Howard Phillips Lovecraft
1890年8月20日 - 1937年3月15日
アメリカ小説家詩人ロードアイランド州プロヴィデンス生まれ。「コズミック・ホラー」などと呼ばれるSF的なホラー小説で有名であり、クトゥルー神話の創始者としても知られる。

文学や学会からは評価されていないパルプ作家だが、怪奇幻想作品に多大な影響を与え続けている。

また、彼の墓はプロビデンスのスワンポイント墓地にあり、墓碑には「I AM PROVIDENCE」と刻まれている。

初期の作品はアイルランド出身の幻想作家ダンセイニ卿の作品に大きく影響を受けているが(エドガー・アラン・ポーの作品の影響も大きい)、後期は現在「クトゥルフ神話」と呼ばれている一連の作品のように、ギリシア神話をより暗い階調にしたような作品になっていく。作品は彼自身の見た悪夢に直接の影響を受けており、このことが潜在意識にある恐怖を描き出し、多くの人を引き付けているのだろう。現在も世界中でクトゥルフ神話と邪神たちをモチーフにした小説、ゲーム、映画等がつくられ続けている。

チョコレートやアイスクリームが大好物だったという可愛らしい一面も。作品からわかるように海産物は大嫌い。

経歴

1890年8月20日、誕生。父はウィンフィールド・スコット。母はサラ・スーザン
グリム童話やジュール・ヴェルヌ、アラビアン・ナイトやギリシャ神話を愛読し、夜ごと悪夢に悩まされる子供であった。
1898年7月19日、父、不全麻痺により死去。このころエドガー・アラン・ポーの作品と出会う。
1906年、『サイエンティフィック・アメリカン』誌などに天文学関係の投書やコラムを寄稿するようになる。
1908年、神経症のためハイスクールを退学。
1915年、文章添削の仕事を始める。
1916年、文通グループ「Kleocomolo」を結成。
1917年、徴兵検査で不合格となる。これは彼に生涯付きまとうコンプレックスの一因になった。
1918年、「Kleocomolo」を解散し、新たな文通グループ「Gallomo」を結成。
1919年、母が神経障害で入院。
1921年5月22日、母、死去。
1923年、創刊されたばかりの怪奇小説専門のパルプ雑誌『ウィアード・テールズ』10月号に短編『デイゴン』(Dagon、魚神デイゴン)が採用される。
1924年3月3日、ソニア・H・グリーンと結婚。しかし翌年別居。
1929年、ソニアと離婚。
1937年3月15日、腸癌のため死去。享年46。

作品

クトゥルフの呼び声
ダンウィッチの怪
チャールズ・ウォードの奇怪な事件
アウトサイダー
インスマウスの影
闇に囁くもの
壁のなかの鼠
死体安置所にて

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最終更新:2010年10月10日 20:57