響きblog
ヤンキーは情報発信の夢を見るか?
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匿名ユーザー
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情報と情報発信
情報とは差異である。いや言い直すと、情報があるところ差異が必ずある。差異がなければ情報はない。従ってエントロピー最大の熱地獄ではただすべてが「ある」という以上の情報しかない。いや「すべて」のものが「ある」のは当然なので、これは「ある」が「ある」という同語反復となって情報量はゼロ、と言えるかも知れない。
で、情報発信とは?
今回の場合、情報は発信しなくてもよいとしよう。単に差異があればいい。差異は必ず発見されて情報になるとしよう。
差異と言えばヤンキー
差異と言えばヤンキーの右に出るものはいない。ニッカポッカがダブつこうが女もののサンダルが歩きにくかろうが目立ってナンボ、である。乱立するファッション雑誌やライフスタイル誌が狙っているような、決してリキんでないように見せることで逃げしろを確保したうえでのセコイ差別化とは覚悟が違うのである。
では、全国津々浦々のヤンキー(自薦他薦問わず)の人々は大量の情報を今日も発信しつづけているのだろうか?
実に惜しいことに、多くの場合、彼等のツールは限られている。見つけたところですぐに広まってしまう。従って彼等が一般人との差異化にいかに成功しようとも、仲間うちとの差異化は容易ではない。あとは各ツールを多く身につけるか、より強力にするしかない。残念ながらこれは北斗の拳的泥沼であり、永遠のいたちごっこである。有限量の延長上には「永遠の」平和は築けないのである。かくしてせっかくの差異化も「ヤンキー度10」とか「50」とかいった、たった一次元で近似されてしまうようなものになってしまう。従って情報量は少ない。
彼等の嗅覚とエネルギーは別のハンドリングのしかたが、それも大きなお世話でない方向で存在するように思うのだが、どうしていいか私にもまだわからない。それは強力なものであることに間違いはない。なにせ若者が自分の存在をかけているのだ。差異化のツールが、使う覚悟さえ決めれば入手は簡単ってとこがミソなのかなあ。
類似した構造を探せ
皆様へ:上記文章の「ヤンキー」の部分に置き換える面白い言葉を募集します。コメントとして投稿して下さい。
なんでこんなこと言うかっていうと、漠然と、「他にも似たようなことあるんじゃないかなあ」っていう気がしてるからなんです。もちろん、私も見つけ次第またこのページで報告します。
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