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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ジョン・ディージョン・ディー(John Dee、1527年7月13日 - 1608年または1609年)は、イギリス・ロンドン生まれの錬金術師、占星術師、数学者。

父親は、イギリス王室で働く下級官僚であった。

1542年、ケンブリッジ大学に入学。
1584年、修士号を取得。ルーヴァン大学に2年間留学。ゲンマ・フリシウス、ゲラルドゥス・メルカトルらと交流する。その後パリ大学で講師を務める。
1551年、イギリスに帰国。エドワード6世の宮廷学者、宮廷占星術師となる。
1552年、ペンブルック伯爵家に仕え、ノーサンバーランド公の子供たちの家庭教師も勤めた。
1553年、メアリ1世の即位に伴い、魔術師の嫌疑で投獄されるがその年の内に釈放。
1564年、著書「象形文字の単子」を出版。
1570年、モートレイクに居を構える。
1574年、結婚。しかし翌年には妻が死去。
1576年、ジェイン・フロモンドと再婚。
1580年ごろより、水晶玉観照による心霊研究と大天使ウリエルとの交感を実施。エリザベス1世に寵愛された。水晶玉の中に現れるのは天使であるとされ、それらが用いる奇妙な言語をディーは「エノク語」(Enochian Language)と呼んだ。これは後代の研究により、単なるでたらめではなく、それなりに理にかなった構造(ただし、それは英語に良く似ているとも言われる)の言語であることが判明した。
1583年から1589年にかけて、エドワード・ケリー(Edward Kelley、1555年 - 1595年頃)と組んでポーランドとボヘミアを遍歴、各国の王宮などで様々な貴族たちに交霊実験と魔術を披露して評判となった。
1595年、ケリーは皇帝ルドルフ2世から魔術師の嫌疑をかけられて投獄され、脱獄に失敗して死亡。ディーはイギリスに帰国することとなる。
エリザベス1世は彼をリッチモンドで自ら出迎え、マンチェスターにあるキリスト教大学の校長に任命した。

1603年、ジェームズ1世が即位。彼は大の魔術嫌いであったため、ディーは引退を余儀なくされる。
1608年、モートレイクで貧困のうちに死去。
ディーの死後、大英博物館に残されていたディーの文書類とエノク語を研究し、独自の魔術体系を構築したのが魔術結社「黄金の夜明け団」とその創始者のひとりマグレガー・メイザースである。