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目次

大學に行く理由 (H19.5.20)


 知合が大學の工學部の敎授をしてゐるが、その教へ子の一人が鐵道の運轉士になつたといふことがあつた。地元で勤められるのでいいのだといふ。運轉士になるのなら、高い授業料を拂つて大學に行く必要があつたのかと思つてしまふ。
 そこそこ成績が良かつたので何となく大學に進んだのだらうが、就職口はやはり大都市が多く、その地方には企業が少いので、兎に角家から通へる所といふことで、以前から興味のあつた運轉士を選んだといふ。
 囘り道とか、無駄とかいふつもりはないが、親にしてみたら、餘分な金を使はされたといふ氣がしないであらうか。

 高校にしろ大学にしろ、單なる若者塾でしかない。その割には費用が高い。勿論、眞面目に勉強してゐるものもゐる。しかし、その場合でも、卒業出來るやうにと勉強しているだけで、学問を純粹にやらうとしてゐるものは少いのではないか。

大學は詐僞? (H19.5.25)


 大學に行つても、有名大学でなければ、それで仕事に就ける譯でもない。有名校でも、大學敎育のお陰で就職できるのではない。素地がいいのではないかといふことで採つてくれるだけである。
 ダブルスクールといつて、就職のために、大學に加へて專門學校に通ふことが流行つたりしてゐる。

 かといつて、学問を敎へてくれるわけでもない。そもそも、外國の学問を、さんざん誤譯しながら飜譯して傳へてゐるだけである。自ら切開いた道ではないから、全然身に付いてはゐない。ただ知識として知つてゐるだけである。試験問題が解けるといふだけのことで、学問などやつてゐない。

 今は、國立大学でも卒業までの費用は200萬圓を越えるさうである。放送大學は70萬圓で濟むとの話である。であれば、放送大學で資格は取つて、勉強は專門學校でする方が利口か。どうしても大學卒の名前が欲しければの話であるが。

英語教師に喋らせるな (H20.12.24)


 もつと英語を喋れる樣にしたいと、英語の授業を英語でさせるなどといふニュースが流れてゐた。

 しかし、日本人の先生に喋らせてはいけない。今更少々稽古したところで、發音の改善は覺束ない。根本的に英語の發音が出來てゐないのであるから。

 それよりも、先生は一切發音は止めて、ネイティブの發音を聞かせることである。そのための道具はいくらでもある。昔のテープレコーダーなどだと、卷き戻したり面倒であつたが、今なら、パソコンを使ふなどしてもつと便利なものが出來る筈である。

 日本人が英語を喋れないのは、先づ聞取れないからである。聞取れないのは、中學で日本人の先生の讀む英語を聞かされて憶えたためである。日本人の發音の英語が頭に入つてゐるから、ネイティブの發音を聞くと、全く別物であるからして分る筈がないのである。
 これを何とかしないと永久に日本人の英語は駄目である。

【日本語と英語の違ひ】
 英語は母音が十種類以上ある。支那語もそれに近い。それに對して日本語は五つしかない。よつぽど訓練しないと、これを聞分け、発音し分けるのは困難である。日本人の先生が今更稽古してももう遲い。

 日本語は子音と母音が對になつて音節を作る。英語では子音がいくつも續くことが珍しくない。例へば、鉛筆を意味する pencil の発音は pénsl であり、一音節である。假名で書くと「ペンシル」となり四音節になるが。
 この爲、ネイティブのしやべるのを聞くと、えらく早口に思へてしまふ。しかし、それは、日本人の先生の発音を聞いて、「假名」式音韻が頭に入つてゐるからである。