町並み修復 新迫弘康
岩瀬で町並み修復を手がけている一元(いちもと)大工代表の新迫弘康と申します。
シュタイナーに関する話から脱線しますが、どうぞお許し下さい。
富山市東岩瀬地区のまちづくりが始まり5年が経とうとしています。今では富山市の
修景補助事業制度によりまちづくりが一層活発に展開しています。当時、一件ずつ建
築当初の外観に復元していた大町新川町通りも今やそれが繋がり“通り”となり、それ
が“地区”になるほどの広がりをみせています。
明治6年5月、東岩瀬は大火に見舞われ650戸が焼失しましたが、この頃が廻船業
の全盛期であり、今残る格調高い町並みはその復興の証であるように思います。力強
くかつ繊細な意匠は、日本の木造建築のすばらしさを感じるとともに、当時の職人達
が十二分に技術を発揮しそれと同時に統一感のある町並みになるよう一定の意匠の中
での競い合いもあったことを想像させます。
古民家再生とは異なる復元という仕事は、当時の写真、記憶そして建物に残る痕跡
ー例えば雨落石の位置、柱に残る仕口跡などーから想像、図面化し約百年前の姿に
蘇らせるもので特に調査という作業がとても長いものです。
そこで私の役割は、百年を超え手をいれてあげることが必然になっている建物を次の
補修時期(百年後)を迎えることができるよう(状態によっては建物全体を曵家し
土台を入れ替えたりもしますし、屋根瓦をはずし下地をやり替え、風合いのあるその
瓦をもう一度葺き直したりもします)治療をすること。そしてもうひとつは百年前の
大工技術と美しさを百年後の大工に伝えることです。
ただ私も一人でそれをするのは到底不可能なことです。現在一緒に仕事をしている11人
の大工は私と同じ思想を持ち、日々知恵を絞りながらこの町固有の特徴を細部に至る
まで理解し、施工し、施主様に喜んでもらえるよう真面目に取り組んでいます。
最後に・・・先祖が建てた建物に対して、そしてまちづくりに対してすばらしい思想
を持っている施主様がいてこそ、日本で誇れるハリボテでない“まちづくり”ができる
のです。たまたまこの時代に大工をしていることに幸運を感じます。
シュタイナーに関する話から脱線しますが、どうぞお許し下さい。
富山市東岩瀬地区のまちづくりが始まり5年が経とうとしています。今では富山市の
修景補助事業制度によりまちづくりが一層活発に展開しています。当時、一件ずつ建
築当初の外観に復元していた大町新川町通りも今やそれが繋がり“通り”となり、それ
が“地区”になるほどの広がりをみせています。
明治6年5月、東岩瀬は大火に見舞われ650戸が焼失しましたが、この頃が廻船業
の全盛期であり、今残る格調高い町並みはその復興の証であるように思います。力強
くかつ繊細な意匠は、日本の木造建築のすばらしさを感じるとともに、当時の職人達
が十二分に技術を発揮しそれと同時に統一感のある町並みになるよう一定の意匠の中
での競い合いもあったことを想像させます。
古民家再生とは異なる復元という仕事は、当時の写真、記憶そして建物に残る痕跡
ー例えば雨落石の位置、柱に残る仕口跡などーから想像、図面化し約百年前の姿に
蘇らせるもので特に調査という作業がとても長いものです。
そこで私の役割は、百年を超え手をいれてあげることが必然になっている建物を次の
補修時期(百年後)を迎えることができるよう(状態によっては建物全体を曵家し
土台を入れ替えたりもしますし、屋根瓦をはずし下地をやり替え、風合いのあるその
瓦をもう一度葺き直したりもします)治療をすること。そしてもうひとつは百年前の
大工技術と美しさを百年後の大工に伝えることです。
ただ私も一人でそれをするのは到底不可能なことです。現在一緒に仕事をしている11人
の大工は私と同じ思想を持ち、日々知恵を絞りながらこの町固有の特徴を細部に至る
まで理解し、施工し、施主様に喜んでもらえるよう真面目に取り組んでいます。
最後に・・・先祖が建てた建物に対して、そしてまちづくりに対してすばらしい思想
を持っている施主様がいてこそ、日本で誇れるハリボテでない“まちづくり”ができる
のです。たまたまこの時代に大工をしていることに幸運を感じます。