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*文学・歴史の一行知識
+ゲーテの最後の言葉は「もっと光を……!」だといわれているが、実はその後「窓を開けてくれ。」と続いている。
+浦島太郎には次郎と三郎という兄弟がいた。
+KKベストセラーズの「ワニの本」の由来は、光文社の「カッパ・ブックス」に対抗し「カッパなど食べてしまえ」という意気込みから。
+新田次郎は作家になる前、気象庁富士山測候所で働いていた。
+アガサ=クリスティーは小説家になる前薬局勤めをしており、そこで身に付けた毒物の知識を用いて推理小説を書き始めた。
+『ベースボール』を訳して『野球』と書いたのは正岡子規、というのは間違いで、これは子規の弟子・河東碧梧桐が誤って紹介した知識。
+学年末試験で正岡子規が落第点を取ったとき、夏目漱石は彼に「鳴くならば満月に鳴けほととぎす」という俳句を作って送った。
+高浜虚子は、中学時代にたまたま通りかかった大学生と一緒に野球をしたことがあったが、それが後の正岡子規だった。
+森鴎外はドイツに留学していた際「ビールと利尿作用について」という論文を発表した。
+平家物語の冒頭に「祇園精舎の鐘の声……」とあるが、もともと祇園精舎に鐘は無く、このことを知って残念に思った日本人観光客のリクエストにより今は存在している。
+日本の昔話は「むかしむかし、あるところに」で始まるが、ロシアの昔話は「三九二十七番目の国に」という九九で始まる。
+聖書に「そして」という接続詞は46227回登場する。
+古代ギリシアの喜劇作家ピレモンは、自分の考えたジョークのおかしさに笑い転げたのが原因で死んだ。幸いそのジョークは残っていない。
+変身後のシンデレラは、元の話ではガラスではなく毛皮の靴を履いていた。ちなみにこれは誤訳が原因。
+ベルギーにある「ネロとパトラッシュの像」は、日本人観光客の「『フランダースの犬』の舞台はどこか」という質問の多さに答えて作られた。
+石川啄木は数学の試験で友人とカンニングをしたがバレて、答案無効となり中学を退学したことがある。
+森鴎外は最年少で東大を卒業した記録保持者でもある。
+メリメ作『カルメン』の主人公は葉巻工場に勤務していたが、この作品のヒットにより実際にヨーロッパで葉巻愛好者が激増した。
+「フランダースの犬」が初めて翻訳されたとき、主人公の「ネロ」は「清吉」、犬の「パトラッシュ」は「ぶち」と訳された。
+明治の徴兵制では北海道と沖縄籍の住人は免除されていた。夏目漱石が明治25年に北海道へ籍を移したのはその為である。
+「エルフの耳は尖っている」という概念が出来たのは、20世紀に入ってからJ・R・R・トールキンの『指輪物語』の中でのこと。
+【ハリーポッターと賢者の石】という本がある。ロシアではそのパロディーで【ポリーハッターと石の賢者】という本がある。
+芥川龍之介は辰年辰月辰日の辰の刻に生まれたのでその名前が付けられた。
+太宰治は何回も自殺しようとしたことがある。
+走れメロスは太宰治が実際に経験したことがある。太宰とその友達が熱海の旅館で豪遊したが金がなくなり、太宰が友達を人質に置いて東京へ金策に出かけたため。
+作家の森鴎外は軍医でもあったが、その腕は疑わしい。彼は日露戦争時、脚気の原因を伝染病と判断して間違った治療を施し、病死者を山ほど出している。
+国産第一号のトラクターが出来たのは大正15年で、値段は150円。ちなみに当時の農家の日当は1円以下。
+ミシンを発明したフランス人・バルテミー=チモニエは仕立て屋から怨まれ続けた挙句、彼等の一団に襲撃されて瀕死の重傷を負った。
+フォークが考案された当初、聖職者達は「神が作られた食物に触れることを許されるのは、我々の手だけだ」と叫び、長い間使用はタブーとされていた。
+キリストと一緒にゴルゴダの丘で磔にされた後の2人は別にキリストの関係者ではなく、ただの盗人らしい。
+ピカソの本名は長い。パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ファン・ネポムセノ・マリア・デ・ロス・レメディオス・シプリアーノ・デ・ラ・サンテシマ・トリニダット・ルイス・イ・ピカソ。
+五世紀にヨーロッパを震え上がらせたフン族の王・アッチラの死因は、新婚初夜の日に大量の鼻血を出したことによる窒息。
+世界初のエレベーターはルイ15世が自分の部屋から直接愛人の部屋に行く為に設置された。
+東京駅発売の第一号切符を購入したのは川端由松さん。その時切符を売った受付嬢の名前は川端マキさんだった。
+阿片戦争の際、英国議会は清に軍隊を派遣するか否かで大論争となり、投票により派兵が決定したがその差はわずか2票だった。
+アメリカへの奴隷貿易が始まった頃アイルランド人を奴隷として輸出しようという意見が上がったが、「黒人の方が見た目で違いが分かるから管理しやすい」という理由で却下された。
+ドイツの哲学者・ニーチェが出した本はそのほとんどが自費出版で、1冊につき10部売れるのがやっとだった。
+薬師如来の指の間には「救われるべき人達を手の隙間からこぼしてはいけない」ということで水かきが付いている。
+幕末の江戸には町が全部で2770個所あった。
+写真が発明された頃の銀盤写真は左右逆に映るため、江戸時代末期に侍が写真を撮るときは服装から刀の挿し方まで全てを左右あべこべにした。
+インド神話では、閻魔様は人類で最初に結婚をしてなおかつ最初に死んだ人間とされている。
+大名行列は通常横切ることが出来なかったが、唯一お産婆さんだけは認められていた。
+ニュートンの『プリンキピア』の出版費用は天文学者のハレーが持った。
+明治製菓が創業したのは大正時代。
+音楽室で見かけるバッハやモーツァルトの肖像画の髪は、実は全てカツラ。
+西太后は幼い頃、郵便配達人のミスが原因で大金を手に入れ、それを元に実力を付けていった。後に権力者となった彼女は、そのミスで長年牢獄にいた配達人を釈放した。
+ロダン作「考える人」はもともと100体近くの人物像がある超大作「地獄の門」の一部分。
+名裁きで有名な大岡越前守忠相の屋敷があった場所、現在は検察庁の合同庁舎がある。
+アイゼンハワーの両親は平和主義者だった。
+バスチーユ監獄を建設させたパリ市長ユグ・オーブリーオは後に異端者として告発され、同監獄の入獄者第1号になった。
+ローマ皇帝・ネロは歌声を良くするためにニラを食べていた。
+エジソンは視覚障害者ではなかったが、点字で読書をするのが趣味だった。
+蒸気機関トラクターの発明者N・J・キュニョーは、交通違反による刑務所送りの世界第1号でもある。
+イギリス王ヘンリー1世の死因はヤツメウナギの食べ過ぎ。
+ダイナマイトの発明者アルフレッド・B・ノーベルの父親インマニュエルは、ベニヤ板の発明者である。
+ロシアの十月革命は本当は十一月に起きている。
+記録に残る中で最も古いストライキは紀元前1160年のエジプト。内容は、ラムセス三世の墓所造成を行う労働者達の賃上げ要求。
+記録によると、モンゴル帝国の軍隊は1221年のイランとの戦いで1時間に175万人を殺した。
+ギリシア・ローマ時代の男性裸体像の制作年代は睾丸を見ると分かる。左右対称が美とされた時期はモノの大きさが均等だが、リアリズムが台頭した時期のモノは左の方が垂れている。
+ポーランド17代国王ヨハンⅢ世は6月17日に産まれ、6月17日に戴冠式を行い、6月17日に結婚し、6月17日に他界した。
+天文学者のティコ=ブラーエは、星空観察のためにデンマーク王から島一つをまるごと贈与された。
+アステカ帝国では毎年全人口の約1%に当たる数の人間が、神の生贄として奉げられていた。
+「後三年の役」の舞台となった金沢柵、最寄駅の名前は「後三年駅」である。
+「弘法筆を選ばす」というが、弘法大師は楷書用や写経用などの筆を作らせ使い分けていた。
+ギロチンは、死刑執行人の手が狂って死に損なった受刑者が変な苦痛を味わうことのないように考案された。
+イブの飲み込んだリンゴはアダムと同様に途中でつっかえ、二つに割れて「胸」になった。
+「考える人」は考えているのではなく、地獄の光景を上から眺めている。
+ルイ16世は一家直属のコック13人と一緒に入獄したので、牢獄でも贅沢な食事をしていた。
+菅原道真が天神様なのは、彼を祭った社がたまたま天神社だったから。
+織田信長は始めて黒人と対面した時、その皮膚の黒さが信じられず、まず身体を清めることを命じた。
+1868年10月、明治天皇が江戸城に入場した際の第一声は「江戸城は広いなあ」だった。
+大塩平八郎は蔵書五万冊を売り払い、それを叛乱の資金源とした。
+アメリカ人が捕鯨を止めた最初のきっかけはゴールドラッシュ。
+シューベルトはベートーベンの葬式の際に棺桶を担いだ。
+電球を発明したエジソンは、それを売り込むためにソケットを始めとして配電盤、送電線、コンセント、ヒューズ、電気メーターまでも発明した。
+ジョン・S・ミルは選挙に出馬する際「選挙運動をしない、選挙費用を出さない、当選しても地域のために苦労しない」をモットーとして掲げ、見事落選した。
+ワーグナーのファンだったボードレール、ニーチェ、バイエルン王ルードウィヒ二世は皆発狂死している。
+ワーグナーは14歳の時に処女作となる舞台劇を書き上げたが、登場人物42人が最後に全員死んでしまうというとんでもない筋書きの話だった。
+ノルウェーの探検家・アムンゼンは1911年に南極点到達に成功したが、出発時周囲には「北極へ行く」と嘘をついていた。ライバルの英探検家・スコットを出し抜くための作戦だった。
+旧約・新約の両聖書には、奴隷制に対する非難は何一つ書かれていない。
+アメリカ南北戦争時にはアヘン中毒者が10万人も発生した。医者が痛み止めにアヘンを多用したことが原因。
+ラジウムの発見者マリー・キュリーは放射線の浴び過ぎによる白血病で死んだ。当時は危険性が無いと信じられていた為である。
+ヘレン・ケラーは目と耳が不自由だったが嗅覚は人一倍鋭く、体臭で人の判別が出来た。
+紀元前356年、「歴史に名を残したいから」という理由でギリシアのアルテミス神殿に火をつけ破壊した人間がいる。名前はヘラストラスツ。
+伊能忠敬は富士山の高さを3982メートルと計測した。その50年後、同様のことをイギリス人が行った時の結果は4321メートルだった。
+京都の「西陣」は応仁の乱の際、この土地に陣が置かれたことから付いた地名。置いていたのは山名宗全。
+かつてヨーロッパでは、フランス産のワインとスペイン産のそれとを同じ倉庫に保存することが禁じられていた時期がある。
+スウェーデン王グスタフ三世はコーヒーを毒物だと信じ込み、死刑囚に飲ませて刑を執行させた。
+ヨーロッパでは第一次大戦で死んだ人の数よりも、戦後二年にわたって大流行したインフルエンザで死んだ人の数の方が多い。
+1896年、イギリスとザンジバル(現・タンザニア)は38分間だけ戦争をした。
+アイザック・ニュートンは童貞のまま天寿を全うした。
+ムハンマドの父親アブダラは美男子で、彼が結婚した際、ショックを受けて自殺した女性が200人以上出たという。
+ガリレオは望遠鏡で太陽を見すぎていたのが原因で、晩年は視力がほとんどなかった。
+古代エジプト人は、給仕をさせる目的でヒヒを調教していたことがある。
+17世紀のオランダではチューリップの値下がりが原因で大不況が起きた。
+ナイチンゲールが実際に戦争負傷者の看護に携わったのは2年間だけ。彼女はクリミアで熱病にかかり、それ以降ずっと病人として過ごした。
+関ヶ原の戦いで西軍の総大将だったのは毛利輝元。石田光成は指揮官。
+聖書に登場する人物・バラバの本名は「イエス」という。
+キリストは息を引き取る前に酢を口にしていた。
+「番町皿屋敷」の舞台となった場所は、今日本テレビ。
+大塩平八郎の乱は1日で終わった。
+第2次大戦後ヨーロッパの某国では、戦時中に誕生した男子が同性愛者になる割合が高くなる、という統計が出た。空襲への恐怖がストレスとなり、母親から男性ホルモンに必要な栄養分を与えられなくなったのが原因らしい。
+戦時中、上野動物園の動物達が次々と殺されたという話は絵本「かわいそうなぞう」でも有名だが、あの話で「猛獣を殺せ」と命令を出したのは旧日本軍ではなく、実は東京都。
+太平洋戦争末期、米軍に暗号を暴かれ情報が筒抜け状態だった旧日本海軍は、その対策として訛りの強い薩摩弁の兵士同士で通話をさせた。対する米軍は、傍受は出来たが意味が分からず、やっと解読出来たのは終戦後になってから。
- ホテル行く前に外で2発イカせてもらいますた! http://ston.mlstarn.com/55769321 -- てれれん (2009-06-02 12:41:59)
- セフしさまさまだなwマジ天国wwwhttp://sersai%2ecom/hosakimenma/318979043 -- 大日にょ来 (2009-06-06 00:00:54)
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*文学・歴史の一行知識
+ゲーテの最後の言葉は「もっと光を……!」だといわれているが、実はその後「窓を開けてくれ。」と続いている。
+浦島太郎には次郎と三郎という兄弟がいた。
+KKベストセラーズの「ワニの本」の由来は、光文社の「カッパ・ブックス」に対抗し「カッパなど食べてしまえ」という意気込みから。
+新田次郎は作家になる前、気象庁富士山測候所で働いていた。
+アガサ=クリスティーは小説家になる前薬局勤めをしており、そこで身に付けた毒物の知識を用いて推理小説を書き始めた。
+『ベースボール』を訳して『野球』と書いたのは正岡子規、というのは間違いで、これは子規の弟子・河東碧梧桐が誤って紹介した知識。
+学年末試験で正岡子規が落第点を取ったとき、夏目漱石は彼に「鳴くならば満月に鳴けほととぎす」という俳句を作って送った。
+高浜虚子は、中学時代にたまたま通りかかった大学生と一緒に野球をしたことがあったが、それが後の正岡子規だった。
+森鴎外はドイツに留学していた際「ビールと利尿作用について」という論文を発表した。
+平家物語の冒頭に「祇園精舎の鐘の声……」とあるが、もともと祇園精舎に鐘は無く、このことを知って残念に思った日本人観光客のリクエストにより今は存在している。
+日本の昔話は「むかしむかし、あるところに」で始まるが、ロシアの昔話は「三九二十七番目の国に」という九九で始まる。
+聖書に「そして」という接続詞は46227回登場する。
+古代ギリシアの喜劇作家ピレモンは、自分の考えたジョークのおかしさに笑い転げたのが原因で死んだ。幸いそのジョークは残っていない。
+変身後のシンデレラは、元の話ではガラスではなく毛皮の靴を履いていた。ちなみにこれは誤訳が原因。
+ベルギーにある「ネロとパトラッシュの像」は、日本人観光客の「『フランダースの犬』の舞台はどこか」という質問の多さに答えて作られた。
+石川啄木は数学の試験で友人とカンニングをしたがバレて、答案無効となり中学を退学したことがある。
+森鴎外は最年少で東大を卒業した記録保持者でもある。
+メリメ作『カルメン』の主人公は葉巻工場に勤務していたが、この作品のヒットにより実際にヨーロッパで葉巻愛好者が激増した。
+「フランダースの犬」が初めて翻訳されたとき、主人公の「ネロ」は「清吉」、犬の「パトラッシュ」は「ぶち」と訳された。
+明治の徴兵制では北海道と沖縄籍の住人は免除されていた。夏目漱石が明治25年に北海道へ籍を移したのはその為である。
+「エルフの耳は尖っている」という概念が出来たのは、20世紀に入ってからJ・R・R・トールキンの『指輪物語』の中でのこと。
+【ハリーポッターと賢者の石】という本がある。ロシアではそのパロディーで【ポリーハッターと石の賢者】という本がある。
+芥川龍之介は辰年辰月辰日の辰の刻に生まれたのでその名前が付けられた。
+太宰治は何回も自殺しようとしたことがある。
+走れメロスは太宰治が実際に経験したことがある。太宰とその友達が熱海の旅館で豪遊したが金がなくなり、太宰が友達を人質に置いて東京へ金策に出かけたため。
+作家の森鴎外は軍医でもあったが、その腕は疑わしい。彼は日露戦争時、脚気の原因を伝染病と判断して間違った治療を施し、病死者を山ほど出している。
+国産第一号のトラクターが出来たのは大正15年で、値段は150円。ちなみに当時の農家の日当は1円以下。
+ミシンを発明したフランス人・バルテミー=チモニエは仕立て屋から怨まれ続けた挙句、彼等の一団に襲撃されて瀕死の重傷を負った。
+フォークが考案された当初、聖職者達は「神が作られた食物に触れることを許されるのは、我々の手だけだ」と叫び、長い間使用はタブーとされていた。
+キリストと一緒にゴルゴダの丘で磔にされた後の2人は別にキリストの関係者ではなく、ただの盗人らしい。
+ピカソの本名は長い。パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ファン・ネポムセノ・マリア・デ・ロス・レメディオス・シプリアーノ・デ・ラ・サンテシマ・トリニダット・ルイス・イ・ピカソ。
+五世紀にヨーロッパを震え上がらせたフン族の王・アッチラの死因は、新婚初夜の日に大量の鼻血を出したことによる窒息。
+世界初のエレベーターはルイ15世が自分の部屋から直接愛人の部屋に行く為に設置された。
+東京駅発売の第一号切符を購入したのは川端由松さん。その時切符を売った受付嬢の名前は川端マキさんだった。
+阿片戦争の際、英国議会は清に軍隊を派遣するか否かで大論争となり、投票により派兵が決定したがその差はわずか2票だった。
+アメリカへの奴隷貿易が始まった頃アイルランド人を奴隷として輸出しようという意見が上がったが、「黒人の方が見た目で違いが分かるから管理しやすい」という理由で却下された。
+ドイツの哲学者・ニーチェが出した本はそのほとんどが自費出版で、1冊につき10部売れるのがやっとだった。
+薬師如来の指の間には「救われるべき人達を手の隙間からこぼしてはいけない」ということで水かきが付いている。
+幕末の江戸には町が全部で2770個所あった。
+写真が発明された頃の銀盤写真は左右逆に映るため、江戸時代末期に侍が写真を撮るときは服装から刀の挿し方まで全てを左右あべこべにした。
+インド神話では、閻魔様は人類で最初に結婚をしてなおかつ最初に死んだ人間とされている。
+大名行列は通常横切ることが出来なかったが、唯一お産婆さんだけは認められていた。
+ニュートンの『プリンキピア』の出版費用は天文学者のハレーが持った。
+明治製菓が創業したのは大正時代。
+音楽室で見かけるバッハやモーツァルトの肖像画の髪は、実は全てカツラ。
+西太后は幼い頃、郵便配達人のミスが原因で大金を手に入れ、それを元に実力を付けていった。後に権力者となった彼女は、そのミスで長年牢獄にいた配達人を釈放した。
+ロダン作「考える人」はもともと100体近くの人物像がある超大作「地獄の門」の一部分。
+名裁きで有名な大岡越前守忠相の屋敷があった場所、現在は検察庁の合同庁舎がある。
+アイゼンハワーの両親は平和主義者だった。
+バスチーユ監獄を建設させたパリ市長ユグ・オーブリーオは後に異端者として告発され、同監獄の入獄者第1号になった。
+ローマ皇帝・ネロは歌声を良くするためにニラを食べていた。
+エジソンは視覚障害者ではなかったが、点字で読書をするのが趣味だった。
+蒸気機関トラクターの発明者N・J・キュニョーは、交通違反による刑務所送りの世界第1号でもある。
+イギリス王ヘンリー1世の死因はヤツメウナギの食べ過ぎ。
+ダイナマイトの発明者アルフレッド・B・ノーベルの父親インマニュエルは、ベニヤ板の発明者である。
+ロシアの十月革命は本当は十一月に起きている。
+記録に残る中で最も古いストライキは紀元前1160年のエジプト。内容は、ラムセス三世の墓所造成を行う労働者達の賃上げ要求。
+記録によると、モンゴル帝国の軍隊は1221年のイランとの戦いで1時間に175万人を殺した。
+ギリシア・ローマ時代の男性裸体像の制作年代は睾丸を見ると分かる。左右対称が美とされた時期はモノの大きさが均等だが、リアリズムが台頭した時期のモノは左の方が垂れている。
+ポーランド17代国王ヨハンⅢ世は6月17日に産まれ、6月17日に戴冠式を行い、6月17日に結婚し、6月17日に他界した。
+天文学者のティコ=ブラーエは、星空観察のためにデンマーク王から島一つをまるごと贈与された。
+アステカ帝国では毎年全人口の約1%に当たる数の人間が、神の生贄として奉げられていた。
+「後三年の役」の舞台となった金沢柵、最寄駅の名前は「後三年駅」である。
+「弘法筆を選ばす」というが、弘法大師は楷書用や写経用などの筆を作らせ使い分けていた。
+ギロチンは、死刑執行人の手が狂って死に損なった受刑者が変な苦痛を味わうことのないように考案された。
+イブの飲み込んだリンゴはアダムと同様に途中でつっかえ、二つに割れて「胸」になった。
+「考える人」は考えているのではなく、地獄の光景を上から眺めている。
+ルイ16世は一家直属のコック13人と一緒に入獄したので、牢獄でも贅沢な食事をしていた。
+菅原道真が天神様なのは、彼を祭った社がたまたま天神社だったから。
+織田信長は始めて黒人と対面した時、その皮膚の黒さが信じられず、まず身体を清めることを命じた。
+1868年10月、明治天皇が江戸城に入場した際の第一声は「江戸城は広いなあ」だった。
+大塩平八郎は蔵書五万冊を売り払い、それを叛乱の資金源とした。
+アメリカ人が捕鯨を止めた最初のきっかけはゴールドラッシュ。
+シューベルトはベートーベンの葬式の際に棺桶を担いだ。
+電球を発明したエジソンは、それを売り込むためにソケットを始めとして配電盤、送電線、コンセント、ヒューズ、電気メーターまでも発明した。
+ジョン・S・ミルは選挙に出馬する際「選挙運動をしない、選挙費用を出さない、当選しても地域のために苦労しない」をモットーとして掲げ、見事落選した。
+ワーグナーのファンだったボードレール、ニーチェ、バイエルン王ルードウィヒ二世は皆発狂死している。
+ワーグナーは14歳の時に処女作となる舞台劇を書き上げたが、登場人物42人が最後に全員死んでしまうというとんでもない筋書きの話だった。
+ノルウェーの探検家・アムンゼンは1911年に南極点到達に成功したが、出発時周囲には「北極へ行く」と嘘をついていた。ライバルの英探検家・スコットを出し抜くための作戦だった。
+旧約・新約の両聖書には、奴隷制に対する非難は何一つ書かれていない。
+アメリカ南北戦争時にはアヘン中毒者が10万人も発生した。医者が痛み止めにアヘンを多用したことが原因。
+ラジウムの発見者マリー・キュリーは放射線の浴び過ぎによる白血病で死んだ。当時は危険性が無いと信じられていた為である。
+ヘレン・ケラーは目と耳が不自由だったが嗅覚は人一倍鋭く、体臭で人の判別が出来た。
+紀元前356年、「歴史に名を残したいから」という理由でギリシアのアルテミス神殿に火をつけ破壊した人間がいる。名前はヘラストラスツ。
+伊能忠敬は富士山の高さを3982メートルと計測した。その50年後、同様のことをイギリス人が行った時の結果は4321メートルだった。
+京都の「西陣」は応仁の乱の際、この土地に陣が置かれたことから付いた地名。置いていたのは山名宗全。
+かつてヨーロッパでは、フランス産のワインとスペイン産のそれとを同じ倉庫に保存することが禁じられていた時期がある。
+スウェーデン王グスタフ三世はコーヒーを毒物だと信じ込み、死刑囚に飲ませて刑を執行させた。
+ヨーロッパでは第一次大戦で死んだ人の数よりも、戦後二年にわたって大流行したインフルエンザで死んだ人の数の方が多い。
+1896年、イギリスとザンジバル(現・タンザニア)は38分間だけ戦争をした。
+アイザック・ニュートンは童貞のまま天寿を全うした。
+ムハンマドの父親アブダラは美男子で、彼が結婚した際、ショックを受けて自殺した女性が200人以上出たという。
+ガリレオは望遠鏡で太陽を見すぎていたのが原因で、晩年は視力がほとんどなかった。
+古代エジプト人は、給仕をさせる目的でヒヒを調教していたことがある。
+17世紀のオランダではチューリップの値下がりが原因で大不況が起きた。
+ナイチンゲールが実際に戦争負傷者の看護に携わったのは2年間だけ。彼女はクリミアで熱病にかかり、それ以降ずっと病人として過ごした。
+関ヶ原の戦いで西軍の総大将だったのは毛利輝元。石田光成は指揮官。
+聖書に登場する人物・バラバの本名は「イエス」という。
+キリストは息を引き取る前に酢を口にしていた。
+「番町皿屋敷」の舞台となった場所は、今日本テレビ。
+大塩平八郎の乱は1日で終わった。
+第2次大戦後ヨーロッパの某国では、戦時中に誕生した男子が同性愛者になる割合が高くなる、という統計が出た。空襲への恐怖がストレスとなり、母親から男性ホルモンに必要な栄養分を与えられなくなったのが原因らしい。
+戦時中、上野動物園の動物達が次々と殺されたという話は絵本「かわいそうなぞう」でも有名だが、あの話で「猛獣を殺せ」と命令を出したのは旧日本軍ではなく、実は東京都。
+太平洋戦争末期、米軍に暗号を暴かれ情報が筒抜け状態だった旧日本海軍は、その対策として訛りの強い薩摩弁の兵士同士で通話をさせた。対する米軍は、傍受は出来たが意味が分からず、やっと解読出来たのは終戦後になってから。
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