向上ではなく向下を目指す?
石田清二
石田清二
私の友人の一人に禅寺に行って坐禅を組んでいる者がいます。そこの和尚さんが上の言葉を言ったのだそうです。その解説は何もないのですが、私は以下のように解釈しました。
私たちは大抵何かに追われています。追われていることで生活が成り立っています。追われていなかったらたぶん、崩れるでしょう。自分の意志と思想の力だけで生活を成り立たせるには私たちは余りに弱いのです。意志的にも、思想的にも。
しかしそれにしても今の日本人は余りにも追われているように見えます。そして「今よりもっといい成績を上げること」を求められています。学校でも家庭でも「向上すること」を常に求められています。「がんばって」は挨拶になっています。自分が「がんばろう」と思う前から、「がんばる」ことが有無をいわさず押し付けられています。「いったい何で?」と立ち止まったりしようものなら、きっと踏み潰されるのでしょう。
これは土曜教室で話す「あわてウサギ」の話を思い起こさせます。ヤシの木の下でウサギが寝転がってぼんやりと考えていました。「もし天が落ちてきたらどうなるんだろう?」その時、ヤシの実がどすん、と落ちてきて、ウサギは「天が落ちてきた!」と思い込みました。そして、一目散に逃げ出しました。他のウサギが「いったいどうしたんだ?」と聞くと、「天が落ちてきたんだよ!」と答えるので、他のウサギたちもそれは大変、と一緒に逃げ出します。それを見た鹿たちも「いったいどうしたんだ?」と聞き、同じような応答があって、一緒に逃げ出します。同様に猪、水牛、サイ、トラ、象などが次々に加わり、動物たちは大群となって暴走するのです。さて、陸地をどこまでも進んでいくと、いつかは海に突っ込むに決まっています。しかし、落ち着きを失ってただ走っている動物たちにはそんなことすら思いつかないのです。また、仮に変わり者のサルか何かいて、「あれ、自分たちは何でこんなことをしているのかな?」と立ち止まろうものなら、たちまち踏み潰されてしまうでしょう。
これはお釈迦様が話された話だそうですが、恐ろしいほど今の社会のことを言い当てているように思えます。今の社会で「向上」といえば、「成績をあげる」ことであり、「競争に勝つ」ことであって、その先に何があるかなんて誰も考えていません。みんな「浮き足立って」います。
だから「向下」、「地に足をつける」ことが必要なのです。「落ち着く」ことが必要なのです。「落ち着く」とはまさに「向下」して大地に「着く」ことです。
そして面白いことに、その方法はまさに「気」を「向下」させればよいのです。落ち着きのない人は「気」が頭に上っています。それを「向下」して、丹田や足に意識を集中する瞑想法が禅の世界やオイリュトミーに存在します。腹式呼吸もよく、ただの深呼吸でも効果があります。・・・・・以上が「向上ではなく、向下を目指す」の私の解釈です。
私たちは大抵何かに追われています。追われていることで生活が成り立っています。追われていなかったらたぶん、崩れるでしょう。自分の意志と思想の力だけで生活を成り立たせるには私たちは余りに弱いのです。意志的にも、思想的にも。
しかしそれにしても今の日本人は余りにも追われているように見えます。そして「今よりもっといい成績を上げること」を求められています。学校でも家庭でも「向上すること」を常に求められています。「がんばって」は挨拶になっています。自分が「がんばろう」と思う前から、「がんばる」ことが有無をいわさず押し付けられています。「いったい何で?」と立ち止まったりしようものなら、きっと踏み潰されるのでしょう。
これは土曜教室で話す「あわてウサギ」の話を思い起こさせます。ヤシの木の下でウサギが寝転がってぼんやりと考えていました。「もし天が落ちてきたらどうなるんだろう?」その時、ヤシの実がどすん、と落ちてきて、ウサギは「天が落ちてきた!」と思い込みました。そして、一目散に逃げ出しました。他のウサギが「いったいどうしたんだ?」と聞くと、「天が落ちてきたんだよ!」と答えるので、他のウサギたちもそれは大変、と一緒に逃げ出します。それを見た鹿たちも「いったいどうしたんだ?」と聞き、同じような応答があって、一緒に逃げ出します。同様に猪、水牛、サイ、トラ、象などが次々に加わり、動物たちは大群となって暴走するのです。さて、陸地をどこまでも進んでいくと、いつかは海に突っ込むに決まっています。しかし、落ち着きを失ってただ走っている動物たちにはそんなことすら思いつかないのです。また、仮に変わり者のサルか何かいて、「あれ、自分たちは何でこんなことをしているのかな?」と立ち止まろうものなら、たちまち踏み潰されてしまうでしょう。
これはお釈迦様が話された話だそうですが、恐ろしいほど今の社会のことを言い当てているように思えます。今の社会で「向上」といえば、「成績をあげる」ことであり、「競争に勝つ」ことであって、その先に何があるかなんて誰も考えていません。みんな「浮き足立って」います。
だから「向下」、「地に足をつける」ことが必要なのです。「落ち着く」ことが必要なのです。「落ち着く」とはまさに「向下」して大地に「着く」ことです。
そして面白いことに、その方法はまさに「気」を「向下」させればよいのです。落ち着きのない人は「気」が頭に上っています。それを「向下」して、丹田や足に意識を集中する瞑想法が禅の世界やオイリュトミーに存在します。腹式呼吸もよく、ただの深呼吸でも効果があります。・・・・・以上が「向上ではなく、向下を目指す」の私の解釈です。