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月底人:第一章
最終更新:
deja
第一章:双子惑星
第一節:目覚め
「おとうさん!おとうさん!」
子供の叫ぶ声と、全身を揺さぶる振動とで目を覚ますと、瞳に飛び込んできた光の洪水に危うくまた気が遠くなるところだった。手を伸ばして助けを求める息子を抱きかかえようと起き上がるが、その時鈍い音がした。
ゴン。
光の洪水が消え、小さな明かりが明滅する。停電だろうか?
すると、鈍い痛みが前頭葉に広がった。痛い。とても痛い。どうやらカプセルの窓に頭をぶつけてしまったらしい。そうだ、ここは人口冬眠用のカプセルの中だった。光の明滅は、頭をぶつけた時に出た星のようだ。それにしても、かなりの数だったが。。。
しかし、こんな無様な姿を息子に見せたままでいる訳にはいかない。身体にくくりつけられた無数のチューブを外して、早く息子を安心させてやらねばならない。窓にぶつけた頭の痛みと、長い眠りから覚めたばかりのうつろな意識の中で、全身をもがき続けた。
だが一向にチューブが外れる様子はない。パニックにも似た血圧の上昇を感じながら、心の中で「落ち着け、落ち着け」と自分に言い聞かせる。そして、少しでも息子を安心させようと、彼に視線を向ける。
するとどうだ。息子は何かを指差している。その先を見ると、何かボタンのようなものがあるようだ。
ああ、これを押せば出られるのだった。
慌てふためく自分に恥ずかしさを覚えつつそのボタンを押すと、身体を取り巻くチューブが外れ、カプセルの窓が開いた。そうだった。勝手にチューブが外れないためにこのボタンを付けるよう、冬眠前に自分で指示したことをすっかり忘れていた。
だが無理もない。何せ数千万年も前のことなのだから。(幼い我が子はちゃんと覚えていたようだが。。。)
2003年9月3日。数千万年の静けさを破り、大きな衝撃が我々を襲った。けたたましく鳴り叫ぶ緊急サイレンと、長い期間目にすることのなかったまぶしい照明。とうとう時が来たのだ。
心配そうに見上げる息子の手を引きながら、まだぼんやりする頭の中で記憶を呼び戻し、揺れる通路を壁伝いに歩いて指令室に入る。そこでは、すでに数人の部下が慌ただしく動き回り、事態の収拾に当たっていた。
「お目覚めになりましたか」
凛とした、しかい柔らかなその声に振り向くと、そこには懐かしい妻の顔があった。またこうして彼女に生きて会えることができた嬉しさで、猛烈な振動に青ざめる恐怖を一瞬忘れることができたようにさえ感じた。思わず顔がほころぶ。しかし部下の手前、すぐに表情を引き締めた。そうだ、今はそれどころではない。すぐにしなければならないことがあるのだ。
「障害状況を知らせてくれ」
忙しく分析に当たっている部下たちに指示を送る。分かっているさという顔で無言のまま黙々と働く部下たちは、モニターを通してデータの分析結果を送ってくる。
(まったく、少しくらい愛想よくしてもらいたいものだ。部下のくせに。息子も見ているのだから。)
分析結果を見ると、どうやら月面に何かが衝突したようだ。大きな損傷は見当たらないが、中空の内部では振動が反響し、しばらく揺れが収まらないらしい。このままでは危険な状況に直面する可能性もある。
「振動吸収帯に避難しよう」
そう部下に声をかけ、もっと早く指示しろと言わんばかりの彼らからの視線に背けて、妻と息子の手を取り、揺れつづける通路を慎重に歩いていった。これで少しはほっとできそうだ。
とうとう、この時が来たのだ。心の準備はできていたはずだが、イザその瞬間になると動揺は隠せない。恐らく妻も息子も、うすうすとその様子を感じていることだろう。ここでしっかりしなくては、部下の士気にも影響する。気を引き締めなくては。
すると息子が、不思議そうな顔をして尋ねてきた。
「ねえ、あれは何?」
ここは月の中心部を見渡す広い通路。そしてそこから見える、息子が指差した中心部の方向には、空虚な暗闇があるだけだ。もしこの空間に貴重な居住地を築いていれば、どれだけの民を救うことができたであろうか。だが残念なことに、ここには優秀で慈悲深く、やさしさと思いやりのある選ばれし者だけが暮らしているのだ。そう、誰もがうらやむような、理想郷の世界がここにあるのだ。。。少なくとも、そうなるはずだった。現実は少しだけ違っているかも知れないが。
しかし、それには訳がある。中心部を空洞にしているのは、もちろん理由があるのだ。我々の科学力を持ってしてもどうすることもできず、多くの人々を犠牲にしてここに空洞を作らなければならなかった訳が。
「いいかい、ここにあるのは、ただの空洞ではないんだよ」
その言葉に、息子も妻もいぶかしげな顔をして足を止めた。
「ここには、確かに何もないように見えるが、それが本当に何もないことだとは限らないのだよ。ここにはね、見ることのできない物が詰まっているんだ」
ますます不思議そうな顔をする二人。何だ、冬眠に入る前にも教えたことなのに、もう忘れてしまったのか。まあ無理もない。何せ数千万年も前のことなのだから。仕方がない、もう一度教えてやろう。
「暗黒物質が詰まっているのよ。忘れたの?」
一呼吸置いてから先にその答えを口にしたのは、しかし妻の方だった。息子に向かい、今にも小言を言い始めそうな表情をしている。このままでは、次の言葉が矢継ぎ早に息子を攻撃するのは目にみえている。こんな緊急事態になっても、彼女の小言は止まないのだろうか。それは困る。そんなことをしている場合ではない。
「分かってるよ、そんなこと。そうじゃなくて、奥の方で時々うっすら光っているものだよ」
息子が反撃に出た。ますます状況は悪化している。何とかしなくてはならない。
「と、とにかく避難しよう。このままでは危険だ」
物言いたげな妻と憮然とする息子を制し、揺れる通路の中で二人の手を引いた。窓にぶつけた頭が、さらに痛みを増しているようにも感じた。痛い。とても痛い。そして、この先がとても思いやられる。
こんな社会しか作れなかった我々は、果たして地球人とうまくやってきけるだろうか。その責任は、すべてこの両肩に掛かっているのだ。しっかりしなければ。。。
第二節:双惑人
今から46億年ほど前、円盤形の原始太陽系星雲が収縮して原始太陽と原始惑星が形成された頃、現在見られる9つの主要惑星の他に、火星と木星の間にある小惑星帯の軌道近くには2つの惑星が存在していた。
2つの小さな惑星は似通った軌道半径を持っていたが、数百万年におよぶ太陽周回の中で互いを引き寄せ、偶然の重なりに恵まれて、双方が共通の重心を回る双子惑星となった。
外側を回る木星の影響で2つの惑星は大きくはなれなかったものの、双子ゆえに特殊な環境をつくるには十分な存在であった。
大気は双方の重力の影響を受けるため、それぞれの重力は小さくとも完全になくなることはなく、両星を循環する特殊な構造となった。
この循環は地表に大きな気象現象を起こし、複雑な地形を作り、原始地球や原始金星と同様に気象現象を複雑にしていた。激しい雷が発生し、太古の海ができ、やがて生命が誕生したのだ。
地球に比べて太陽からの距離が遠いために太陽光の恩恵は少なかったが、猛烈な大気の循環が惑星の外殻を揺り動かして内部組成との摩擦を引き起こしたり、木星の重力を受けて変形されることで、火山活動が活発となり、生命の進化には適した環境を提供していた。
どちらの惑星で生まれたのかは、今となっては定かではないが、双方を循環する大気の流れで他方にも生命が宿り、2つの惑星は豊かな生態系を形成するようになっていった。
地球の生命誕生と、この双子惑星での生命誕生は、ほぼ時を同じくしていたが、個体同士が出会う確立が高いためか、進化のスピードは双子惑星の方が速かった。彼らは、地球が恐竜時代に入った頃には、すでに現在の人類が持つ科学技術を獲得していたのだった。後の月底人となる、双惑人である。
彼らの惑星は小さいため、資源は限られていた。エコ環境を維持するためには、様々な手段を用いる必要がある。同様に生命が進化を遂げている地球や、当時はまだ液体の水が豊富に得られる無人の火星に移住する計画も出ていたが、大気組成の違いや、移住手段の確立が難しいことから、資源の調達だけを行う案が有力となっていた。そして彼らは、生命を育み、豊かな天然資源を持つ地球でのエネルギーと食料の調達を目指して、観測を開始した。
地球に向けた観測の第一弾は、無人の探査衛星を飛ばすことだった。双子惑星は複雑な軌道を持ち、強い風が吹き荒れているため、そうした衛星を飛ばすことは至難の業だ。双惑人たちは、科学の粋を集めて建造した大型宇宙船を、まず惑星を吹き荒れる風に乗せ、その勢いを利用して宇宙空間に放出する方式を考えた。だが、風の向きは予測不可能なため、宇宙空間に出てからの正確な姿勢制御技術が必要になる。
幾度か実験を繰り返し、宇宙空間への放出までは技術を確立したものの、その後の姿勢制御には困難が伴なった。やがて諦めの声も出る中、勇敢な若者が有人飛行を買って出た。さらに数人の同士が集まり、最終的に5人の命知らずの双惑人が地球を目指すことになった。
第三節:捕獲