響きblog
私は仏教徒だった!
最終更新:
hibiki
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2006年4月8日
いやー自分でも信じられませんでした。}
いやー自分でも信じられませんでした。}
(以下、仏には佛の字を用います。)
姿見の鏡の下の方が割れちゃったんですよ。「割れちゃったんだから捨てちゃうしかないんじゃない?それとも何か修復できるんならいいけど」と同居人に言われたまま、さりとて名案もなかなか浮かばず、でも捨てられません。「何でかなー」とずーっと考えて行くと、それは成佛の問題だったのです。何と、ニーチェが大好きだったこの私が。
4つの誓願
それでって言うんでちょこっと佛教の勉強してみたんですよ。そしたら佛さん達はこれでなかなかいい事言ってるんですよ。下の4つが佛さんたち共通の願いなんだそうです。
衆生無辺誓願度
煩悩無数誓願断
法門無尽誓願学
佛道無上誓願成
煩悩無数誓願断
法門無尽誓願学
佛道無上誓願成
私がよく知らない人にでも平気で色んな話をぶっちゃうのも、実は布施の精神だったのではないかと。布施というのは何も募金じゃなくても布施なんだそうです。自分がこの世から受け取ってるもの以上にこの世に何かを差し出す。それが布施なんだそうであります。
ま、我ながらなんであんまり声を大にしては言いにくいのではありますが。
続きはもうちょっと勉強してからまた書きます。
「即身成佛」は宗教ではない
「真理」あるいは「悟り」と言うべきものを「如来(佛さん)」という形でいわば擬人化したところが、佛教の最も素晴らしくも美しい点であると同時に、「知る」対象ではなく「信じる」対象だと言う誤解を与えるという点ではもっとも勿体ない点であると思う。佛教は他の宗教、特に一神教と並べて論じるものではない。神道のような自然信仰の多神教というものでもない。誤解と未熟を恐れずに言えば、哲学なのではないかと感じる。真に合理的であるが故に神秘を避けない哲学。
佛さんは「拝む」もんじゃなくて、基本的には「目指す」もんだ。即身成佛、これサイコー。
従って、佛教徒は学問と智慧の徒であって、少なくとも大乗佛教に関してはbudda+istという英語は的を得ていない。