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頭部の傷(位置)

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頭部の傷(位置)に関する論争

ケネディ大統領の頭部の傷の位置に関しては多くの論争を呼んだ。 論争の原因は、ウォーレン報告書に記載された図と、事件直後にパークランド病院で治療を担当した医師の証言が一致しなかったためである。前者は後部からの銃撃を、一方、現場の医師達の証言は、第2の狙撃犯が居たとされる前部のグラシノールからの銃撃をほのめかすものであった。

ウォーレン報告書に掲載された頭部の傷の位置

この図は、検視に当たった米海軍のヒュームズ中佐と、ボズウェル中佐の下で、衛生兵のR.A.ライドバーグが描いた。 図を描く際に、検視時に撮影したX線写真や、検視写真の閲覧が許可されなかったため、3人が記憶を元に描いたものである。 この図は、後部の高所、すなわちテキサス教科書倉庫ビルからの銃撃を裏付けるものである。

初期の陰謀説を主張する暗殺研究家による想像図

1967年に出版された「ダラスの6秒間」(ThesixsecondsinDallas)に掲載された傷の位置。 この図は、作者のジョシュア・トンプソンがパークランド病院で治療に当たった医師にインタビューして、描いたもので、この位置は長らく陰謀説を唱える暗殺研究家が信じていた傷の位置である。 大きな後頭部の傷の位置は、前方のグラシノールからの銃撃を印象づけるものである。

下院暗殺特別調査委員会での傷の位置

1970年代後半の下院暗殺特別調査委員会の下で、検視写真及び、X線写真を元に、医学図専門の画家アイダ・ドックスが正確に描いた、頭蓋骨上の傷口の位置。 

暗殺陰謀説の研究家・ロバート・グローデンの想像図(模型)

80年代後半から90年代に掛けて、さまざまな証拠が開示あるいは、流出されるようになり、初期の暗殺研究家が唱えていた後頭部の傷だけでは説明がつかなくなってきた。 このゴードンの図では、当初は後頭部のみの傷だったが頭頂部へも広がっている。 下院の調査委員会の描いた図にかなり近いものである。


パークランド病院での証言

パークランド病院での医師の証言は、主に右後頭部に大きな傷口があったと証言している。

左から、後年のインタビューで頭部の傷の位置に関して、その位置を示すパークランド病院の医師達、左からロバート・マックレランド医師、チャールス・カリッコ医師、ポール・ピータース医師、ケネス・サルヤー医師、各医師とも、右側後頭部を示している。後頭部の大きな開口は、前方からの射撃を仄めかすものであり、多くの暗殺研究家も、グラシノールからの狙撃者を裏付ける証拠と考えていた。

デイリープラザでの証言

ケネディ大統領の頭部への被弾の瞬間を、傷口のあった右側から間近に目撃した証人としては、ニューマン夫妻(映画JFKでも描かれていた)と、ザプルーダ氏が挙げられる。 3人の示す傷口の位置は、右側頭部の上側を示し、ほぼ下院の調査委員会の図と一致する。

後年、テレビのインタビューに答えて、傷口の位置を示すニューマン夫妻と、事件当時の写真

事件直後の午後2時、ダラスのテレビ局WFAAの生中継でインタビューに答えるザプルーダ氏、傷口の位置を聞かれて手で示している。 場所は右耳の上部辺り、ザプルーダフィルム、下院の報告書とほぼ一致する。 「丁度、この辺りの頭蓋骨が開いて、血とか、色々なものが噴出しました。 とても気持ちが悪くなる光景でした。」

X線写真と検視写真


陰謀説に対する反証

頭部の傷に関しては、後頭部の傷の有無に絞り込まれてきた。 パークランド病院の医師達が証言している後頭部の傷が、現場の目撃者や、検視報告と決定的に食い違っているのである。 

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