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*CMWC NONEL COMPETITION6 **已むを得ず、無題 #right(){作:塩瀬絆斗} これまで推測していた《釣針の五種類》によれば、この記号の並びは「AIUE」を表しているのだ。躊躇うことはなかった。今の俺にはどんなことでもが手がかりとなっているのだから。この四つの記号は「ダイスケ」を示すに違いない。そして、この推測は先ほど考えた段階的複雑性にも合致しているように思えたのだ。四つの記号の一番最後のものは「け」であるが、「か行」は《直線形状》を除外してはじめの行である。つまり、この行に相当する記号は段階的複雑性において初期的な役割を担っているのではないか。「け」の《中心形状》は、Zの斜めの棒が上下の棒に対して垂直をとっている形になっている。他 の《中心形状》と比較すると複雑性の面では最も初期に位置しているだろう事が容易に想像できるのだ。それは「だ」にもいえることで、俺が手に入れている「が行」は《中心形状》が尖山型だった。段階的複雑性によれば、これ以降の行はこれより複雑な形状でなければならない。「だ」の記号はそれに合致しているように思えた。もっとも、「が行」と比較すると、《中心形状》が角形や円形で、上下に張り出しているものは複雑性の面では逆行しているような気もするのだが。ともあれ、俺は新たに「か行」、「さ行」、「だ行」を手に入れた。これならば穴埋めの作業は飛躍的に進むはずだ。(判明文字を示す。未解読文字は×) き×し×そう××こうそくし×い×× ×す××う×いえ×あい××××××い せ×××××あ×か××い××いうこ× ×し×せおそ×く×す××せいこう す×だ×うそ×ご×だいすけ×× ×××し××い×××××んきん し××か×さん×ん×××××う ××あ×え×だいすけ×こ×あんご う×き×し×そう××××しかい どくす××う×いえかいどくさ× ××で×がさ×い×う×し×  サイモン・シンは解読作業には一種の快楽があるのだろうと言った。その通りだった。俺は今の自分が置かれた状況を忘れて解読に没頭していたのだ。  穴埋めの後に俺に訪れたのは、達成感だった。そこには「拘束」、「成功」、「解読」といった単語が読み取れたのだ! この解読法は間違っていないのだ。そして、これは間違いなく指示書だった。となると、どこかに「盗む」というような言葉があるに違いない。しかし、俺が次に目を付けたのは六行目の右端の三つの記号だ。穴埋めでは「んきん」となっている。俺は先ほど「監禁」という言葉が入っているのではないだろうかと推測したのだが、それに似ているのだ。しかし、これは「監禁」ではない。なぜなら、最初の「ん」の前が、二番目の「ん」の前にある記号の《中心形状》と一致していないからだ。これは「軟禁」といっているのではないだろうか。ただし、これは確実ではない。そこで俺が目を転じたのは、一番最後の一文字分の未解読部分だった。この一文字は《釣針の五種類》から、「お段」の文字を示している。そしてこれは指示書だ。ここには命令が、つまり、「~しろ」と書かれているのではないだろうか。そこで、少し考えを進めてみることにした。  段階的複雑性だ。 《中心形状》は、「さ行」は円形が上向きに付いている。それとは逆のものもある。円形が下向きについている場合だ。これは「さ行」の次の行ではないだろうか。《中心形状》には円形や角形が上下に飛び出ているものもある。もしかすると、その前段階である、《中心形状》が上か下に飛び出ている記号が関係しているのではないだろうか。もし円形が下に飛び出ているものが「た行」だとすれば、その次の行は円形が上下に飛び出ているものがくる、という具合だ。そして上下に飛び出るものは二種類あって、右が上に出て左が下に出ているもの(右上突出)、右が下に出て左が上に出ているもの(左上突出)、だ。上突出、下突出、右上突出、左上突出……四種類だ。そしてこれに円形と角形の違いが加わり、八種類。「あ行」と「か行」はこの部類には含まれないから除外して「さ行」から「わ行」までを数えると、その数は八。笑いがこみ上げてくる。そしてどうだろう! 尖山型がその後の濁点行を示しているとすると、上下突出と右上突出、左上突出で、その数は四つになる。「が行 」「ざ行」「だ行」「ば行」だ。最後に残った「ぱ行」はこの暗号に記されなかったのだろう。  もし、一番最後の文字が「ろ」を表しているとすると、この論理は支えられる。この記号は角形左上突出「お段」だ。円形突出型はその組み合わせが「は行」で終わる。ということは、「ま行」は角形上突出型になっているはずだ。こうなれば、芋づる式だ。「や行」は角形下突出。「ら行」と「わ行」が角形の右上か左上突出になっているはずだ。そして、一番最後の記号が「ろ」ではないかという推測はこれに競合しない。となれば、最後の記号は「ろ」だろう。さらに分かることがある。もし最後の記号が「ろ」であれば、上下突出の後には左上突出がくるのだ。現に「だ行」は左上突出になっている。「が行」が尖山上突出。「ざ行」は自動的に尖山下突出になり、その後の「だ行」が尖山左上突出になっているのだ。  この推測を足がかりにして穴埋めを進めていくと、それはするすると解けていったのだ。 きりしまそうじをこうそくしないふを ぬすむようにいえばあいによつてはたい せつなひとをあずかつているというこ をしめせおそらくぬすみはせいこう するだろうそのごはだいすけをみ はりにしてれいのへやへなんきん しろほかのさんにんはべつのよう じをあたえるだいすけはこのあんご うをきりしまそうじにわたしかい どくするようにいえかいどくされ るまでにがさないようにしろ (霧島ソウジを拘束し、ナイフを盗むように言え。場合によっては大切な人を預かっているということを示せ。おそらく盗みは成功するだろう。その後はダイスケを見張りにして例の部屋へ軟禁しろ。他の三人には別の用事を与える。ダイスケはこの暗号を霧島ソウジに渡し、解読するように言え。解読されるまで逃がさないようにしろ)  俺はどっと疲れを覚えたが、それ以上の戦慄を覚えた。それは、この指示書に俺の名前が間違いなく記されていたからである。  俺は狙われていた……!  なんてことだ。なぜ俺が? 逮捕協力の情報を警察へ渡したからだ。《アイコノクラスト》が報復に動いたのだ!  だが、この指示書には殺人の話は書いていない。「他の三人」への別の用事というのは、暴行事件のことだろうか。いや、そんなことよりも、指示書と実際の出来事の間に微妙な違いがあることのほうが気になる。それは例えば、「ナイフを盗」ませるようにいっているにもかかわらず、俺は包丁を盗むように強要された。俺に暗号を渡したのはダイスケではなく、あの蛇の男だった。そもそも、この暗号はあの四人よりも上位の人間が書いているように思える。リーダーだろうか。しかし、凶悪な少年グループである《アイコノクラスト》のリーダーの指示をきちんと遂行しないのは問題がありはしないだろうか。内部にちょっとした諍いが起きている?  どういうことだ……。  なにが起こっている?  誰がダイスケを殺した? 6、コミカル・エクスプロージョン 「大丈夫か?」  いつの間にか寝てしまっていたようだ。拘置室の外にあの刑事が立っていた。今は何時だろう。窓の外からは光が差し込んでいた。 「また話を聞きたい」 「ええ」  俺はそう返事をして立ち上がった。しかし、同時に寝惚けていた頭に《釣針暗号》のことが浮かび上がってきたのだ。 「そうだ、俺、あの暗号を解読したんです!」 「なんだと?」  刑事は俺がポケットから紙を取り出すのを驚いた表情で眺めていた。  俺はすべてを説明した。 「……なるほど」刑事は難しい声を漏らした。「君ははじめから狙われていた、と。だが、それだけでは君の殺人の容疑は晴れないだろう。その文章が君の殺人の動機を後押ししているように見える。部屋に軟禁されたことによって殺害の理由が生まれたのだ、と」 「……そんな」  朝から気の滅入ることだった。  俺は昨日と同じ取調室で刑事と相対していた。 「彼女が今日も署に来てるぞ」  刑事の最初の一言はそれだった。俺の脳に一気に血液が廻るのが分かった。ユウリ! 「相当君のことが心配なんだろう。『彼はいつ解放されるんですか』『彼は大丈夫ですか』と矢継ぎ早に質問されたよ。なんとも答えられなかったのが残念だったが、いい子じゃないか」 「……ええ。監禁されたときもずっと彼女のことを考えていました。……そうですか、ユウリが……」 「会ったり物の受け渡しは許されている。後で面会するといい」 「そうですね」  刑事の姿勢が正される。目つきが変わったのが分かる。  長い言葉のやり取りがあった。疲労感が募る。ユウリは大丈夫だろうか。  時計を見る。午前十一時三十分。今日は……確か九月三十日だった。  こんなときにこんなことを思うのは馬鹿馬鹿しいが、現実逃避をしたいんだろう。《電ミス》の競作募集は今日で締め切りだった。今日の二十三時五十九分五十九秒だ。とてもじゃないが、間に合わない。この時間を過ぎても投稿を許されるだろうが、それでは俺のプライドが許さなかった。ああ……、小説家になるという漠然とした夢が随分遠くへ行ってしまったような気がする。俺は家に帰れるだろうか。冤罪という言葉が耳のそばを弾丸みたいに掠めていく。そんなのは嫌だ。しかし、警察は俺が犯人であると考えている。  俺は――……。俺がすべてに決着をつけるしかない。  考える俺が解離していくような気がした。刑事の質問に答える俺がいて、それとは別に考える俺がいる。  まずなんとしても解決しなければならない問題は、密室の問題だった。糸を施錠ツマミにくっつけてそれを換気扇の隙間から引っ張るというのは施錠ツマミの強度から考えて難しいだろうと思われた。それに、テープでくっつけたとすると、万が一テープが取れなかった場合に重大な証拠になるだろう。俺が現場を見たとき、施錠ツマミにはそんなものはなかった。結果としてなかったのかもしれないが、犯人が証拠を残す可能性を孕んだままトリックを実行するとは思えない。そして鍵は俺が持っていたから、犯人は確実に施錠ツマミに細工を施したのだろう。ドアノブを外したのだろうか。しかし、あのドアノブのネジは随分特殊な形状をしていた。それに、内側のドアノブを外すにはやはり部屋の中にいなければならない。換気扇を外すのも無理だろう。枠が錆び付いて動かすことも出来ない。それ以前にあそこに体を入れるにはかなりの大男でないと高さが足りない。普通の人間なら手が届くくらいだろう。そして、そんな大男だったら、あの隙間から出入りするのは不可能だ。そして、も したとえ隙間から出入りできても、結局、枠は部屋の内側からしかつけることが出来ない。窓に関しても同様のことがいえるだろう。ドア周りは外へ通じる少しの隙間も出来ないような構造になっていた。となると、やはり犯人は換気扇の隙間から何らかの方法で施錠したのだ。そして、その方法はもはや糸しかないのだろうと思う。  俺は刑事に言った。 「密室のことですが、犯人は糸を使って施錠ツマミを回したんじゃないでしょうか。それ以外に考えられないんです」 「ふむ」刑事は俺が犯人である可能性も考えている。そのための深い唸りなのだろう。「実はそれは試してみた」 「本当ですか?」 「ああ。ただ、テープで施錠ツマミにくっつけたんだがテープは張り付いたままな上に施錠ツマミを回転させることすら出来なかった。一本の糸では力が不足するんだ。二本や三本で、というのではない。力のかかり方が、施錠ツマミを回転させるには不十分なのだ。施錠ツマミは開錠状態で反時計回りに九十度回転するが、ツマミの上下に異なる方向で力が加わればうまくいくはずだが……そうなると、反対側にも窓がなくては難しい。それに、部屋を隔てた位置だから犯人は二人以上いたことになる。それでは、君を犯人と考えている我々は君の共犯を探さなければならない。あの子が共犯だというのなら別だが」 「バカな!」それは信じられない物言いだった。「俺は犯人じゃないし、あいつだって違う!」  刑事は分かっている、というように軽く手を挙げて見せただけだった。  刑事との話は大した進展も見せることなく休憩に入った。  面会室の扉の前で、俺は少し身だしなみを整えていた。 「ソウジ君」  昨日会ってから一日も経っていなかったが、久し振りに彼女の顔を見たような気がした。 「ユウリ」  俺たちは互いに名を呼んで触れ合った。 「大丈夫?」 「ああ」  しかし、彼女の顔には隈が目立って見えた。 「お前、寝てないのか?」 「……心配で」 「ダメだろ、ちゃんと寝ないと」 「でもソウジ君が警察にいるのに寝ていられないよ」 「心配するな。俺は絶対大丈夫だから」  ユウリと言葉を交し合う。それは束の間の幸せであった。  しかし――。  なぜだろうか。先ほどから俺の全身を包み込むこの悪寒は。総毛立ち、粟立ち、精神がざわめく。額からは脂汗が吹き出していた。  ダメだ。そんなのは、ダメだ。俺は去来したものを拒み続けた。  そんなことは、絶対にない。  だが、それは――。俺を占めていくそれは……。  ユウリを見る視界が滲んでしまう。止め処なく涙が溢れていた。 「どうしたの、ソウジ君!」  頭を抱える。違うんだ。違う。絶対に違うんだ。優しいんだ。そんなことなんて絶対にしないんだ。認められない。却下だ。でも涙が止まらない。信じたくない。  ――すべてを闇に葬り去るか?  心の奥から声が聞こえる。それは解離した俺の、考える俺の声のようだった。しかし、それは紛れもない俺だった。 「ソウジ君、しっかりして! 今誰か呼んで来るから」 「……いや、いいよ。大丈夫」  そう言うのが精一杯だった。  確かめないと。そうだ、確かめないと。だって、これが本当のことだって決まっていないんだから。そうだ、笑って首を振るに違いない。そうだ、そうに決まってる。笑って――。 「私は犯人なんかじゃないよ」  って! 7、AUDI, das ist “With the LEGO”! 「聞きたい、ことがあるんだ……」 「なに?」  ユウリが俺の顔を覗き込む。それだけで、俺は何も言えなくなってしまう。でも、言った。それは彼女を信じているからでもあったからなのだと思う。 「君は……」唾を飲み込む。それは重い重い重力子だった。「なんて言えばいいんだろう……。君は、俺が、あの部屋に閉じ込められていることを、知っていた?」 「どうしたの、急に?」  笑ってる。そうだ、そうだ。でも内奥から湧き出る、何かは俺を突き動かしていた。もしかしたらあの刑事の言葉がずっと俺の心の奥底に突き刺さって光を放ち続けていたのかもしれない。そうだ、これが俺の自家製の大義名分だって、俺は自分に言い聞かせているんだ。なぜならそれは絶対に間違っていることだから。 「この事件の犯人の条件は、まず第一に、ダイスケがあの部屋にいることを知っていなければならないっていうことだ。そして、それを知っていたのは俺とあの三人組だ。でも、実はもうひとりいる。《釣針暗号》を書いた奴だ。三人組は事件のときにアリバイがあって、犯行に及ぶことが出来なかった。俺は犯人じゃないから、自然的に犯人はその《リーダー》ってことになる」 「急にどうしたの? もしかして、事件が解けたの?」 「まあ、そう言うことになるのかもしれない。俺は間違っていると思うけど」 「すごい!」ユウリは目を輝かせた。「さすがソウジ君だね。なんでも出来ちゃうんだから」 「そうかな……。で、その《リーダー》は俺を指名して、拘束するように言っていたんだ。つまり、俺は待ち伏せされていた。でも、どうやって俺を待ち伏せしたんだろうか。俺は自分の家の前で囲まれたんじゃないのに。犯人は、俺があの道を通るって知っていたんだ。でも、そんなことを知っている人はいなかった。――君以外には」 「どういうこと?」  非難するような目で俺を見る。怒っているんだ。そうだ、それは当たり前だ。誰だって疑われるのは嫌いだ。信じていたいし、信じられていたいんだ。 「君は、俺が拘束されていることも知っていた。俺があの英語のメッセージで伝えたからだ。君は、あのメッセージに気が付いていた。君は俺が部屋を脱出した後に、まずダイスケに施錠を解かせた。そして転がっていた包丁で彼を殺害した。密室トリックはごく簡単なものだった。施錠ツマミにがっちりはまる大きさの輪をタコ糸で作るんだ。その輪の、施錠ツマミの上下に当たる部分に長い糸をくくりつける(輪と糸のくくりつけの順序は逆の方が効率がいい)。施錠ツマミの上から出る糸は換気扇の隙間から外へ。下から出る糸は反対側へ引っ張りたい。施錠ツマミの上下に異なる方向への力を加えたいからだ。しかしそれが問題だった。だからダイスケの死体を利用した。君はダイスケの死体を部屋のドア側の左隅に移動させて彼を滑車代わりに使ったんだ。でも、これだけだと服の生地の摩擦が強すぎて、滑車の代わりが出来ない。といって、首などに糸をかければ痕が残ってしまうかもしれない。だからゴミ袋を被せたんだ。滑りやすくするようにね。ダイスケの体を通してその糸も換気 扇から外へ出しておく。そしてドアを閉めて外へ出る。換気扇の外から糸を引っ張るんだ。施錠ツマミの上部の糸は左方向の力を加える。でも、その力だけでは不十分なんだ。しかし、ダイスケの体を滑車代わりにした下方の糸は上方の糸とは反対の右方向の力を加える。その二つの力が組み合わさると施錠ツマミはようやく回転して施錠が可能になるんだ。施錠ができたら、上方に繋いだ糸を部屋の内側方向へ強く引っ張る。すると、輪が施錠ツマミからすっぽ抜けてしまう。後は糸を引っ張って回収する。迷彩柄のバンダナは俺から《電ミス》の競作についての話を聞いたときのことから残そうと思ったのか。施錠を確認した君は、俺が来ているであろう自分の部屋へ急いだんだ。だから、君の部屋の前で、俺は君に背後から声をかけられたんだ。俺の部屋に行っていたというのは嘘だったんだ。一番の決め手は、君以外に俺を待ち伏せさせることができた人がいなかったっていうことだ。君からの連絡があって、タイミングよくあの四人組が現れたんだから……。それに、昨日の君の言葉がある 。君は実際にあの三人組の顔を見たことがないのに、連行される三人組が俺を拘束した連中だと断言していた。俺を担当した刑事は俺の話で三人の内のひとりが蛇に似ていると知っていたが、実際には見てもよく分からなかったと言っていたのにね」  ユウリは黙って俺を見つめていた。  どうして否定してくれないんだ。ほら、どんでん返しだ。そうじゃないと面白くない。 「はあ」ユウリの口から溜息が漏れた。「やっぱ、殺しとくべきだったのかな」  なんだって? 今ユウリはなんて言った? 誰か巻き戻ししてくれないか。 「マスコミが少年グループって繰り返すのはいい隠れ蓑だったんだけどね。あたし女だし。女の子が《アイコノクラスト》のリーダーだなんて誰も思わないよね」  悪戯っぽい笑みだった。なんていうことだ。いつもの彼女じゃない。  しかし、辻褄が合うのも道理だった。指示書と実際の四人組の行動に微妙な違いがあったのは、女に扱き使われているという意識が芽生え始めたからだろう。ちょっとした反抗心が彼らをひねくれさせたのだ。それに指示書の、盗みは成功するだろう、という楽観的な言葉と、先ほどユウリが口にした言葉、「なんでも出来ちゃうんだから」。そこに、共通して俺の能力を認める姿勢が垣間見えるのだった。 「いつ分かったの?」 「つい今しがたさ……」自暴自棄だ。なんでこんなことになってしまったんだろう。「君のことを考えて、君の事を見た。その時に、神様が妙な考えをふっと投げ込んできやがったんだ……。ユウリ、本当なのか?」 「ダイスケはね、警察にあたしたちの情報をリークしてたんだよ。だから、あいつの付き合ってる女を拉致したの。そうしたら大人しくなったけど、あいつが存在する以上あたしたちはずっと危険に晒されているわけでしょ。だから、粛清しようと思ったの。でも、ただ殺すだけじゃ、ダメ。そこでソウジの出番よ。ソウジはあたしたちのメンバーの逮捕に協力した。だから、鉄槌を下そうと思ってね。そこで、ソウジに罪を被せてダイスケを粛清する計画を立てた。あは、一石二鳥ってやつ。これ、ソウジと付き合う前の話ね。計画には自信があった。部屋に閉じ込められたソウジがすぐに脱出することも分かってた。あたしのことが心配だもんね。ご苦労ご苦労。あ、でもこの隈は本物。ソウジが逮捕されるまでは安心できないもん」  ――つまり、ユウリは今回の計画のために俺と……。俺はそんな女を心から……。  涙なんか枯れた。こんなドン底ってあるか? 何してくれてんだよ、運命の女神。その前髪を引っこ抜いてやろうか? 俺はユウリと一回もあんなこともそんなこともしてないんだぞ。その理由も今分かったが。  そのときだった。面会室のドアが開き、あの刑事が顔を出した。  刹那。  ユウリの細い体が俺と彼女とを隔てる机を飛び越していた。手を付いてくるりと俺の背後へ立ち首に腕を絡ませる。その手にはバタフライナイフが握られていた。 「近寄らないで。あたしはこのまま出て行くから、邪魔しないでよね。善良な市民が死ぬよ」  刑事はただ狼狽した。何が起こっているのかまったく見当が付いていないようだった。 「おい、やめるんだ」 「命令しろなんて言った? 邪魔するなって言ったのよ。この男の首、掻っ切るよ」 「分かった。邪魔はしない」  刑事は両手を挙げてユウリの――こんなに可憐なのに悪魔的な少女の言葉を聞き入れた。  俺はユウリに抵抗しなかった。できなかった。まだ信じていたから。情けないと思う。でも、彼女をずっと信じていたかった。 「ねえ、拳銃って持ってるの?」 「いや、普段は装備倉庫にある」 「じゃあ、そこに案内して」 「何を考えてる?」 「兵力増強。《アイコノクラスト》っていうくらいだから破壊能力ないとね」  刑事は身構えたままユウリと、俺とを見つめた。 「ソウジ君は君の恋人じゃなかったのか?」 「まあ――仮契約ってやつ?」 「ソウジ君、君しか彼女を止められない。やめるように言ってくれ」  俺は答えなかった。もし連れ去られるならそれもいい。この世なんてどうにでもなれ。 「ねえ、“ソウジ君”殺すよ」 「分かった。だが、待ってくれ。倉庫には鍵がかかってる。それを開けさせてからじゃないと中には入れない」  刑事の目は俺に注がれていた。随分親切にしてくれた。  恩返しなんて期待してるんだろうか。そうだろうな。武器なんか持ち逃げされたら絶対に職を失うもんな。家族はいるんだろうか。なんかいい父親っていう感じがするな。家族はいい。心の居場所だから。  俺は自分の両手に目を落とした。随分綺麗な手じゃねえか。今まで苦労なんてそんなにしてこなかったものな。そつなく生きてきたんだ。多分これからも。  深呼吸した。  刑事は面会室のドアのところに立って、ユウリの進路を塞いでいるように見えた。時間稼ぎだろう。この間に狙撃部隊とかを外に待機させているんだろうか。そうしたら、もしかするとユウリは撃たれて死んでしまうかもしれないな。それはすごく惜しいし、嫌なことだ。ユウリはかわいい。優しい。理解がある。頭もいいだろう。気が利くし、スタイルがいい。こんな女の子を喪ってはいけないだろうな。それに、この先、俺がこんな子と一緒になれるなんてないだろうな。  もう一度深呼吸した。  どうすりゃいいんだ。外に出ればユウリが殺されるかもしれない。今下手なことをすれば俺の首から血が吹き出るだろう。どんな窮地だよ。まさに《電ミス》だ。なんで現実に演じなきゃいけないんだ。俺は書いて送るだけでいいんだ。いや、もう今日中に出すのは無理だろうな。何もかも終わりだ。俺の人生――平凡。まあ、最後にこうしてドラマが生まれたからよしとするか。警察で人質事件なんて新聞の一面だぜ。美少女が犯人で、俺はその恋人ってことになるんだろうな。 「頼む」  刑事の口がそう動いたような気がした。  もういやだ。 「刑事さん」俺は疲れ切った口を動かしていた。「もうユウリの好きなようにやらせてくださいな。どうせ、彼女が捕まっても《アイコノクラスト》は存続し続けるでしょう。ここで起こったことなんか些事なんだ。さあ……。俺は大人しくユウリに従います。さあ――」 「見損なったぞ」 「ソウジはよく分かってるよ。ここを出たら部下にしてあげよう」  そうかい。  刑事の目。俺の心を突き動かそうとする。  そうかい――……。  だったら、ちょっと頑張ってみてやってもいいんだぜ。  ユウリを失う? 刑事の信用を失う? 自分の命を失う?  否だ。  全部取る! 新聞の一面だって、だ!  もう俺は決めた! 「ユウリ、ちょっとごめんな」 「え?」  俺は思い切り肘をユウリの腹にめり込ませた。そうさ、手加減なんて一切しなかった。殺す気でやった。それは半分嘘だが。 「うぐっ!」  ナイフが手元から床へ跳ねた。ユウリが苦しんでいた。当然だ。肋骨にぶち込んだ。 「でかした、ソウジ君!」  刑事が駆け寄ろうとする。 「ちょっと待ってください!」  俺は倒れこむユウリを見つめた。苦しんでる姿もかわいいんだ。こいつは本当に完璧な女なんだ。ただ、ちょっとひねくれちまった。  深く息を吸い込む。 「おい、俺はお前が好きだ! こんな事するんじゃねえ!」  矛盾してるかなんてどうでもいい。  無理やりその体を起こさせる。 「こんな事して損するな! 普通の女になれ! 俺が絶対大切にしてやる!」 「ば、馬鹿じゃないの……」  ユウリが忌々しげに俺を見つめる。 「そうだよ、俺は馬鹿だ。それでお前を好きになっちまった。でも、好きだっていうのは馬鹿でも誰でも本当なんだ。俺がお前を叩き直す。付いて来い、絶対だ。放さないぞ」  ユウリの口元に笑みが浮かび上がった。そう、笑えばいい。かわいい女には笑顔が似合うんだ。 「……もう、好きにしてよ」  それきり彼女は目を閉じてしまった。俺の腕に重さがさらにかかった。 「ということです。刑事さん聞きましたか」  刑事は唖然としながらも口を開け放したまま頷いた。 「ただし」死んだ化け物が起き上がったみたいにユウリが口を開いた。「治療代はソウジ持ちでね。……すごく痛い」 「はい」 8、タイトルは最後に  俺が諸々の用事から解放されたのは夜も十時になってからだった。  ユウリは病院へ運ばれて、治療が終わり次第事件についての処罰が待っているということだった。これまでの《アイコノクラスト》での犯罪もこれで暴かれていくのだろうか。いや、俺が暴いていく舵取りをしなければならないのだ。それは、もうあのときに覚悟した。それに、俺は知っていた。俺の一撃で苦しむユウリの表情に、どこか安心したような響きが混じっていることに。これまでの日常から彼女は抜け出したかったのかもしれない。俺が彼女を救い、変えていくんだ。それが使命なんだ。だから、俺は彼女と出逢ったに違いない。  部屋のベッドに倒れこんだ。  色々なことがありすぎた。今日で三か月分くらいは生きた気がする。  しかし、改めて驚いた。自分のあの行動力に。人は変われるのかもしれない。違いない。人を心から好きになるということが、俺を変えたんだ。  そうさ、間違いなくユウリは俺にとって人生を転換させる運命の女神だったのだ。  では、いっちょ、小説家の夢も……。そう思い起き上がってあることに気付いた。時計の針は十時半を過ぎていた。あと一時間半だ。間に合うか?  まさに窮地だった。  パソコンを立ち上げ、キーボードに向かう。  脳裏を駆け巡っていく、これまでの光景。世界が変わって見えた。その映像が俺の指を動かしていく。文字が止め処なく溢れていく。  ――間に合え! #right(){ 【了】 } . . .

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