p>
<p><img src=
"http://www11.atwiki.jp/voodoo65/?cmd=upload&act=open&page=%E9%AD%94%E6%B3%95%E3%81%AE%E9%8A%83%E5%BC%BE%EF%BC%88%E5%BC%BE%E9%81%93%E7%B7%A8%EF%BC%89&file=sbt3.jpg"><br>
</p>
<p>
左右差についても同様である。 ケネディ大統領が座っていたのはリムジンの右側の縁に対し、コナリー知事は夫人に寄り添う形で、車体中央に寄っていた。(矢印がコナリー知事の着座位置、メイン通りから、ヒューストン通りに右折する発砲直前の大統領車)</p>
<p><img src=
"http://www11.atwiki.jp/voodoo65/?cmd=upload&act=open&page=%E9%AD%94%E6%B3%95%E3%81%AE%E9%8A%83%E5%BC%BE%EF%BC%88%E5%BC%BE%E9%81%93%E7%B7%A8%EF%BC%89&file=jbcmuch.jpg"></p>
<p>
ケネディ大統領は、太平洋戦争時の負傷が元で腰を痛めていた。 そのため、戦後は常に猫背気味になっており、上着やシャツは上に寄っていた。 魔法の銃弾の銃創の位置は、洋服の孔をベースに算出されており、実際にはもう少し上になる。</p>
<p><img src=
"http://www11.atwiki.jp/voodoo65/?cmd=upload&act=open&pageid=22&file=100croftbunch.jpg"></p>
<p>着弾タイミング</p>
<p><img src=
"http://www11.atwiki.jp/voodoo65/?cmd=upload&act=open&page=%E9%AD%94%E6%B3%95%E3%81%AE%E9%8A%83%E5%BC%BE%EF%BC%88%E5%BC%BE%E9%81%93%E7%B7%A8%EF%BC%89&file=zap3.jpg"><br>
着弾のタイミングについては、ザプルーダフィルムの223コマ目と224コマ目の間で、コナリー知事の上着の右襟が大きくめくれ挙がる瞬間が、知事の右胸を銃弾が貫通した可能性が高い。 これは、ケネディ大統領の喉を銃弾が貫通する瞬間とほぼ同時である。</p>
<br>
<p>
米国の科学専門放送局、ディスカバリーチャンネルでは、この223コマ目のコナリー知事の体の角度と、着座位置、ケネディ大統領の着座位置をベースにリムジンの位置とテキサス教科書倉庫6階の位置を正確に再現した上で、カルカノ銃を使った実際の銃弾の発射実験を番組の中で行った。</p>
<p><img src=
"http://www11.atwiki.jp/voodoo65/?cmd=upload&act=open&pageid=22&file=trace.jpg"></p>
<p>傷口は、完全に一直線にならぶ。</p>
<p><img src=
"http://www11.atwiki.jp/voodoo65/?cmd=upload&act=open&pageid=22&file=6720.jpg"></p>
<p><img src=
"http://www11.atwiki.jp/voodoo65/?cmd=upload&act=open&pageid=22&file=6721.jpg"></p>
<p>
ターゲットは赤丸で、実際の着弾はやや内側にそれたものの、ほぼ完全な弾道の再現をすることができた。 すなわちウォーレン報告書の通りの弾道となったのである。 (実際の弾道は赤線よりも、やや上側)<br>
</p>
2006-05-10T07:46:37+09:00
1147214797