※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

目次


テニス選手の巨人化 (H23.5.28)


 最近、テニス選手が大きくなつた。男子なら190センチくらゐは普通である。女子でも180センチは大きいうちに入らない。昔は、「ビッグサーバー」でも180~185センチくらゐが多く、大きくても190センチであつた。それ以上の人も、たまにはゐたが、大成した人は知らない。

 あまり大きい人がゐなかつたのは、背が高いとロウボレーが難しいからである。ポイントを決めるため、ネットに詰めてボレーしようとしたとき、背が高いと低い球に對應しにくい。膝をより折曲げて低い姿勢にならないといけない。咄嗟に腕だけ伸して打つたのではいい球は返せない。腕だけ伸すにしても、元々ラケットの位置が高いから、低い球を打つにはより長い距離下に移動させる必要がある。
 ところが、ラケットの改良を野放しにしてゐたものだから、ラケットが格段によくなり、ベースラインからエースが取れる樣になつた。その結果、ボレーが不要になつた。わざさわざ危險を冒してネットに出て行かなくても、後からポイントを決められるのである。
 かうなると、背の高いことの唯一の弱點であつた、「ロウボレーがし難いこと」は消えてしまふ。サーブもスマッシュも、背が高い方が有利である。それだけではない。グランドストロークも、打点が高い分、ネットを越えて確實に入れやすいし、また、サイドにより角度をつけてエースを狙ふことも出來る。かくして大型選手の跋扈する時代となつた。

 この前も、イズナーといふ206センチの選手が出てきて、ナダルを負かしさうだつた。途中からサーブアンドボレーをやり出してボレーのミスが多くなつたところで見るのをやめたが、結局勝てなかつた樣である。グランドストロークに徹してゐたら、分らなかつたのではないか。

 テニスは、放つておくと、バスケットボールみたいに、2メートルの大男ばかりになつてしまひさうである。ラケットは今更いぢれないとしたら、コートを狹くするとか、ボールを飛ばないボールにするとか、何か対策を考へて簡單にエースが取れない樣にする必要があるのではないか。

高橋選手は腿が上がりすぎ (H23.6.11)


 陸上の高橋萌木子選手が走るのをたまたまテレビで見たが、明らかに腿が上がりすぎてゐる。腰が入つてゐれば、あんなには上がらない。あれだけ腿が上がると云ふことは、腰が入つてゐない證據である。
 實際、かなり跳びはねる樣な感じのする走りである。腰が入つてをらず、地面を蹴る角度が大きいから、上への分力が大きいのである。その分、水平に前に蹴る分が減つており、前への速度が落ちる。
 このフォームであれだけの記録が出るのであれば、まともなフォームで走れば、輕く日本記録を破れさうである。

ボルトは何故速いか (H23.8.28)


 ボルト選手のフォームはよくない。しかし速い。何故か。
 フォームがよくないといふのは、胸を張つてゐないのを言つてゐる。胸を張つて反り返る位の感じになり、上體が安定してゐるのが理想的なフォームである。かつてのマイケル・ジョンソンの樣に。ボルトは、上體が少し前傾気味で、妙に搖らしてゐる。

 それでもボルトが速いのは、スタートが速いからである。ジャマイカでは、上り坂の道路でスタート練習をしてゐると、パウェル選手の特集TV番組でいつてゐた。その効果で、大腰筋だつたか腸骨筋だつたか忘れたが、パウェル選手は目茶苦茶に太くなってゐた。朝原選手の倍くらいあるやうに見えた。朝原選手も、決して細くはない筈であるが。
 この筋力のお陰で、あれだけの大きな體でもスタートの加速がいいのである。昔は、100m競走の場合、身長175~180センチ位が最適などと言つたりしてゐた。あまり大きいと、體重の割に筋力が大きくないので、スタートが遲くなるといふのである。實際、さういふ傾向は見られた。しかし、パウェル、ボルトの出現で、この迷信は打破された。筋肉を鍛へれば、大きくてもスタートを速く走れるのである。

 ボルト選手の走りを見ると、前半が速い。筋力を活かして、加速がいいのである。後半はその速度を維持するのであるが、フォームが、先に書いた樣に、よくないので、少し落ちてゐるのではないかと思はれる。
 彼はしばしば最後を流して走つて、流さなかつたらもつといい記録が出たのではないかと云はれたりもしてゐるが、逆に、流したから減速が少なかつたので、流さなかつたらむしろタイムは惡くなってゐた可能性もあると思ふ。

バレーボールの作戰 (H24.5.28)


 日本女子バレーボールは結局オリンピック出場が決つたが、アジア枠でなんとかといふことであつた。
 ちよつとしか見てゐないが、遮二無二兩翼からの攻撃を試みてブロックに掛つたり、拾はれたりしてゐるといふ印象を受けた。サーブレシーブがきちんとセッターに返らないから仕方がないと云ふことの樣であるが、もう少し工夫できないのであらうか。セルビアなどは、ラリー中でもやや後からパスしてセンター攻撃を試みたりしてゐた。レシーブが綺麗に返らなくとも、うまくやればセンター攻撃も出來ないことではない。ちよつとレシーブが亂れると兩翼からかせいぜいバックアタックかと決つてゐれば、守る方は守りやすい。

 サーブレシーブがそんなに高率できちんと返るといふのは所詮無理ではないか。日本チームが特に惡いのなら別だが、さうでなければ改善代はそんなに大きくはなからう。だとすれば、それを前提に、少し亂れたときの對處法を工夫すべきではないか。判で押した樣な攻め方では、相手は守りやすい。速攻も選擇肢に含めることを考へる餘地はないのであらうか。何れにしても、どうにかして攻めをもつと多彩にすることを考へる必要がある。

 ついでにいへば、日本選手はやはり大振りし過ぎる傾向がある。テークバックが大きいのである。野球のキャッチャーが投げる樣に、テークバックなんか無しでいいのである。ピッチャーはある程度テークバックするが、これは緩やかな動きから腰を捻る調子を得るためにやつてゐるだけであり、腕の動きで本當に有效なのは、肱が疊まれてからの動きだけである。
 テークバックが大きいと、結局、手打ちになりやすい。その結果、當てる感じになり、當るときの角度が少し狂ふと大きくそれてしまふので、打つコースをコントロールするのが難しい。その結果、ブロックに當てたり、守りのゐる所に打つてしまふことになる。コンパクトに打つと、手の動きで押す感じになり、押した方向に飛ぶからコースをコントロール出來る。勿論、腰の囘轉を生かせるのでスピードも出る。この差が決定力の低さに繋がつてゐる。

森田選手のミスの原因 (H24.6.30)


 テニスの森田選手がテークバックを小さくしたとテレビで言つてゐた。確かにさうしてゐる樣だつた。しかし、チャンスになると大きく引いてミスを連發してゐた。この人の場合、兩手打ちなに何でそんなに引けるのかと思つたが、よく見たら手首を後屈してゐる。最も惡いパターンである。
 森田選手は開眼したのではなく、速い打合ひでは、テークバックを小さくした方が振り遅れたりしないで正確に打ちやすいと思つただけなのであらう。チャンスに速い球で決めるためにはテークバックを大きくしないといけないと信じてゐる樣である。實は、テークバックを小さくすることが、速い球を打つこつなのであるが。

 手首を後屈して意識的に使ふと、手首が何處で返るかによつて球の飛んでいくところが變つてしまふ。手首を後屈しないで普通に打つと、途中でラケットが遅れるので自然に手首は曲るが、最後に眞つ直ぐにラケットを出す時に手首も戻つて行く。この自然な動きで打てば球に當てるのでなく、眞つ直ぐ押し出す樣に打てるので安定する。また、コンパクトに振ることで腰の囘轉を速く出來、それをラケットの線速度に變へることでスピードも出る。

 以前に卓球の石川選手が開眼と書いたが、いつやらテレビで見たら、チャンスでは大振りしてミスしてゐた。森田選手と同じ考へだつた樣である。
 何と言つてもコーチも殆ど皆、大きく引かないとスピードが出ないと信じ込んでゐる状況では、ひとり開眼することは難しいのであらう。

進化したフェデラー (H25.1.20)


 テニス全豪オープンをテレビで見たが、フェデラーは進化したのではないか。バックハンドがよくなつてゐる。以前はやや引きすぎの感があつたが、今は足の前くらゐから輕く振り抜いてゐる。テークバックでラケットを立てて、そのまま下げてから打つてゐる。
 コンパクトなので、相手のショットが良くてピンチの時でも、素早いスィングで逆襲してゐた。
 同じスイスのバブリンカ(Stanislas Wawrinka)も何故か似た樣なフォームだつた。

H25.1.25 追記
 今日の準決勝のマレー戰ではフェデラーは良くなかつた。結果として2-3で負けたが、この前の樣なフォームではなかつた。テークバックしたラケットを、この前は下に下げてから振つてゐたが、今日は後に引いてゐる場合が多かつた。そのためミスが多かつた。
 前に出て打つときはさうでもなかつたが、後から打つときは、決めようと焦つたのか、形が乱れてゐた。

 體調がいい惡いとか、作戰がどうとか、色々あるだらうが、基本的な形がちやんと出來ているかどうかが根本的に大事なのである。


わざは敎へられぬ-柔道監督の暴力問題に思ふ (H25.2.12)


 少し前、柔道全日本の監督が暴力を振つたと問題になつた。いろいろあらうが、なぜ暴力的になるのかが先づ問題である。それは、多分、わざを敎へようとするからではないか。敎へるけれども、なかなか傳はらない、それがいらいらを生み、言葉が荒くなり、つい手が出てしまふ。

 なぜ傳はらないかを、どうして考へないのか。口で説明したり、手取り足取り敎へても、本人が體得し、その技の形が頭に描けなければ、身にはつかぬ。つまり、技は敎へられぬのである。
 出來ることは、せいぜい、模範を示して見せて、眞似させることである。口で敎へることは害にこそなれ、ためにはならぬ。瞬間の體の動きを、大腦で制禦しようとすると、必ずをかしな動きになる。練習して體が覺えた動きでなければ駄目である。

 昔、職人は、何も敎へず、技は盜めといつてゐた。冷たい樣だが、それが正しいのである。技は敎へられぬ。自分で體得するしかない。
 基本的には、繰り返し練習し、どうすればやり易いか、體で掴むしかない。疲れるまで練習すれば、自づと無駄のない形になつて行く。その時、うまい人の技を見て、イメージを掴み、眞似をすれば、練習の效率が上がることは間違ひない。手本を示す、それが敎へる人に唯一出來ることである。

田中投手が打てないわけ (H25.9.29)


 プロ野球樂天の田中投手が快進撃を續けてゐる。最近は、佐藤コーチの指導を受けて、フォームも良くなつてゐるといふ。多分、以前よりはいいのであらうが、腰の捻りが十分利いてゐる樣には見えない。そのため、腕の動きも滑らかでなく、見てゐてあまり氣持よくはない。

 しかし、球はそこそこ速い。持つて生まれた肩の良さなのであらう。といつても、特別速いわけでもないのに、直球勝負でも通用したりしてゐる。それが不思議だつたが、テレビのニュースで何球か投げるのを見てゐて感じたのは、投げる形が少しぎくしやくしてゐるから、タイミングを合せにくいのではないかといふことである。
 投げ方が滑らかでないから、投げるのに掛る時間がその時その時で多少變るのではないか。さらに、球の速さや手元での伸びや曲りなども、微妙に變る。それで打つ方は打ちにくいのではないか。

 今はコントロールもそこそこいいのでこれで通用しているが、年齢とともに體力が微妙に低下して行くだらうから、その時に今の球威とコントロールを維持出來るかどうかが課題であらう。やはり、さらに形を改善して、球威とコントロールをもつとよくする方がいいと思ふ。
 今の投げ方を見ると、體の捻りをほどいてその惰性で投げることが分つてをらず、腕の力で速い球を投げようとしてゐる樣に感じる。その考へを改めるのが先決である。腕については、腰の切始めで腕が早く出ていかない樣に押へておく力はいるかも知れぬが、腰が切れたら腕はその惰性で勝手に出て行くだけであり、力はいらない。逆に、腕に力が入つたら自然な動きが妨げられて、球威もコントロールも落ちてしまふ。その感じを體得する必要があるが、なかなか良いお手本がないので難しい。

H26.9.23 追記
 田中投手は肘を痛めてしばらく休んでゐたが、最近復歸したとのことで、テレビのニュースで見た。腕の使ひ方が少し柔らかくなつてゐる樣である。肘がやや上がり、腕の振りが小さくなつて體の近くを通つてゐる。痛めたことから、肱に負擔をかけないで投げられる樣にと工夫した結果であらうか。しかし、腰の捻りを活かすところまではいつてゐない。そもそもさういふ考へがないのだらうか。

錦織のミスには原因がある (H25.1.21)


 錦織の試合を見た。20日の全豪4囘戰ナダルとの對戰を録画で見た。6-7, 5-7, 6-7で負けた。3セット目は、先にブレークしたが、その後位からミスが一段と多くなり負けた。もともとミスがナダルより多かつたが。特に、チャンスで大振りしてアウトする場合が多かつた。

 速い球を打たうとして、大きく引いてしまふのである。普段はインサイドアウトにうまく打つてゐるのであるが。速い球を打たうとして、大きく引いてしまふのである。その結果、アウトサイドインに、後ろから斜め前に當てにいく樣になり、當たる位置が少し狂ふと方向が大きくずれる。腰の回転が使へず、腕だけで打つことになり、球速も落ちるし、球の回転も減るので、アウトしやすい。
 インサイドアウトに、體の近くからまつすぐ押す樣に打てば、當たる位置が少しずれても方向は變らない。つまり、精度が上がる。腕の力でなく、腰の回転の惰性で腕が振られ、スピードも出る。小さい半徑で角速度を稼いでおいて、最後に腕を伸ばすと、半徑が大きくなり、大きな線速度が得られる。

 この原理は、テニスだけでなく、ものを投げたり、打つたり、蹴ったりする場合すべてに當てはまる。これを知らずして大振りばかりしてゐては祿なことにならない。しかし、實際、分つてない人が殆どではないか。

 さう言へば、セレナ・ウィリアムスが負けたが、手打ちになつてゐた。不思議だつたが、後で聞けば、背中が傷んでいたとのことである。錦織も、或は、少し疲れたゐたのかもしれぬ。ただ、チャンスの時に大振りする傾向があつたから、それだけが原因でもなささうである。

 よく、ミスは集中力などの問題にされる。それも勿論あるかもしれぬが、一番の原因はフォームの亂れである。フォームさへきちんとしてゐれば、そんなにミスはしない。體の調子が惡くてさうなるのは仕方がない面もあるが、チャンスの決め球でさうなるのは、考へが間違つてゐるからである。このことを指摘する人がゐないのが不思議である。

ディープインパクトの走り−脚のたたみが早い (H26.4.20)


 テレビでディープインパクトの特集を見たが、走るフォームを調べてゐた。それによると、二つ特徴があり、ひとつは後ろ脚を普通の馬よりよく疊んでゐること、二つ目は前脚の關節が柔らかく蹴るときの角度が淺いので上に跳ばないことだといふ。
 レースを見て見ると、確かに後ろ脚の疊み方が素早い感じがした。そのため、輕快に見えるし、實際、回転が速くなつてゐると思ふ。
 人間でも馬でも基本は同じである。

日本サッカーの弱點 (H26.6.18)


 ワールドカップ一戰目で日本が負けたので、敗因が取り沙汰されてゐる。色々言はれてゐるが、何れも結果をいつてゐるだけで、根本の原因に至つてゐない。
 敗因はボールを取られたことである。一點目だつたか二點目だつたか記憶してないが、自陣である選手がパスを受けたが、すぐにパスしたところを奪はれて、一氣にゴールになつた。
 すぐにパスしたと一應書いたが、正しくは、ボールを放したのである。相手の選手が取りに來たので、放しただけで、パスになつてゐない。持つてゐて奪はれると、持ちすぎとか何とか責められるので、見境なく放す。本人は一應パスのつもりかもしれぬが、客觀的には放したとしか言へぬ。パスとは、ある程度以上通る見込みがあつて出すものであり、近くに敵がゐるのに出してはパスとは言へぬ。

 なぜさうなるのか。根本的にボールを持てないのである。相手が取りに來たら、ちよつと躱してからパスするなり何なりすればよいのであるが、その力がない。
 何故さうなのか。サッカーをパスする競技と勘違いしてゐる。サッカーは、ボールを持つたら、一歩でも前に進まうとする競技である。勿論、相手が邪魔するから、奪はれない樣に保持しながら、パスもする。大事なのは、前に進まうといふ姿勢を示すことである。さうすれば相手が邪魔しにくるから、守備體制が亂れて、パスも通る。日本の樣にパスに決つてゐると、守備陣形が亂れないからパスも通らない。

 日本選手はパスがサッカーと思ひ、パスしかしないから、ドリブルはおろか、ボールを保持することも出來ない。それを知つてゐるチームは、積極的に取りに來る。さうすると、日本選手はすぐにボールを放すので簡単に奪へる。この弱點を知らないチームとの對戰ならいいのであるが。

 ボールを持つたらドリブルして前に進むのがサッカーである。ドリブルが出來ないのは、下手だからではなく、やらないからである。長友は、イタリアに行つてからやり始めたら出來る樣になつたとか言つてゐたが、キックが出來てドリブルが出來ないはずはない。ドリブルが出來ないから、ボールを保持することすら出來ない。
 サッカーの思想を變へるべきである。

投手の肘の故障 (H26.8.27)


 大リーグで投手の肘の故障が多いと新聞にあつた。原因を色々と推測してゐたが、肝腎の投げ方についてはあまり眼中にない樣である。
 ヤンキースの田中投手にしても、元々、投げ方がいいとは云へない。球もそこそこ速いが、素質がいいだけで、もつと出る筈である。制球力もそこそこあるのは、修練の賜物であらうが、微妙な制球はない樣である。すべて、投げ方が良くないからである。腕の力で投げるてゐるので、速度も精度も低くなる。

 體のひねりを戻す時の囘轉速度を生かした投げ方であれば、腕はただ先走りして出て行かない樣に支へてゐて、時期が來たらそれを緩めて投げるだけなので、投げる時に腕の力を使ふことはない。
 その形が出來てゐないと、體のひねりの速度が十分生かせず、最後に腕で投げることになつて、腕に無理が掛る。これが肘を痛める原因である。この投げ方を改めぬかぎり、肘はいづれ痛む。

田中投手 その二 (H26.9.23)

 田中投手は肘を痛めてしばらく休んでゐたが、最近復歸したとのことで、テレビのニュースで見た。腕の使ひ方が少し柔らかくなつてゐる樣である。肘がやや上がり、腕の振りが小さくなつて體の近くを通つてゐる。痛めたことから、肱に負擔をかけないで投げられる樣にと工夫した結果であらうか。しかし、腰の捻りを活かすところまではいつてゐない。そもそもさういふ考へがないのだらうか。

背面跳の秘密、および走高跳に助走はいらないか (H27.9.7)


結論
1. 背面跳びは、他の跳び方より重心が低い状態でバーを越えられるので有利である。
2. 走高跳と走幅跳では、踏切で斜め前に着地した際の反力で助走の水平速度を斜め上に曲げて上への速度を得てゐる。さらに、脚の跳躍力も使つてゐる。


 背面跳は、Fosbury flopと呼ばれてゐるさうであるが、アメリカのRichard Douglas Fosbury (1947.5.6~)が始めた。フォスベリーは1968年のメキシコ五輪で優勝してゐる。
 いつだつたか、テレビでフォスベリーの特集番組をやつてゐたが、そのとき、なぜ背面跳が有利なのかの説明があった。今までの樣に脚のバネで跳ぶのでなく、脚を棒の樣にまつすぐにして地面にぶつけ、その反撥で跳び上がるのだといふことであつた。
 しかし、上に跳ぶには、脚を上から地面にぶつける必要がある筈である。實際には、斜め前に脚を出してゐるので、斜め後ろに反作用を受けることになる。これでは斜め後ろに跳ぶことになつて、上には跳べない。

 インターネットで重心による説明を見た(http://www7b.biglobe.ne.jp/oldman-galil_library/page003-2k.html)。これが當つてゐるのではないか。
 背面跳びでは、バーを越えるとき體が反つてゐるといふ。さう云はれればそんな氣がする。分解寫眞を探して見ると、確かに反つてゐる。つまり、腰がバーを越えるとき、頭や脚がバーより低い位置にある。このため、體の重心が腰の位置より低い位置にある。つまり、重心をそれほど上げなくても腰がバーを越えられるといふことである。
 ベリーロールだと、バーを越えるとき、體はほぼ水平なので、重心は腰の中心あたり、即ち體内にある。背面跳だと、重心が腰の背中側表面あたりか、あるいはもつと下にある状態でバーを越えられる。體の厚みの半部かもう少しくらゐ得だといふ譯である。
 探したら重心のことを考へてゐる人は他にもゐた(http://www.scientificamerican.com/article/olympic-high-jump-physics/)。何故か、ベリーロールの方がより體がより折れ曲つて有利だといふ圖を載せてゐる人もゐた(http://rikujo.taiiku.tsukuba.ac.jp/column/2013/10.html)。

 先のページでは、更に、走高跳の助走について考察してゐる。
 先づ、ロゲルギストの助走が必要だといふ説を否定してゐる。ロゲルギストは、助走の水平速度が地面に仮想される「壁」で反射して垂直の速度になるとしてゐるさうである。これに對して以下の樣に反論してゐる。
  (1)踏切りで水平速度を上向きに変換するために突っ張る動作はしてゐない。
   最後はつま先で地面を下向きに蹴って体を上向きに加速してゐる。
  (2)助走速度程度の運動エネルギーでは、體を1m以上も持ち上げることは出來ない。
   (例へば、1.4m跳ぶためには、反発係数を0.6とすると、8.8 m/sの速度が必要である)
  (3)ある人は三歩助走しただけで1.2m近く跳んだ。つまり助走は殆ど必要ない。
 そして、人間はなぜ片脚で蹴るほうが高く跳べるのか、カール・ルイスは、走幅跳で、なぜ両脚揃えて踏み切らないのかと自問してゐる。雀などは両足揃えて跳ぶが、着地の際に體重を受け止めて、姿勢を立て直し、再び體重を押上げる動作がとても苛酷な作業になる。これに對し、駝鳥は片足ずつ交互に地面を蹴って走る。このことから、二本脚の動物は、その動作の滑らかさを二本脚を交互に使うことによって實現し、體や筋肉の構造も、片脚だけの方が力が出やすい樣に變つたのではないかと推論してゐる。
 兩脚交互走行で走りは滑らかになるかもしれぬが、それが上に跳ぶことに如何に役立つのかよく分らない。「片脚だけの方が力が出やすい樣に變つた」とあるが、動きは滑らかになっても、力はやはり片脚分しかないのではないか。尚、三歩助走しただけで片足で1.2m近く跳べたとあるのは、勘違ひで、本當はたかだか0.9m程度と思われる。

 走幅跳カール・ルイスに關しては、全速で走つて來て兩脚踏切は難しさうである。走幅跳では、片足踏切といふ規則はない樣なので、兩脚踏切でもいいのであるが。
 走高跳については、規則で片足で跳ぶと決められてゐる樣である。兩脚で跳べば、うまくやればもつと跳べるのではないか。
 ただ、片足踏切で、助走なしの垂直跳と同程度あるいはそれ以上跳べてゐる。これは何故かといふ問題である。
 助走速度のエネルギーは、ロゲルギストの理窟はともかく、一部は跳躍に利用できる筈である。踏切る時、足の着地は踵からになつてゐると思はれるが、その時の運動エネルギーを、どういふ風にしてかは分からぬが、うまく上昇に使つてゐるのではないか。その後、膝が少し曲り、それを伸ばして爪先で地面を蹴つて跳び上がるのであるが。
 着地の時の反力をうまく制御しないと、例へば、斜め後ろに飛ばされてしまふことになる。さうなつてゐないと云ふことは、反力をうまく使つてゐることになるのではないか。

 尚、前記(3)については、跳上がつて3mの高さのボールを蹴つたことから跳んだ高さを計算しているが、元になつた映像「いやはや、鳥人だ」を見てみたら、足が頭より30cmは上がつてゐた。脚が長いのと、足先を伸ばしても稼いでゐる。1.2mといふのは足が頭位まで上がる前提で計算してゐるので、本當はたかだか0.9m程度なのではないか。
 兩脚の垂直跳だと、最高1.2m位跳ぶ人はゐる樣であるが、片脚ではそうはいくまい。實際に垂直跳を試みてみたが、やはり片脚では兩脚の半分程度しか跳べなかつた。片脚では1.2mの半分の0.6m位跳べるとすると、「いやはや、鳥人だ」は助走により0.3m程度増えたことになる。三歩の助走でもそれなりの効果はあつたが、走高跳の場合ほどにはなかつたといふことか。三歩で得られた速度相應の効果なのであらう。
 走高跳では、もう少し助走速度が大きいので、1.2m、あるいはそれ以上跳べるのであると思はれる(重心の位置を上げられる)。従って、助走速度をもつと上げればより高く跳べることになる。しかし、さうすると踏切でうまく上に跳ぶことが難しくなる。踏切がうまく出來るぎりぎりの速度で選手は助走してゐるのであらう。助走速度を上げ、かつ、踏切がもつとうまくなれば、より高く跳べることになる。

 インターネットに出てゐる動画で調べたところ、間違ひなく踏切では足を重心より前に出して着地してゐる。これは背面跳でもベリーロールでも同じであつた。普通に走る時は、着地は重心の下邊りであり、それにより着地の際に後ろ向きの反力を受けない樣にしてゐる。走高跳の踏切の樣に足を前に出すと、當然地面から反撥を受ける。これを利用して、詳しいからくりは分らぬが、ロゲルギストがいふ樣に、上への速度を得てゐるのではないか。
 着地の後、膝が軽く曲り、それを伸ばす力で地面を蹴つて跳上がつてゐる。膝の曲りは大きくはなく、角度にしてせいぜい135度位の樣であるので、脚の力を完全に利用できてはゐないのかもしれない。といふのは、垂直跳では、膝をある程度曲げなければ十分に跳べないからである。
 結局、助走の速度の運動エネルギーと踏切脚の跳躍力の兩方を使つて跳んでゐるのではなからうか。人により、兩者の寄與率は異なるかもしれぬが。

 氣になつたので、走幅跳も調べてみたら、走高跳程ではないが、踏切では重心よりやや前で着地してゐる。踏切のとき、走高跳ほどではないが、少し沈み込み、膝から下を少し振り出してそれを實現してゐる。
 走幅跳も、遠くへ跳ぶためには、少し上に跳ばないといけない。そのためには、地面からの反力が必要なのである。それを如何にして利用してゐるのかは分らないが。
 尚、初速度が同じなら、地面に對して45度位に跳だすのがいいのであらうが、實際には20度前後になつてゐる樣である。もつと上に跳べれば記録が伸びる可能性はある。しかし、さうすると、助走の速度がより減衰して跳だしの初速度が落ちるので、或いは、最適値が今の20度位なのかもしれぬ。
 ロゲルギスト風にいふと、走高跳では地面に對して35度の角度の壁を想定すればその壁での反射で地面に對して70度に跳べ、走高跳のでは、地面に對して10度の角度の壁を想定すればその壁での反射で地面に對して20度に跳べることになるが、壁などどこにもない。何か別のからくりがある筈である。尚、走高跳はバーの手前から斜め前に跳ぶので、90度ではなく、例へば70度とか位ではないかと思われる。

 これについて、あるホームページに説明があった(http://www.treeman9621.com/SportAnalysis/HJ-Tech/KAI_Sport_How_toHighJump_withScarecrowDrag.html)。その骨子を自分なりの表現で書くと以下の樣になる。踏切で、膝を伸ばして重心より前に着地すると、地面から後ろ向きの反力を受ける。足は止つたまま重心は前に移動していくが、その間反力を受け続けるので、後ろ上向きの速度を生じる。この速度ベクトルと元々の水平速度ベクトルを合成すると、斜め上向きの速度になる。かうして、大きさは少し小さくなるが、水平速度が斜め上の速度になる。尚、着地して跳び上がるまでの間、じつと反力を受けてゐることが大事で、じたばたすると、うまく鉛直方向の速度を得られないといふ。
 この論理はもつともらしい。ただ、地面からの反力が水平速度にどの程度影響を與へ得るのかが問題である。ある資料に、走幅跳の踏切での反力の例が示してあった(www.kri.sfc.keio.ac.jp/report/gakujutsu/2008/3-8/SB_07.pdf)。その圖を見ると、着地直後の反力は約4kNで0.02秒位續いてゐた。この反力の力積による速度は、體重を80kgとすると、1m/sになり、水平速度に對して、小さいが無視できない程度ではある。走幅跳であり、跳びだす角度は地面に對して20度程度であるので、この程度なのかもしれない。
 尚、その後、2kNちよつとの反力が約0.1秒續いてゐるが、これは上に跳ぶための蹴りとみなして、この計算からは除いた。ちなみに、この力による上向きの速度は約2.5m/sになり、この初速度で跳上がる高さは約0.3mである。また、必要な速度は跳上がる高さの平方根に比例し、1.5m、1m、0.5m跳上がるための初速度は、それぞれ、5.4m/s、4.4m/s、3.1m/sである。

 結論として、走高跳では(また、走幅跳でも)、
  (1)踏切で斜め前に着地して、地面からの斜め後への反力で助走の水平速度を斜め上に曲げ
  (2)さらに、脚の跳躍力も使ふ
ことにより上に跳んでゐると考へられる。

フェデラー自滅 (H27.9.14)


 テニス全米オープン男子決勝を見る。フェデラーよかつたが、再三のブレーク機会に、自滅して負ける。好機になると引きが大きくなり、力が入つてミスしてゐた。相手がジョコビッチなので速い球を打たねばと思つたのか。
 好機以外は軽く振り拔いてゐてよかつたのであるが。格下の相手の時は、時折、遊んだやうな打ち方で軽く決めたりしてゐるのを見るが、その樣な遊びが今日は見られなかつた。

ラグビーはタックルと耐久力 (H27.10.12)


 ラグビーはタックルと耐久力である。ジョーンズ監督も、そこを鍛へたと言つてゐたと思ふ。ワールドカップで日本が三勝を擧げたが、何が變つたかといふと、低いタックルが出來始めたのと、最後まで續くようになつたことである。

 ずつと前は、勝てないまでもそこそこの試合はしてゐたのであるが、途中からさつぱり試合にならなくなった。まともにタックルをしない選手を、攻撃がうまいからといつて、代表に選んでゐたからである。
 また、今日は蒸暑いから日本に有利だと言つてゐても、必ず、日本の方が先にばててやられてゐた。社會人になると、きつい練習をしてゐないから當然である。試合も、キックの應酬でのんびりやつてゐた。
 これを改めたのがジョーンズ監督である。

桐生祥秀選手の走り (H28.6.19)


 桐生選手の走りを見ると、胸を十分張つてない樣に見える。また、腿が上がりすぎてゐる。さらにいへば、今ひとつ、心地よいリズムが感じられない。

 腿がよく上がるのは、腰が入つてゐないからである。腰の入りが不十分だと、腿はよく上がり、やや前傾気味になつて胸を張れなくなる。地面を蹴る角度が大きいので、その分上に跳ぶことになり、歩幅が広がらない。
 腰が入れば、胸が張り、腿はあまり上らなくなる。しかしより水平に近く跳べるので、歩幅が広がり、速く走れる。マイケル・ジョンソンの走りである。
 心地よいリズムが感じられないのも、腰が入らず腿が上がりすぎるためであらう。

 胸を張り、腰を前に出す樣にちよつと心がければ、簡單によくなると思ふが。

投げるとき、足を大きく踏み出す投手 (H28.7.29)


 「投げ込むとき、本壘方向へ左足を大きく踏み出す。マウンドの傾斜と沿ふやうに、広がる兩足。右足のひざに、べつとりとついた土が力投の証しだ」朝日新聞、H28.7.29、西武・多和田真三郎(たわた しんさぶろう)選手についての記事。

 「ひざに、べつとりとついた土が力投の証し」とあるが、確かに力投ではあらう。足を前に大きく出すために、力を餘分に使つてゐる。しかし、その結果、最高に速い球が投げられてゐるのか。
 足を踏み出して股を広げると、腰を素早く囘せなくなり、その結果、球の速さは落ちるのである。

 速い球を投げるには、腰を捻つておいて、その捻りを素早く戻して角運動量を稼ぐ必要がある。そのとき、腕は一緒に囘らない樣に止めておいて、腰が囘つてからふりほどくことにより、腕が速く動く。腕を振るのではなく、止めておいたのを解き放つことにより、腕が惰性で出て行くのである。腕を肩の力などで振つても大した速度は得られない。腰の捻りで得た大きな運動量を腕に与へるから速く動くのである。
 腕や肩に力が入つてゐる樣では駄目である。いい投げ方は、腕や肩力から力が拔けてゐて、腕が勝手に出て行つた樣な感じになる。

 そのためには、腰を素早く切れるやうに、足の踏み出しは控へ目にすることが必要である。

日本のマラソンはなぜ弱くなつたか (H29.1.22)


 新聞の書評欄に日本のマラソンはなぜ弱くなつたか解説した本が取上げられてゐた。
 色々書いてある樣だが、詰る所、フォームが悪いからである。瀬古選手などはそこそこよかつた。それに比べると、最近はまともな人がなかなかゐない。
 昔も、をかしな走り方の人も澤山ゐた。それてでも通用したのは、抜群の粘りがあつたからであるが、それ以上に、スピードが遲かつたことが効いてゐる。今の樣に高速になつては、もう少しまともな走り方でないとついていけない。

 日本選手がフォームが悪いのはコーチのせゐである。走るのなんて自分が走りやすい様に走るしかないのであるが、コーチが、ある型にはめなければならぬと、懸命に注意する。その結果、體の動きががたがたになつてしまふ。特に、前傾敎とでもいふべき傳統があつて、前傾を尊ぶ。さうすると、足が流れつんのめる樣になり、速度は落ちるし、疲れる。軽快なリズムがなくなり、一歩一歩努力して走らねばならなくなる。

 最近はコーチが増えて、子供の頃からやかましく指導される。子供が集まつて勝手てに遊んでゐた時代は、うまい人の眞似をして自然に覺えたのであるが、最近はフォームを言葉で敎へたがる大人がついてゐる。教へられないものを教へられ、頭を使って體を動かさうとするから、をかしな形になつてしまふ。コーチすべて追放すべきである。どうしてもやりたいなら、口は出さずただ一緒に遊ぶだけにすべきである。

錦織敗退の原因はサーブのフォーム (H29.1.23)

  一月二十ニ日、錦織は全豪オープンテニス四囘戰でフェデラーにニ対三で負けた。途中、三セット位からか、動きが少し惡くなつた。サーブの速度も落ちたりした。腰や脇腹が痛かつた樣である。それでも、絶好調のフェデラーを相手に、五セットまで粘つたのは素晴らしい。
  時々こんなことがある樣であるが、サーブで傷めたたのではなからうか。錦織のサーブはスナップが利いてゐる樣に見えない。サーブを打つ時、腰が完全に回り切つてをらず、腕で無理矢理打つてゐる感じがある。それでどうかすると體を傷めるのかもしれない。
  鍛え方の問題ではなく、打ち方の問題である。もつと柔らかく、スナップが利いた樣に見える打ち方にしないと、いつまでもこんなことが起るのではないか。打つ前に上體を捻つて作つたためを一氣にほどいて、腕の力を使はずに打つのが肝腎である。さうすればスナップが利いた樣に見える。本當は腰の回転で打つてゐるのであるが

錦織はなぜ負けたか (H29.6.8)


 錦織は、昨日、全佛テニス準々決勝でマレーに負けた。最後は疲れてゐた樣だった。それに對して相手は「タフ」で、解説者は技術的には負けてないがタフさの差だと言つてゐた。
 確かに疲れも敗因であらう。しかしなぜ疲れるのかを考へねばならない。

 錦織は決めようとすると力んでテークバックが少し大きくなることが多い。その結果、手打ちになり、スピードも落ちるし、正確さも落ちる。また、肩が先に開いてから打つことになるので、コースも讀まれやすい。腕を振囘すために餘計な力を使ひ、疲れるし、筋肉を痛めたりもする。いいことは何もない。

 錦織はあまり余裕がないときは、大振り出來ないのでいいフォームになり、いい球を打つてゐる。チャンスの時も、いつもと同じ樣に、脇を締めてインサイドアウトに、コンパクトに、振りきればいいのである。
 マレーはそれがほぼ出來てゐるので、疲れにくく、ミスも少ない。違ひはフォームにある。

 錦織はドロップショットは振り抜いてゐるから安定してゐるし、普通のショットは普段はいいから、常にそれを續ける樣にすればいいだけであるが、サーブは改良が必要である。打つ前の體の捻りが足りないので、打つときに脇が甘くなつて手打ちの傾向が出てゐる。そのためスナップが十分利いてゐない感じの打ち方になつてをり、打球に切れ味が足りない。腰の囘轉を活かして振り切れば、スナップが利いたやうに見え、球に鋭さが出る。

 すべて、腕で打つのではなく、捻つておいた腰の囘轉で打つのが基本である。腰を囘せば腕も囘りさうになるが、ぎりぎりまでこらへてゐて、最後に緩めれば慣性で前に出て行くだけである。バケツの水を遠くに飛ばさうとするとき、腕の力ではとても無理だから、誰でも自づと腰を使つてゐる、それと同じである。
 初めは腕を體につけて半徑を小さくして腰を囘す速度を稼いで、そのあと腕を體から離し半徑を大きくして線速度を大きくする。その時、腕の先端は眞つ直ぐ出て行くので、方向も定まる。テニスの場合、ラケットに球が当たる位置が多少狂つても方向のぶれが少ない。手打ちになると、腕の先端が圓弧を描くので、方向もぶれやすい。
 腕の力など全く使はない。ただ、腰の囘轉と一緒に出て行かない樣にこらへる力が少しいるだけである。

 勘違ひしてゐる人がよくゐるが、ものを飛ばすのに力は関係ない。継続して力を作用させて加速度を与へ續ければ速度が上がるが、それは車の加速とかロケット打上げなどの場合である。球を投げたり打つたりする場合は、一瞬のうちに腕の先端を速く動かしてその速度を球に與へなければならない。そのためには、力ではなく、「バケツの水投げ」の樣に自然な動きで速度を稼ぐことが必要である。
 もちろん、腰を速く回転させるための足腰の筋力がある程度は必要である。また、砲丸投げなどではもの自體が重いので、それを自在に扱へる筋力が必要である。しかし、テニスではラケットを扱へる力があれば十分である。

球から目を離すな (H29.6.16)


 ナダルが全佛テニスで勝つた(6月11日)。會心の勝利ではないか。

 決勝をテレビで見たが、3セットで相手ワウリンカのバックのクロスをストレートに返球してエースになつたら、解説者が打ち方が神技たみいな樣なことを言つてゐたが、何がどうだと言ふのであらうか。ただ集中して打つただけである。スローモーションが出たが、打つた後も一瞬顏がそのままコートの外を向いて殘つてゐた。それだけボールをよく見て打つてゐたのである。この集中力が素晴らしい。

 ボールに集中していると、相手の動きも何となく視野の隅に感じられ、自然にボールが相手のゐないところに飛んで行く。それだけである。何も考へる必要はない。考へてはいけない。體に任せておけばよい。勿論、練習でよい打ち方を體に覺えさせておく必要があるが。
 體に近いところからインサイドアウトに軽く振り抜いてゐるので、球は氣持よく飛んでいく。決してラケットを大きく引いて大振りしてはゐない。そんなことをすれば、手打になってスピードも出ないし、方向も定まらない。

 一方のワウリンカは、しばしば顏が一瞬先に前を向いてゐた。打つ前の肩の入れ方もどうかすると足りず、打つときにはしばじば力みが感じられた。これではミスが多い筈である。