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事件後に発見された弾丸

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事件後に発見された弾丸

ケネディ暗殺事件から、複数回に渡り、デイリープラザ周辺では銃弾の痕が発見され、その都度話題となった。 こうした銃弾痕は、経過した年数を考慮すると、証拠としての価値は、ほとんど無いが、可能性の検討要素としては一考の価値があると思われる。

1バービーの銃弾

事件から3年後の1966年夏、テキサス教科書倉庫ビルから400メートルほど離れた、ステモンス高速道路沿い(1615Stemmons-fwy, ※現在のダラス市の住居表示とは、通りの名前が異なる模様)のビルの屋根に入り込んだ完全な銃弾が、ウィリアム・バービー氏によって発見された。 当時は、ウォーレン報告書に対する疑問の声が上がっていた時期でもあったため、彼は所持していた銃弾の1967年の12月にFBIに分析のため引き渡した。 FBIの分析の結果、銃弾は30口径のカービン銃から発射されたもので、軍用のフルメタルジャケット弾であった。 ライフルリングは4本の右回り線条痕で、米軍の正式カービン銃から発射されたものであった。 オズワルドの銃から発射されたものでない事がわかると、FBIはそれ以上の調査を行うことはなく、第2の狙撃犯の可能性についても検討される事はなかった。 そのため、結果として近隣のハンターが練習で発射した銃弾の流れ弾とされた。 しかし、軍用のM1カービン銃は、民間でも人気のライフル銃であったが、一般人の所持が認められたのは1963年の中頃からであった。 さらに、軍用のフルメタルジャケットの銃弾を狩猟で使用するのは、違法であった。

2ヘイスローンの銃弾

2番目の銃弾は1967年に、テキサス教科書倉庫ビルから8ブロック離れた、1200エルム通りに位置する、マッシービルで、屋根の改修工事の際に工事業者のリッチ・ヘイスローンにより、傷がついた銃弾が発見された。 ヘイスローンは、この銃弾を弁護士に預け、その後、70年代の下院暗殺特別調査委員会(HSCA)に提出された。 HSCAでは、この弾丸をワシントンの警察当局に鑑定を依頼し、弾丸は、ソフトポイントの30口径、重量は149グラム、製造メーカは、レミントン・ピータースであった。 この弾丸は、狩猟用としては人気の高い弾丸で、さまざまなライフルで発射できるようになっていた。 ライフルの線条痕は6本の右回りで、オズワルドのカルカノ銃からの発射ではないとされた。

3レスターの銃弾

3つ目の弾丸は1974年にデイリープラザで、リチャード・レスターにより銃弾の破片が発見された。 場所は、テキサス教科書倉庫ビルから500ヤード(472メートル)、トリプルアンダーパスの基礎付近だった。 レスターは、この銃弾の破片を1976年にFBIに分析のため提出した。その後19777月にFBIから正式な報告書が出され、破片は弾丸の底部であり、重さは52.7グラム、6.5mm口径の銃弾とされた。 弾丸は、ソフトジャケットもしくはホローポイント弾で、ライフルリングマークは、オズワルドのカルカノ銃のものと一致しないと結論付けた。

4テックスビルの薬莢

4つめの銃弾は、1977年、ダラステックスビルの屋上で、エアコンの修理人により発見された薬莢である。 ダラステックスビルは、テキサス教科書倉庫ビルからヒューストン通りを挟んで直ぐ東側に位置しており、暗殺研究家の多くが、第2に狙撃者が居たと指摘しているビルである。 錆の状況から、かなり長い期間、その場所にあったことが推察された。 この薬莢の特徴としては、先端部に、“サボット”と呼ばれる、他の銃弾を手で取り付けるためのコネクタが取り付けられていた痕跡があったことである。(すなわち、カルカノ銃で発射した弾丸を改修し、この薬莢に取り付けることが出きた) 他の発見された銃弾は、他の場所で、ハンターのミスで発射された銃弾の着弾も考えられるが、薬莢の発見は、この場所で銃弾が発射された可能性が高いことから、謎を呼んでいる。

 サボット

※、1,2,3に関しては、公式な報告書等により確認できるが、4番目の薬莢に関しては、JimMarrs著のCrossfire(映画JFKのモデル書の一つ)では、ダラステックスビルではなく、CountyRecordビルとなっており、ソースがいまひとつ不明で、信憑性にやや疑問あり)

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