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必要なのは雇用より希望
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hibiki
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若者の荒廃を就業機会の減少と結びつけるのは雇用労働至上主義に立ったものの見方だ。間違ってはいけない。雇用労働至上主義は雇用側が長年かかって演出し、浸透させてきた当のものであって、若者の理想ではない。むしろ雇用労働至上主義だけが残り、労働者として安く使われるしかないという諦めが荒廃の原因だ。一種の思考停止ではあるが、その事によって若年の子達を怠惰だと非難する気にはなれない。その思考停止も雇用労働至上主義の一部だとも思える。
若者の荒廃を語る文脈で、それを就業機会の減少と結びつけ、またそれが世襲化の傾向にあることなどを紹介する文章や番組はよく見られる。「下流社会」という本はベストセラーであるし、NHKの「ワーキング・プア」という特集は残念ながら見ていないが評判はネット上で目にしている。
若者の敵はヒルズ族は別として、大企業に正社員として既に雇用されているホワイトカラーだ、とか。それはそれで本当なのだ。
但し此処で断りを入れると、上記の書物なり番組なりは熱意のある良い仕事であることに間違いはない。
但し此処で断りを入れると、上記の書物なり番組なりは熱意のある良い仕事であることに間違いはない。
戦後の飢えの中で、若者達は、そして大人たちは何を想ったか。
「衣食足りて礼節を知る」とは云うが、衣食が足りないからこそ守る種類のモラルはあると思う。
高学歴あたりまえの所謂フェミニストの人々も現在に至っては「人間の価値=その人の労働の質×量→賃金」となってしまっているので、コロッとこんな分析をしてしまっているのに気づいていないかもしれない。というか、彼の人たちが引き起こした当然の結果という面も多分にあるわけだが。
若者がげんなりするのは、仕事がない事ではなく、その背後にある悪意と無関心だ。
悪意というのは、立場の弱い人(若者たち)をどうやって安く使って儲けるかという手練手管であり、無関心というのは、そうやってようやく手にした仕事場で出会う「ああ、私でなくて良かった」という既得権の壁であったり、或いは「私だけは上手く助かりたい」という他人への・社会への・連帯への無関心である。
悪意というのは、立場の弱い人(若者たち)をどうやって安く使って儲けるかという手練手管であり、無関心というのは、そうやってようやく手にした仕事場で出会う「ああ、私でなくて良かった」という既得権の壁であったり、或いは「私だけは上手く助かりたい」という他人への・社会への・連帯への無関心である。
取り敢えず統計コピペ
犯罪だけが荒廃ではないでしょうが、まずは見てみましょう。
雇用労働至上主義
漠然とそういう概念を持っているだけで、実は明確になっていない。試みに私が雇用労働至上主義的だと思う事を挙げてみよう。特徴は「人間は生まれながらにして労働者」という前提である。「人間生まれながらにして事業主」とかの可能性はないし、「人間は基本的に農業で生きている」とか「人間最後は死ぬよ」とか最初と最後の処がすっぽ抜けているようなものの見方だ。
- 成功するためには努力が必要だ
- 女性が働きやすい労働環境づくり
「最初と最後」についてはまた機会を改めて書いてみたい(「最初と最後はアンタッチャブル」)。
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