1 H・P・ラヴクラフトの時代( ~1937)


ロード・ダンセイニアーサー・マッケンエドガー・アラン・ポオといった様々な作家の影響を受けたハワード・フィリップス・ラヴクラフトは創作に手を染めるうち、その当時のアメリカにあっては非常識とも言える宇宙観を、いつしか自分の中に構築していきました。この地球にかつて宇宙から飛来した別種の生物たちが君臨していた時代があり、後、爬虫類が進化した生物が天下を取り、やがて哺乳類から進化した人類が天下を取るようになりました。でも、人類滅亡後には蜘蛛の進化した生物が天下を取り、最後は甲虫類が天下を取ります。でも、それも爬虫類の生物たちが天下を取る以前に宇宙から飛来し地球に君臨していたクトゥルーたち強大な力と魔術を駆使する旧支配者が眠りに就いているほんの僅かの間の事なのです。彼等が目覚めた時、この地球は再び彼等のものになるのです。人類の歴史など、地球の歴史から見れば取るに足らないものなのです。
そしてラヴクラフトは、自分の作品に共通の背景をもたらすべく魔道書のネクロノミコンやクトゥルー、ヨグ・ソトースニャルラソーテップアザトースニャルラソーテツプダゴンシュブ・ニグラス、それにマッケンが創造したノーデンスなどの神名、舞台となるべきアーカムインスマスダンウイッチといった土地を創造し、それらを作中に幾度も登場させました。敏感な読者たちは、やがてその共通性に気づく様になりました。

ラヴクラフトは、多くの人物たちと積極的に手紙を遣り取りし、情報交換に努めました。詩人だったクラーク・アシュトン・スミスはその一人で、ラヴクラフトの影響で小説も書く様になりました。彼は古代大陸のハイパーボリア、中世のアヴェロワーニュ、滅亡寸前の人類が暮らす最後の大陸(遠い未来に海底から隆起して出現する)ゾティークなどのエキゾチックな舞台やエイボンの書といった魔道書、それにツァトゥグァや後にツァトゥグァと同一存在となるゾタクァなどの神々を創造しました。
互いに手紙でアイデアを交換し合った二人は、やがてスミスが自作にクトゥルーの名前を出したりラヴクラフトがツァトゥグァの名前を出したりと、名前の貸し借りを行いました。
但し、これはあくまで名前の貸し借りであって、世界観を貸し借りする事はありませんでした。
作家のロバート・アーウィン・ハワードも名前の貸し借りに参加した一人です。もっともエキゾチックな異世界情緒に重きを置くスミスや独自の宇宙観に基づくラヴクラフトと異なり人間中心だったハワードは、コナンなどで舞台を作る事はあっても、それはあくまでヒーローを縦横無尽に活躍させるためのものであって、自分の作った舞台にラヴクラフトの作品から名前を借りて来る事は無く、付き合いで書いた作品に名前を借りる程度でした。それでも彼は無名祭祀書という魔道書を創造しています。神々にあまり興味が無かったらしい彼も、人の手になる魔道書というものについては手がけてみたかったのかも知れません。
こうしてウィアード・テイルズ三大作家と呼ばれたラヴクラフト、スミス、ハワードの三人はいずれも後にクトゥルー神話作家に数えられる様になりましたが、本人たちにしてみれば遊んでいただけでした。
若き小説家でラヴクラフトと親交のあった[[フランク・ベルナップ・ロング]]も、異次元の生物であるティンダロスの猟犬チャウグナール・ファウグンを自作で創造しましたが、ラヴクラフトがそれらの名前を自作に取り込んだため、クトゥルー神話作家となりました。
ところでラヴクラフトは添削や代作も仕事として行っていましたが、おそらく彼自身の茶目っ気から、添削の場合でも、脈絡なく神々の名前を入れたりしてしまっていました。勿論、代作に至っては言うに及ばずです。こうしてヘイゼル・ヒールドゼリア・ビショップアドルフォ・ド・カストロといった名前もクトゥルー神話群に加わる事になりました。
後に映画化もされた小説「サイコ」のロバート・ブロックは矢張りラヴクラフトに魅せられ、少年時代に半ば弟子入りしクトゥルー神話でデビューを果たしました。彼は「妖蛆の秘密」という魔道書を創造しエジプト趣味により、専らニャルラソーテップを中心に作品を展開をしていきました。
ラヴクラフトの世界に魅せられ、ラヴクラフトたちの遊びに加わりたいと願う若者たちは他にも居ました。ヘンリイ・カットナーオーガスト・ダーレスです。カットナーはキャサリン・L・ムーアと結婚してからのルイス・バジェットという夫婦合作名義と、その名で書かれたSF作品の方が有名ですが、彼もイオドニョグサといった神々やイオドの書といった魔道書を創造しています。もっとも、彼は自作をラヴクラフトに見せたりはしていたようですが、作品群が陽の目を見たのはラヴクラフトの死後だったようです。
スミスが筆を折り、ハワードが自殺し、ラヴクラフトが志半ばで倒れ、そのままなら時代の中に埋没してしまう筈の作品群を埋もれさせなかったのは、オーガスト・ダーレスでした。

2 オーガスト・ダーレスの時代( ~1971)


オーガスト・ダーレスは、そもそもの始めから間違えてしまった人です。
ラヴクラフトは様々な人々と文通していました。その中にハロルド・ファーニーズという人が居ました。その人にラヴクラフトは自分の宇宙観を手紙で説明していました。でも、その人は、キリスト教的な人間中心の世界観を持った常識的な人だったようです。前述の、旧支配者が眠っている間に様々な生物たちによる地球の支配権の交代が行われている・・・などと言う考えは理解出来無かったようで、脳内変換してしまいました。旧支配者たちは禁断の黒魔術を駆使したため眠りに就かせられたと・・・しかも、接触してきたダーレスに、そう説明してしまったのです。かくしてラヴクラフトの作品を理解した積りになったダーレスは、ベテルギウスに住む旧神を考えつきました。クトゥルーたちの天敵とも言うべき存在のアイデアに喜んだラヴクラフトは、ダーレスの誤解を知ってか知らずか現在のベテルギウスがかつてはグリュ・ヴォと呼ばれていた・・・という設定を考えつきました。或いはラヴクラフト自身、何らかの形で旧神に関する言及を自作で行う積りだったのかも知れませんが、それから何年かして、ラヴクラフトは癌で亡くなってしまいました。
ラヴクラフトに対するダーレスの入れ込み方は大変なもので、彼はラヴクラフトと彼の仲間の作品群を出版するべくドナルド・ワンドリイと共にアーカムハウスを興しましたが、第二次大戦が勃発するとワンドリイは従軍してしまい、後は、ダーレスが一人で頑張りました。出版に執筆に。そして、戦後、ダーレスはラヴクラフトと仲間たちの一連の作品群をクトゥルー神話と名づけました。

ラヴクラフトの死以前にハワードは自殺しスミスは筆を折っていて、戦後にはブロックもカットナーも後にクトゥルー神話と呼ばれる作品を手がけなくなりましたが、逆に、生前のラヴクラフトと交流があって超時間の影に登場する魔道書エルトダウン・シャーズのアイデアの提供者だったリチャード・F・シーライトロバート・シルヴァーバーグ、詩と純文学畑のフレッド・チャペル、互いに交流は無かったもののラヴクラフトと同時代にウィアード・テイルズに書いていたヒュー・B・ケイヴといった人々が書く様になりました。中にはダーレスの指導を受けてアーカムハウスからクトゥルー神話を出す人々も居ました。リン・カーターもその一人です。又、アーカムハウスからクトゥルー神話でデビューした小説家としては、現在、イギリスのホラー界の長老格であるラムジイ・キャンベル、旧神たちの裏切り者がクトゥルーたち旧支配者であり、その首領がクトゥルーであり、最強の旧神がクトゥルーと同型のクタニドであるとしたブライアン・ラムレイ、旧神などおらず、ひ弱な地球の神々がその正体であるとしたゲーリー・メイヤーズ、クトゥルーは架空の存在だが、旧支配者に相当する存在はおり、ラヴクラフトはその事を知っていて警告を自作に混ぜていたのだとしたコリン・ウィルスンといった人々が居ます。又、ダーレスの指導を受けていたもののダーレスが急逝してしまい、デビューしたものの作品の発表の場が失われてしまった気の毒な人々も居ます。「エーリッヒ・ツァンの音楽」の続編とも言うべき作品を書いたジェームズ・ウエイドイドラヌグリ・コラスといった神々や魔道書「パオのブラックスートラ」を創造したウォルター・C・デビル2世といったこれらの人々を、後にロバート・M・プライスは「アーカムハウスの失われた世代」と呼んでいます。
クトゥルー神話の後継作家の育成に力を注ぎながらも志半ばで倒れたダーレスでしたが、それでもその時、ラヴクラフトとクトゥルー神話を世に広める事には成功していました。

3 リン・カーターの時代( ~1988)


オーガスト・ダーレスの死後、アーカムハウスではクトゥルー神話の後継作家を育成しようとはしなくなりました。しかし、クトゥルー神話の作品集の出版などは続けました。一方、他の出版社からもクトゥルー神話の作品集が出るようになりました。雑誌にもクトゥルー神話作品が掲載されるようになり、同人誌も出されるようになって行きました。

オーガスト・ダーレスはクトゥルー神話をあくまで発表された作品としてしか見ていませんでした。それが、この人物の限界でもありました。ダーレスはラヴクラフトの書簡集も出版しました。でも、その内容には、そこに書かれている作品の背景や神々の設定には注目しなかったのです。そこに注目したのはリン・カーターでした。

リン・カーターは、旧神たちが自分たちに仕える者としてアザトースウボ・サスラを生み出したものの、両者は旧神たちに叛乱したとし、又、アザトースからクグサクサクルスヨグ・ソトースニャルラソーテツプが生まれたとしています。ラヴクラフトの書簡にあった設定と、スミスの書簡にあった設定の融合です。そしてヨグ・ソトースからクトゥルーハスターヴルトゥームが生まれたとし、一方、ウボ・サスラからはアブホースが生まれたとしました。更にガタノトアがクトゥルーの息子であるとし、その弟としてイトグサゾス・オムモグを設定し、三神の母としてイダ・ヤアという名前を用意しました。
カーターは他にも神々や従属生物を、又、シャンタク鳥の首領などの名前を創造して行きました。
しかし、次々と新しいアイデアを加え続けて行ったカーターでしたが、癌で他界してしまいます。志半ばでカーターが倒れた時、クトゥルー神話の中心はゲームと同人誌に移っていました。ロールプレイングゲームのケイオシアム社から出たゲームがヒットしていたのです。

4 現在(2009年)


ケイオシアムのゲームは、新しい要素を生み出しました。「外なる神々」と呼ばれる存在です。確かにゲームのルールとしては理に叶っています。たとえばクトゥルーとヨグ・ソトースの場合、神と人間ほども能力に開きがあります。そのための整理だったのでしょう。現在では、この分類は多くの書き手に浸透しています。
又、クトゥルフ神話の書き手たちは、しばしば固有名詞を曖昧なままにしていました。ラヴクラフトはキングスポートで緑の炎を崇める信徒たちとその儀式を描きましたが、対象となる神の名称や呼称は明らかにしませんでした。ジェームズ・ウエイドは「エーリッヒ・ツァンの音楽」の続編をクトゥルー神話として発表しましたが、音楽に係る謎の存在が何者であるか明らかにしませんでした。曖昧なままの方が、より効果的だからです。でもゲームでは、そういう訳にも行きません。緑の炎はトゥルスチャ、音楽に係る存在はトルネムブラという名前の外なる神々であるとされました。正直、名前さえ付ければ良いというものではないのですが、それでも曖昧だった物事が定義付けられたり名前が確定されたりしていき、小説の書き手たちの間にも浸透していきました。
ゲームから出たアイデアなどもあります。デルタグリーンと呼ばれるアメリカの対エイリアン組織は、ゲームにおいて設定された組織ですが、今では小説にも使われています。
良きにつけ悪しきにつけ、ゲームの存在が小説にも影響を与えつつあるのです。

この先、クトゥルフ神話がどの様に変化していくか、それは誰にも判りません。

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最終更新:2009年08月17日 21:40