警察庁の『漫画・アニメ・ゲーム表現規制法』検討会問題まとめ @Wik

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誰のための法律か?
『児童ポルノ禁止法』に関する基礎知識(前編)
(正式名称『児童買春・児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律』)
(文責・鳥山仁+ROSF)


1:A氏の憂鬱

 日本国内のとある場所に、A氏という人物が住んでいたとしよう。彼は平凡なサラリーマンで、他人様に迷惑をかけることもなく、これまでの人生を歩んできた。

 敢えてA氏の変わった部分を指摘しろと言うのなら、女性に対して奥手であり、女子高生に性的な興味を抱いているという事ぐらいだろうか? それも、彼が臆病な性格故に思春期を通じて彼女を作ることができなかったことが、ある種の憧憬となって性的な欲求と結びついているだけであり、決して援助交際等で本物の女子高生と性的な関係を持つわけではない。成人女性がブルマーやセーラー服を着て出演しているアダルトビデオやエロ本、いわゆるブルセラものを借りたり買ったりすることで、満足しているレベルである。

 そんなA氏が、休日を利用して本屋を訪れた。ブルセラを扱った雑誌を購入するためだ。ところが、その本屋の店内にはA氏がお目当てだった雑誌はおろか、制服を着用した女性をあしらった表紙の本は一冊も見あたらない。

 不審に思ったA氏だったが、本屋の店員を問いただすことで、自分の性的な嗜好を明らかにするのはためらわれたので、黙って本屋を後にした。しかし、気持ちが収まらないこともあって、今度はなじみのセルビデオショップを訪れる。前から気になっていた、とあるブルセラビデオのシリーズをチェックしようと思ったのだ。けれども、いつも並んでいたはずの棚には、一連のシリーズが一切見あたらない。それどころか、ブルセラ全般を扱っていたコーナーそのものが、店から消えてしまっている。

 さすがのA氏もこれには驚いて、思わず店員に「××のシリーズってなくなっちゃったんですか?」と声をかけた。しかし、何度か言葉を交わしたことのあるはずの店員の態度はよそよそしく、固い表情をして「ウチでは、そういう作品は扱ってないんですよね」と繰り返すばかりだった。

 結局、A氏は店員から何も聞き出せず、首をひねりながら帰宅せざるを得なかった。何かが起こったことは漠然と理解できるのだが、具体的にそれが何なのかがさっぱり分からない。調査をしようにも、趣味が趣味だけに大っぴらに質問できるはずもないし、同好の士と呼べる者もいない。

 こうして、A氏は釈然としない気持ちを抱えたまま、翌日からの一週間を仕事に費やした。会社での日々は相変わらず単調で、特にこれといった事件も起こらなかった。ところが、次の日曜が訪れと共に、A氏の自宅に警察がやって来た。刑事とおぼしき数人の屈強な男達は、警察手帳とおぼしきものをA氏に見せた後で、彼の自宅を捜索する旨を宣言した。

 突然の出来事に恐慌状態に陥りながら、それでもA氏は「俺はないも悪いことをやっていない」という気持ちにすがり、冷静さを装って男達を室内に招き入れた。けれども、A氏の寝室に侵入した刑事達は、「あった! あった!」と叫びながら、彼の大好きなブルセラビデオやエロ本を両手に抱えて戻ってくると、形式的に逮捕状を読み上げてから、彼の両手に手錠をかけた。

 被疑事実は『児童買春・児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律』を破ったというものだったが、もちろんA氏はそんな長たらしい名前の法律など知らなかったし、それ以前に犯罪者扱いをされたことですっかり我を失っていた。

 A氏にできた事といえば、血の気を失った顔で「僕が何をしたって言うんですか?」と尋ねることだけだった。問いかけを発された刑事の一人は、いつものことだと言わんばかりにちょっと肩をすくめ、「知らなかったのか? この前から、未成年に見える女の子が載ってるエロ本やビデオを、持っているだけで法律違反になったんだよ」と、しわがれた声で返答した。

 ………ここまでの話は、あくまでも架空のものである。しかし、A氏と同じ境遇に陥る可能性は、平成一四年の十一月から常に存在する。先ほどのフィクションにも登場した、『児童買春・児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律』という名称の法律、通称は『児童ポルノ禁止法』、あるいはもっと縮めて『児ポ法』と呼ばれる法律が同月から改正されたとしたら、A氏と同じような罪のない人間を犯罪者に仕立て上げてしまうのだ。

 残念ながら、児ポ法だけは架空のお話ではない。児ポ法は平成十一年十一月一日に日本国で施行された、嘘偽りのないれっきとした本物の法律なのである。

 児ポ法について語るためには、時間の流れを六十年ほど前までさかのぼらなければならない。興味のある方は、是非目を通していただきたい。

2:キリスト教者の懺悔

 今から約六十年前の一九四一年、日本はついに米国との戦争に突入した。そこに至る道程において、政府は戦争を円滑に遂行するために様々な政策を実行したが、その中には宗教団体を国策に協力させるというものがあった。

 国内のキリスト教徒もその例外ではなく、一九三九年に成立した宗教団体法に沿って、各宗派は『日本基督教団』という団体に一本化され、それまであった『日本基督教連盟』(一九二三年設立)は解散に追い込まれた。

 『日本基督教連盟』は、日本国内で活動するプロテスタント宗派が連携をとることと、海外との窓口を設けるために設立された団体だった。それが政府の圧力によって、戦争に協力する別団体へと変貌を遂げてしまったのだ。当時のキリスト教信徒達の大多数は、その意味をよく理解していたに違いない。非暴力、非戦をかかげるキリスト教徒が戦争に協力することは、教義に反する行為に他ならなかったからだ。

 この苦い教訓を元に、敗戦後の一九四八年に設立されたのが、『基督教協議会』(後に日本キリスト教協議会へと改称)だった。略称をNCCという。

 NCCは『日本基督教団』が戦争遂行に協力した過去を省みて、徹底した非戦、非暴力主義を団体の基本方針に据えた。特に彼らが重視したのが、太平洋戦争中に多くの被害を被ったアジア諸国との関係と、女性や子供、在日外国人などを中心とする、虐げられた人々の救済だった。

 右記の活動方針は決して否定されるものではない。キリスト教の教義に基づいた、高邁な理念と言えよう。しかし、理念や理想は往々にして何の罪もない人間を傷つける。かかげた理想にそぐわないという理由だけで、他人を平気で攻撃する愚か者が現れるからだ。

 その萌芽となったのが、一九九〇年五月にタイのチェンマイという都市で開かれた、『観光と児童買春に関する協議会』だった。参加国は一五カ国、参加者は六八名と小規模なものであったと伝えられている。

 当時のアジア諸国、特に東南アジア方面では児童売春が公然と行われていた。主に貧困家庭の子供達が、身体を売ることで糧を得ていたのである。彼らに群がったのは自国の男性ばかりでなく、海外からわざわざ買春に来たツアー客や、児童や幼児にしか興奮しない変態的な性欲の持ち主だった。

 このような悲惨な状況を改善すべく、一九九一年に『観光と児童買春に関する協議会』の議会決議を受けてタイのバンコクに設立されたのが、End Child Prostitution in Asian Tourism、略してECPAT(エクパット)と呼ばれる団体だった。日本語に訳すと、「アジアにおける子ども買春観光産業を終わらせる」という感じだろうか?

 エクパットの主要な活動メンバーとなったのは、タイ・フィリピン現地のキリスト教関係者だった。彼らの理念もNCCと同様に素晴らしいものだった。性的に未成熟な子どもが買春産業に従事すべきでないのは明白だし、それ以前にあらゆる性行為に関わるべきではないだろう。けれども、貧困階級の子ども達を売買春から遠ざけるのは困難な事柄であり、社会的な自浄作用は望むべくもない。誰かが手を差し伸べる必要があったのだ。

3:騙しのテクニック

 エクパットの活動は、世界中から広範囲な支持を勝ち得ることができた。世界各国に関連団体が設立され、オーストラリア、スウェーデン等では子どもに対する性的虐待を禁止する法律が整備された。また、エクパット結成のきっかけになった、アジア各国―――フィリピン、スリランカ、タイ―――等には、子ども買春を禁止する法律が成立した。

 エクパットの成功裏には、国際連合とその下部組織にあたるユニセフ(UNICEF=国連国際児童緊急基金)が少なからず関与していたと言われている。国連は一九八九年十一月に行われた第四十四回総会において『児童の権利に関する条約』を採択し、飢餓や貧困、あるいは性的な虐待から子どもを国際的な視点から保護するためのガイドラインを提示した。日本国も一九九〇年九月にこの条約に署名し、一九九四年には同条約を批准(国の代表が署名や調印した条約を、国がもう一度確認すること)した。

 また、同条約を署名した各国に実施させるために、一九九〇年九月にニューヨークの国連本部において、日本を含む一五一ヶ国の首脳が集まって、『子どものための世界サミット』が開催された。ここで採択された「子どもの生存、保護及び発達に関する世界宣言」とその「行動計画」が、後々の児童に関わる様々な団体の活動指針となっていくのである。

 これらの条約や宣言が追い風となって、エクパットは短期間で急速に成長する事ができた。我が国でも一九九二年三月に『ECPAT/ストップ子ども買春の会』(俗称エクパット東京)が、同年六月には『エクパット・ジャパン・関西』(俗称エクパット関西)が相次いで設立された。

 ここで注目すべきなのが、エクパット東京である。設立当初のエクパット東京は、東京西早稲田日本キリスト教協議会(NCC)に事務局をおいていた。要するに、NCCに間借りする団体だったのだ。

 エクパットの活動方針は、アジア諸国の関係重視と弱者救済を掲げているNCCの活動方針と合致しているのだから、エクパット東京がNCCと同根なのもうなずける。うなずけなかったのは、彼らが最初に起こした活動の内容だった。何とエクパット東京は、『子どもポルノの法規制問題、ポルノウォッチングの具体的活動に関する公開講演会、学習会』という催しを開催してしまったのだ。これは明らかに、国連の条約やエクパットの設立理念とはかけ離れた行為だった。

 一般に流通しているエロ本やアダルトビデオには、一八歳未満の女性が出演してはいけないことが現行法でも定められている。未成年が出演しているポルノは、アンダーグラウンドの世界でこっそりと流通しているだけである。しかも私が知る限り、アジアへの児童観光買春ツアーをテーマにした合法的なポルノ作品はほとんど存在しない。つまり、子ども買春観光ツアーを撲滅する事と、日本国内でポルノウォッチングをすることは、本質的に無関係な事柄なのである。

 けれども、エクパット東京はポルノという枠組みで、非合法な子どもポルノと合法的なアダルトビデオやエロ本を、無理矢理一括りにする暴挙に打って出た。これが何を意味するのかは明白だった。エクパット東京は、観光買春の犠牲になっている子どもたちを救済する事と同じぐらい、ポルノを撲滅することに興味があったのだ。エクパット東京の関係者は否定するだろうが、彼らはアジアにおける観光買春の犠牲者を隠れ蓑にして、ポルノ狩りに乗り出したと疑われても仕方のない行為に手を染めてしまったのである。

 また、エクパット東京は一九九六年七月にも、日本国内の書店、コンビニで販売されている「子どもポルノ」の実態調査なるものを行っている。この調査はNCCと深い関係を持つ、『日本キリスト教婦人矯風会』を中心に一九九五年の秋頃から開始されたものであるが、現行法でも禁止されている未成年が出演したエロ本が、一般の書店やコンビニで販売されているわけがない。「子どもポルノ」という名目で、ポルノ的な作品全般を糾弾しようと言う意図が見え見えだ。

 このように、設立当初からきな臭い匂いが漂っていたエクパット東京は、一九九六年八月に、後の日本における児童ポルノや児童売春問題に暗い影を落とす欺瞞をやってのけた。その現場となったのが、北欧スカンジナビア半島に位置するスウェーデンの首都、ストックホルムで開かれた『児童の商業的搾取に反対する世界会議』だった。

4:幻の児童ポルノ生産大国

 『児童の商業的搾取に反対する世界会議』、通称『ストックホルム会議』はスウェーデン政府とユニセフの協力によって開催された。主要な参加者は、子どもの問題に深く関わっているNGO(非政府組織)の関係者と各国政府の代表だった。

 ここから先に書く出来事は、あくまで伝聞に基づいたものだが、どうもこの会議開催中に、『ECPAT/ストップ子ども買春の会』の共同代表である宮本潤子氏が、日本のロリコン雑誌をわざわざNGO関係者に見せて回り、「このような児童ポルノが日本では公然と販売されています」という趣旨の発言を行ったらしいのだ。

 この一件が何故に不正確な情報しかないのかといえば、宮本氏がロビイング(政治活動)を行った時間帯が、会議の休憩中や食事の席などだったからではないか、と現段階では考えられている。正式な会議の席上での発言であれば、彼女の一言一句が議事録に残ったはずだからだ。

 だから、重ね重ね強調しておくが、これはあくまで伝聞に基づいた推測であり、確定した事実ではない。けれども、この噂が本当だとすれば、『ストックホルム会議』が行われる一ヶ月前に、エクパット東京が「日本国内の書店、コンビニで販売されている子どもポルノの実態調査」に乗り出した裏事情が理解できるようになる。エロ本をストックホルムまで持ち込んでアジテーションを行う準備と、団体としての実績作りを兼ねた「調査」を会議直前に行う必要性があったわけだ。

 筆者はここにもエクパット東京関係者の悪辣な手口をかいま見る。目的さえ崇高であれば、どんな手段でも厭わないという信念の持ち主が、子どもの権利や健やかな育成を主張するとは、お笑いぐさにもほどがある。

 とにもかくにも宮本氏のアジテーションは功を奏し、彼女に煽られた会議出席者が、同じく会議に出席していた日本の外務省官僚や国会議員に詰め寄ったらしい。こうして『ストックホルム会議』において、日本は「世界有数の児童ポルノ生産大国」として名指しで非難される事態に至ったのである。

 確かに、一部の日本人男性が東南アジアで児童買春に興じていたのは事実であるし、児童ポルノが日本に輸入されていたのも事実であろう。しかし、これらの事実は日本国内で児童ポルノや子ども買春がそれほど盛んでないことを補強する可能性はあっても、「児童ポルノ生産大国日本」を裏付ける証拠とはなり得ない。

 それ以前に、仮に日本が「児童ポルノ生産大国」だったとしたら、日本国内で犠牲になっている子ども達を救済するためのプログラムを、他のアジア諸国よりも優先して行うべきだろう。けれども、筆者は寡聞にしてそうした「国際的に日本の子どもを助けようという趣旨の計画」に関する話題を一度も聞いたことがない。何故聞いたことがないのかを、ここで改めて説明する必要はないだろう。日本で児童ポルノの犠牲になっている子ども達の数よりも、他のアジア諸国で児童買春や児童ポルノの犠牲になっている子ども達の数の方が圧倒的に多いからだ。

 経済的な苦境に立たされているとはいえ、日本人の大部分は貧困とはほど遠い生活を享受することができる。だから、援助交際という形での児童買春はあるものの、糊口をしのぐために自分の身体を売らなければならない子どもの数は、それほど多くない。もちろん、人数の多寡やその理由に関わらず、子ども買春の犠牲者は救済すべきだが、まずは生活苦に喘ぐ地域の人々になにがしかの援助を行うのが筋の通った行動だし、実際に多くの団体がそうしているのである。

 だが、現実とは乖離した宮本氏の主張は、『ストックホルム会議』の出席者に受け入れられた。その背景には、巧妙化する児童買春の問題が横たわっていた。この事情を説明するのには、少々手間がかかる。

 たとえば、カンボジアで児童買春を禁止する法律ができたとしよう。ここで子どもを買った男性は、誰であれ罰せられる。しかし、男性が隣国のベトナムから越境してきた子どもを買った場合はどうなるのだろうか? その子どもはベトナム人であるから、カンボジアの法律では裁けない。従って、買った側の男性も処罰の対象から免れてしまう。

 実際に東南アジア諸国の国境地帯には、越境した子どもを買う大人達が、ひっきりなしに現れるようになった。そもそも、子どもでなくとも買春の犠牲になる女性は国境を渡って「お仕事」に従事させられるケースが圧倒的に多い(これを英語ではTrafficking=トラフィッキングと呼ぶ)。そして大抵の場合、そこには犯罪組織が関わっている。

 だから、彼らを取り締まるためには、一国の法整備を充実するだけでは難しく、国際的な協調が必要となってくる。仮に子ども買春を阻止しようと思ったら、世界中の子どもを救うための取り決めを作らなければならないのだ。

 しかし、救済対象を「世界中の子ども」としてしまうと具体性が薄れ、現実に被害に遭っている子どもよりも、抽象的なイメージの子ども、理念としての子どもが優先されるようになるおそれがある。何しろ、世界中の子どもを救わなければならないのだから、一人一人の子ども、生きている本物の子どもを相手にするよりも、彼らを包括した「子どもという概念」を保護する方が、手っ取り早いし楽に運動を進めることができる。

 「子どもという概念」を保護しようと思ったら、「子どもに見えるもの」は全て保護の対象にならざるを得ない。たとえば、マンガに描かれた架空の子どもや、成人女性が子どもに扮装している写真なども、保護の対象と見なされるということになる。これが、ポルノ狩りの根拠となりうる事を、皆さんには覚えておいて欲しい。

 そういうわけで、初めは実在の子どもを救うために結成されたはずの団体の幾つかが、次第に「子どもという概念」を救うための団体へと変節していった。エクパットの正式名称も、いつの間にやらEnd Child Prostitution , Child Pornography And Trafficking in Children for Sexual Purposes=「子ども買春、子どもポルノ、及びに子どもを性的な目的で国境を越えて売買するする行為を終わらせる」へと変わり、保護対象をアジアの子どもから子ども全般へとシフトさせた。

 この名称の変更を軽々しく観る事は許されない。というのも、日本における児童買春や児童ポルノを禁止する法律の制定は、これらの「子どもという概念」を保護しようという人間を中心に進められていったからだ。

5:自民党の思惑

 日本国内において、児童買春、児童ポルノを取り締まる法律を制定しようという活動が具体化したきっかけは、エクパット東京がエクパットオーストラリアのバーナデット・マクマナミン氏を招聘して開催した、「一年で成ったオーストラリアの法改正」という集会だったと言われている。一九九四年の三月に行われたこのイベントには、当時の社会党女性議員らが呼ばれており、彼女達の多くがこの問題に強い関心を持ったようだ。

 そこで、同月二九日の参議院予算委員会において、当時社会党の参議院議員だった清水澄子氏が、国連で採択された『児童の権利に関する条約』批准に伴う法改正の問題について質問を行い、資料を提出した。要するに、日本が『児童の権利に関する条約』批准した以上、この条約に基づいた法律を作るべきだという提案を行ったのである。

 しかし、当時の政府には法制定を行う意志はなく、「現行法で十分に対応できる」という趣旨の答弁ですませてしまっている。アジア諸国への児童買春ツアー等に対する、政府の認識が甘かったことを示す一幕である。

 ここでは、清水澄子議員の名前を覚えておいてもらいたい。何故なら、彼女は先述した『ストックホルム会議』に日本政府主席代表として出席していたからだ。胡散臭いことこの上ないのだが、彼女はその席上で宮本氏が引き起こしたと思われる騒動を受ける形で、「日本は児童買春加害国であり、児童ポルノの主要な生産拠点である」旨を容認するスピーチを行っていたのである。

 宮本氏と清水氏のそれまでの交友関係を念頭に置けば、『ストックホルム会議』で発生した一連の騒動が、外圧を利用してポルノ規制をしてしまおうという意図で行われた、典型的なマッチポンプであった可能性が非常に高い事がご理解頂けると思う。けれども、こんなあからさまな手段に対して官僚が首を縦に振るはずもなく、『ストックホルム会議』後においても、日本では児童ポルノや児童買春を禁止する法制化は遅々として進まなかった。辛うじて、『子供買春は犯罪です』というポスターが作製、配布されただけだったという、冗談のような逸話が残っている。

 進展しない状況に業を煮やした清水議員は、法制化を国会議員中心で行うことを訴えかけた。このアジテーションが次第に効果を発揮して、当時政権を担当していた自民党、社会党、新党さきがけの中から、この問題に関心を持つ有志が集まって一九九七年の七月に結成されたのが、「与党児童買春問題等プロジェクトチーム」である。

 児童買春や児童ポルノを禁止する法律原案はこのチームに参加した人々のやりとりを通じて育まれていった。だが、議員を中心とした法制化―――これを議員立法と呼ぶ―――は、最初から3つの問題を抱えていた。

 一つ目は、法制化に取り組んだ国会議員の少なからぬ人数が、法律の知識をあまり持ち合わせていないことにあった。国会議員は立法府の住人なのだから、法律に通じていてしかるべきなのだが、憲法すらまともに覚えていないというレベルの人間が存在する。そういう人達が作成に関わってしまったため、原案は憲法に抵触するおそれのある、ずさんな代物になった。

 特に周囲から懸念されたのは、児童ポルノに関する定義づけの部分だった。そこには、写真やビデオテープに混じって、「絵」という単語が入っていたのである。

 児童の裸体を描いた絵が規制の対象になるということは、すなわちマンガやアニメ等の、主に架空の児童を扱った作品が規制の対象になる可能性を意味していた。同時にそれは、憲法第二十一条で定められた、「表現の自由」に抵触する可能性があることも意味していた。

 この懸念に拍車をかけたのが、プロジェクトチームの主要メンバーだった、自由民主党衆議院議員森山真弓氏の発言だった。彼女はこの法律原案のはらむ危険性を否定した後で、
「ある特定の個人とわかる漫画は禁止される。まったくの空想で、現実の人物ではない漫画はこれには該当しない。つまり、対象にされる子供の人権を守ろうという趣旨の法律だから、現実に存在しない人物の漫画は、残念ながらこの対象にならない」

 と、ついうっかり口を滑らせてしまったのである。この失言は、プロジェクトチームがポルノ狩りの可能性を模索していたことを、裏付ける証拠と見なされても仕方のないものだった。これ以降、森山氏は児童買春、児童ポルノ禁止法案反対派の主要な攻撃目標とされてしまう。

 第二の問題点は、この法律原案の所轄官庁がハッキリしないというものだった。法律というものは、ただ作っただけでは効力を発揮しない。その文言に従って、行政=官僚が動かなければ死文化してしまう。官僚を動かすためには、この法律をどの官庁がメインで運営するのかを予め決めておく必要がある。その取り決めによって、施行された法律を運営していく主要な官庁を所轄官庁と呼ぶ。

 児童買春、児童ポルノ禁止法案は、『ストックホルム会議』をきっかけに具体的な法制化が始まったという経緯から、最初に関係を持ったのは外務省だった。だから、この法律原案は本来であれば外務省の所轄になるはずなのだが、児童買春や児童ポルノの作製や頒布を犯罪として処罰する以上、刑事事件を扱う検察庁を下部組織として持つ法務省も関わらざるを得ない。また、児童を性的な虐待から保護するという観点からは厚生省(現・厚生労働省)が、児童買春の危険性を訴える啓発や調査研究を行うことを努力目標にかかげたことで文部省(現・文部科学省)が、更にこれら2つの目標を地方公共団体にも要求したことで、自治省(現・総務省)までもが法律を執行する義務を担うことが確実になった。

 日本の行政システムは縦割りが基本なので、ある省庁が別の省庁と積極的に連携して事態にあたるケースは希である。むしろ、それぞれの省庁が不干渉主義を貫くのが慣習となっている。にもかかわらず、プロジェクトチームの作った原案は「盛りだくさん」であり、多数の省庁が関わることを前提にしてしまっている。

 この現状無視、理想追求の姿勢によって、法案の所轄官庁が不明確になった。所轄官庁が不明確になった以上、法案は官僚に都合の良い形で運営されても仕方が無くなった。これが後に、法案そのものの意図を変質させる重要な因子の一つとして働く事は、当初から指摘されていた事だったし実際にそうなったのだが、法律原案作成に関わった人間の多くは、その危険性を十分に認識していなかったようだ。

 最後の問題点は、プロジェクトチームに自由民主党議員が関係する事によって発生した。自由民主党、通称自民党は日本における保守層を代表する政党である。それでは、保守的な日本人にとって、子どもとは一体どのような存在なのだろう?

 そう、それは「親や大人の言うことに、素直に耳を傾けるべき未成熟な存在」である。要するに、親や大人の言いなりになる子どもが良い子どもということだ。その代わりに、子どもは親や大人から保護を受けられる。

 親=保護者が、子ども=保護対象を管理する権利を『親権』という。自民党が保守的な日本人に支えられている以上、『親権』は重視すべき権利である。『親権』を重視すれば、それに反比例して子どもの権利は軽視される。子どもが自分の権利を主張することによって親の権利が弱まってしまったら、家族という国家を支える最小限の単位が崩壊してしまう、と考えられているからだ。

 右記の理由から、自民党関係者の守旧派は『親権』を削減させる危険性のある、あらゆる政治的活動にあまり熱心ではない。さりとて他の国々、特にOECD(経済協力開発機構の略称)加盟国から寄せられた非難を放置するわけにはいかない。この相反する要求を満たすためには、『親権』を保護しつつ指摘された問題点を改善する法律の制定が必須となる。

 二律背反を解決する方法は意外と簡単である。国外から非難の対象になった児童買春や児童ポルノを罰する事を、法案の主な内容にしてしまえばいい。児童買春に関わる大人や、児童ポルノを制作する大人を罰する事さえできるようになれば、子どもの権利を増大させずに事態を切り抜けることができる。

 このような思惑が働いた結果、法律原案は冒頭に児童の権利や擁護をうたいながら、その実態は児童買春や児童ポルノを取り締まる色調の強いものになった。またしても、実在する子ども、生きている生身の子どもを無視した「大人の論理」がまかり通ったのである。

 同時に原案意図の変化は、以前からエクパット東京が画策していたと思われる、ポルノ狩りに対する法的な根拠を与える結果ももたらした。実在する児童を保護することよりも、児童ポルノ取り締まりに重きをおいた法案であれば、実在しない児童、架空の子どもを描いたポルノも、実在する児童を用いて撮影したポルノと同様に、犯罪として裁く道を開いてくれる。

 成人女性が一八才未満の子どもに扮したポルノも、漫画として描かれたポルノも、そこに出演している女性、あるいは描かれているキャラクターが「児童に見える」のであれば、実在する児童を撮影したポルノと同列に扱っても何ら問題はない。全て取り締まりの対象にしてしまえばいい。

 だいたい、ポルノなどというものは、反社会的かつ反道徳的な存在なのだから、「表現の自由」を盾にして堂々と売り買いされている状況そのものがおかしいのだ。この際だから、公序良俗に反する輩もまとめて潰してしまえ………。

(続く)
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