史実のドイッチェラントについて

史実のドイッチェラントについて


Deutschland 1933年,新造時 Admiral Graf Spee 1939年,開戦直前(推定)

同型艦は3隻。艦橋構造等、各所に相違点あり。

  • Deutschland ドイッチェラント ドイツを表すドイツ語より(ドイツ語の発音的には「ドイッチュラント」が近い)。
  • Admiral Scheer アドミラル シェーア 第一次大戦時、高海艦隊司令官だった海軍大将より。
  • Admiral Graf Spee アドミラル グラーフ シュペー 第一次大戦時、東洋艦隊司令官だった海軍中将より。

第一次世界大戦で敗北したドイツは1919年のベルサイユ条約により、軍備に著しい制限を受けており、
その制限枠内で保有を許されていた6隻の旧式戦艦群との代艦として、ドイッチェラント級は設計建造された。

代艦として新規に建造する場合にも基準排水量1万トン以下・主砲28cm以下という同条約の制限を受けており、
その制限内で現実的な重武装を施されているものの、逆に装甲は主砲に見合わない薄いものとなった。

同型は3隻だが、目立った相違点として艦橋の形状が挙げられる。ドイッチュラントは柱状だが、他の2隻は塔型となっている。
上掲の写真を比較のこと。ただ、シェーアは1939~40年ごろに柱状へと改装されているので(シュペーは改装なされず沈没)、
この塔型の艦橋構造は運用上なんらかの問題点があったのではないかと想像できる。

主砲は11インチ(28cm)6門と他国の戦艦より貧弱だが、通常の重巡洋艦よりは強力で、速度は敵戦艦よりも速い。
強力な敵戦艦からは速度で逃げて直接対決を避け、重巡洋艦以下の艦艇は砲力差でどうにかする思想であったと思われる。

本艦の最大の特徴は、沿岸防衛ではなく外洋における通商破壊を主任務としている点にあり、上記の砲力・速力なども
それを念頭に置いたものと考えられる。また、航続距離を伸ばすため、主機関には低燃費のディーゼル機関が採用されている。

戦艦としては中途半端な感は否めないが、上記の条約による制限や主任務を考えればよくまとまっているともいえる。
また上記のディーゼル機関採用や、重量軽減のための溶接多用など、当時の新機軸が多く盛り込まれた艦でもあり、
俗に「ポケット戦艦」とも称されて各国関係者の関心を集めた。フランスのダンケルク級は本艦に対抗したものである。

第二次世界大戦勃発後は、各艦とも大西洋で通商破壊活動(輸送船攻撃)に従事していたが、全艦が戦没乃至自沈した。

Deutschland ドイッチェラント(1940年 Lützow リュッツオゥ へ改名。改名時期は1939年12月説、1940年2月説がある)

1929年2月5日、キール軍港 Deutsche Werke にて、旧式戦艦プロイセンの代艦として起工。
1945年4月16日、現ポーランド北西端シュバイネミュンデ港にて、
5トン爆弾の至近弾、1000ポンド爆弾2発の直撃(不発)を受け、右舷に56度傾斜しつつ着底。
傾斜復旧の後には、前部砲塔といくつかの副砲、対空砲は射撃可能な状態になり、4月28日以降、侵攻してくるソビエト陸上部隊へ向け砲撃を敢行。
5月4日、乗員退艦の後、残存砲弾によって自爆自沈。1946年春にソビエト軍により浮揚され接収される。
以後ソビエト軍によって運用、各種試験が行われ、1947年7月、沈没。

Admiral Scheer アドミラル シェーア

1931年6月25日、ヴィルヘルムスハーフェン  Reichsmarinewerft にて、旧式戦艦ロートリンゲンの代艦として起工。
開戦後は大西洋、モザンビークと広範囲に渡り通商破壊活動を行い、
1941年4月1日にキールへ帰還するまで、計11万トンの艦船を撃沈拿捕。
1945年5月9-10日、キール軍港にて爆撃を受け転覆、1946年7月に解体された。

Admiral Graf Spee アドミラル グラーフ シュペー

1932年10月1日、ヴィルヘルムスハーフェン Reichsmarinewerft にて、旧式戦艦ブラウンシュヴァイクの代艦として起工。
開戦後、南大西洋、インド洋で9隻(計5万トン)の商船を撃沈。
1939年12月13日、南大西洋上にて英国重巡洋艦 Exeter、軽巡洋艦 Ajax、Achilles の3隻に捕捉され、交戦(ラプラタ沖海戦)。
中立だったモンテヴィデオ港へ72時間の期限付きで入港するも、1939年12月17日に同港にて、自沈。
自沈の理由については、英国軍の欺瞞通信により強力な敵艦隊が接近中であり、勝ち目も逃げ道もないと思われたため、とされる。
またこの時、誤報ではあったものの、見張りが港外に戦艦を視認したと報告したことも一因であると思われる。
艦長のラングスドルフ大佐は拳銃で自殺。

(ラプラタ沖海戦については、wikipedia ラプラタ沖海戦が詳しい)

満載排水量	:14519t
全長		:186,0m
水線長		:181,7m
全幅		:20,69m
喫水		:7,25m
乗員		:619-951名
武装		:28,0cm L/52 C/28	3連装2基6門
		:15,0cm L/55 C/28	8門
		:8,8cm L/75 C/32	3門 (1935年同連装3基6門に増強。1938年に10,5cm SK C/33 連装3基6門へ換装。)
		:3,7cm L/83		8門
		:2cm MG L/64		8-10門
		:53,3 cm Torpedoes	4連装2基
搭載艦載機	:Arado Ar196		2機
装甲		:水平	40mm(最厚)
		:垂直	80mm(最厚)
		:艦橋	150mm
		:砲塔	140mm(最厚)
機関		:2軸
		:MAN 9-cyl. diesel 2基
その他性能	:機関出力(軸馬力)	48390shp
		:最大速度		26,0knot(およそ48,1km/h)
		:航続距離		15knotにて18650mile(およそ27,7km/hにて30010km)
(建造時)

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最終更新:2010年10月17日 10:27
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