第九章「デート?いいえ、戦争です」
なんでこうなっちゃったんだろう。はぁ。古森は今日何度目かのため息をついた。
あの事件の後、結局班長の誘いを受けてしまった。理由?なんとなくだ。悪いか。と自分で自分にあたり散らしてみる。あぁ気が重い。
隣を歩く古森がそんなこと憂鬱な気分とは露知らず、「班長」こと阪下敦志警部補は顔がニヤケるのを必死で堪えていた。やっと古森をデート(?)に誘うことに成功したのである。これまでさり気なく誘ってみたことは何度もあった、返事は全て「だが断る」だった。しかし、その古森が今自分の隣を歩いている。そう考えると心が躍る。大声で歌いたい気分だった。しかし。自分には警視庁の警部補という地位がある。ここは自重するべきだろう、と考えた阪下は、「多少」気分を落ち着かせることにした。もっとも端から見ればまったく変わっていないのだが・・・
憂鬱な気分でフラフラ歩いていると、いつの間にかアクセサリーショップの前に来ていた。せっかく来たんだから見ていくかと阪下が言っているように聞こえる。そうだ。せっかく来たのだからここは一つ班長にアクセサリーを買ってもらおうではないか。どうせなら高いのを。「いいですよ、行きましょう。」
割と洒落たアクセサリー店だった。店内に入る。店主らしい青い服を着た女性が出迎えてくれた。服には輪っか?がついていて、変な赤い飾りのついた帽子をかぶっている。「いらっしゃいませ。」店主の格好は多少奇抜だが、店内は至って普通だった。早速店内のアクセサリーを見て回る。(できるだけ高いの・・・できるだけ高いの・・・)後ろでは班長がニコニコしながらこっちを見ている。何がそんなに嬉しいのやら。
30分ほどかけて古森が選んだのは、イルカをあしらったネックレス1個だけだった。しかも安い。お値段3000円なり。だって気に入ったのがそれしかなかったんだから。二人の自分が口喧嘩をする。
「ちょっと早いけど夕食にするか。」最終通告。これ以上気まずい空気を作ろうというのかこの男は。もうこうなりゃヤケだ。とことん付き合ってやろう。
アクアシティの五階にその店はあった。眺めのいい韓国料理店だった。窓からはフジテレビ本社がよく見える。班長は二人前の特製ホルモン鍋とやらを注文した。なぜこんなときにホルモン鍋なのか。とその時、地面が微かに揺れたような気配を感じた。「班長。」「ん?」「なんか揺れませんでしたか今?」「いいや。」気のせいか・・・?そう思いつつコップの水を手に取る。
ズゴシャァァァァァン!
お台場中に響くような轟音が起こったのはその時だった。店内が一気に騒がしくなる。
ズゥゥン!
続いて下から突き上げるような衝撃。テーブルの端にあったコップが床に落ちて割れた。地震?爆発?一切原因がわからない。「班長!」言われる前にもう班長は携帯を取り出してどこかと話していた。
『もしもし。』『森脇か?』森脇は阪下の同期である。今は警視庁の情報管理センターに勤めている。『今お台場にいるんだが、何かこのへんで爆発や事件は起こってないか?』『そのことなんだが・・・』『どうした。』『台場地区から通報が相次いでるんだが、電波が乱れてて通報内容がわかりゃしないんだ。』『電波妨害か?』『おそらくな。』『わかった。何か分かったらお前の仕事に差し支えない程度にこっちに送ってくれ。』『わか・・・ザザ・・・おまえも・・・ザザサ・・・』『もしもし?森脇?おい!』『ザ――――――』繋がらなくなった携帯を閉じる。「古森!」「はい。」「台場からいったん出るぞ。」おそらくSATにもまた出動がかかるだろう、であれば出れるうちにお台場から出たほうがいい。同じ考えに至っただろう古森もうなずく。長い一日になりそうだ。阪下は大きく深呼吸をした。
前後から2人の男が猛スピードで突進してくる。赤毛の女性はまず前方の男を飛び越えた。突然目の前から女性が消えたことに驚いた男が背後を振り返る頃には、着地から態勢を立て直した女性が右手の剣を振るっていた。ズバシャァアアアア!男の右腕が肩口からあっさりと切断される。「ぐああぁぁぁ!」男が痛みに耐えきれず線路に倒れこむ。女性は剣を構えなおしてトドメを刺そうとしたが、そこへ後ろにいた男の跳び蹴りが炸裂した。ガードが間に合わず、女性は後ろに吹き飛ばされる。男がもう一発跳び蹴りをぶちかまそうとするが、女性の反応の方が早かった。女性はあっという間に間合いを詰め、男の頭目がけて剣を振るう。ガィン!男が右腕に仕込んでいた刃でガードする。ガラ空きになった女性の腹へ左腕に仕込んだ刃を食らわせる。女性のロングコートの一部が裂ける。今の一撃はかなりのダメージになったはず。男は女性の様子を窺った。
女性は平然とした顔で自分の腹に突き刺さった刃を見ていた。バカな。生身の人間がこの刃に耐えられるはずが・・・男は女性と一旦距離をとった。「やれやれ。やっとこれで体が軽くなる。」女性は裂けたロングコートを脱ぎ捨て、下に装着していたアーマーを外した。アーマーを着ていやがったか。男は毒づいた。ズシャァン!重低音が駅構内に響く「これでようやくあなたと本気で戦えそうね?プロトタイプさん?」次のゆりかもめまで、あと30秒―――
『お台場で大規模な電波妨害と爆発事件』ようやくお台場からの詳細な連絡が入り、警察庁も動き始めた。早速大会議室の一つが対策室としてあてがわれ、職員たちが情報収集にあたっている。もちろん南雲と高杉もその中にいた。「今度はお台場か・・・」机の上の地図を見ながら南雲が言う。「まだ組織絡みと決まったわけじゃないですけどね。」高杉がたしなめる。「お台場から来た警察官の話では・・・」情報技官が説明する。「15時43分ごろから各種通信にノイズが走るようになり、時間と共に徐々に拡大。16時頃には台場地区との電波による通信がほぼ不可能となりました。」「じゃあ今の台場地区の情報はどうやって?」「警視庁のヘリを飛ばしてその情報をこっちにリレーする形でやっていますが・・・なにせ時間がかかるのが難点で。」「現場に行ってみるか、高杉。」「そうしましょう。」また警視庁の職員に睨まれつつ覆面パトカーを確保した2人は、一路レインボーブリッジへと向かった。
女性は男に向かって先程よりも早いスピードで突進していった。そして斬りつける。ギリギリでそれを避けた男は女性に向けて手から波動を放つ。ズドォォン!女性がホームまで吹き飛ばされる。すでに駅には誰もいない。まもなく警察も駆けつけてくるだろう。早く片をつけなければ。右腕を斬られた男はすでに動かない。女性がホームから現れる。ちょうどそこへゆりかもめが進入してきた。邪魔だ。機械的に判断した男はそこへ無慈悲に波動を放った。
ズドォォオォォン!!波動をうけたゆりかもめは無残にも爆発炎上した。プラスチックと金属の燃えるむかつく匂いが漂う。女性の胸の中に突如怒りがこみ上げてくる。脳裏に蘇るいくつかの光景。――炎上する建物、動かない人影、そして泣きじゃくる少女――
そのとき男は気づいた。この女、さっきとは何かが・・・
そこで男の思考は終わった。
男は一刀両断されていた。縦に、である。人の形が崩れ、肉の塊と化す。女性はその血だまりの中に立っていた。――まるで鬼神のように。
数分後。通報により青海駅に駆け付けた東京湾岸署の警官たちは駅構内の異常な光景に目を疑った。ゆりかもめの車両がホーム手前で炎上している。肉の焼ける匂いが辺りに漂う。線路内では腕を斬られた男が絶命している。その近くには何か赤黒い塊がある。確認に巡査が近寄る。「うわあぁぁぁぁぁっぁぁっっ!」それは縦に一刀両断された人間の死体だった。性別は分からない。何人かの警官が耐えきれずに嘔吐する。一人の警官が無線に吹き込んだ。『青海駅構内にて殺人と爆破事件発生。鑑識と科捜研を要請。』しかし無線はもう通じなかった。
青海駅からそれほど遠くもない青海流通センター。そこで、コンテナの扉が一つ開いた。ガシャン!また一つ。ガシャン!また一つ。ガシャガシャガシャシャン!たくさん。中から現れたのは東京タワーを襲撃したあの怪生物「コホルス」だった(警視庁命名)それがわらわらと群れを成して流通センター内の道路を行進する。進路は北。そう、お台場の中心である。
同じころ、芝浦埠頭。付近の警察署から派遣された警察官たちが、避難者の車の交通整理を行っていた。しかし渋滞の列はレインボーブリッジをも超えている。「やれやれ、この間はバケモノ騒ぎで、今度はいったいなんだ?」若い警察官はぼやいた。ついこの間東京タワーの修羅場を目撃したばかりである。なのにまたか。うんざりしながらふとレインボーブリッジを見ると、シュ!なにかがレインボーブリッジを横切った。目を凝らす。すると突然橋を支えているワイヤーが不気味な音を立て始めた。ビギギギギギ・・・・ビギィッ!次々とワイヤーが切れる。重さに耐えきれなくなった橋に亀裂が走っていく。ピシ・・・ピシ・・・・・まずい。橋の上には、まだ沢山の避難車輌が残っている!ビギビギビギィッ!亀裂がさらに広がる。思わず彼は叫んでいた。「逃げろぉぉぉぉぉぉっ!」ドゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴオォォォォッッ!!レインボーブリッジが中央部分から崩壊していく。沢山の命とともに。ズババババババッババァァァアァァン!!!切り落とされた部分が海に落ち、巨大な水飛沫を上げる。警察官たちは、それをただただ見ることしかできなかった。
丁度レインボーブリッジの手前に差し掛かっていた南雲達も、その光景を目撃した。「なんとまぁ・・・」「・・・・・」言葉が出ない。沈黙が車内を包む。「どうします?」「一旦戻って羽田線に乗り換えろ。東京港トンネルからお台場に入る。」「入れますかね。」「入ってみせるさ」2人の乗った覆面パトカーは勢いよくUターンし、夕暮れの中を疾走していった。
荒川総理大臣により緊急招集された安全保障会議は16時55分に始まった。まずは烏丸国家公安委員長が状況を説明する。「被害状況などは手元の資料をご覧いただくとしまして、現在の対策状況をお伝えします。」言いつつ手元のボタンを操作する。画面にお台場の地図が現れる。「現在お台場地区には第六機動隊を主力とする機動隊各隊が展開しています。一応の現地対策本部は東京湾岸警察署に置かれていますが、現場が近いため現在移転先の警察署並びに土地を探しております。」「現在の被害は?」宝田経済産業相が質問する。「報告によりますと、お台場地区の各所で爆発が発生、青海駅周辺でゆりかもめの車両が一編成炎上中、またレインボーブリッジが中央部から寸断されています。さらにまだ詳細は未確認ですが、先日の芝公園事件の際の怪生物が青海地区に出現したとの報告もあります。」「ふぅん・・・・」荒川総理が腕を組む。考え事をするときの総理の癖だ。「烏丸国家公安委員長。」「はい。」「今回のこの大規模事案に対し、警視庁はその全力をもって都内の治安維持活動に当たること。」「それと・・・福沢防衛相。」「は。」「自衛隊法第78条による自衛隊の治安出動を命令します。」「・・・了解しました。」戦後67年間、日本で自衛隊の治安出動が命令された事は無かった。今回はそれだけ緊迫した事態だということだ。「また自衛隊法第80条より、海上保安庁を一時的に防衛省隷下とします。」これもまた戦後初のことであった。会議室内が次第にざわついてきた。ざわ・・・ざわ・・・それまで自衛官となにやら相談していた福沢大臣が総理に報告する。「ただし。出動準備、計画立案等で自衛隊が本格的に行動できるようになるのは翌朝からになります。」「それまでは警察力で対処しなければならないか・・・」烏丸がつぶやいた。この状況では、かなりの損害が予想される。現場の警察官達が不憫でならなかった。
東京港トンネル前は混乱の極みにあった。トンネルを封鎖しようとする機動隊員とお台場からやってきた避難者、それにお台場に入ろうとする各報道機関の車輛が押し合いへしあいを繰り返している。「テレビ局の連中、焦ってるみたいですね。」「そりゃあ今のところお台場の情報を伝えられるのはフジテレビだけだからな。」もっとも電波は遮断されているが。南雲達は東京港トンネル侵入をとっくの昔にあきらめ、トンネル近くのコンテナ置き場でトンネル付近の混乱を見物していた。いい加減テレビ局も諦めたらしく、トンネル付近の封鎖も進みつつある。と、南雲はとある人影を見つけた。あれは確か・・・南雲は車から飛び出していた。
「俺をお台場に入れさせて下さい!頼みます!」「ダメなもんはだめだ!」「友達があそこに居るんです!」「あんなバケモンがウロウロしてる所にガキを入れられるか!」知った顔の少年が封鎖中の機動隊員と口論している。これは好都合だ。少年と機動隊員に近づく。「あー、ちょっと。警察庁の者だが・・・」「サッチョウが何の用だ!」機動隊員が頭だけをこちらに向ける。そのスキに少年がするりと機動隊員の体を抜ける。「取り押さえろ!」数人の機動隊員が慌てて少年を取り押さえる。「その少年はこの事案の重要参考人だ。身柄をこっちにもらおうか。」「・・・」こんなクソガキいくらでもくれてやる、とばかりに機動隊員は少年を突き放した。
「しかし災難だったな。」「・・・・・」「なんであそこに居たんだ?」「それは・・・ニュースでお台場が襲われたことを知って・・・」「で、友達を助けに来たと。」まったくこのガキは。つくづく高杉はそう思った。しかし南雲は違うらしい。なにやら考え込んでいる。「だいたいの話は分かった。で、君はこの先どうする?」「お台場で奴らと戦います!」「入れないだろ。」高杉が冷静にツッコむ。「う・・・」。車内をまた沈黙が包み込む。はー。南雲が長いため息をつく。「よし、ひとつやってみるか。」
数十分後。東京港トンネル封鎖地点。「隊長。あれは?」「ん?」隊員の指さす先に双眼鏡を向ける。「煙だ!」北の方角から煙が立ち上っている。確か、その方向には東京電力の発電所が・・・隊長の判断は早かった。「至急、第六機動隊本部へ連絡!」
にわかに機動隊員達が騒がしくなる。双眼鏡でそれを見ていた南雲は腕時計を見た。17時56分。すでに事件発生から2時間半が経っている。その割にはこちらに情報が入ってこない。ならば自分で情報を仕入れるまでだ。「やれ。」低い声で命令する。高杉はエンジンを掛けた。
機動隊員達は仰天した。乗用車が一台、封鎖地点の料金所へ突っ込んでくる。「と、止まれ!」隊員の一人が拳銃を構えて乗用車の前に立ち塞がる。ガロォォォォン!構わず乗用車は突っ込んできた。「うわぁぁあ!」「退避!退避だァーッ!」ガジャーン!!!フェンスがあっさりと破られる。あっさりと封鎖は突破された。「追え、追えーっ!」「しかし・・・」自分達も逃走車を追うためにお台場に入っていいかどうかは本部にお伺いを立てる必要があった。
「ハッハッハハッハ!ナイスドライブだ高杉!」「はぁ・・・俺明日からも警察官やってけるかなぁ・・・?」まったく対照的な二人の刑事の顔を見る。騎士は多少心配になってきた。この人たち刑事なのに機動隊の封鎖突破しやがった。「ん・・・?」明日のわが身を案じていた高杉が急に首をもたげる。前方に何か見つけたようだ。「どうした?」南雲も前に目を向ける。誰かいる。黒い服を着ているようでこの距離ではよくわからない。「避難者ですかね?」「東京港トンネルに歩行者は入れない。」「じゃあいったい?」「俺が知るかよ・・・ライトをハイビームにしろ。」ヘッドライトの光量が上がる。どうやらロングコートを着ているようだ。ん?なにかを構えた・・・?「伏せろ高杉!」「え!?」次の瞬間、三人の乗った覆面パトカーをものすごい衝撃が襲った。ザシュンザシュンザシュシュン!!フロントガラスは割れ、車内にガラスの雨が降る。「うわわわわわわわぁぁぁ!」「落ち着け高杉!ハンドル切れ!」言ってる南雲も落ち着いてはいない。ギャギャギャギャ!けたたましいスキール音がトンネルにこだまする。どうやら高杉は急ハンドルを切ったらしく、覆面パトカーはほぼ一回転し、トンネルの壁に激突してようやく止まった。「大丈夫か!」「なんとか・・・」車内を見回す。助手席のヘッドレストには大型のナイフが突き刺さっていた。胸糞悪い代物だ。どうやら騎士が言う「能力者」とやらに当たってしまったらしい。ボンネットにもナイフが突き刺さり、ラジエーターから煙が上がっている。「どうやらもう走れ・・・」「南雲さん伏せて!」高杉が南雲を強引に押し倒す。ザシュ!ザシュガスッ!ザシュガシュザシュザシュッ!第二波のナイフ攻撃で覆面パトカーはほぼスクラップ同然になった。ドアはもちろん、ダッシュボード、座席、天井。至る所にあのナイフが突き刺さっている。何度見ても胸糞悪い。「とりあえずどうする?」「出ましょう。」高杉が即座に答える。「おまえはひき肉になりたいのか。」「じゃあどうするんです!」「知らん。」やけくそだった。「俺が行きます。」今まで黙っていた騎士が言った。「民間人に戦闘をさせるわけにはいかない。それにまだ君は未成年だ。」「俺の能力が無ければアイツは倒せません。」「・・・・・」
確かにそうだろう、しかしだからといってこんな子供を戦わせるわけには・・・
「わかった。戦ってこい。俺たちが援護する。」「分かりました。」それだけ言うと、騎士は車から出て行った。
車だったものから出ると、能力者の姿がよく見えた。ロングコートを着ている。どうやら男のようだ。こちらに無反応なので気味が悪い。こっちの出方を見ているのだろうか。そこへ突然ナイフが飛んできた。ヒュヒュヒュヒュン!ヒュヒュン!間一髪で避ける。危なかった。「騎士君後ろ!」振り返るとナイフがこちらに向かってきている。バカな。「マジかよっ!?」叫びながら壁を蹴りなんとか避ける。ガガィンガィンガィンガン!ナイフがトンネルの壁に突き刺さる。バランスを崩しながら着地する。「ふぅ・・・」間一髪で避けきった。さぁここからどう戦うか・・・男が間髪入れずにナイフを投げる。「っ!」またかよ。
騎士がナイフ使いに苦戦しているとき。「高杉!暁を援護しろ!」「はい!」言いながら高杉がベレッタを構える。距離はおよそ70メートル。照明が暗く狙いづらい。南雲もSIGを構える。ドォゥンドォゥンドゥォン!ズゴォン!ズゴォン!ズゴォン!ズゴァン!トンネル内に銃声が反響する。今のは少し手応えがあったと南雲は男の方を見た。
しかし男はまるっきり平然としていた。こいつもバケモノか。やれやれだぜ。男がこっちを見る。シャッシャッシャシャシャン!!「退避!」ザシュンザシュシュ!ザスシュシュザス!!「車から離れろ!」南雲が高杉を半ば引き摺って車から逃げる。ドゴォォォォン!!爆風がトンネルで反射し二人を襲う。「ぶるぁぁぁぁぁぁぁ!!」「うわぁぁっ!」二人は吹き飛ばされ、壁に叩きつけられた。どちらともなく呟く。「こ・・・これが能力者の戦い・・・」
騎士は苦戦していた。気を放つタイミングがなかなかつかめない。奴はナイフを異常な速度で連射してくる。避けるだけで精一杯だ。言ってるうちに正面からナイフ一本。「ハッ!」気を放ってナイフを叩き落とす。しかしその後ろにはさらに7本のナイフが。これじゃまるでチートだ。ジャンプしてかわす。ドゴォォォォォオン!!騎士の後ろにあった放置トラックが爆発する。ナイフがタンクに突き刺さったようだ。南雲達と同じように壁に叩きつけられる。「ガハァッ!」背中を打って息が苦しい。早くここから動かなければ。また爆発が起きないとも限らない。
カラン、カラカラ・・・そこに殺し合いの場には場違いな軽い音が響いた。騎士は足元を見た。ボン!途端に視界が真っ白になった。
「煙幕か・・・」騎士の足元で炸裂した煙幕弾により、トンネル内は何も見えないホワイトアウトの世界と化していた。南雲のいる所にもガスが流れてきたため、スーツで鼻と口を覆う。「ゲフッ!ゴファ!ゲッファ!」横の高杉はモロに食らったようだ。なんまんだぶなんまんだぶ。
そのうちだんだんガスも晴れてきた。
「あれ?」騎士は思わず声を上げた。奴がいない。消えた・・・?辺りを見回してみる。炎上するスクラップがいくつか。壁にもたれかかる刑事が二人。やはり男はいない。おかしいな・・・「騎士君走って!」高杉とかいう若い刑事さんが叫びながらこっちに走ってきた。爆発に巻き込まれた割にはとても元気だ。ドゴォオオン!!ドッゴワヮァァァッ!!ドグワァ!ボォン!どうやらトンネル内の放置車両が次々と爆発しているようだ。炎の壁がこちらに迫ってくる。ドゴォォォォォオォォォ!!「うわわわわわわわあ!」「走れ走れ走れ走れはしreikおsn!!」3人は暗いトンネル内を走りに走った。
南雲達が検問に突っ込んでいた頃、お台場でも本格的な戦闘が始まった。それまで比較的おとなしくしていたコホルスが群れをなして突撃を始めたのである。同時に謎の電波妨害も終わった。『船の科学館入り口交差点と青海一丁目交差点を結んだラインを防衛線とする!』『避難者は湾岸線東雲方面に誘導!徒歩の避難者はあけみ橋やのぞみ橋を渡らせ て有明地区に誘導せよ!』『SAT、並びに各機動隊に対し発砲許可が出た。今後は状況に応じて射撃せよ。』『ガス筒発射器は水平発射!あいつに催涙ガスは効かないぞ!』さまざまな内容の無線が飛び交う。『最後に。』『本部より各員へ、事態は今もなお悪化している。諸君らの奮戦を期待する。 これは・・・戦争だ。』ブツッ。歯切れの悪い音で本部からの無線交信は終わった。「戦争・・・か。」第6機動隊第3小隊長、武富浩司警部補はぼやいた。「警察官に戦争やらせようとするなんざ正気の沙汰じゃないね。」小隊員の高野巡査部長が言い返す。「上が決めた事だ。しかたがあるまい。」「しかしですねぇ・・・」そこに無線が。『怪生物を視認!』『ガス筒発射器構え!』『拳銃を抜け!』まわりの機動隊員も各々戦闘準備をしている。「この続きはまたな、高野。」高野は不服そうな顔をしていた。
ズドドドドドドドドドド・・・・・
地響きを立ててコホルスの群れは接近してきていた。来るなら来てみろ。足6本のカニ野郎。武富はそう吐き捨てた。
「イテッ!」「男なら耐えろ。高杉。これで最後か・・・」言いながら南雲は高杉の切り傷に絆創膏を貼る。「さてここからどうする?」アクアシティお台場まではなんとかして来た。歩いてだが。「どうにかして現地対策本部に潜り込めればいいんだが・・・」「それまでにバケモノに襲われるか機動隊に誤射されて死んじまいますよ。」高杉がわめく。しかし機動隊に撃たれる方は実際にありそうだ。ここでも断続的に聞こえる銃声。連射しているという事はSATもまた出張って来ているのか。ターン、タタタタタタターン、タンタン。風に乗った銃声だけが聞こえてくる―――
その銃声の発信源はそこから600m程の所にあった。「山上!弾だ!弾持ってこい!」「バカ野郎!ガス筒は水平にぶち込め!」「防御隊形を崩すな!」「担架をこっちに!」船の科学館横の敷地はまさに戦場と化していた。負傷者が次々と担架で運び出される。彼らの血で付近の道路や建物の壁はところどころ赤黒く染まっている。車両からの高圧放水も一応行われてはいるが、頑丈なコホルスにはほとんど効いていない。『全部隊持ち場を死守しろ!』そんなんできるかバカヤロー!!!武富は心中に愚痴った。バババババババババ・・・・上空ではヘリが飛んでいる。見ると警察ヘリの青色でもなくテレビ局でもない。迷彩塗装・・・自衛隊機だ!!自衛隊のヘリが俺達の上空を飛んでいる。そこから援護してほしいもんだ。上を軽く見上げつつまた武富は愚痴った。ふいに空気が揺らぐ感覚がした。俺も年だな、目まいとは・・・いや、これは違う・・・?シャン!なんだ一体?あたりを見回す。その答えはすぐ見つかった。武富達の横、東京国際交流館が倒壊しているのだった。もちろん、武富達のいる交差点に向かって。ズズズズズズズズズ・・・・「退避ー!!退避ー!!」声の限り叫ぶが、乱戦の中では聞こえたものではない。武富の声にやっと気付いた数人が逃げ出したものの、既に遅かった。ズゴォォォォォォォォォォォォォォンンン・・・・・お台場中に響く轟音。そして通りに溢れ出す猛烈な煙の噴流。それはそこにあった物すべてを飲み下すと、さらなる獲物を求めるかのように広がっていった。
『第6機動隊第1大隊、及び第9機動隊第3大隊との連絡不通!』『第8機動隊第3大隊損害大!増援求む!』次々と報告や連絡が入ってくる。現場が地獄なら、こっちも地獄だろうと思えるほどにひっきりなしに通信が入る。「この分じゃあお台場防衛なんて・・・」「コラ。」つい本音を漏らしそうになった高杉をたしなめる。しかし高杉の言うことも・・・と思えるほど機動隊の損害は増え続けている。そして本部内の空気もだんだんピリピリとしてきている。『上空の自衛隊ヘリより連絡!』なんだなんだ。『船の科学館横にて、建物の崩壊が発生。同地に展開していた機動隊が大損害を受けた模様!』「建物の崩壊だと?」本部長が聞き返す。能力者の仕業か。奴らなら建物をぶった切る位どうということは無いだろう。「ところで騎士はどうした?」南雲は高杉に聞いてみた。「本部のどこかに居るはずですが・・・」現在の現地対策本部は有明スポーツセンター脇の空き地に設けられている。かなり簡単な造りだ。と、本部長がなにやら腕組みをして考え込んでいる。その周りには幹部級の連中も。重大な発表でもあるんだろうか・・・本部長がイスから立ち上がる。「・・・本日20時を持って機動隊各隊は台場、並びに青海地区より完全に撤収。同地区を封鎖する。」これにはさすがの南雲も驚いた。「さらに同時刻をもって本事案を・・・自衛隊との共同作戦とする。」南雲は座っていたイスから転げ落ちそうになった。警察が自らの負けを認め、さらに自衛隊と共同作戦・・・?
「まさしく・・・コイツは戦争だ。」
撤退作戦は夜間ということで多少難航したものの、ほぼ予定の20時には撤収が完了していた。機動隊の車列が封鎖が一時解除された東京港トンネルに入っていく。どの車両にも機動隊員が満載になっている。その中に、武富も混じっていた。腕を包帯でグルグル巻きにしている。幸い武富のケガは腕と足の骨折ぐらいで済んだ。しかし仲間たちは―――瓦礫の中から救い出されたのは武富の他は数人程度だった。あの時俺がもっと叫んでいたなら・・・武富は悔やんでも悔やみきれなかった。
機動隊車両がお台場からほぼ撤退したころ、入れ違いに自衛隊の各車両が有明地区に進入してきた。高機動車、73式大型トラックなどの輸送車両、軽装甲機動車、82式指揮通信車などの装甲車両が車列を成してお台場を行進していく。また、部隊の移動は海、空でも行われていた。横須賀基地からはイージス護衛艦「こんごう」ミサイル護衛艦「しまかぜ」を始めとする護衛艦隊が緊急出港した。木更津駐屯地からはCH-47JA、UH-60JAの編隊が飛び立った。目指すは新木場にある東京ヘリポート。そこが今回の作戦の拠点となる。決戦の時は刻々と迫っていた。
深夜11時。お台場上空では自衛隊ヘリが夜間監視飛行を行っていた。その中の一機。キャビンでは赤外線暗視カメラで、前園さゆり一等陸曹と後藤雅義二等陸曹がいまや無人のお台場地区を監視していた。「・・・・・」お互い会話らしい会話は無い。それぞれが仕事に没頭している。いい兆候だ。前園はそう思った。「・・・ん?なんだありゃ?」不意に後藤が声を上げる。「どうした後藤。」「青海で何かが動いたような・・・」前園が無線に吹き込む。『竹田三尉、悪いがもう一回今のところをゆっくり旋回してくれ。』『了解。』ヘリ内ではコクピットとの会話に(基本的には)インターコムを使う。「どうだ?」「んー・・・・あ・・?ああああああああ!!!!」「いきなりうるさい!なんだ一体!何が見えた!!」「テ・・・テレコムセンターが!」前園も窓に暗視カメラを向ける。そこには信じられない光景が広がっていた。テレコムセンタービルを突き破り、なにか巨大なものが生えている。植物・・・?いや、そう言うには相当にグロテスクな代物だ。あらぬ方向に曲がりくねった部分にはトゲのようなものが見える。気色悪い。それが正直な感想だった。「・・・・・」さっきとは違った沈黙。「後藤。本部へ報告。」「了解・・・」
チュン・・・チュチュン・・・お台場がこんな危機に襲われているとは露知らず、公園の鳥たちはいつもの様にさえずっている。南雲は眠い目をこすりつつ目覚めた。結局南雲と高杉は合同対策本部に泊まり込むことになってしまった。時計を見る。6時32分。昨日聞いた話では攻撃開始は8時15分だった。「おい。起きろ高杉。」「もう起きてます。」むっくりと高杉は簡易ベッドから起き上がった。
お台場上空。いつもの事件なら飛び交うはずの報道ヘリの姿はない。かわりに飛び交うのは警察、消防、海上保安庁、自衛隊のヘリたちだ。海上にも民間船の船影はなく、海上自衛隊の護衛艦、海上保安庁の巡視船艇が海上からお台場を監視している。さらにヘリたちの上空では航空自衛隊のRF-4EJ偵察機が1時間置きに偵察飛行を行っていた。やっぱりここは「戦場」だな。南雲はそう思った。さっきから自衛隊のヘリがしきりに離着陸を繰り返している。バラララララララララ・・・「南雲さん。」「おぅ。どうした。」高杉だ。「騎士君を乗せたヘリが離陸しました。」「そうか・・・」あいつをヘリに乗せるまでが一番大変だった。空中のヘリから敵の能力者を捜索し、発見次第戦い殲滅するという危険極まりない任務をこんなガキにやらせられるかという自衛隊側と南雲達は夜通し大激論を繰り広げた。結局は対策本部長の鶴の一声で騎士の作戦への参加が決まったのだが、おかげで南雲達は寝不足だ。まったくつくづく世話を焼かせる。せいぜい頑張ってこいよ。南雲は空を見上げつつ思った。
その上空。UH-60ヘリの中に騎士はいた。空から敵の能力者を探すのは同乗している自衛官たちの仕事になる。俺は俺のできる事をやるまでだ。「しかしどこ見てもコホルスばっかりですね、前園陸曹。」「無駄口叩いてないで仕事しろ、後藤。」「了解。」「うるさい奴と一緒ですまないね。」女性の自衛官が話しかけてきた。「そういえばまだ名前を聞いてなかったね。」「・・・暁です。」「へぇ~・・・珍しい名字だねぇ。」「はぁ・・・」「ところで名前は?」「前園陸曹、久しぶりの若い男だからって・・・」喋りまくる前園に後藤が小声で言う。「うるさい!」後藤に前園がフック1発。このヘリ大丈夫かなぁ・・・騎士は心細くなってきた。
8時15分。台場地区制圧作戦が開始された。作戦の始めはAH-1S対戦車ヘリによる機銃掃射となっていた。今回の作戦では使用できるAH-1Sの火器は機首の20mm機関砲だけとされているが、コホルスには充分すぎるぐらいの威力だった。直撃を食らったコホルスが一瞬で緑色のミンチ肉と化す。ところどころに足だったものが見える。AH-1Sだけではなく、キャビンに機関銃を搭載した輸送ヘリからも銃撃が行われる。バババババババババ!ドララララララララ!すでに突入地点周囲にはコホルスの姿はない。緑色の肉だまりが広がっているだけである。機は熟した。そう判断した対策本部長はマイクを手に取った。
台場地区と有明地区を結ぶ夢の大橋、あけみ橋の封鎖フェンスが開かれる。『全隊突入開始!』突入部隊は陸上自衛隊の普通科連隊と警視庁SATよりなっている。SATは元々参加する予定ではなかったが、警視庁上層部がゴネにゴネて出動を認めさせたらしい。自衛隊だけにこの事件を解決されるのは警察としては面白くないのだろう。まったくこんな時まで何をいがみ合っているのやら。そう思いつつ松下登三等陸尉は部隊に号令をかけた「小隊前進!第一目標台場フロンティアビル!」「ウォース!!」突入部隊の先頭は今朝東北の部隊から輸送してきたばかりの87式偵察警戒車である。時折バババババ!と25mm機関砲が火を噴いている。それに82式指揮通信車や96式装輪装甲車が続く。こちらでも時々機関銃を射撃している。硝煙の匂いが辺りに漂う。それは紛れもない戦争の匂いだった。
「・・・現在、制圧作戦は順調に進行中。部隊は現在台場一丁目、二丁目付近を確保。」今まで張り詰めていた本部内の空気が穏やかになる。「なんとかイケそうですね、南雲さん。」「いやまだ分からないぞ、能力者が出てくるかも知れん。」「そのために騎士君をヘリに乗せたんでしょう。」そういえば騎士の存在をほとんど忘れていた。あいつしっかりやってんだろうか・・・南雲は少し心配になった。
同じころ、新宿区市ヶ谷にある防衛省。政府の首脳陣は昨夜からこの地下にある中央指揮所にこもり切りになっている。リリリリリリ。電話の音が響く。「はいこちら防衛省・・・は?ペンタゴン?」
「総理!総理!アメリカ国防総省より連絡です!」自衛隊の連絡将校が凄い勢いで走ってきた。「なんだね一体・・・」寝不足で充血気味の目をしばたかせながら荒川総理が聞く。「アメリカから連絡で・・・その・・・」「なんだ一体。はっきりと言ってくれ。」「アメリカがお台場の怪生物に対して『特別処分』をとると。」「特別処分とは一体何だ?帰ってくれとでも奴らに言うのか?」やけくそ気味な総理に自衛官はそっと耳打ちした。「それが・・・ミサイルに新型特殊弾頭を搭載し、お台場に撃ち込むと。」「なん・・・だと・・・」仮にも同盟国の首都にミサイルを撃ち込む・・・?「・・・すぐに大統領と話がしたい。回線をホワイトハウスと繋いでくれ。」
『日本国総理大臣、荒川です。』『やぁミスターアラカワ。ご機嫌はいかがかな?』『単刀直入に申し上げる。お台場への特殊弾頭ミサイル発射を即刻中止して頂きたい。』『・・・・・』アメリカ合衆国大統領、ノーマン・F・ベイツが受話器の向こうで押し黙る。『・・・残念だがその要請は受け入れられない。』『わが国の首都にミサイルを撃ち込むおつもりか!!』『・・・現時点ではその通りだと言わざるを得ない。』『ではあなたと話すことはもうない!』ガチャ。「・・・君。」秘書官を呼ぶ。「はい。」「直ちに政府首脳を緊急招集してくれ、早急に会議しなければいけないことがある。」「はい。」
緊急会議は9時45分より開始された。はじめに滝川官房長官により、状況が説明される。「・・・・・」会議室の空気は重かった。アメリカが日本の領土にミサイルを撃ち込む・・・?「・・・アメリカの対中国・対ロシア軍事的アピールってやつか。」福沢防衛相が毒づく。近年軍拡著しい人民解放軍。経済の回復と共にロシア軍も装備の近代化を急いでいる。そんなアジア軍拡の波の中にある日本で、新兵器のお披露目と諸外国への宣伝を兼ねたアメリカ軍によるお台場爆撃・・・あのタカ派の大統領ならやりかねないな。と烏丸は思った。「総理。それで爆撃はいつ行うと?」「まだわからん。とりあえずもしミサイルが発射された場合に備えて、東京湾のイージス艦「こんごう」に迎撃許可を与えた。それに入間基地の第一高射群に発令し、都内にパトリオットミサイルの展開を急がせている。」「イージスシステムの初めての使用相手はアメリカのミサイルか・・・」皮肉なもんだな。と烏丸は心の中で返しておく。そのとき。「総理!米国防総省より第二報!」連絡係の自衛官が会議室に飛び込んできた。「読め!」「はい!えー・・・お台場の爆撃予定時刻は・・・」「はっきり読まんか!」睦月国土交通相が自衛官を怒鳴りつける。「は、はい・・・予定時刻は・・・10時20分・・・」「じゅ、10時20分!?」とっさに烏丸は立ち上がった。時計を見る。あと25分弱。「総理!アメリカに爆撃予定時刻の引き延ばしを!」「うむ。」「台場地区で作戦中の部隊はどうなってる!」「現在最終目標のテレコムセンタービルに接近中です。」「すぐに引き返させろ!ミサイルに吹き飛ばされるぞ!」ここからが荒川達政治家の「戦争」だった。
『全部隊へ告ぐ!作戦中断!全部隊有明地区へ至急後退!繰り返す・・・』マジかよ。それが素直な感想だった。すでに阪下達のチームは目標地点であるテレコムセンター前に到着していた。そこへ突然の退避命令。なにか裏がある。しかし考えているヒマは無かった。目の前にはコホルスがまだ沢山残っている。そいつらを制圧しつつ撤退しなければいけない。それもあと20分程で。「冗談じゃねぇぞ!」阪下の一期後輩の杉野が叫ぶ。阪下には杉野の気持ちが痛いほどよくわかった。
『突入部隊は車両等により直ちに有明地区より撤退。繰り返す、突入部隊は・・・・』古森達のSATチームは撤収車両の護衛に当たっていた。簡単にいえば撤退の殿を務めることになる。「早く車両に乗れ!おらぁそこぉ!駆け足だ駆け足!」自衛隊の強面の陸曹が怒鳴る。青海一丁目交差点脇の空き地に並ぶのは機動隊の輸送車、特型警備車、自衛隊のトラック、装甲車など。それらの車両に迷彩服や紺色の出動服が次々と吸い込まれていく。周辺を警戒しながら古森は頑張って阪下の姿を探してはみたが、人波の中では見つけられたものではなかった。こういう時こそ居て欲しいのに――――ふと視界の端に見覚えのある建物が入る。アクアシティお台場。お台場がこんなことになる前、私たちは確かにあそこに居た。そんな昨日の事さえ遠い過去の出来事に思えてくる。あの平和な時間に戻りたい・・・「・・・早く乗れってのがわからねーのかこの野郎!早く乗らんか早く・・・」自衛隊の陸曹の声が相変わらず響いていた。
横須賀基地沖9km。米イージス巡洋艦「シャイロー」。「艦長。」そう呼ばれてロバート・ギャランタイン大佐は振り向いた。「どうした少佐。」「いよいよ発射予定時刻まであと7分となりました。どうです、退屈凌ぎに・・・賭けでもしませんか?」副長のドナルド・カーツ少佐が言う。「おもしろい、何で賭けるんだ?」「ミサイル発射命令が来るか、来ないか。」「いいだろう。賭けに勝ったら・・・そうだな、ビール1ダースと行こうか。」「いいでしょう。」「決まりだな。」「私は来る方に賭けます。」「俺は・・・俺も来ない方に賭ける。」「冗談言わないでください。今夜のビールが掛かってるんですよ?」「わかったわかった。俺が来る方な。」賭け話がまとまると少佐はCICに戻って行った。しかし・・・本当は来ない方に賭けたかった。どんなお題目があろうと、同盟国にミサイルを撃ち込み、その後の無数の混乱を引き起こすきっかけを作る役にはなりたくない。大佐は制服のポケットから1セント硬貨を取り出した。発射命令が来るか、来ないか。神に問うてみよう。そう思ったのだ。コインを投げる。ピィン。表なら命令が来る。裏なら来ない。その結果は――――
「総員乗車!周囲を警戒しつつ脱出する!」「了解!」青海一丁目では撤退がほぼ完了しつつあった。古森達のSATチームも車両で撤退を始めようとしたが、「何ぃ?もうこっちに回せる車両がない?ふざけんな!俺達に死ねってのか!」福島小隊長が無線機に怒鳴る。『代わりに撤収用ヘリをそちらに派遣する。』『・・・了解!』福島が無線を切る。「我々はヘリで撤収する!着陸地点を警戒しろ!」SAT隊員達が交差点を封鎖する。道路をヘリポート代わりにするらしい。古森も周囲を警戒しようとする。辺りを見回す。よし、コホルスはいない。その時古森はあるものに気づいたん?あれはあの時の・・・気づけば体が勝手に動き出していた。あれは、あいつは!―――
バババババババババ!!交差点に警察のヘリが着陸する。猛烈なローターのダウンウォッシュに耐えながら、SAT隊員達は次々とヘリに乗り込んでいく。「全員乗ったか!?」「えーと・・・あ!」「どうした。」「古森が・・・古森が居ません!」「何だとォ!?」今から捜索するか?しかしミサイルはあと5分もしない内に着弾する。古森以外の12名の隊員を取るか、古森を取るか。福島は決断を迫られた。「クソッ!」福島の突然の大声に機内の全員が振り向く。「機長!今すぐに離陸だ!」「しかし隊長!」「ここに居る者の生命を重視する!」「・・・・・」すまん古森。福島は謝ることしかできなかった。
ハァ、ハァ、ハァ、ハァ。なんであいつが―――「待て!」なぜ東京タワーに居たあの少年がお台場に居る!「待て!止まれ!」やっと立ち止まった少年にMP5を向ける。「・・・・・」しまった。なんと職務質問するか考えていなかった。その時。ニヤリ。少年の口元が笑いの形に歪む。いや、笑ったのではない。私たち人間を嘲り笑ったのだ。そう古森には感じられた。「・・・あ!」少年は古森の前から消えていた。どこだ。どこに消えた。古森は辺りを見回すが、もう少年の姿はどこにもなかった。またか。と、そこで古森は大変なことに気づいた。もうミサイルの着弾まで時間がない。「あああもぉ!」古森は走りだした。
「艦長。」「なんだ?」「賭けは私の勝ちです。発射命令を先ほど受信しました。」「そうか・・・」やはり俺がこの役をやらなければならないのか・・・「了解。ミサイル発射用意。」「了解。」「VLS、ミサイルともに異常なし。システムオールグリーン。」「発射用意完了!」CICを一瞬の沈黙が包む。主よ、我を赦したまえ―――「グングニル、攻撃開始。」
シャイローの前甲板で、VLSのハッチが一つだけ開く。そこから凄まじい噴煙が沸き起こる。グングニルミサイルが遂に発射されたのである。地上からは一筋の白い糸のようにしか見えないそれは、発射用のロケットブースターを切り離すと、内蔵されたターボジェットエンジンを作動させた。同時に作動した中間誘導装置がミサイルをレーダーに探知されづらい低高度に誘導したが、今回の標的に限っていえばそんな心配は全く必要なかった。ある一つの例外を除いて。
そのたった一つの例外―――お台場沖6km。イージス護衛艦「こんごう」「艦長!米巡洋艦からのミサイルの発射を探知!」「対空戦闘用意!スタンダードミサイル発射始め!」すでにミサイルの発射準備は完了していた。VLSのハッチも開放されている。「撃てっ!」
こんごうから発射されたスタンダードSM-2MRミサイルはこんごうのSPY-1対空レーダーの誘導を受けつつ飛行し、遂にグングニルミサイルを捕捉した。しかしグングニルミサイルはSPY-1のレーダー照射波を感知すると、事前にプログラムされていた回避行動をとった。ミサイル側面の姿勢制御用フィンが可動し、ミサイルの機動を複雑かつ不規則なものにしていく。SM-2MRはそこまでの高機動を行える設計ではなく、追尾しきれなくなったグングニルミサイルを目標からロストした。追手をまいたグングニルミサイルは、お台場目がけてまっすぐに突っ込んでいく。お台場の運命が決まった瞬間だった。
「早く!早く!」脱出用ヘリの横で、阪下は怒鳴っていた。向こうから担架を担いだ隊員が走ってくる。「負傷者を優先だ!」「離陸準備よし!」ババババババババ!!「よし!次!」次のヘリに担架をまた誘導する。「早く乗せろ!急げ!」ヘリが飛び立つ。「よし!今のヘリで最後だ!俺達もさっさとずらかるぞ!」「乗れ!乗れ!」隊員達をほとんどヘリに放り込みつつ阪下は時計を見た。10時18分。やばい。「急げ急げ急げ!」「班長が最後です!早く乗ってください!」慌ててヘリに飛び込む。「離陸しろ!」いきなり怒鳴りつけられた機長のしかめっ面は見ずに、阪下は窓からすっかり変わったお台場の姿を目撃した。青海地区の建物のいくつかが倒壊している。見たところ東京湾岸署は無事なようだが、実際はどうだろうか。さらにレインボーブリッジは切断されていた。しかし阪下の目を一番引いたのは血だった。緑色の血――――いや、体液と表現するべきかもしれない――――が、お台場を緑に染めている。お台場をこんなにしやがって。自然と胸に怒りが込み上げてきた。そんな時だった。ガクンッ!ヘリを突然凄まじい衝撃が襲う。「うわぁぁ!」「落ち着け!ショック吸収体勢を取れ!」『本部!こちらおおぞら2号!機体の操縦不能!墜落する!墜落する!』警告ブザーと怒号が機内に響く。なんだ?何が起こった?阪下はとっさに窓から外を見た。噴き上がる爆煙――――それが阪下の最後の記憶となった。
その数秒後、あおぞら2号はセンタープロムナードに叩きつけられるように墜落した。4枚のローターは次々に砕け散り、辺りに破片をまき散らす。機体が植樹をなぎ倒しながらなおも回転する。メガウェブの建物に激突し、機体は動きをやっと止めた。
その少し前。お台場。「こんごう」のミサイルを回避したグングニルミサイルは、地形データとの照合により、目標を探し出した。東京湾の海上を駆け抜け、青海埠頭の直前でホップアップ運動に入る。テレコムセンタービルを完全にロックオンしたグングニルが、マッハ5の速度でビルに吸い込まれていく。壁面のガラスを突き破り、事務机をいくつか粉砕したグングニルがコンマ数秒間オフィス内に静止する。まるでシュールな現代芸術品のように――
直後、遅発信管が作動したグングニルは、爆発のプロセスに入った。信管が通電し、起爆剤が炸薬を爆発させる。爆発を開始した炸薬―――試作№136「サージスト」―――は、まず大量の空気と反応した。猛烈な強風がビルに向かって吹き、いくつかの窓ガラスを叩き割る。サージストは反応に必要な大量の空気を手に入れるや、最大輻射熱4000度に達する巨大な火球と化し、爆心地から半径200m以内の物体をすべてその放射熱で焼き尽くした。爆心であるテレコムセンタービルは、爆発の瞬間にすべてのガラスを溶かされ、巨大な吹き抜け構造となった。その次の瞬間にやってきた4000度の輻射熱は、残った骨組部分の鉄骨やコンクリートをすべて溶解させた。テレコムセンタービルはまるでアメがとけるようにグニャリと折れ曲がり―――溶け、崩壊した。ビルに生えていたコホルスの巣などは、そのガレキの中の一欠けらにしか過ぎなかった。
テレコムセンタービルを完全に溶かした熱線は、まだまだ暴れ足りないとでも言うように、青海地区の建物を次々と溶かしていった。青海南埠頭公園の木々は、ざわめく時間もないまま焼かれ、炭素と水素のなれの果てと化した。テレコムセンタービルの正面にあった青海フロンティアビル、タイム24ビルもテレコムセンタービルと同じ運命を辿った。その辺りをウロウロしていたコホルス達も熱線の洗礼を受けた。200キロはあるコホルスの体が軽々と吹き飛ばされ、空中で溶かされ、衝撃波に吹き飛ばされる。地上に戻ってきた頃には、コホルスの体はほとんどバラバラになり、ケイ素質の体は一部が蒸発。ほとんどはゲル状に溶解していた。日本科学未来館は、ガラスや一部の外壁を熱によって溶かされ、重量を支え切れなくなったところを、爆発で発生した衝撃波に襲われた。吹き抜けのロビー部分がぐしゃりと潰れる。建物こそ無事だったものの、ところどころの鉄骨が折れ曲がり、ぶすぶすと煙を上げている様は、幽霊屋敷とでも言った方がしっくりきた。
被害は地上だけではなく、空中にも及んでいた。爆発時に放出されたエネルギーの一部が空中に吹き上がる衝撃波となり、退避が間に合わなかったヘリを襲ったのだった。最後まで救出に残っていたヘリたちがその主な被害者となった。警視庁航空隊のヘリ、おおとり3号もその中の一機だった。機長は一瞬、自分の目を疑った。まだ午前中だというのに、強烈な光がヘルメットのバイザー越しに見えたのだ。そして次の瞬間、おおとり3号はコントロールを失った。「!?」機長は必死の思いでサイクリック・コントロールを操作し、安全な不時着地点に機体を誘導しようとした。計器盤のランプが一つ点灯する。それは、「右エンジン停止」をあらわすランプだった。機長は即座にエンジンを切り、おおとり3号をなんとかオートローテーション降下させようとしたが、いかんせん高度が低すぎた。ヘリコプターの無動力滑空降下には、ある程度の高度が必要になる。おおとり3号は不時着地点の都立潮風公園を離れ、落下するように東京湾に墜落した。
地上を焼き尽くし、空に破壊をもたらした熱線と衝撃波は、最後には大音響の爆音となって東京中に響き渡った。まるで平和の終わりを告げる鐘のように。
『現地対策本部との連絡、未だ不可能!』『羽田空港は現在発着を見合わせています。』『デ○ズニーリゾートは現在封鎖中。』『港区、品川区、中央区、江東区の一部でも被害発生!』ミサイルの着弾からそろそろ3分。中央指揮所ではオペレーター達が情報収集に当たっていた。「お台場上空のヘリからの連絡は!?」「電波が混信していて無理です!」烏丸はオペレーター達の殺気立った様子を見ながら、椅子に座ってボケっとしていた。アメリカめ。コホルス退治の恩を日本政府に着せた上に、中国とロシアの軍部に新兵器のデモンストレーションとは。世界の警察が呆れるもんだ。お台場を吹き飛ばしやがって。ブツブツ呟きながら愛用のマグカップを手に取りコーヒーを飲み干す。予想外の苦味が口中に広がり、俺も歳だな・・・というまるで場違いな感想が烏丸の胸中を覆いつくした。
『こちらおおとり4号、現在青海地区上空に向かって飛行中』『了解だおおとり4号。敵の動向に注意しつつ現状の偵察を行え』『おおとり4、了解。』無線に吹き込みつつ、機体に搭載されたハイビジョンカメラを操作する。『映像転送用意よし』キャビンにいる運用員が伝える。『よし、映像転送開始。』カメラがいまだ煙に包まれた青海地区にズームする。『ひどいもんだな・・・』運用員の声がインターコムを通じて機内に響く。実際、青海地区の被害は尋常なものではなかった。爆心地であるテレコムセンタービルは完全に溶け、さらにビルがあった地点には直径50m近い大穴が開いていた。周辺のビルは文字通り根こそぎ削り取られており、爆発の威力を思い知らせた。『機長、爆煙で鮮明な映像が得られない。高度をもっと下げれないか?』『無理だな。』まだ青海地区の状況すら正確には把握できていないのだ。『生存者なんているのか・・・?』副操縦士が誰ともなしにささやいた。
だが、いた。
「なにこれ・・・・・」やっとパレットタウンの地下駐車場から這い出た古森の第一声だった。「なにこれ・・・・・」大事なことなので2回呟いた。
地下駐車場に逃げ込んだ直後、強烈な爆風が古森を襲った。車の陰にいた古森は無事だったが、駐車場の外はひどい有様だった。辺りの街路樹は全て焼け焦げへし折れている。ゆりかもめの高架は倒壊して下の道路を塞いでいる。青海地区に目をやると、テレコムセンタービルが消えている。もっとも爆煙で詳細はわからないが、ビルが消滅したのは間違いなかった。「・・・・・」古森は不安だった。お台場がこんなことになっているのに、上空にはヘリの姿も見えない。いたとしても、この煙では自分のことなど見つけられまい。どうしよう。この先どう行動しよう。先が見えない不安が恐怖に変わリかけた時、古森は信じられないものを見た。
少年。さきほどの少年だ。しかし今、その背中からは羽が生えていた。羽があるだけに空を飛んでいる。「何あれ・・・」まさかショックによる幻覚でもあるまい。少年はまるで天使のように悠々とお台場の空を飛んでいる。高度は・・・60メートルくらいか。撃つか?―――即座にそう考えた。しかし飛んでいるといっても少年―――でも羽が生えている―――人間ではあるまい撃っていいものか?――――まずは職務質問じゃ?飛んでいる相手にどうやって?―――知るか。やっちゃえ。古森はMP5の引き金を引いた。タタタタタタタタン。乾いた銃声がお台場の空に響く。
当たったかな?ついフルオートで撃ってしまった。と、少年がこっちを向いた気がした。気付かれたか?
凄まじい衝撃が古森を襲った。
まるで見えない手に空中に持ち上げられたように、古森の体は空中に浮いていた。「!?」周りをよく見ると、細い糸のようなものが巻きついている。ナイフを防弾ベストから出して切ろうとするが、全く歯が立たない。気づくと、少年の顔が目の前にあった。引き寄せられていたらしい。「・・・・・」少年は無言でこっちの顔を見ていた。古森も負けじと睨み返す。すると少年の顔が急に崩壊し始めた。端正な顔立ちが崩れ、鼻や頬だった肉塊が顔面を移動し始める。口の部分の皮がべろりとはがれ、皮膚の下の表情筋や血管が露出していく。その表情筋自体も顔面を移動し始め、少年の顔面は蛆虫が腐肉にたかっているような状態となった。恐怖以外の何物でもない。「きゃああああああああああああ!!!!!」古森は反射的というか本能的にMP5の引き金を引いていた。そのグロテスクな顔面に向かって。
ズシャズビャズビャシャ!!少年の顔面は控えめに言っても破裂した。蛆虫のような表情筋が飛び散り、古森の出動服に張り付く。血液も同様に出動服に振りかかり、黒い出動服を紅に染める。顔面を見ると頭蓋骨が露出し始めていた。眼球が片方取れ、網膜の血管や眼窩の内側をはしる神経束が明瞭に見て取れる。倍加した恐怖に、古森はもう一度悲鳴を上げざるを得なかった。
「き”ざま”ぁ”ぁ”あ”・・・」ふいにそんな言葉が聞き取れ、古森は伏せていた顔を上げた。「貴様ぁ・・・」もう一度、今度ははっきり。ようやくそこだけ正視に耐える状態になった口が動いていた。「貴様・・・」「?」いったいなんだ?確かにいきなりMP5を撃ち込んだのは悪かったが。「ぎぃ"ざぁ"ま"ぁ"ぁ"ぁ"ぁ"あ"あ"あ"ぁ"!!!!!!!!!!!!!!!!」
いきなり細い糸から振り解かれ、古森の体は青海駅の屋根に叩きつけられた。激痛が体内を駆け抜け、呼吸ができなくなる。グギッという嫌な音が聞こえたが、それが何を表すのかは考えたくなかった。激痛をこらえMP5を拾い、ともかく少年の方に向き直る。少年の顔面はもうグロテスクではなかった。少年というより青年と言った方がしっくりくる顔になっている。こいつが今回の事件の首謀者か?考える前に古森はMP5の引き金を引いていた。腕でそれをガードした青年は、左の手の平を古森の方に向け、糸のようなものを打ち出した。屋根に突き刺さったそれを青年が手の平で操ると、屋根はいとも簡単に切断された。屋根が地上に落ち、ドゴーンという音を高架に反響させる。なにあれ。とりあえず1回目は回避したが、あんなものを食らえば五体がバラバラどころでは済まないだろう。早い話がミンチだ。また糸が打ち出された。2回目の糸は駅の屋根とゆりかもめの高架を貫き、両方とも切断した。まずい。だんだん逃げ場が減ってきた。3回目が来た。だが遅い!これなら楽に・・・グギッ。
3回目の糸は見事に駅の屋根と共に古森の腹部を射抜いていた。肋骨が砕かれ、左肺に空気が入る。「がぁああああああああっ!!!!!!!」痛みでのたうちまわる古森目がけ、青年はさも楽しそうな笑みを浮かべつつ右手から4回目の糸を打ち出した。それは古森の右足を貫き、脛骨を砕いた。古森がさらに悲鳴を上げる。気絶しないのが凄いほどだ。
青年が初めて口を開いた。「よう哀れな人間。具合はどうだ?」酷薄な笑みをその端正な顔に浮かべながら、青年は聞いた。「ぐ・・・・ぁ・・・」「そうか、肺に酸素が入っては苦しかろうな、まぁ気にするな、少しの辛抱だよ。すぐ痛覚系の神経を射抜いてやる。」「お・・ま・・えぇぇ・・・」「今すぐ脳幹をブチ抜いてもいいんだが、それではもったいない。生命は大事に扱わなければね。さて、次はどこの骨を打ち抜いてもらいたい?大腿骨か?それとも貴様ら人間にとって大事な大事な背骨か?私は平等という貴様らの概念は好きでね。決定権は君にやろう。」いいながら青年は古森の脇腹を蹴飛ばし、仰向けにさせた。口から血を吐き、腹からはどす黒い血を垂れ流しつつ、古森はMP5を青年に向け、撃った。しかし。「その体力と根性は認めるがね、すこしは諦めたらどうなんだい?」青年は平然としていた。言いつつMP5を古森から取り上げ、片手でへし折った。バキィ!古森の希望が断たれる音だった。「いくら私でも9mmパラベラム弾は結構痛いんだよ?」屋根に降り立った青年が近づいてくる。「・・・終わりだ。」阪下さん!―――――
ザシュ!
肉を断つ音がした。
「なん・・・だと・・・」古森が青年の方を見上げると、見知らぬ少年がいた。少年の腕には糸が何本も突き刺さり、血が滴っている。助けてくれた・・・?
「ちょっと君、邪魔してもらっては困るよ。この人間の女はもはや死ぬ寸前だぞ?」「うっせぇ!」少年の怒りの拳骨が青年の鳩尾を打つ。青年は後方に吹っ飛ばされ、パレットタウンの屋上に激突した。車の残骸をかき分け、青年が立ち上がる。「なるほど君も能力持ちか、どおりで・・・」ククククク。と青年は楽しそうに喉を鳴らした。「楽しく戦えそうだねぇ・・・フフフ・・・ヒャハハハハハハハハハハハハハハハハハハハァァァア!!!!!」狂ってやがるな。騎士は正直うんざりした。狂人の如き笑い声を上げながら青年は騎士に向かって歩きつつ、両手からシャキン、シャキンと糸を出した。「bonam noctem・・・」青年が何かつぶやいた。「ヒャフフフフフフフッハハハハハハハハハハハハハハァァァァァァァアアアアア!!!!!」
シャシャシャシャシャシャシャンシャシャシャシャシャシャァァアア!!!!!絶叫と共に青年の両手から大量に糸が打ち出される。カラフルなパレットタウンの建物がスパスパ切断され、ただのカラフルな瓦礫と化す。騎士はいくつかあるペントハウスの1つの陰に隠れた。しかし、青年の糸は他のペントハウスを次々と粉砕していく。そのうち此処も粉々にされる。行くなら今か―――3、2、1、GO!ペントハウスの陰から飛び出た騎士は、今いたペントハウスをまさに粉砕しようとしていた青年に最大レベルの波動を放った。波動を受けた青年の顔面は頭蓋骨ごと砕かれ、血液と骨肉片を辺りにまき散らしつつ消滅した。これで効果ナシなら、次は胸部を―――そこで騎士の思考はいったん途絶えた。
騎士の右腕があっさり切断されたのだった。傷口から血を噴き出しつつ、騎士の右腕が宙を舞う。いつの間に糸を―――そう考えた次の瞬間、猛烈な痛みが騎士を襲い、騎士はその場に倒れ伏した。
「ふぅん・・・もっと君とは楽しく戦えると思っていたんだけどねぇ。やっぱりまだまだ若造だったかな?」「てめぇ・・・」「ま、君は右腕一本すら即時再生できないひよっこって事だ。ここで死ぬのが一番いいよ♪」少年のような純真な笑みを浮かべながら、青年が糸をシャン、と手の平から出す。「ut vales?(ご機嫌いかが?)」青年は腕を振り上げた。しかし騎士は青年の事など眼中になく、ある事を考えていた。さっきから聞こえるこの音は何だ?だんだん近づいてくるが・・・
青年が腕を振り上げ、まさに糸が騎士をミンチにしようとしたその時、パレットタウンの屋上は突然銃声に包まれた。バララララララララララララララララララララ!!!!!!UH-60ヘリの前園達の連絡により、2機のAH-1S対戦車ヘリが救援に来たのであった。一分間に最高750発の発射速度を誇る20mmM197ガトリング砲が唸りを上げ、パレットタウンの屋上を掃射する。放置自動車は一瞬で鉄の塊に変わり、屋上駐車場のアスファルトはグズグズに打ち砕かれる。そんな圧倒的な銃弾の雨の中で、生身の人間など物の数にも入らず―――青年は自分がミンチにされていた。頭蓋骨は再生する前にまた銃弾に砕かれ、アスファルトの瓦礫の中に埋もれていく。胴体部分は風船が破裂したように血液を撒き散らしながら消滅していく。傍から見ると、それは青年が赤い霧を残してワープしたようにも見えた。
「すごい・・・」青海駅屋上の吸排気筒にもたれかかりながら、古森は呟いていた。ヘリの機関砲掃射で、あの青年は消滅した。古森の中に茫洋とした安堵感が広がっていく。助かった・・・
突然、2機のAH-1Sの内の1機が体勢を崩し始めた。古森が呆然としてそれを見ているうちに、AH-1Sは何かに引きずられるようにしてパレットタウンに激突した。コクピットから真っ直ぐビルに突っ込んだAH-1Sは、エンジンを誘爆させ、火達磨になってセンタープロムナードへ落下していった。味方機の惨状を目撃した2機目のAH-1Sは、即座に青年から距離を取り始めた。しかしそれも、白い糸が迷彩塗装の機体に絡み付くまでだった。AH-1Sはエンジン出力を全開にして振り切ろうとしたが、およそ1500馬力のライカミングT53-K-703エンジンをもってしても、人外である能力者の力には太刀打ちできなかった。2機目のAH-1Sはパレットタウンの大観覧車に真横から叩きつけられた。ローターが観覧車の鉄骨を砕き、電飾のコードを引きちぎる。その後は1機目と同じように、地上へ落下していった。ドォォォォォォォォォォォオォォォォォォォォォオオオオォォォォンンン・・・・・もはやなす術はないのか・・・絶望と激痛で、古森の意識は深い気絶の闇に落ちていった。
「・・・うるさいハエだったな。さて戦いの続きと行こうか?それともここで死ぬかい?若造クン?」「・・・・・・・・」「返答なし、か。じゃあこっちから行かせてもらおうかな?」ババババババババババババババババ・・・・AH-1Sの編隊が再度現れる。「・・・またハエどもか。」青年が接近するヘリの方に向き直る。
俺に力を・・・俺に闘う力を・・・俺に・・・正義の力をぉぉ!!!!!!!!!!
「・・・っうおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!」突如背後で沸き起こった絶叫に、青年は振り返った。「・・・ぅぅうううららららららららららああああああああぁぁぁ!!!!!」騎士の右ストレートが青年の腹部に直撃する。青年はまたも弾き飛ばされ、メガウェブの屋上まで吹き飛んだ。なんだこいつ・・・さっきの一撃とはまるで違う・・・青年は自分の体を見、驚愕の声を放った。「・・!??」打撃を受けた腹部が、再生していない。どういうことだ!?それにあの若造の右腕は一体何だ?確かにさっき斬り捨てたはずの腕が、再生している!攻撃する側からされる側になった事に頭脳が付いていかず、青年は半ばパニックのまま糸を右手から放った。それは騎士の右胸を綺麗に打ち抜いていた。よし、防御力は変わりない。しかし騎士は、無表情に突き刺さったそれを見下ろすと、左手で糸を掴み、引き千切った。胸から大量の血が噴き出てきたが、騎士は意に介せず青年の方へ前進してきた。
青年が乱射する糸を全て弾き落とし、騎士は動けない青年の前に立った。「・・・・なぁ、待て、ストップだ。ここは同じ能力者同士、文明的に取引をしようじゃないか。その・・・君の力と私の力があれば、こんな国は簡単にものにできる。世界征服だって夢じゃない。だからさ、手を組まないか?なぁ、やってみないか?おい。世界の征服だって夢じゃないんだ。この地球の物は、全部私たちの物になるんだぞ、おい。おーい!だから、手を組まnaiかsてt言ってるじゃないあか!おiい!なぁ!手を組yotew>Mぜ!ooうい!gさhじゃbな組まないぎぃあsかっていさうふはsmにおあにおfんfのああ・あ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」さっきまでのプライドを捨て戯言を繰り返す青年に、もう興味はなかった。「・・・・・」騎士の右腕が光り輝き始める。拳は紅く輝き、腕は白とも黄色ともつかない色で輝く。拳が紅くなるにしたがい、周りの温度も上昇していく。アスファルトがブスブスと焦げ、元の形である石油に戻ろうとしていたが、騎士には関係無いことだった。いよいよ温度が上がり、騎士の周囲には蒸気が立ち込め始めた。青年が喚くのをやめる。一瞬の沈黙。「・・・・・・なぁおぉぉい!!!!!」騎士は無言でその紅い拳を振り下ろした。
振り下ろされた拳は、青年の頭蓋骨をみたび粉砕し、青年の意識を霧散させた。続いて拳の高熱が元青年の体に伝わり、体を内側から焼き尽くした。頭蓋骨は余りの高温に瞬間的に蒸発し、塵すら残らなかった。背骨も同じ運命をたどり、体表に達した熱は元青年の肉を全て焼いた。体表がすべて炎に包まれた時、元青年の体は光輝き、爆散消滅した。辺りに飛び散った体組織が一瞬で灰となっていく。その灰すらも騎士の波動はかき消していった。
全てが終わったとき、メガウェブの屋上に残ったのは、酷く焼け、ちょっと蒸発気化した屋根の一部と力尽きて倒れた騎士の体だけだった。
ざざぁ・・・・ざざざざぁぁ・・・・ざざざざ・・・・その音で古森は目を覚ました。青年はどうなったんだろう?あの少年は・・・ざざざぁ・・・ざざざ・・・ざぁざざ・・・まぁいいか。やさしく響き渡る雨音に身を委ね、古森はちょっと眠ることにした。
ざざざざざざ・・・・・ざざざざぁ・・・・・ざざざざざざ・・・・・
午前11時14分。現地対策本部は戦闘終結宣言を出した。
降りしきる雨の中、東京ヘリポートから1機のヘリが飛び立とうとしていた。「南雲さん早く乗ってください!」「わかったわかった!」ヘリが離陸する。「騎士君、大丈夫ですかね?」自衛隊のヘリがそれらしき少年を発見したという話は聞いたが・・・「さぁな。」だがあいつならきっと生きている。確信はないが、南雲はそう思っていた。ヘリはまもなくお台場上空に差し掛かかるところだった。
中央指揮所では、閣僚たちが事件解決の快哉を叫んでいた。そんな歓喜の渦から一人離れ、烏丸は1人大型モニターを見つめていた。モニターには、お台場からのライブ映像が映し出されている。見るとSAT隊員がヘリに吊り上げられ救助されていた。よくよく見るとそれは女性だった。なぜあんなところに女性が・・・・・?烏丸は気になって仕方がなかった。
『・・・おい、これちゃんとうつってるか?』『オーケーですディレクター。』『よし、じゃあ本番いくぞ。』『・・・3・・・2・・・1・・・スタート!!』『こちら現場の松永です。』『(スタジオ)松永さーん?そちらの様子はどうですか?』『はい、えー私が今いるのは大井埠頭なんですが、約30分前に警察から戦闘終結宣言が出されまして、現在はヘリコプターによる救助活動が行われています。』『(スタジオ)なるほど。ところで1時間ほど前の大爆発の被害はそちらから何かうかがえますでしょうか?』『はい、見たところ台場地区はそれほどでもないんですが、青海2丁目あたりはひどい有様です・・・』『(カメラまわして!早く!)』『(スタジオ)はー・・・分かりました松永さん、何か変化があったらまたよろしくお願いします。』『はい、分かりました。』
松永浩一郎レポーターはすっかり変わったお台場の景色を眺めていた。ADがコーヒーを持ってきたが、置いて行くようにと言ってタバコを持ってこさせた。タバコをくわえ、火をつけようとしたが、突如沸き起こった疑問にそれは中断させられた。あの大爆発は何だったんだ?あのとき、松永は芝浦埠頭の中継現場でさっきと同じように現場レポートをしていた。そしたら急に周りの警官がお台場から離れろとか言いだして・・・あの爆発が起こった。うちの局の報道ヘリも墜落して大騒ぎだった・・・松永はそれから10分ほど、そこに佇んでいた。ADが持ってきたコーヒーはとっくに冷めていた。
『お台場同時多発生物テロ事件』(警視庁・防衛省命名)から3週間後。東京警察病院。そこに阪下はいた。ヘリの墜落で足の骨を折り、至る所で内出血が起こっていたが、まぁ生きていた。阪下はある病室へ向かっていた。無論松葉杖で。やっとの思いで目的の病室へたどりついた。すると、その病室から黒スーツの男が出てきた。はて、どっかで見た事・・・ないか。病室のドアの前に立ち、1つ深呼吸をする。そして勢いよくドアを開けた。
病室へ入ると、なぜか看護士達が1つのベッドに集まっている。まさか・・・!!足が痛むのも忘れて阪下は走り、ベッドを仕切っているカーテンを開けた。
ベッドの上には人が1人横たわっていた―――阪下の部下にして恋人(阪下目線)の古森 郁である。しかし今古森の顔には白い布がかけられていた。看護士の1人が口を開いた。「手は尽くしたのですが・・・・・」阪下はそれを無視してベッドに駆け寄り、ベッドに突っ伏して泣いた。男泣きである。「古森ぃぃぃぃぃいいいいいいいい!!!!!!!」おいおい泣いた。1人で。
「(ちょ、重い・・・)」「(もう少しの辛抱ですよ!)」ん?不意にそんな声が聞き取れ、阪下は泣き腫らした顔を上げた。「・・・・もしかして。」阪下は思い切って古森の顔にかけられた白い布を取ってみた。
古森は満面の笑みであった。というか、今にも吹きだしそうだった。実際吹きだした。ぶわははははははははははっははははは!!!!病室に明るい笑い声が響く。阪下は込み上げてくる羞恥心で目の前が真っ暗になった。
阪下が目を覚ますと、看護士さん達は引き揚げた後だった。「・・・仮にも上司をはめるたぁ・・・」「まぁいいじゃないですか。」「看護士さんまで巻き込んで・・・」「積極的に協力してくれましたけどね?」「・・・・・」もういいや。はぁ。「それで?ケガの具合はどうなんだ?」「これ。」差し出されたカルテを読む。って、なんだこれ・・・脊椎損傷、脛骨損傷、血胸、腹部切創、その他各所の内出血etc・・・「よく生きてたな・・・」「何ですかその言い方!!死んでほしかったんですか!!」今は笑いながら怒る古森だが、運び込まれたときは意識不明で出血多量というかなりヤバい状況だったらしい。「それで?復帰はできそうなのか?」「・・・かなり難しい・・・と。」「そっか・・・」サァァァァァァァァ・・・・開け放した窓から吹き込んだ風が、静かにカーテンを揺らす。いつの間にか付けられていたテレビが、時間が止まったような病室の空気を静かにかき回す。『お台場同時多発テロ事件より3週間がたったここお台場ですが、テレコムセンタービル、レインボーブリッジなどの修復のメドは未だ立たず・・・』「阪下さん。」「ん?」「・・・お台場がいつか元通りになったら、またあのお店に行きましょうね。」「・・・ああ。」「今度は特製ホルモン鍋じゃなくて、・・・そうだなぁ、サムゲタンにしましょう。」「・・・飲み放題コースでな。」「お、いいですねぇ。じゃあ、絶対の絶対ですよ?」「分かっているよ。」苦笑いを返しつつ、阪下は病室から出た。
廊下を歩きつつ思う。死ねないなこりゃ・・・・・
そのころ、警察庁庁舎の一角。「南雲さん、本当にここでいいんですか?」「知るかよ。俺はただ突然警備局長に呼び出されてここの部署に異動しろって言われただけだからな。」2人の目の前には、「公安六課」というプレートがついたドアがある。「じゃあいきますよ・・・」ガチャッ。
とある住宅街。「騎士~っ?お友達が着てるよ~?」「・・・へぇ?」取りあえず急いで学校に行く準備をした騎士は、玄関へ降りていった。「・・・って、お前かよ。」「悪い?」キャベツと並んで登校する・・・か。久しぶりだな、こんなの。「どしたの?」「いや、別に?」「あ!今日はお弁当作ってきたよ!」「なんと!?」「食べたかったら・・・捕まえてみなっ!」キャベツは走っていってしまった。陸上部だけに速い。追いかけるのは正直面倒くさい。「・・・待てよ!待てってば!」ま、たまにはいいか。こういうのも。
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