JFK暗殺事件 製作中

ジーン・ヒル

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ジーン・ヒル

ジーン・ヒルはケネディ暗殺事件を最も間近で目撃した一人である。 彼女は、オリバーストーン監督のJFKでも描かれており、グラシノールで当局の人間にコートハウス(裁判所ビル)に連行され、余計な事を喋らないように口止めされるシーンが描かれている。しかし、ジーン・ヒルの証言を詳細に分析していくと、時間の経過と共に証言内容も変わり、様々な矛盾を孕んでいることから客観的な姿勢で評価する必要がある

彼女は、暗殺事件直後から、様々なテレビ、ラジオ、新聞のインタビューに応じており、その詳細な記録が残っている。 また、“連行”された時の模様についても、当事者のダラスヘラルド誌の記者が証言を残している。

(左がジーンヒル・右がモーマン)

ジーンヒル(19631122日午後2時頃:事件発生90分後) WBAPテレビのインタビューに答えて

Q:銃を発砲した犯人を見ましたか?

A:いいえ見てません。

Q:銃声だけですか?

A:はい、銃声だけです。

  

ジーン・ヒル1992年

証言の比較

傷口について

  頭の髪の毛が持ち上がったように見えた(事件直後)

  後頭部が吹き飛んだ(80年代)

犯人について

  見ていない、銃声だけ聞いた(事件直後)

  警官の服装をした男がフェンスから発砲していた(80年代)

自分の行動

  すぐにグラシノールに上っていった。(事件直後)

  すぐに道路に飛び出したので、護衛の白バイとぶつかりそうになった。(80年代)

  写真の検証では、グラシノールに向かったのは1分以上後である。

裁判所のビル連行について

  事件直後に、ダラス・タイムズヘラルド誌の要請で裁判所ビルに向かった。

  事件直後に、シークレットサービスに腕を掴まれて裁判所のビルで3発しか聞かなかったと恫喝された。(80年代)、その後、しばらく軟禁された。

※実際は、事件当日の午後は、複数のテレビ・ラジオ・新聞のインタビューを受けている。

  

 円内がダラスタイムズ紙のフェザーズトーン

ダラスタイムズ紙、ジム・フェザーストーン氏の証言(1964年)

ダラスタイムズ紙のジム・フェザーストーンは、大統領のパレードを、ヒューストン通りの東側で見物していた。 その直後、なにか爆竹のような音がしたので、何が起きたのか確認しようと、エルム通りに向かって歩いていった。 途中で、同僚のフランク・ライトが居たので何が起きたのか尋ねてみると、「俺にも分からないけど、あそこに据わっている女性が、写真を撮ったみたいだよ。」と教えてくれた。 以下が、フェザーストーン氏の証言である。

 

 

私は、デイリープラザに入るとすぐに、どうやら大統領が撃たれたらしい事がわかりました。 そこでデイリープラザのカーブの辺りまで行くと、メアリー・モーマンと、ジーン・ヒルという名前の2人の女性が居ました。 どうやらその場所が、大統領が撃たれた場所のすぐ近くで、モーマンは、ジャクリーヌ夫人が、大統領を抱えているポラロイド写真を撮影していました。 写真は、ピントも露出も甘かったのですが、とにかく、その瞬間を撮影していた存在しうる唯一の写真のようでした。 そこで、その写真と、目撃証言が、ぜひ欲しくなったのです。  モーマンさんに、その写真をタイムズ・ヘラルド誌に提供してもらえないかと話をしたところ、承諾してくれました。 近くの裁判所のビルに記者クラブがあったので、一緒に来て話しをしてくれるようにお願いしたころ、2人とも了承してくれました。 記者クラブで本社の編集デスクに連絡すると、編集長補佐のトム・リペールに繋がり、大統領が撃たれたようだと告げると、「本当か? すぐに記事の口述書き起しの担当者に代わる」と落ち着いて言いました。 私が、記事の概要を、書き起こしの担当者に告げて、その後、メアリ・モーマンと、ジーン・ヒルの2人を順番に電話口に出てもらい、それぞれの口から直接、語ってもらいました。 モーマンさんは、写真を撮影する事に集中していたので、何が起きたのか、はっきり覚えていないと話しました。 ジーン・ヒルさんは、間近で目撃したケネディ大統領が撃たれた、その瞬間の模様を鮮明に覚えて、話てくれました。  そのうちに、記者クラブは、他の報道関係者が続々と詰め掛けました。 ヒルさんは、テレビやラジオのインタビューに求められるがままに、次から次に答えていました。 ところが話をしていくうちに、段々と脚色されて、話が少しづつ、まるで「荒野の決闘」のように劇的になっていくのです。 そのうち、グラシノールの向こう側で、逃げる男を警官が追いかけたと話したりし始めました。 そこで、あまり見てもいない事を、テレビやラジオで話さないほうがいいと忠告しました。 私は単に、後で恥をかくのは目に見えているので、忠告しただけだけですが、彼女は、どうやら私の意図が伝わらなかったようです。

やがて午後遅くになって、副保安官が、記者クラブに2人の目撃者がいるのを聞きつけて、証言を取りたいので、警官が来るまで裁判所ビルに引き止めておいて欲しいとお願いされました。 そこで、ヒルさんと、モーマンさんにその事を告げました。 この間、私はずっと記者クラブの入室を許可する身分証明書を胸に付けていました。 

なぜ、こんな話を今、申し上げているかと言いますと、この23ヶ月後、ヒルさんは、ウォーレン委員会に対して、私がデイリープラザで、モーマンさんの腕を掴み、カメラを取り上げたと証言していると聞いたからです。 彼女は、私が泣き叫ぶモーマンさんの腕を掴み、写真を盗んだと証言していますが、私が、モーマンさんとヒルさんを強制的に奇妙な部屋に軟禁したことはありませんし、部屋から外に出ないように強制したこともありません。 さらに、証言内容について、制限したこともありません。

彼女のウォーレン委員会での証言は、明らかに私に対する名誉毀損です。 

  

没年

ジーン・ヒルは2000年11月7日、白血病のため69歳で亡くなった。

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