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目次

バレーボールを見る


 テレビで女子バレーを見た。そこそこいい戰ひはしてゐるが、勝てない。

 いろいろあるだらうが、スパイクの決定率がやはり少し低いやうな氣がする。日本選手のスパイクはスピードが少し遲いので、相手に拾はれる率が少しだけ高い樣に見える。

 なぜスパイクが遲いか。體力とかも全くないとは言はないが、根本的にはそんな問題ではない。フォームの問題である。
 日本選手は大振りしてゐる。テークバックが大きく、いはゆる「アウトサイド・イン」になってゐて、つまり、手打ちである。
 外国選手はテークバックが小さく、インサイド・アウトになっており、腰が入っている。見た感じ、スナップが利いてゐる。

 バレーだけでなく、野球でもなんでも同じで、日本人はとかくテークバックを大きく取りたがる。コーチがさう敎へるのだらうが、愚の骨頂である。これに氣附かないと進歩はない。

H17.11.20

ゴールに向かふ選手にしかパスしない


 サッカー全日本の岡田元監督のドイツ留學談が新聞に載ってゐた(朝日、H18.6.23、朝刊)。曰く、戰術や理窟は日本の方が進んでゐた。ドイツでは「ゴールに向つて走る選手にしかパスを出さない」

[サツカーの本質]
 パスをせず、ドリブルで持つて行くといふのはサツカーの基本である。自分より有利な位置にゐる選手がゐてしかも通りさうならパスしてもよいが、やみくもにパスしてはいけない。
 ドイツに一年もゐながら、そしてそのプレー振りに氣づきながら、結局何も理解出來ないで、井の中の蛙のままとは情けない。

 サツカーの本質は、ボールを持つたらドリブルして一歩でも前に出ようとすることにある。日本人はこれが分つてゐない。サツカーはパスをするゲームだと思つてゐる。甚だしいのは、ゴール前でもシユートせずパスする。
 パスすることは、ボールの支配權を一旦手放すことである。通せるのならいいが、危なければ少くともボールを放さず持つて我慢すべきで、當てもなくパスしてはいけない。

[ドリブルによる搖さぶり]
 ボールを持つてもドリブルせずパスしかしない選手は、守備側から見たら樂な相手である。全日本は大部分がさうだ。僅かにサントスだけがドリブルで突破を試みる。下手でも相手は怖い。まかりまちがへば即失點につながる。
 ドリブルで進まうとすれば、守備側は止めに行かざるを得ない。その結果守備體制に隙が出來、パスを通す餘地も生じる。ドリブルしようとしなければ、守備側は動かないから、隙も生じない。
 日本は決定力がないと言はれるが、日本のシユートは、大抵、針の穴を通すやうなパスを送つて、これまた針の穴を通すやうにゴールを狙ふ場合が多い。そんなゴールがいつも決るやうならブラジルより上手だらう。

 相手を搖さぶつて、大きな隙間をつくつておいてのシユートなら、確率は高くなる。しかし日本は搖さぶりがない。パスで搖さぶつてゐるつもりなのだらうが、ドリブルで守備陣を惹きつけておいてからのパスだから相手が搖さぶられるのである。ドリブルして來ないと分つてゐれば、パスにだけ備へてゐればいいので、有效な搖さぶりにならないのである。

[サツカーの基本技術はリフティングとドリブル]
 ドリブルを練習しないから、日本選手は球捌きが下手である。足にボールが吸付いてない。トラツプミスも多い。要するに基本技術が身についてゐない。
 パスは簡單に出來る。難しいのは、飛んでくるボールを受けて我がものとすることである。ボールを足に吸付かせて、相手が來ても奪はせず、確保して、一歩でも前に出ること、これがサツカーの基本である。

 クラマーコーチが昔全日本を指導したとき、まず、リフティングとインサイドキツクを教へたといふ話をテレビで見たことがある。それくらゐのところから始めなければだめだつたと過去形で語られたが、今でもそれに近いのではないか。
 ロナウジーニョなど、家で常にリフティングとか、球捌きの練習をしてゐるといふのをテレビで見たが、それがまともで、日本選手で誰がリフティングを眞面目に練習してゐるだらうか。

 クラマーコーチの話に戻ると、リフティングはいいが、もう一つはキツクでなく、ドリブルをやるべきなのではないか。ドリブルして相手を拔くこと、或は拔けなければ球を確保して我慢すること、さういふ個人プレーの練習が大事だと思ふ。
 これは、自分で球を持つ重壓に耐へるといふことで、精神的な鍛錬にもなる。少くとも、子供のうちはなまじつかなチームプレーなどいらない。一人で耐へる訓練が大事ではないか。

[精神力?]
 全日本の試合を見てゐると、日本が球を持つた時は、取られはしないかと不安になる。逆に、相手が持つた時はいかにも安定してゐる。この違ひはどこから來るのかと考へたら、結局、ひとりひとりが球を確保してなにか仕事をしようといふ氣迫がなく、ただミスしないうちにつなぐことしか考へてゐないのではないかといふことに思ひ至つた
 全日本は、パスが通らないだけでなく、時折、ただ放してゐるやうにしか見えないことがある。相手に邪魔された時に、ボールを確保する自信がないので、パスではなく放してゐるのではないか。さうすればボールを取られたと言はれないと思ふのか。或は「持ちすぎ」と非難されないと思ふのか。責任をもつて球を處理しようといふ氣概が感じられない。
 パスだけでサツカーが出來ると勘違ひし、ドリブル練習をしないので、球を持続ける勇気が身につかないのではないか。
 また、ドリブルを防ぐ練習も當然しないので、守備も甘い。ちよつと嚴しく當つてくる相手には手も足も出ず、いいように球をコントロールされてしまふ。

H18.6.24

ボールを見續けろ (H18.11.25)

 少し前になるが、新聞に、卓球選手がどれだけボールを見てゐるかを調べたといふ話が載つてゐた。その結果は、一流選手だと意外に途中から相手の方を見てゐるといふものであつた。相手の動きを見て次に備へないと勝てないのだとか、利いた風な解説がつけられてゐた。
 目を離すやうだから、国際試合に勝てないのではないか。
 相手の動きを察知するといふが、ボールに集中して見續けていれば、視野の隅に相手の動きも見えるのである。

野村選手とマイクロソフト (H19.2.2)


 昔、南海ホークスといふプロ野球チームに野村といふ選手がゐた。三冠王をとつたこともあるが、長嶋選手ほど人気がなかつたので、自分のことを月見草などといつてかつこをつけてゐた。しかし、そもそも實力が少し低かつたのではないか。その證據に、オールスターでは打てなかつた。つまり、いいピッチャーが投げると打てないといふことか。あるいは、ピッチャーの癖をよく研究してゐたらしいが、さういふ情報のない相手だと打てないのか。

 それはともかく、「ささやき戦術」で惡名が高いやうだ。これは、キャッチャーの野村が相手のバッターの氣になる樣なことをボソボソと呟いて攪亂しようとしたことをいふらしいが、こんな姑息なやり方はよくない。なぜよくないかといふと、相手の力を削いで勝たうといふやり方では自分の力を伸すことが出來ないからだ。自分の力を最大限発揮しようとするのがスポーツである。相手が力を出してこそ、こちらもそれに對抗しようとして一層の力が出る。相手が弱ければこちらの力もとことん絞り出せない。さういふ風に、最高の力を出さうとするのがいいので、これはプロもアマも一緒である。

 「アマチュアは栄光を求め、プロは生活のためにプレーする」と野村は言つたさうだが、「生活のために」といふのは明らかに間違つてゐる。勿論、人間、飯を食はねばならぬ。だから仕事をして金を稼ぐ。しかし、仕事は金のためにやつているのか。サラリーマンでもさういふ人は少いのではないか。
 では何のために働くのか。恐らく、人間は、ただ働きたいのである。「本能」といふ便利な言葉があるが、その一種なのだらう。社會を少しでもよくしたいといふ氣持は誰にでもある。或は、社會の中である位置を占めたいといふ氣持も男は皆持つてゐる。さうならないと安心出來ない。これが人間が仕事をする心理ではないか。

 「生活のために」といふともつともらしいが、それは頭で考へて言つてゐることで、本當は好きだから野球をやつてゐるのではないか。そして、野球をやるときには生活もヘチマもなく、ただ野球に集中するのみであらう。
 生活のためなら、野球が駄目になつても、他の仕事をすればいいのである。といふと、當時は今の樣にブラブラしてゐてもなんとか食へる樣な時代ではなかつたと言ふかもしれぬ。しかし、時代が變つてもその邊は大して變はらないのではないか。むしろ段々嚴しくなつてゐるのではないか。根本的にいつて、本當に食へなければ飢ゑ死にすればいいのである。その覺悟で生きていくしかない。

 ところで、姑息といふことで思ひ出すのは、マイクロソフトである。この會社は、技術を磨くよりも競爭相手をけ落すのに一生懸命だつた樣だ。そのせゐか、技術は低い樣に感じる。ウィンドウズやオフィスのいつまでたつてもバグの直らぬのを見ると。

 競爭といふのは、切磋琢磨してより力を出すためにある。勝つことが目的ではない。負けても自分なりに力を發揮出來ればよい。それを糧に次に勝てばよい。姑息な手段で勝ちを得ても、何の価値もない。また、その時だけの話で、次につながらぬ。

オシム監督のお嬢様サッカー (H19.8.11)


 オシム監督はエレガントなサッカーをめざすといふ。エレガントといふのはどうも相手と接觸せずにパスを囘すだけで攻撃しようといふことの樣である。ワンタッチのパスを強調してゐる。
 しかしそんなお孃樣サッカーで試合になるのか。アジアカップなど、優勢だつたなどと自認してゐるが、相手から遠く離れてゐれば、パスはいくらでも囘せようが、それは何の危險もないから相手が放ってゐるだけで、全然攻めにはなつてゐないのである。

 確かにブラジルなどは速いパス囘しであつといふ間にゴールしてしまつたりする。しかし、それは、ドリブルで守備陣を突破する可能性を持つてゐるからこそ出來るのである。ドリブルで拔いて來られたらと、相手が警戒してボールを持つた選手の方に引きつけられるからパスも通る。
 日本選手の樣にパスしかしないと分れば、守り方も變つて來る。ボールを持つてゐる選手に對してディフェンスに行く必要はない。パスにだけ備へてゐればよい。これならパスをインタセプトするのも簡單である。

 日本選手の場合、パスするといふより、ボールをキープする自信がないので、早めに放してゐるといふ方が當つてゐる。早く放すだけで、速いパスでは決してない。
 實際、體當たりでボールを取りに來られると、なすすべもなく取られてしまふことが多い。試合も後半になつて相手が日本選手の實力を見極めてそんな戰法を取つて來るともうお手上げである。

 日本のサッカーは、先ず、ボールを持つたら確實にキープすること、そして、すきがあつたらドリブルして一歩でも前に進むことを心掛け、練習する必要がある。これがサッカーの基本である。パスをすることは、エレガントであるかもしれぬが、あくまで應用であり、基本ではない。一人でボールをキープできなければ、サッカーにならない。その力があつて、敵を自分に引きつけてこそ、活きたパスも出來る。

前傾病 (H19.9.16)


 走るとき上體を前傾しろとよく言ふ。なんの根據もないのに、前傾しないと走れないと信じ込んでゐる。前傾病といふ。
 中學生の頃、陸上競技の專門書に外國人短距離走者の分解寫眞が載つてゐたが、上體は完全に立つてゐた。著者は、本來はもつと前傾してゐる筈であるが云々と言ひ譯してゐた。「風のため」だつたか、「200メートルの後半なので疲れてゐるためか」だつたか。

 本當は、上體が立つてゐないとスピードに乘れないのである。スタートの後の加速してゐる時は別であるが、加速が終つたら、上體を立ててスピードに乘つて效率よく走る必要がある。
 足で地面を蹴るときの角度が問題なのである。速く走るためには、上に跳んでも仕方がないので、出來るだけ水平に蹴らないといけない。そのために、この角度を出來るだけ小さくする必要がある。そのためには、いはゆる「腰の入つた」走りが必要であり、さうすると上體は必然的に立つのである。すなはち、腰が前に出て足から上體までが弓なりに反つた状態で蹴り終らないといけない。
 上體が前傾してゐると、腰が入らず、足が地面を蹴る角度が大きくなつて、蹴つた反動が上に向かつてしまひ、ロスが大きくなる。その結果、スピードを維持出來なくなるのである。

 理想的なのは、もう引退したが、マイケル・ジョンソンであつた。上體が完全に立つてゐた。だからあれだけの記録が出せた。200mの19.32秒(1996)、400mの43.18秒(1999)は未だに世界記録である。

 末續選手なども、前傾しないといけないと言つてゐる樣である。しかし、實際は、さほど前傾はしてゐない樣に見える。でないと、あれだけ速くは走れない。ただ、このまへ世界陸上の豫選で敗れたときは、後半前傾してゐる樣にも見えた。追ひつかうとして前傾を意識したのであらうか。
 朝原選手は割と立つてゐる樣に見える。しかし、この前、豫選のときはよかつたが、準決勝で敗退したときは後半あせつて少し前傾してゐる樣に見えた。
 決勝でパウエルが3位に沈んだが、先行してしてゐたのに、追ひつかれてから亂れてやや前傾し、失速した樣に見えた。

Powellの走り (H20.3.9)


 NHKでパウェルの特輯をやつてゐた(21時台)。190 cm, 85 kg であるがスタートが速い。

 スタートで全く横にふくれない。完全に眞つ直ぐ前に足を出してゐる。そのためか、スタートして何歩かは足を引きずつて走つてゐるかの樣な感じがする。しかし速い。
 MRIで調べたら、大腰筋が信じられない位太い。それがあの眞つ直ぐなスタートの祕密か。
 ジャマイカのパウェルの生地で今もコーチが指導してゐるところを映したが、上り坂でスタートの練習をしてゐた。それでパワーがついたのだらう。

 トップスピードに乘るのが60 mだといふ。身長1.83 mのタイソン・ゲイは70 mだといふから、それよりむしろ早い。またストライドがそれぞれ2.60 m, 2.48mといふ。

 番組に出てきたパウェルも映像は、全速疾走でも上體がやや前傾してゐる樣に見えた。眞横からでなく、少し斜めから撮してゐる樣だつたのでそのせゐかもしれぬ。他のレースの映像では一應立つてゐるやうにも見えた。
 去年の世界陸上の映像も出た。ゲイに負けたレースで、スタートはリードしてゐたのに、後半亂れて抜かれた。去年テレビのニユースで見た時は、少し前傾してゐるやうに見えたが、今囘は、固くなつてはゐるが、前傾してはゐないやうに見えた。しかし、もつと反り返つたやうに見える位でちようどいいのに、さう見えないのは、やはり腰の入り方が足りないのかしれぬ。
 もともと腰の入り方が足りないので、亂れやすいといふことなのかも知れない。それでもあれだけ速く走れるのは、あの強烈な大腰筋の效果なのだらうか。
 全速でのフォームが今ひとつすつきりしないりのは、上り坂での練習の影響かも知れぬ。上り坂だと少し上體を前傾しないと走れない。その癖がついた可能性がある。

サッカーの攻撃の組立て (H20.3.24)


 テレビでヨーロッパのサッカーの試合をみたが、テンポが速い。小氣味よく試合が進む。
 この場面ならかうするといふのが頭の中に入つてゐる。途中でどうしようかなどと考へたりはしない。考へてゐては相手のディフェンスが戻つてしまふ。

 碁や將棋では、局面をみた瞬間に手が見える。何手か先のイメージが頭の中に浮んでくる。そのイメージを確認するだけだから、「讀む」と言ひ、考へるとは言はない。見えない人がいくら考へても手は浮んでこない。考へて分る樣なら、ヘボはゐない。
 サッカーでも、この情況ならこうしようと瞬間的に判斷して展開する。別に複雜なことではない。普通は、誰かがちよつと突つ込むなりなんなりしてディフェンスを引きつけておいてからパスするとか、單純なパターンである。
 日本のサッカーはこんな訓練が出來てゐない。どうしようかと考へてしまふ。だからなかなかシュートまでいけない。その組立てが出來ない。得點力がないのは、いいフォワードがゐないとかいふ問題ではなく、試合の組立てがないのが原因である。

 組立てるには、先づは、相手のディフェンスを崩すことである。それには、ドリブルしてディフェンスを引きつけるか、ロングパスで一氣にゴール前に迫るか、その位しかない。ディフェンスを遠巻きにして漫然とパスを囘してゐては、ボールを奪はれないかもしれないが、チャンスは生まれない。

 サッカーの基本は、ボールをキープし、ドリブルして一歩でも進むことにある。
 勿論、ドリブルだけで勝てる譯はないが、ドリブルでディフェンスを掻き亂さない限り、有效なパスができるスペースは出來ないし、チャンスも生れない。

 さういふ練習をしてゐれば、自ずと攻めのパターンも頭に入る。そのイメージが出來てゐないと、まともな試合は出來ない。

オリンピックの野球を見て (H20.8.29)


 北京オリンピックの野球で日本はメダルを取れなかつた。勝負は運もあるが、負けたらすべて監督の責任である。選手の選考と起用は監督に一任されてゐるから、選手が出來が惡いとしても、そんな選手を使つたのは誰かといふことになる。
 最後にアメリカに負けたとき、日本の監督はダッグアウトからすぐに姿を消した。勝たうが負けようが、選手を労ふのが監督ではないか。負けてみつともないから隱れてしまひたいだらうが、それでは監督の責任を果してゐない。

 最近の野球選手は下手糞である。小手先でプレーする。ピッチャーは腕だけで投げるし、バッターも腕だけで振る。腰が入つてゐない。子供の時からコーチに口で敎はつた結果であらう。基本技能は敎へられない。自分でやり易い樣にやれば自然にいいフォームが身に付く。
 バケツに一杯に入れた水を遠くに飛ばさうとしたら、誰でも言はれなくとも腰を入れて放るだらう。さうしないと重たいバケツは振り囘せない。バットやボールはそれ程重くないから手先でも扱へる。力の弱い子供の時に自分で勝手に練習すれば、自然にいいフォームが身に付く。コーチに敎へられて考へながらバットを振つてゐては、ろくなことにはならない。
 腰が入つてないから、ツボにはまれば打てるが、ちよつと外されるともう打てない。當りが惡くとも、バットのスピードがあればある程度思つた所に飛ばせるが、スピードがないと球に負ける。ピッチャーも腰が入つてないから、球は遅いし、切れもない。一番困るのは、制球力がないことである。手先で投げるから、僅かのぶれで大きくコースが變つてしまふ。大事な時、緊張したときに思つた所に投げらけれない。

 野球だけではない。バレーでも日本選手のスパイクは、入つても拾はれる率が高い。球が遅いのである。大振りして手打ちになつてゐるからである。

 北京では守備も亂れた。ある選手がフライを捕る所を見たが、いかにも雜といふ感じがした。捕る時にさつとグローブを動かして捕つた樣に見えた。簡單なフライであるから、もつと早くグローブの位置を決めておいて捕るのが普通である。こんな捕り方をしてゐるから、緊張したときにミスが出るのである。普段から絶對落さないといふ心構へで捕つてゐないと、いざといふときにミスが出る。
 ファインプレーは誰でも出來る。プロになる位の身體能力のある選手なら、やる氣になれば出來る。捕れない球をスライディングキャッチしたりするのは、駄目でもともとであるから、気合さへ入つてゐれば誰でも出來る。
 大事なのは、何でもないプレーがいつも間違ひなく出來ることである。凡フライを確實に捕り、刺せる時には確實に本塁に返球したりすることである。要するにミスをしないことであるが、ミスはなぜするかといふと、フォームが惡くなつてゐるからである。緊張したりしたときにフォームが亂れてミスする。それを防ぐには、基本通りの捕り方、投げ方をしつかり身に付けておくしかないと思ふ。

サッカー人よ、責任を自覺せよ (H20.9.13)


 先日テレビで釜本などが出て雜談をしたといふ。

 人から聞いた話であるが、釜本がいふには、「得點力がないといふが、シュートしなければ入るはずがない。」間違ひではないが、それではまだ答にはならない。なぜシュート出來ないのか、それが問題である。

 そこで、解説者の金田がいふには、「ドリブルで攻込んで相手の守備體形を攪亂する奴がゐなければシュートできる樣にはならない。」その通りである。日本にも分つてゐる人もゐるのである。相手陣の淺いところでてれてれパスを囘してボールを取られない樣にと願つてゐる樣ではシュートすることは出來ない。

 サッカー界全體が分つてゐないのかと思つてゐたが、協會の幹部が分つてゐないだけ、かどうかはともかく、まともな人もゐるのである。まともな人が、ちやんと責任を自覺しないといけない。

ドリブル嫌ひの岡田監督 (H21.2.11)


 今日ワールドカップ豫選の對オーストラリア戰があつた。日本チームは攻めてゐたが結局点が入らず引分けに終つた。

 いくらかドリブルして突つ込む選手がゐて苦しいながらもシュートは打てた。ところが最後の方は何となくぱつとしなくなつた。考へてみると、ドリブルする田中(達)や松井が途中退場してゐる。
 要するに、監督の好みでないのだらう。しかし、ドリブルする選手がゐなくてはサッカーにならない。ドリブルの姿勢を示して守備陣を掻き亂さないと攻撃の糸口は掴めない。また、さういふ姿勢のない選手は守備側からみると全然怖くない。

 それにしても、それなら出さなければいいのにと思ふが。他の點で優れてゐるので、ドリブル癖はよくないが、總合的には合格といふことなのか。

 一體この人はどうやれば勝てると考へてゐるだらうか。

サッカーは單純-本田選手の開眼 (H21.3.1)


 サッカーでオランダ二部リーグのVVVフェンロといふチームにゐる本田圭佑といふ選手の記事が新聞にあつた(朝日新聞、H21.2.28)。

 本田選手は、「オランダに來て考へ方がシンプルになった」といふ。

「チームメートは、シュートできる時には横にフリーな味方がゐてもパスしない。」「それを見て『おれもゴール前が空いてゐたらシュートを絶對打たう』と思ふ。」當り前である。それがサッカーである。

 日本對オーストラリア戰をテレビで見て、「日本は球を支配して優勢だつたけど、點は入りさうにないなと思つた。前の方でリスクを冒すプレーが足りないから相手の守備が崩れない。」これも當然のことである。
 相手が固く守つてゐる限り、シュートを打つ機会は出來ない。ドリブルで攻め込まうとして相手ディフェンスを自分に引きつければ、守備體形が亂れてパスコース、シュートコースも出來る。遠巻きにして安全なパスをゆつくり囘してゐる樣では、球を支配は出來ても、ゲームには全くならない。

 これは他の球技にも共通する原理である。子供の頃に勝手にサッカーを覺えれば、こんなことは自然に身に付く筈である。最近はコーチがゐて言葉で餘計なことをいふものだから、こんな當り前のことが分らなくなつてゐる。

 分つてゐない代表が、日本代表の岡田監督と日本サッカー協會の幹部である。やたらとサッカーを複雜なもの、難しいものと思ひ込んでゐる。

イチローの落球 (H21.7.3)


 今日の試合でイチローが松井のフライを落した。何でもない飛球だつたが。イチロ、グラブを持つ手の平を上に向けて取らうとした。一旦グラブに當つたが、ぽろりと落ちた。
 何故か、この捕り方をすると、落し易い。脇が甘くなるからだらうか。グラブを上げて手の平を打球に向けてゐれば、落すことはまずないのであるが。

 時々、あまりに何でもない飛球だと、ずぼらをしてこんな捕り方をして落すのを見る。イチロー油断したのか。

日本のサッカーは、華麗ならず、ゆるいパスがお好き (H21.9.8)


 九月八日付の朝日新聞によると、日本のサッカーは、「華麗なれど打たず」であるさうである。外国人記者に聞いたとあるが。五日のオランダ戰で、シュートコースが空いてゐるのに打たないケースが再三あつたといふ。シュートさへまともなら前半だけでニ對零で日本がリードした筈といふ。

 シュートのチャンスがそんなにあつたとは、とても思へない。また、華麗にパスを囘してゐたとも思はない。ただ、ボールを取られまいと、横や後に囘してゐただけである。前に持つて行かうといふ氣が全くないから、相手からみたら全然恐くない。
 ドリブルで持つて行かうといふ素振りすら見せないから、相手は引いて固めてゐられる。シュートコースどころか、パスコースも空かない。後に一旦パスするとしても、前に出ようとして邪魔されてからなら、一應守備體形を亂してはゐるから、その後の展開が大分違ふ。相手がちよつかい出さうかと素振りを見せただけで、すぐ後に戻すから、後から展開も出來ない。
 ボールは支配してゐた時間は長いかもしれぬが、全く有效になつてゐない。後ずさりしてゐただけであり、シュートチャンスなど皆無であつた。時折、入る當ての全くないシュートを何度か打つたが。チャンスと言へるのは、中村の打つたフリーキックだけではないか。

 ボールを持つたら、一歩でも半歩でも、前に出ようといふ氣がなければサッカーではない。從つて華麗でもない。勿論、簡單に前には出られないが、少くともさうして相手を引きつけないと、パスコースもシュートコースも空かない。

 そもそも、ボールを奪つても、素早く前に持つて行かうといふ氣がない。早く近くの味方に預けたいときよろきよろしてゐる。普通だつたら、すぐに前に走り出す筈である。そして、もし、よりいい位置に味方がゐたら速いパスを送る。そんなシーンは、オランダ戰では一度も見られなかつた。近くの味方に緩いパスを送るシーンばかりであつた。

速く走るこつ (H21.11.8)


 テレビでケニア出身のマラソン選手の走りを映してゐた。柔らかい、いいフォームであつた。
 テレビは、長距離のフォームとしては革命的だと言つてゐた。蹴つた後の踵が高く上つてゐるといふ。さういふ言ひ方もあるのかと少し驚いた。つまりは、蹴つた後、膝をよく疊んでゐると云ふことである。その結果、確かに、踵が高く上がるといへばいへる。
 膝を疊まないと、足が流れてしまつて、速く走れない。走るのが遲い人は、大抵、足が流れてゐる。さうなると、半徑が大きくなり、素早く足を前に運べなくなる。つまり、ピッチが上がらない。從つて速く走れない。
 膝を疊めば、足が縮んで半徑が小さくなるので素早く動かせる。從つて、速く走れる。同じピツチで走るのであれば、足先をよりゆつくり動かせるので樂である。

 テレビで言ふには、長距離走の常識をくつがへしたさうである。長距離だらうが短距離だらうが走り方の基本は變らない。膝を疊まなければ、半徑が大きくなり、餘分な力が必要になる。
 テレビでは、ケニヤ人選手の大腰筋が太いことを示して、それでそんな短距離走竝みの走法を長距離續けられるのだといふ口調であつた。これは全く逆で、半徑を小さくして樂に足を運べるから速くかつ長く續けられるのである。
 大腰筋が太ければ、短距離のスタートでの加速がいいとかいふことはあらうが、長距離走とどう關係するのか説明はなかつた。實際、長距離走のスタミナと筋力はあまり關係ないと思ふ。ラストスパートでの加速には利くかもしれないが。

 速く走るには、二つのことが大事である。ひとつは、上體を起して、足が地面を蹴る角度を極力小さくして、上にでなく前への推進を得ることとである。もうひとつは、蹴つた後は膝を素早く疊んで、足を前に運ぶ動きをコンパクトにすることである。
 これには距離の長短は關係しない。勿論、長距離の場合は、短距離ほどぴつたりとは膝を疊まないが。
 蛇足であるが、上記の二項目は、スタートして最高速度に達してからの話で、加速してゐる時は、勿論、別である。

 實際、走つてゐて疲れると、足が後に流れやすくなる。その時、足をすぐに疊むこと意識して行ふと、少し樂になる。これは本當に經驗してゐることである。

 末續選手であつたか、すり足のやうな走り方が日本人には合つてゐるので、その樣な走法を追求していくと言つたと聞いたとがあるが、その後どうしてゐるであらうか。

本田選手そのニ (H22.1.1)


 オランダのサッカーチームVVVフェンロ所屬MF本田圭佑選手の記事が、去年に續いて再び新聞に載つてゐた(朝日新聞、H22.1.1)。

 本田選手は、「パスでチャンを作るのが自分のプレーだ」といふ思ひ込みがあつたといふ。
 今は、「プレーをゴールから組立てる樣になつてすべてが變つた」。そして、「僕がボールを持つと相手は怖がつて尻込みするか、あるいは無理をして止めに來る。それを見透かして逆を取れるからドリブルで仕掛けていきやすくなつた。守らうとして相手がゴールを固めようとすれば、周りの味方へのマークが甘くなつてパスも生きる。さうなつたらもうやりたい放題ですよ」と豪語する。

 サッカーの基本である。敢て引用したのは、當り前のことが分つてゐる人が、日本には殆どゐないからである。かういふ人も出て來たことを記録に留めたかった。

 勿論、基本的な技術が伴はなければ、彼のいふ樣なプレーは出來ない。しかし、もともとさういふ考へがなければ、いくら練習してもそんな技術は身に付かない。サッカーの本質を理解することが先ずは必要である。
 といつても、難しいことではない。ボールを持つたらゴールを目指して少しでも前進することである。その氣持があつて初めてパスも有效になる。

 VVVフェンロのヤン・ファンダイク監督(53歳)は、「日本はケイスケ・ホンダといふ選手を、オランダで發見したみたいだな」と語つたといふ。

オシムの指摘--日本サッカーの問題點 (H22.6.21)


 オシムが全日本のワールドカップ對オランダ戰の批評をしてゐる。

 中村はもつと簡單にさばくべきだといふ。しかし、彼はキープ力がないからしようがないのである。さばくことなど無理。中村が出てから後は、あまりよく見てゐなかつたが、それでも二度ほど、ボールを持つたと思つたらすぐ奪はれる場面を見た。
 オランダは、日本を研究したのか、日本選手がボールを持つたらすぐに取りに来てゐた。もつとも、オランダに始まつたことではない、何度か見た光景である。
 日本選手の弱點はキープ力がないことである。それを見破られて、球を取りに來られたら日本は全然駄目である。

 オシムは、本田も持ち過ぎと批判してゐる。彼の場合、後からのキツクを、競り勝つてキープしても、そばにゐるオランダ選手がすぐに取りに來るので粘らうとしてゐただけである。實際には、奪はれる場面が多かつた。それでオシムは不滿だつたのだらう。要するに、本田をもつてしても、キープ力は不足なのである。

 大久保については、サッカーは團體競技だと知らないと言ひ切つてゐる。確かにシュートは決らなかつたが、彼のやり方自體は眞正のサッカーである。少くともゴール前で球を持つたら、出來る限りシュートすべきである。勿論、自分より有利な位置に味方がゐれば話は違ふが。
 彼の問題點は、シュートが雜なことである。と、思つてゐたが、逆で、シュートの時、決めようと意識し過ぎて力み過ぎることである。リラックスしてスナッツプを利かせて打てば、もつと切れのいいシュートが打てる筈である。

 日本チームの問題は、ボールをキープ出來ないことにある。僅かに出來るのは、本田とか松井とかであり、彼らの個人技に頼るしか得点をあげる道はない。

 それで、パスをしろといふのであるが、キープ出來ないから、相手ディフェンスを引寄せられず、從つて、パスコースが出來ず、パスといふより球を放してゐるだけになつてしまふのである。

スペインはパスがうまいのか (H22.7.13)


 2010年ワールドカップはスペインの優勝で幕を閉ぢた。スペインのパスがいいと評判である。しかし、いいのは本當にパスなのか。
 パスすること自體は誰でも出來る。勿論、ある程度練習は必要である。しかし、例へば、日本代表くらゐになれば、パスぐらいは出來る筈である。それがうまく行かないとしたら、ただ餘裕がないからである。
 つまり、ボールが確保できてなく、なんとか相手に取られまいとして苦し紛れにパスするから上手く蹴れないのである。どうかすると、パスするといふより、放してゐるだけになつてゐる。パスしないで取られると、持ちすぎと非難される。放せばパスミスとなるので、まだ罪が軽いのである。

 うまい選手は、足に吸ひ付いてゐるかの樣に球をあやつる。そして、隙があればドリブルして前進しようと狙つてゐる。相手は抜かれまいとその選手の邪魔をしに寄つて行くしかない。さうすると、守備體形が亂れ、パスするコースも見えて來る。寄つて來る相手をちよつとかはして、空いたところにパスすればよい。
 パスすること自體は易しいことである。ボールを確保して相手をかはすのが難しいのである。また、相手を引きつけることにより、空きが出來るからパスが通るのである。

 パスを通すには、逆に、ドリブルで持つて行くぞといふ意慾が要る。それがあつて初めて「スペース」が出來る。かつ、相手をかはしてボールを確保する技術がないと、思ひ通りに蹴ることが出來ない。多くの日本選手の樣に、持つたらすぐ放す癖がついてゐては、いいパスは到底望めない。

 スペインに關して云へば、もつと強引なドリブルを見せて欲しかつた。さうすれば、ずつといい展開が出來たのではないかと思ふ。決勝では、確かに、ボールを確保してゐたかもしれぬが、あまり有效な攻めにはなつてゐなかつた。「決定的な」チャンスは殆どなかつたのではないか。むしろ、オランダの方がカウンターで絶好のチャンスを何度か作つてゐた。最後に、相手のクリアが短かつた(當つて跳ね返つただけ?)のを捉へて得點したが。

體に覺えさせる (H22.11.13)


 テニスのダブルスをやって休憩してゐたら、パートナーが今の相手の片方のひとのスピンサーブが受けにくいんだと言つた。確かに苦勞してゐた。自分も初めはさうだつたが、最近は慣れたせゐかそれ程苦にしなくなつたと返事した。

 それで思ひ出したが、もつと前に、別の人が我々のクラブに加はつた時、やはりスピンサーブを打つので最初返球し難かつたりしたのであるが、そのうち、この人は最近スピンサーブを打たなくなつたと思つたことがある。實はそんなことはなく、相變はらずスピンを掛けてゐたのである。ただ、こちらが慣れて、特に變なサーブと感じなくなつただけなのであつた。

 今日も、バツクに來たサーブが思つたより外に逃げて一瞬慌てかけたことがあつたが、體が先に動いてゐて半歩くらゐ多く外に出てをり、一應返球出來た。
 弾むボールを見てから動いてゐたのでは遲いのである。恐らく、球の彈道を見てゐて、これは外に大きく逃げると感じたらすぐに體が動き出すのである。つまり、體が勝手に動くのである。さうでなければとても間に合はない。
 今日のパートナーに、よく見て打てばいいのではないか、とも言つたが、見てゐるのだが何故かうまく返せないといふ。豫測が出來てをらず、球が來てから反應するから間に合はないのである。

 野球であんな速い球が打てるのもさうである。ピッチャーが投げたらすぐに反應してゐるのでないと、とても間に合はない。頭で考へる暇はない。
 といつても、實際は頭が指令を出してゐるのであらう。でなければ體は動かない。しかし、意識的に考へてゐては駄目で、無意識のうちに頭が判断して、體を動かしてゐないといけない。反射的に體が動く樣になるまで練習あるのみである。
 カーブなど、下手なアマチュアは結構打ちにくがるが、プロはさほど苦にしない。要は練習量の差であらう。
 フォークボールがよく三振を取れるのは、詰るところ、練習が足りないからなのではないか。チームにフォークの上手いピッチャーがゐて、切れのいいフォークを打つ練習が十分出來れば、もつと打てる樣になるのではないか。

 球技では球の変化は大きな要素である。変化への對應を體に覺えさせる練習をもつと意圖的にやるべきなのである。

速く走るこつ (H23.1.3)


 速く走るこつは樂に走ることである。無駄な力が入つては動きが遲くなる。輕く動かせば速く動く。

 先ずは、上體を起すこと。普通、「前傾しろ」といふ。しかし、前傾してゐると、着地のたびに地面に衝突してブレーキが掛る。それよりも大きいのは、足で地面を蹴る角度が大きくなることである。それはつまり、前にではなく、より上に蹴つてゐることを意味してゐる。走るには、上に跳んでも仕方がないので、なるべく水平に蹴つた方が效率がよい。そのためには、蹴る足と地面との角度を出來るだけ小さくして、水平方向の分力を大きくする必要がある。いはゆる「腰の入つた」走り方である。腰が入れば、自然に上體は起きる。マイケル・ジョンソンなどは、上體が反り返つてゐるくらゐの感じだつた。
 「腿を上げろ」といふのもよく聞くが、腰が入つてゐれば、腿はあまり上がらない。前傾して腰が入らず、「へつぴり腰」になつてゐると腿は上がる。しかし、上に跳ねるだけで、速くは走れない。

 もうひとつは、膝をすばやく疊むことである。蹴つた足をすぐに疊めば、足を前に樂に運べる。半徑が小さいからである。膝を疊まないと、半徑が大きく、餘分の力が必要になる。また、時間も長くかかる。すなわち、廻轉も上がらない。

 日本人の典型的な走りは、前傾して、蹴つた足が流れて引き摺る樣にして前に運んでゐる、苦しげな走りである。
 上體を起して胸を張り、膝を疊むことを心掛けて走れば、びつくりするくらゐ樂になる筈である。効果は絶大で、ジョギング程度の輕い走りでも、速度、耐久力ともに格段に向上すること請合ひである。

石川選手の開眼 (H23.5.16)


 昨日だつたか、テレビで卓球の石川選手がフォームを變へたといつてゐた。前は大きなフォームで打つてゐたが、それだと相手の速い返球に遅れるので、テークバックを殆どせずに素早く振る樣にしたとのことであつた。それで勝率が上つたとのことである。
 姑息な対策の樣に聞えるが、實は全く逆で、これでまともなフォームになつたのである。大きなフォームの方が強烈な球が打てる樣にいふ人が多いが、實は、腕を振り囘してゐるだけで腰の囘轉を活かしてゐないので、威力が出ないのである。いはゆる「手打ち」である。テークバックを殆どしないと、いはゆる「インサイドアウト」に振ることが出來る。これはつまり、腰の囘轉速度を腕の振りの速さに變へてゐるのである。
 大事なのは、腰を囘轉させることであるが、その時は腕を振らずに怺へておき、時が來たら腕をゆるめて一氣に前に行かせるのである。腕の力で振るのではない。腕の力は、腰と一緒に囘らない樣に一瞬怺へておくのに使はれるだけである。やや遅れて腕を解き放てば、腕は腰の囘轉の運動量を得て前に飛出て行くのである。

 テニスのジョコビッチが連勝してゐるといふ。サーブのフォームがまともになり、以前の樣な固い動きがなくなつた。それとともに、フォアハンドの振りがコンパクトになり、威力、正確さともに上つてゐる。しかし、テレビ中繼を見ると、フォームがよくなつたといふ人は見かけない。精神的なものとか、譯の分らぬことを理由に擧げてゐる。フォームが改造されたことは一見して明らかであると思ふが。
 伊達選手は今ひとつの樣であるが、フォアハンドのテークバックが大きい。いはゆる「脇が甘い」打ち方である。それがミスに繋がつてゐるのではないか。