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伝統的仮名使のすすめ
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匿名ユーザー
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学習に困難であるとして伝統的仮名使を廃止し、表音的仮名使に改めた事は、実に実に愚かな事でした。我が国の伝統的仮名使は、学び方の骨こつさへ心得れば、二、三十分の学習でかなり間に合ひます。その学び方は...
オリジナル
石井勲の伝統的仮名使のすすめ
一
私は、いまから、伝統的仮名使かなづかひを使って書きます。表音的仮名使は、人の心を堕落だらくさせる働きがある事が判ったからです。戦後の日本人の堕落の原因の第一は、伝統的仮名使を廃して表音的仮名使を採用した事に在あります。「伝統的仮名使で文章を書くのは難しい。発音通りに書けば済む表音的仮名使の方が好い」といふ事で安易な道を選びましたが、容易は幼稚に通じます。「易しい言葉で」「易しい表記で」と大事な日本語の表現の平易化を目指した結果、日本語の幼稚化と共に万事が堕落して行ったのです。
孔子が弟子に「先生が宰相さいしやうとして一国の政治を任せられたらどこから手を付けられますか」と尋ねられた時、「言葉を正す」と答へました。言葉の乱れが心の乱れを作り、世の乱れの原因になるのです。「言葉を正す」といふ事はそれ程の大事なのです。それにもう一つ、表音的仮名使には大変な欠陥がある事が明らかにされた事であります。
一九六○年代までは、世界中の言語学者が口を揃へて「不合理な伝統的綴つづりは廃止して合理的な表音的綴に改めるべきである」と言ってゐました。それを真まに受けて伝統的綴を廃止し表音化したのは、広い世界でも唯日本だけでした。六○年代になると、ノアム・チョムスキーが実験により、内容の理解には、伝統的綴の方が表音的綴よりもずっと有効である事を証明し、「言語学者たちの言葉に従って、伝統的綴を廃止して表音的綴を採用したら大変でした」と言ふ様になりました。我が国は、その大変な事をやってしまひ、大変な事になってゐるわけです。
cite | site | sight | |
so | sow | sew | |
saw | soar | sore |
右の例の様に、英語には同じ発音の言葉が沢山ありますが、綴が異ってゐるので、耳では区別出来ない言葉が、目では一瞬のうちに判別出来るのです。
もしもこれが表音的綴だったら、皆同じ綴になって区別が付かなくなります。だから、saw も soar も sore も、《ソー》とは読めない綴ですが、これだからこそ一瞬のうちに判別出来る
伝統的綴も、それが制定された当時は表音的綴でした。所が、年が経つにつれて言葉が変化して行き、その綴がとても表音的とは言へなくなった時に、これを伝統的綴と呼ぶわけです。我が国の伝統的仮名使も、勿論、初めは表音的だったものの変化したものですが、これを英語などに比べると極めて僅わづかなもので、これが学習に困難であるとして伝統的仮名使を廃止し、表音的仮名使に改めた事は、実に実に愚かな事でした。我が国の伝統的仮名使は、学び方の骨こつさへ心得れば、二、三十分の学習でかなり間に合ひます。その学び方は次回から。
二
前回で、私は「表音的仮名使は、人の心を堕落だらくさせるものがある」と書きました。これを読んだ知人の一人が「これは一寸大袈裟ちよつとおほげさ過ぎる表現ぢゃあありませんか」と言ったものですから、さう思ふ人の為に、これが決して大袈裟な表現でない訳を付言したいと思ひます。
そもそも話し言葉といふものは、時代の移り変はりに従って変化して行くものですから、長い間には、元の言葉とはとても同じ言葉だと思へない程の変化をする事があります。日本語にはさういふ大きな変化は見られませんが、外国語には沢山あります。例へば、英語の one といふ言葉を例に、言葉の変化を調べてみませう。現在の英語の綴は、十六世紀に制定されました。つまり、今の英語は十六世紀の言葉の発音に拠って綴られてゐます。だから、oneといふ言葉は、十六世紀には、《オウヌィー》といふ発音の言葉だったと推定されます。その後、"e"イーが発音されなくなって《オウン》となり、次に《ウ》が加はって《ウォウン》となり、次いで《ウァン》といふ現在の発音になったのだと思はれます。
この様に、発音が変化して行っても、その綴は決して変化の跡を追はず、元の綴をずっと維持して来ましたので、四百年以上も昔の文献が、現代文と同じ様に理解する事が出来るのです。もしも綴が、発音の変化の跡を追って改められてゐたら、十六世紀の文献は、発音する事は出来ても、意味は全く通じない物になってゐたでせう。チョムスキーが伝統的綴を排して表音的綴に改めてゐたら大変だった」と言ってゐたのは、この事を言ったものです。
英語の綴を覚える事の大変な事は、我々も英語の学習でよく知つてゐます。英米人がこの大変な学習に耐へてゐるのは、十六世紀以降の膨大ばうだいな文献を失ひたくないからです。どこの国でも、学習はこの綴の学習から始めてゐますが、実はこの大変な学習が、学習者に忍耐心の必要な事を悟らせ、困難を克服こくふくする気力を育ててゐるのです。だから、この綴の学習の大変さは、言はば必要悪の様なものと言つてよいでせう。
独り我が国は、伝統的仮名使を廃して「発音通りに書けばよい」といふ安易な学習を採用した為、「言葉の学習に励む」といふ最も基礎的な学習を努める習慣を失ってしまひました。その上、「言葉の学習をしなくても文章が書ける」といふ特性から、「安易に文章を書く」風が生じ、それと共に低級な書物や雑誌が沢山出回る様になりました。「文章を書く」といふ事は元来大変な事であって、安易に書くべきものではありません。文章は言葉と異なり、消えずに残って多くの人々の目に訴へ、心に呼びかけるものですから、書き手は心を砕くだいて言葉を選び文字を選んで書くべきもので、文字通り《推敲すいかう》に全霊を傾けるべきものです。昔読んだ『二十一世紀物語』に「文字の安易な使用が社会を腐敗させるので、文字を紙に書く事を禁止する。代って文字は金属に彫ほり付ける」とありましたが、文章を書く場合には正に金属に彫り付ける程の時間を掛けて慎重にあたりたいと思ひます。
最近、些細ささいな事で衝動的な暴力を振ったり、殺人を犯したりする者が増えて来ました。この原因の一つは、文字を初めて学習する時期に「発音通りに書けばよい」という安易な学習に変り、伝統仮名使が使へる様になるまでの地道な学習が無くなった事に関係があると私は思ってゐます。伝統的仮名使を身に着ける為の反復練習は、総ての学習の基礎を為すものであると共に、学習態度、延ひいては人生に処する態度の基礎を形成するのに最も必要なものだと思ひます。その点、珠算しゅざんにおける反復練習は、これに劣らない効果がある様に思はれます。やはり《 読み・書き・算盤そろばん 》です。
三
《現代かなづかい》とは言っても、「てにをは」の「は」や「を」や「へ」は、《伝統的仮名使》に拠よったものです。だから、伝統的仮名使には全く縁が無いと思ってゐる人でも、実は全く知らないのではなく、その最も重要な部分は心得てゐるのです。
日本語は、世界の凡ての言語の中でも、極めて類の少ない《膠着語かうちゃくご》に属する言語です。その最大の特徴が《てにをは》で、概念を有もたない言葉です。概念語に付着して、その語の役割(格ケース)を明示するのが役目です。この様な働きを有った言葉は、他の言語には皆無だとは言へませんが有っても極めて稀です。その為、語の役割はその位置で判断するしかないので、「I」「my」「me」の様に、意昧と役割と合せ有つ《屈折語》は、幾分はっきりしますが、中国語の様な《孤立語》に至っては、文脈が混乱して、誤解の虞おそれが多分にあります。この点、日本語は「てにをは」のお陰で世界一明快です。豊かな「てにをは」を創作した昔の日本人は、きっと優秀な民族だったのでせう。
《伝統的仮名使》を捨てた国は、広い世界でも我が国だけだった、とは既に述べました。我が国だけが、とんでもない事を仕出かしたのです。だから、一日も早く、日本人全体、伝統的仮名使が使へる様にならなければなりません。それは易しい事だとは言へませんが、決して難しい事ではありません。その理由は、「てにをは」といふ、伝統的仮名使の最も重要な部分を既に知ってゐるからです。
「は」を「わ」と発音し、「へ」を「え」と発音する事を知ってゐれば、「はひふへほ」は、本来の発音の他に「わいうえお」といふ読み方もある、といふ事が判る筈です。これは外国でも同じです。Holland, honest は、ホランダ、ホネストとは読まず、オランダ、オネストと読むでせう。
「会ふ、争ふ、吸ふ、言ふ、追ふ、食ふ、乞ふ、問ふ、縫ふ、這ふ」などは、皆《は行四段活用》と呼ばれるもので、「は、ひ、ふ、へ」と変化しますが、「わ、い、う、え」と読みます(会はわない、会ひいます、会ふう、会へえ)。現代文法は《五段活用》といふのですが、例へば「会おう」は、「会はう」が正表記ですから、「会わう」と読むべきものです。然し、「わ(ア列)」は、口を最も大きく開あけた時に出る音声で、次の「う」は口を最も小さく窄すぼめた時に出る音ですから、「わう」と続けば発音し難いので、ワとウの中間書のオに発音して「をお」となるので、「会をおうぉお」と読む訳です。
これは世界共通の現象で、例へば、英語の "Australiaオーストラリア, Austriaオーストリア, Augustオーガスト, audioオーディオ, auctionオークション, autumnオータム, automationオートメイション" など、 au は皆オーといふ発音です。
四
伝統的かなづかひヽは、大別するに、二通りが考へヽられます。
1.一つのかな文字に、二通りの読み方があるもの
は→ハ | ひ→ヒ ふ→フ | ヘ→へ | ほ→ホ |
→ワ | →イ | →ウ | →エ | →オ |
2.一つの音声を表すのに、二通り以上の書き方があるもの
ワ→わ | イ→い | ウ→う | エ→え | オ→お | ジ→じ | ズ→ず | |
→は | →ひ | →ふ | →へ | →ほ | →ぢ | →づ | |
→ゐ | →ゑ | →を |
難しいと言はヽれて変へヽられた伝統的なかなづかひヽですが、現代かなづかいに無いかな文字は、《ゐ・ゑ》の二文字だけです。それもその多くは、《井ゐ・猪ゐ・藍あゐ・紅くれなゐ》《絵ゑ・餌ゑ・杖つゑ・末すゑ》など、漢字で表記するもので、どうしても使ふヽ必要があるのは《率ゐヽる》と《飢ゑヽる・植ゑヽる・据ゑヽる》の四語だけです。また、一つの文字が二通りに読めるのは、《はひふへほ》の五字だけです。全体から見たら、伝統的かなづかひヽと現代かなづかいと違ってゐヽるのは、ほんの一部で、一語一語全部覚えた所で、高が知れてゐます。試みに、本文中の違ってゐヽるかなの横に「ヽ」印を付けました。どんなに少ないか、お判り頂けると思ひます。
また、「ヽ」印の付いたかなを調べてみて下さい。例として挙げた《ゐ》と《ゑ》を除けば、二つの《ゐる》の《ゐ》の他は、皆『は行活用動詞』です。つまり、伝統的かなづかひヽと言へば難しく聞えますが、実際には大部分が『は行』の動詞です。「ワイウエオ」と発音する動詞の語尾は「わいうえお」と書かないで「はひふへ(は)」と書くことを知れば、実際には、大部分は解決した事になるのです。例、会わない→会はない。会います→会ひます。会う→会ふ。会え→会へ。会おう→会はう。
『は行』動詞と言つても、大部分は《四段活用》です。その主なものを挙げてみます。
会ふ・合ふ・逢ふ・扱ふ・洗ふ・祝ふ・言ふ・伺ふ・失ふ・疑ふ・歌ふ・奪ふ・敬ふ・占ふ・潤ふ・憂ふ・行ふ・追ふ・覆ふ・思ふ・囲ふ・適ふ・通ふ・庇ふ・買ふ・飼ふ・嫌ふ・食ふ・乞ふ・逆ふ・誘ふ・従ふ・慕ふ・救ふ・添ふ・戦ふ・漂ふ・給ふ・誓ふ・違ふ・使ふ・繕ふ・償ふ・集ふ・調ふ・問ふ・弔ふ・伴ふ・習ふ・賑ふ・担ふ・匂ふ・願ふ・宣ふ・這ふ・払ふ・拾ふ・奮ふ・惑ふ・舞ふ・迷ふ・向ふ・貰ふ・養ふ・雇ふ・結ふ・酔ふ・装ふ・煩ふ・病ふ・笑ふ。
以上の動詞は、「笑はヽない、笑ひヽます、笑ふヽ、笑へヽ」と活用しますので、以上の動詞を一語一語活用させてみて『は行動詞』に慣れて下さい。
他の『は行動詞』の主なものは《下一段活用》です。教へる・変へる・換へる・数へる・加へる・譬へる・例へる、などです。活用は「例へヽない、例へヽます、例へヽる、例へヽろ」ですからこれも他の言葉で練習してみて下さい。
五
今まで述べて来た所を読んでの御感想は如何ですか。今はまだ難しい感じがするかも知れませんが、判らない所は今まで通りに書いて、「これは伝統的かなづかひヽで書ける」と思ふヽ所だけ書けば好いのです。昔の人だってさヽうだったのです。初めから正しく書ける人などゐヽる訳がありません。文章を読んだり書いたりしてゐヽる間に、一つ一つ覚えて行ったのです。さヽういふヽ訳で、今日から早速実践してみて下さい。
前項で言ひヽましたやヽうに、伝統的かなづかひヽと言っても、大部分は『は行動詞』ですから、その他の違ふヽ所だけ覚えれば好い訳です。では早速始めます。この文章で伝統的かなづかひヽで書かれてゐヽるのは、『は行動詞』と《さヽう》と《ゐヽる》と《やヽう》だけです。《さヽう》は《かヽう》と一緒に覚えませう。《さヽう》は、《然しか(sika → sa)》が延音化して《然さう》となつたもので、《かヽう》は、斯かく(kaku → kau)の《う音便》です。
《やヽう》は漢語の《様》です。現在の発音ヤンから推察される様に、ヤウと発音したものが、アウがオオと発音される例に従って、ヨオと発音する様になった訳です。同じ発音でも「勉強しょう」の《よう》は《やう》ではありませんから注意して下さい。これは、「勉強せむ」の《mu》が《u》に変った「勉強せう」が、エウもヨオと発音される例に従って seu → syo と発音されて《しょう》と書かれたものが《シヨオ》と読まれる様になったものです。昔の人も《よう》と《やう》とはよく間違へヽました。「勉強しよう」は「未然形+よう」ですが、「勉強するやうに」は「連体形+やう」だ、と覚えておくと好いと思ひヽます。
《ゐ》といふ仮名は、前回述べました様に、《ゐる》と《率ゐる》だけですから、簡単に使へヽますね。所で、《イ》といふヽ発音で《い》と表記する動詞の語尾は、《い音便》の連用形を例外とすれば、《老いる、悔いる、報いる》の三語しかありません。といふヽ事は《イ》と発音する動詞の語尾は、前述の《ゐ》の二語と《い》の三語を除けば、総て《ひ》だといふヽ事になります。ですから、《い》と発音する動詞の語尾は、前述の五語以外は総て《ひ》だといふヽ事になります。『は行動詞』は数へヽ切れない程沢山あって、一語一語総てを覚える事は大変ですが、《い》と発音する動詞の語尾は、前述の五語でなかったら、総て《ひ》と書けば好いのですから、決して難しい事ではありませんね。
《ゑ》を使ふヽ語も、《植ゑヽる、飢ゑヽる、据ゑヽる》の三語しかありません。また、《エ》と発音して《え》と書く動詞も《覚える、越える、絶える、増える、燃える》と、僅かしかありませんので、これらを丸暗記しておきませう。さヽうすれば、《エ》と発音する動詞の語尾は総て《へ》と書けば良い、といふ事になって楽です。
六
私は前囘に「伝統的かなづかひで書けるといふ自信が有る所だけ書いて、自信が無い所は従来通りに書く」といふ書き方を皆様にお奨めしました。そして「今日から早速実行してみて下さい」とお願ひ申し上げましたが、実行して下さいましたでせうか。もしもまだでしたら、今度こそ「今日から実行」して頂きたいと思ひます。
そもそも《現代かなづかい》そのものが、初めから《は・を・へ》など《伝統的かなづかひ》と混ってゐるのですから、《伝統的かなづかひ》で書いてゐるつもりの文章の中に《現代かなづかい》が混ってゐても、少しも可笑しい事は無いではありませんか。堂々と書いて下さい。追々と醜悪な現代仮名使が消えて行って、風格の有る文章になって行きます。
一口に《伝統かなづかひ》と言っても《国語かなづかひ》と《字音かなづかひ》の二種類があります。《字音かなづかひ》とは、漢字の発音を書き表す為の書き方です。今は等しく《ジョウ》と書いてゐる漢字を、中国の発音に近づけて《ジョウ・ジャウ・ヂョウ・ヂャウ・デウ・デフ》と書き分ける書き方です。文章を書く時には、漢字で書くので、実際にはほとんど使ふ事の無い《かなづかひ》ですから、しひて覚える必要は無いと思ひます。
又、《国語かなづかひ》でも、《味あぢ・鯵あぢ・鯨くぢら・藤ふぢ》などは、漢字で書くのが普通ですから、強ひて覚える必要は無いと思ひますが、元々が国語ですから、覚えるられるものは覚えて置いた方が好い、と思ひます。辞書を手にした序ついでに、一つでも二つでも覚える努力をして下さい。
例へば、《乙女をとめ》は《小をつ女め》といふ三語から作られた複合語で、《を》といふ言葉は《小川をがは》の《小》で、《小さい》といふ意味の言葉です。といふ事が解りますと、《男をとこ》といふ言葉も、漢字一字ですから一語の様に見えますが、やはり三語から成る複合語で、《小っ女》に対する《小をっ子こ》から変化して出来た言葉だと推理する事が出来ます。
又、《叔父をぢ(叔母)・伯父をぢ(伯母)》などの言葉も、《小父をち(小母)》といふ言葉から作られたと推察出来ると思ひます。この場合の《を》は、「父や母に次ぐ近い人」といふ様な意味で用ひられたものでせう。今は、《叔父》《伯父》と異った漢字で表記してゐますので、《叔父》《伯父》とは異った言葉として扱はれてゐますが、元々は《小父をち》の意味の言葉である事がお解りになると思ひます。
この様な訳で、《国語かなづかひ》は、漢字で書くものであっても、国語の性質を担ってゐるものですから、使ふ事は無くても、知ってゐた方が好い事は言ふまでもありません。
(完)
(石井勳、いしゐ・いさを。教育學博士。本會副會長。また日本漢字教育振興協會會長、石井式漢字教育研究所所長を務める。正假名使で書かれた著書に『幼児はみんな天才 ―石井式漢字早教育のすすめ― 』(日本教文社刊)がある。本掲載に當り、平成十四年から十五年春にかけて執筆した舊稿を吟味し、ルビは字音假名使で統一した。六囘連載)
なほ、月刊誌『母と子の新聞』(○三-三九五二-八八一五ははとこ)に正かなづかひ表記の自傳「一教育学者の歩み」を連載中である。
なほ、月刊誌『母と子の新聞』(○三-三九五二-八八一五ははとこ)に正かなづかひ表記の自傳「一教育学者の歩み」を連載中である。