史実のグラーフツェッペリンについて

史実のグラーフツェッペリン

9割は完成してたといわれるものの、結局のところ未完成であった。

ベルサイユ条約によって軍備の制限を受けていた当時のドイツは、
数少ない空母保有国で友好国だった日本の空母を調査するため技術団を派遣したりもした。
(空母赤城を参考にし、赤城の図面を譲り受けたとも)

1936年末に起工され、1938年末の進水までは順調に建造されていったが、開戦により資材がUボート建造に回され、
工事の中断と再開を繰り返していたが、1943年に大型艦建造中止命令が出され、避難先のバルト海シュテッチンにて自沈した。

その後ソビエト軍によって浮揚接収されたものの、射撃標的として利用され沈没した。

満載排水量	:33550t
全長		:262,5m
全幅		:31,5m
乗員		:1720名+航空機搭乗員306名
武装		:15cm SK L/50		16門
		:10,5cm L/50		12門
		:3,7cm L/83 C/30	22門
		:2cm L/65 C/30		28門
航空機		:50機(Me-109T Ju-87C Fi-167)
機関		:4軸 BBC geared turbines 4基
その他性能	:機関出力(軸馬力)	200 000shp
		:最大速度		35knot(およそ64,8km/h)
		:航続距離		19knotにて8000mile(およそ35km/hにて12870km)
※未完成故に、性能武装については諸説ある。
※設計段階では艦橋前後に15cm連装砲4基、船体に15cm単装砲8基、合計16門が予定されていた。
※艦橋前後の15cm連装砲4基は、10,5cm連装高角砲6基へ変更となった。

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最終更新:2006年07月30日 19:58
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