幻想郷の建築物

幻想郷における建築物

 幻想郷における建築物に関する推測です。
 幻想郷は明治中期から後期にかけて外の世界と分断されたと仮定しています。
 従って、幻想郷における建物は、明治時代初期程度のものと推測することが可能です。
 (文化伝播速度による)

 現代の家とどのような違いがあるかを取り上げてみましょう。

 まず幻想郷の建物では、お風呂やトイレ、台所が別棟と考えられます。
 台所が別棟というのはあまり考えにくいことですが、実は明治時代、台所と母屋がひとつになることは
 エポックメイキングだったのです。
 それまでは湿気が建物を傷めることから水回りが母屋と分断されていました。
 幻想郷の建物もおそらくは水回りと母屋が分断されている家がほとんどだったと考えられます。
 現代の家でも築15年くらいの家なら浴室はタイル風呂だったと思います。
 ここから家が傷むことがとても多いのです。
 この問題がほぼ解決されたのはつい最近、システムバスルームの普及を待つことになります。

 幻想郷の建物の構造を考えてみましょう。
 まず柱を見ると、筋交いが少ないことが特徴としてあります。
 筋交いの有効性に気づいたのは、関東大震災のころです。
 また、具体的な耐震基準が強化されたのは昭和56年を待つことになります。
 このことからも幻想郷の建物は総じてもろい作りになっていたことが推測されます。
 この理由として、物資の不足、人口増加の制限から修理中心の社会システムが確立されていると
 思われることが挙げられます。
 現代の建物では、構造用合板による建物の補強が徹底されており、そうやすやすとは
 倒壊することはないでしょう。

 幻想郷の建物は大変燃えやすい構造をしていたでしょう。 
 土壁や瓦屋根はコストやメンテナンス費用が高く、江戸時代でも普及に時間がかかっていました。
 しかしながら、幻想郷の場合は消火も素早かったと思われます。
 人間の身体能力を超えた妖怪たちの存在や、空からの監視が可能だからというのが挙げられます。

 幻想郷の家は総じて寒いです。
 すきま風が相当流れていたと考えられます。
 これは日本の住宅が夏住むことを旨とすべしという考え方によるものです。
 広いスペースに仕切として障子や襖がありました。
 現代の建物は高気密高断熱であり、隙間という隙間にはコーキング処理がなされ
 風が家の中に入ることはほぼありません。
 しかしこのままでは呼吸もままならないので
 現代の建物は24時間換気の機能をつけることが義務づけられています。

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最終更新:2008年04月04日 21:31