怒涛の連続更新。日記とは本来かくあるべきでして、いやはや。


昔話13。
黒いお城。

55キャップ時代に一部の方々?は闇王ミッションをクリアしていたようです。縁が無く、その頃は行くことが出来ませんでした。
60キャップになってしばらくして、ミッションブームがありました。55~60くらいの人達が野良で集まって行ってました。
私もその中のシャウトに乗っかって行く事になったのですが、パーティに入ってみると異変が。日本語が通じない方がいらっしゃるのです。
当時北米版は出ていなかったはずなので、割と珍しいことだと思います。私の中では忘れられないNかた7さんとIなもと5さん。どちらも日本人じゃないことは知っていました。
Nさんは日本語が通じているので問題ないのですが、Iさんは自由気ままと表現させて頂きます。


闇王のお部屋。

なんだかんだあってドタバタしつつたどり着いた先。Iさんへの指令は諦めていたと思います。
それでもどうにか無事倒すことが出来、解散となりました。
異文化コミュニケーションは大変だ、ということをものすごく思い知らされました。

こういうことを書くと外さんは嫌いなように思われるかもしれませんが、そこまで嫌ってる訳では無いのです。
こちらが英語で言ったことを、理解しようとしてるのが伝わってくる人もたまに居るのです。ただ、国柄や年齢の問題なのかフリーダムすぎる人が多く、そういう人達は指示の多いイベントやらBFには混ざって欲しくない、というのが正直な所です。

アメリカ辺りのフレンドさんに「日本人は一緒に遊んでくれない、なんで?」のように聞かれた事もあります。
タブ変換では伝わらない事もありますし、咄嗟の判断が必要なこともありますし、FFは一緒にやるのは厳しいと思ってます。

思い出したので上の人とは別の知り合った外さんのことを

大学で日本語を勉強していて、簡単な漢字も読むことが出来る、という人のサポートジョブ取りを手伝ったことがあります。
どのくらいの漢字まで分かるのかちょっと試そうと思い、

私「一」
彼「ichi,one」
私「川」
彼「kawa,river」

のようなやりとりをしばらくしたのですが、

私「薔薇」
彼「?、wakarimasenn」
私「It's rose」
彼「(英語で)そんなの書けないよ」
私「(英語で)大丈夫、私もこんなの書けないから」

という冗談をやってみた、というお話でした。

この外さんは「日本語勉強のためにこのゲームをやってるんだ」と言っていたのですが、その後続けたかは分かりません。


また他の人のお話。

何かの手伝いをして報酬を断った時のこと(以下英語)

彼「何で要らないの?知り合いでもないのに?」
私「日本には、一度の出会いを大切にしよう、とか、他の人を助けた後は巡り巡って自分が助けられる、ということわざがあるんだよ」
彼「へー。何ていうか教えてくれない?」
私「最初のはichigoichie」
彼「それなら覚えられる。次のは?」
私「次のはnasakehahitonotamenarazu」
彼「それは無理だ、ハハハ」

他にもウガレピ近くで声かけられて、コッファー開けるのを手伝ったり等、外さんを助けた事は多かったと思います。
気分屋さんなので、断ったことも多いですが。



闇王ミッションの他の事。
一旦FFを止めて、しばらくして戻って来れるようになってフォルを作り、その時にソロで何度も突撃してました。
60赤/狩だったのですが、今と比べて装備も良くなかったですし、倒すには至りませんでした。善戦はしていたと思います。

イベント分の時間短縮とTPのために
BF突入→殴ってTP300まで貯める→入り口で倒れリレイズ→時間切れ排出→氷天候を待って突入
ということを毎回やってました。

有用な薬はバイル、バイル+1、ハイポくらいでしたがジャブジャブ使ってました。あの頃はどうかしてたのでしょう。

その甲斐があったのかは分かりませんが、闇王さんと同じように、殴りも魔法も痛い赤マートにすぐに勝つことが出来たのかもしれません。
何事も経験は積んでおくものです。


言語と文化の壁は日本人にはとても辛いということを知った、あの頃の日のこと。

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日記 FF Fol 09-08
最終更新:2009年08月29日 17:01