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日本基督教婦人矯風会とは?(2)
(文責・鳥山仁+ROSF)

 このように、現代の日本でさえ未だにこうしたタイプのアトミズム信奉者がごろごろしているのだから、明治時代はもっと酷かった。倫理観という誤った論理的な枠組みにより、数多くの人間、特に女性や子どもが不当な抑圧を被っていた。

 こうした社会背景を念頭におけば、楫子のとった行動やその理念が必ずしも悪かった訳ではない事が理解できる。繰り返しになるが、彼女の問題点は、そうした既存の倫理観、価値観の押しつけに対抗すべく持ち出してきたものが、キリスト教倫理観というやっぱりアトミックな価値観だった、という部分なのである。先ほどの例に置き換えるのであれば、運という概念を否定するために、確率論を持ち出したようなものだ(どちらもアトミズムに根拠をおいているので、否定概念にはなり得ない)。

 東京基督教婦人矯風会が創立したのは一八八六年。きっかけは万国婦人禁酒会から派遣された、レヴィット女史が日本を訪れたことだった。各地で飲酒の害を説いたレビットに影響された日本人女性によって、神戸、大阪、横浜に婦人禁酒会が成立し、この中の万国婦人禁酒会横浜支部が、禁煙禁酒だけでなく、廃娼運動や反戦運動にまでその活動範囲を広げたものが矯風会の原型となったと思われる。

 禁酒運動から変異した矯風会の思想は、同時期にイギリスで創立されたプロテスタントの一派、救世軍の影響を色濃く受けていると考えられている。救世軍の創立者であるウィリアム・ブース氏は、運動の中心概念に克己心を取り入れていた。この場合の克己心とは、ストイシズム(禁欲主義)の一種であり、快楽をもたらす様々な要素を生活から排除する=克服することで、神からの救いを得られるという倫理的な価値体系を指している。

 頭の良い方は、克己心という概念もまたアトミズムの一種でしかない事に、既にお気づきになっていらっしゃることだろう。快楽を減らせば(量)、神によって救われる(質)という質量転倒が倫理観の根底に存在しているわけだ。

 克己心運動(あるいは克己運動)において厳しく制限されたのは、飲酒、喫煙、生殖行為以外の性行動(姦淫)などであった。それらの規則は楫子にとって福音であったに違いない。

 何せ彼女は、

1:禁酒(楫子は酒乱の夫に酷い目に遭わされている)

2:禁煙(楫子は煙草を消し忘れて火災を起こしている)

3:禁欲(楫子は不倫で苦しんだ)

 禁止事項に当たる行為でことごとく酷い目に遭っていたのだから、それらに反対したり疑念を抱いたりする必要がなかったのだ。

 楫子が会頭となった東京基督教婦人矯風会は瞬く間に勢力を拡大し、八年後の一九九三年には全国組織へと発展した。これが今の日本基督教婦人矯風会である。

 矯風会の短期間での発展は、楫子の精力的な活動に負うところが多かったが、同時代の女性達が身分の上下を問わず抑圧された環境にあったことも見逃せない。特に上流階級の『ご婦人方』は、旦那の芸者遊びに苦しめられた経験を持つ者が多く、彼女達が数多く参加した矯風会と言えば、廃娼運動の急先鋒というのが当時の一般認識だったらしい。

 それ故に今では意外と知られていないのが、本道であったはずの禁酒、禁煙運動である。矯風会の禁酒運動、及びに禁煙運動は、主に茨城選出の国会議員である、根本正を通して国会への働きかけが行われたと伝えられている。実は正の妻である徳子が、矯風会の会員だったのだ。

 その成果が結実したのが、一八八九年に成立した未成年者喫煙禁止法であり、一九二二年に成立した未成年者禁酒法である。規制反対派の内部では、児ポ法はしばしば禁酒法と比較、それも規制不可能な例として語られるが、仮に矯風会のメンバーがこの話を聞いたとしたら、目を丸くするか腹を抱えて笑い出すに違いない。

 何しろ、未成年という限定付きながら、矯風会は禁煙も禁酒も法案化を達成しているのである。従って、(出演者が)未成年という制限を設けるのであれば、ポルノの規制も可能であると彼女達が考えても不思議ではないし、現実に児ポ法を成立させた実績もある。確かに論理的な破綻が随所に見られる同団体であるが、それを補うだけの経験を持っている点は侮れない。伊達に一〇〇年以上の歴史を背負っているわけではないことは、肝に銘じておいた方が良い。

 ちなみに、未成年者の自主的な飲酒や喫煙を不良行為であるとした倫理観も、矯風会が全国に広めたものだったりする。児ポ法に反対するオタク諸氏の中には、喫煙者を嫌ったり、不良を敵視したりする人をしばしば見かけるが、それらの価値観が彼女達によってもたらされたものであると知ったら、どういう反応を見せるか非常に興味深いものがある。

 前から何度も述べているように、矯風会の倫理観とオタクの倫理観には共通点が多いのは、実はオタクが知らず知らずのうちに彼女達に啓蒙されているからではないかと、疑りたくなるほどなのだ(嫌味ではありません。念のため。ホントに不思議なだけです。何でだろう?)。

 ここで注目したいのが、未成年者禁酒法成立運動の過程で矯風会が流していた『飲酒の害』に関する幾つかの情報である。彼女たちの一部は、「飲酒が娘の身売りを促進し、娼婦へと身を貶める原因の一つとなっている」と主張していたらしいのだ。

 この主張には、それなりの説得力があった。というのも、日露、日清戦争当時の日本国は、酒税に依存して国庫収入を増やしていたからだ。当然の事ながら、酒類の価格は途方もない金額まで高騰した。また、税収を確実にするために政府が自家醸造酒(いわゆる、どぶろくというやつです)を密造酒として取り締まった為に、庶民は安い酒を飲むこともかなわなくなった。

 以上のような状況下において、酒代を賄いきれなくなった(主に貧困層に位置する)アル中親父の家庭が崩壊し、その過程で娘が娼窟に売り飛ばされるという一昔前のエロ本のネタになりそうな事件が本当に幾つも発生したらしい。矯風会のメンバーは、こうした事件をフレームアップして禁酒活動に利用していたわけだが、この「酒」の部分を「ポルノ」に、「娘」の部分を「子ども」に置き換えるとあら不思議。今の児ポ法規制を推進する理論と、ほとんど変わりが無くなってしまうのだ。

 私はこの矯風会の言い分に、彼女たちの価値観のほぼ全てが集約されていると考えている。「貧乏で可哀相な娘(子ども)に、キリスト教倫理観(という素晴らしい価値観)を身につけた私たちが、救いの手をさしのべてあげましょう」という訳だ。「日本を優れたキリスト教の教えで救ってやるのだ」とうそぶいて、朝鮮半島への占領政策に手を貸してしまった『熊本バンド』のメンバーと本質的には何も変わらない。彼らに共通しているのは、常人では想像もつかないほど肥大化してしまったヒュブリス(高慢)である。

 だから、矯風会のメンバーにとって、娼婦はあくまでも「救済されなければならない社会の被害者、可哀相な人達」であり、彼女たちの人格や自己決定権は無視されている。こうした態度は、現代において児童買春に関わった子どもに対しても全く同様で、同会からこの問題に深くコミットしている問題人物、宮本潤子氏はあらゆる機会を捉えて彼らを「被害者」であると連呼しているのである。

 ここで、またしても誤解の無いように釘を刺しておくが、私はセックスワーカーや児童買春に関わった子どもが、「自主的に、かつ仕事として誇りを抱いて」そうしたお仕事に参加している、と反論を述べたいわけではない。彼らの少なからぬ割合が、環境や精神に何らかの問題を抱えているのは紛れもない事実であり、同時に犯罪組織の関与も確実視されているのだから、それらの事情を無視して単純な風俗嬢賞賛や児童買春における「子どもの責任」をまくし立てるのは明らかな欺瞞であるし、見識不足を指摘されても仕方ないだろう。

 私が怒っているのは、(買売春を含む)性的搾取の対象になってしまった人間に、『被害者』という烙印を押して、それを自分たちの活動のネタにするやり口なのだ。要するに、寄付を募ったり活動の大義名分を作るための、客寄せパンダとしての扱いしかしないし、それ以上の権限を持たせると同会の活動に支障を来すので、徹底的な被害者意識を植え付けることで自律(自立ではない!)の機会を失わせる事に何のためらいもない点に疑念を抱いているのである。

 この疑念は(楫子の死後であるが)一九二八年に同会が請願した『性愛記事の取締』によって倍加する。請願の対象となった性愛記事は、男性向けの雑誌に掲載されたものではない。驚くべき事に、彼女たちが政府に取り締まりの強化を訴えたのは、女性向けの雑誌群、いわゆる婦人雑誌だったのである。

 当時の婦人雑誌は今で言うセックス特集(といっても非常にソフトなものであるが)をすることで、売り上げを倍々ゲームで伸ばしていた。現代にたとえるなら『サティスファクション』が大ヒットを飛ばすようなもので、それだけ当時の女性が日常行われる性行為に疑問を抱いていたり、満足感を感じていなかった事への証左である。仮に矯風会が同性の地位向上や権利獲得を目指している団体であれば、こうした現象が女性への社会的な抑圧によって生じていることを理解し、黙認するなり某かの問題提起を行うのが筋というものだろう。

 ところが、実際に矯風会が行ったのは、それとは全く正反対の行為だった。彼女たちは同性を性的に抑圧することに何のためらいもなかったし、そうした請願が言論弾圧の引き金になる可能性も考慮しなかった。単に性的なことを公の場で話すことは倫理にもとるので、権力に頼ってでも黙らせたいと考えていただけなのである。

(戻る)・(続く)
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