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「民主主義=自由主義=公正な競争」は嘘っぱち
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匿名ユーザー
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- 「民主主義=自由主義=公正な競争」は嘘っぱち
大勢で生きてると何かと利害が対立する。無制限な競争に陥って、極端な場合殺し合いになるよりは、話し合いとか多数決とかで物事を決めましょというのが民主主義。どーもおっさん臭くて、お世辞にも最高にカッコイイ制度とは言えないけど、現在の所ベストというのが一般的な評価だと思います。
- 民主主義=「競争はホドホドにしときましょ」でそこそこハッピー
と理解していいはず。殺し合いより談合の方がマシですわな。
だから民主主義と自由主義(ってのがあるとして)は根本の処では相容れない。もちろん、自由の無い民主主義なんてあり得ないんだけど、許されるのは本質的にはホドホドの自由だ。
で、自由と民主主義、どっちをとりましょ?あ、それも民主的に決めればいいか。
民主主義を広める為にと言って殺し合いをしてる人たちは勘違いしてる。彼等が広めようとしてるのは自由だ。それなら整合がとれる。誰の自由かは知らんよ。
- 自由主義=自由が制限されない経済=古い(ケインズ以前の)資本主義=供給側の視点に立ったミクロ経済的(個々の儲けオンリー)世界観=資本原理主義
昔は資本原理主義は帝国主義とか重商政策とか回りくどい方法を採ったけど、今隆盛しているのはもっとストレートな資本原理主義だ。あからさまに国が片棒担いだ前者の時から比べると、1個1個の小さな話の積み重ねになってるから見えにくい。原理主義と名のつくもんにロクなもんはないってのは常識だよね。だって会話が成り立たないんだもん。従って民主主義とは相容れない。
原理的資本主義をつきつめれば原始的な資本主義であり、古典派経済学の世界である。しかし古典派の理論では、現実の経済が説明できないから、それ以後の経済学が生まれたのである。ところが何も考えていないマスコミ人は、時流であるこの原理主義に飛びついているのである。そして今日の世論は、このような軽薄なマスコミの言動に左右されている。「小さな政府論」「無駄な公共投資論」「構造改革騒動」もこの流れの一つである。
経済コラムマガジン05/2/21(378号)
それにしても、今まで社会福祉というものを一生懸命築き上げてきたのに、大恐慌前に戻ってどうしようっての?