暗くもなく明るくもなく。寒くもなく暖かくもなく。およそ現実の言葉で規
定されない謎めいた空間に、短ランで金髪の男――千葉が世界に誇る不良、三
橋貴志である――は、プカプカと浮いていた。あたりは一面、怪しげな靄に包
まれている。そのまま三橋はどこぞの宗教家よろしく空中で胡座をかくと、フ
ワフワとそこら中を飛び回り始めた。

 もちろん、三橋はいたって普通の――と言うと若干語弊があるかもしれない
けれども――不良高校生であり、間違っても空中浮揚などという技は身につけ
ていない。では、なぜ彼は空中をさまよっているのか? その問の答はごく簡
単だ。そう、三橋貴志は夢を見ているのである。
 本人は自分が夢の中にいるなどとは気づいていないし、まだ目覚める様子も
ない。ただ徒にまどろみに身を任せているだけなのだから、まったく暢気なも
のだ。何せ寝入ったが最後、なかなか目の覚めない質の三橋だから、夢の世界
にたゆたっている時間は人より長い。すでにこの島に来てから5時間ほどは経
っているというのに、いまだにこの調子である。

 とはいえ、金髪の悪魔と呼ばれる三橋も人の子。睡眠中、浅い眠りと深い眠
りが交互にやってくるのは一般人と同じである。そして、人は通常、浅い眠り
……つまりはレム睡眠のときに夢を見る。
 三橋は今、この島に来て何度目かの夢の世界に没入中である。要するに今、
三橋の眠りは浅くなっているのだ。今度こそ、ひょっとしたら途中で目が覚め
る……かもしれない。運が良ければ、だが。

 ……おや、そんな彼の夢の中に、ちょっとしたゲストが姿を現した。いつも
のにぎやかな連中だ……三橋も彼らの存在に気づいたらしい。

(んん……何じゃ? 今井と谷川がいる……)

『……谷川ぁ!』
『……今井サン!』
『谷川……! 俺はやった! やったぞ!』
『やりましたね! 当選おめでとうございます!』
『ああ……ついに当ててやったぜ、にしひょー島の旅……!』
『ハハッ、やだなあ今井サン、にしひょー島じゃなくてイリオモテ島でしょ!』
『……エッ? そ、そうなの……?』
『あ、あー、イヤ、でも今井サン、さすがですよ! ヨンデー買いまくった甲
斐がありましたね!』
『おうよ……応募券101枚貼りつけたからな!』
『“イマイ”にかけて101枚ですもんね!』
『やっぱりな、ゲンは担げるだけ担いどくもんだよな……よし、三橋のヤツに
自慢してやろうぜ!』

(今井と谷川のヤロー、オレ様のキョカも得ずにイリオモテ島だと? 馬が島
 行ってどーする! 人間のオレ様にゆずるべきじゃ!)

 相変わらず、もはや気持ちいいほどに傍若無人な三橋は、自分の夢の中に勝
手に登場させた今井と谷川に、しごく理不尽な理由で腹を立てている。そもそ
も週刊漫画誌の懸賞で西表島の旅が当たるところからして意味不明なのだが、
そこは夢。まさにご都合主義というやつだ。今井と谷川のキャラクターも三橋
のイメージからきているので、若干バカ度が上乗せされている……ような気が
しないでもないが、元々爽快なまでにバカなので微妙なところである。

『でも、イリオモテ島って何が名物なんだろうな?』
『えーっと、やっぱり有名なのはイリオモテヤマネコじゃないかと思いますよ』
『ネコ?』
『天然記念物のヤマネコです。なかなか出会えないらしいんですけど、あの応
募総数の中からイリオモテ島の旅を当てた今井サンなら会えるんじゃないです
かね~?』
『フッ、まあな、今の俺なら、ネコだろうがイヌだろうが何でも会えるに決ま
ってるぜ!』
『そうですね! 今井サンならきっといけますよ!』

(……ぬぬぬ、今井のブンザイで調子に乗りやがって! ネコだかイヌだか知
 らんが、オレ様のほうが先に会ってやる! アイツらが楽しそうなのは何か
 気にくわん! イトー! オレらもイリオモテに行くのだ!)

 夢の中でも素敵に無敵な三橋は、自分の相棒である伊藤真司を探して後ろを
振り向いた。が、今のところ伊藤は三橋の夢に顔を出すつもりがないようだ。
あたりを見回すがやはり見つからず、三橋は苛立った。

(イトー! イトー! 何で出てこないんじゃ! イトー! イトー、……イ
 トー?)

 彼は声を上げながら、平泳ぎで空間を移動してそこかしこを探しまわったが、
伊藤の現れる気配はみじんもない。逆に少しばかり不安になってきたところで、
空を飛び回っていた三橋の身体がぐらりと揺れた。バランスが保てなくなり、
そのまま地面に真っ逆さまに落ちる……と思ったところで、三橋はついに覚醒
への階段をのぼりはじめる。

(なっ、うぉ! お、落ち)

「……るぁあああ!」

 ……現実にそんな叫び声をあげた直後、ドスン、と鈍い音がして、三橋貴志
は土の上で目を覚ますことになったのであった。





「わ~、すごいな~、ほんまに落ちよった~」
「いやー、見事に落ちたなー!」

 仮にも人が地面に落下したというのに、実に悠長な会話をしているこの二人。
ご存知、三橋の――とはいえ彼女たちはまだ彼の名前を知らない――目覚めを
この無学寺で待っていた、春日歩と滝野智である。

 夢の中で宙を泳いでいた三橋は、器用にも寝ながら平泳ぎで無学寺の床を移
動し、開いたままだった戸口を滑りぬけ、上がり框まで出た。その後、さらに
進もうとして、そのまま土間に落っこちたのだが……そんな彼を止める気など
さらさらなかった滝野と春日は、『これはもしかして土間に落ちるかも、そし
たらさすがに起きるかも』という期待のもとに三橋の華麗な泳ぎを見つめてい
たのだった。そして二人の期待通り、三橋は鮮やかな落下を見せ、やっと目を
覚ました、というわけだ。

 そんな二人の思惑など知る由もない……というより、落下した衝撃と寝起き
の頭の回転の悪さから、二人がいることにすらまだ気づいていない三橋は、身
体をおこしてきょろきょろとあたりを見回すと、夢の続きのままに言葉をこぼ
した。

「ぬ……? イトーは……? イリオモテは……?」

 三橋のセリフから、聞き覚えのある単語を拾った春日は、いつも通りの口調
で滝野に話しかける。

「なあ、ともちゃん~」

 その聞き慣れない声を三橋の耳がとらえ、声のするほうにふりむいて、やっ
と二人の存在に気づいたとき、滝野と春日は非常にどうでもいい会話をくりひ
ろげていた。

「あの人“西表”読めとるよ、アホの子やないかもしれへんね~」
「いや、読めてるかはわかんねーぞ大阪、カタカナで言ってるだけかもしんね
ーし」
「あ、そか、カタカナって可能性もあるんか~」

 この緊張感のなさはある意味で奇跡といってもよかったが、もちろんこのバ
トルロワイアルという状況下において、それはまったく好ましいことではない。
恐ろしいことに、この場にいる誰もそんなことは気にしていない――どころか、
一人はこの状況すら把握していない――のだが。

まだ土間に座りっぱなしの三橋の頭の中では、(……ここはどこだ? こり
ゃどーなってンだ? こいつら誰だ?)とまあ、矢継ぎ早に「?」が点滅して
いた。鷹揚で細かいことは気にしない、ある意味では器の大きい彼だが、さす
がにこれは気にしたほうがいい、と判断する。結果、三橋がしたのは、目の前
の女二人に話しかけることだった。

「……オイ、オメーら」

 かけられた声でとりとめのない会話を中断した二人は、一瞬三橋のほうを向
いたあと、顔を見合わせる。それから、少し声を落として、ひそひそと喋り始
めた。

「と、ともちゃん、この人、話しかけてきとるよ~」
「お、おう、やっぱ落ちたら起きるよな……っていうか大阪、聞くことあるん
だろ?」
「あ、そやった、忘れるとこやった……どないしよ、ともちゃん、うち、あの
人の名前わからへん~」
「や、だからそれも聞けよ!」

 目的の人物が目覚めたのはいいが、いざとなってみると、ちょっと気後れす
る春日と滝野だった。普段なら滝野はとっくにズバズバ質問に入っていたとこ
ろだろうが、さすがに状況が状況なうえ、死体を見たことで動揺している部分
があるせいか、彼女も少し大人しいようだ……あくまで相対的に見て、だが。
 三橋は、目の前で続けられるそんなひそひそ話に少し苛立っているものの、
相手が女なので、眉間に軽く皺を寄せながらも一応耐えていた。基本的に短気
な彼にしては上等だ。理子あたりがいたら『エラいワ、三ちゃん!』とでも褒
めそうな忍耐である。しかし、それももうあと数秒で限界というところまで来
たそのとき、ついに滝野が意を決し、三橋に声をかけた。

「こうなったらしょーがねえ……なあ、アンタ、名前は?」

 それはまあ、わりと真っ当な質問だったので、気をとり直した彼はいつも通
りのノリで自己紹介をする。

「うむ、オレ様は三橋サマじゃ!」
「……大阪、すごいぞコイツ、『オレ』にも名前にも『サマ』つきで来たぞ!」
「ほんまや~、『サマ』つきやね~」

 三橋のノリにひるみもしなければ直接のツッコミも入れない二人は、仲良く
『サマ』に軽い食いつきを見せた。それから、お調子者度では三橋にひけをと
らない滝野が、親指をぐっと立て、ウインクしながら言い放つ。

「ワタシ様は滝野智サマだ! そんでこっちは大阪! よろしく!」
「ともちゃん~、『ワタシ様』は何か変やと思う~」

 そこは『大阪』と紹介されたことにツッコむべきであるような気もするが、
もはやこのあだ名に違和感を感じていないらしい春日は、名前を訂正する気も
ないようだ。おかげで、三橋の中で春日の名前は本当に『大阪』になってしま
ったのだが、とりあえず全員が名乗り終わった。その時点で三橋は滝野=バカ・
春日=ボケだと思い、滝野は三橋=バカだと思い、春日は三橋=アホの子・ 滝
野=やっぱりアホの子や~、と思っていた。まあ、全員似たようなものだ。
 こんな調子で自己紹介を終えた三人のうち、最初に口を開いたのは大阪こと
春日歩であった。

「えっと、ミツハシサマくん、やっけ?」
「や、サマとくん並べたら変じゃね?」
「あ~、そやねともちゃん、ほんなら、ミツハシくん?」
「おう」

 この短時間で慣れたのか、二人のかもし出すとぼけた空気をものともせず、
三橋は適当に返事をする。すると、春日は何とも要領を得ない質問を三橋に投
げかけた。

「あんな、ミツハシくんな、めっちゃ寝てたやん? なんであんな寝てたん?」
「そりゃオメー、眠かったからだろーがよ」

 ……まあ、この返事はいたしかたあるまい。言葉の足りなかった春日は、も
う一度口を開く。

「……や、そうやなくてな? 今あれやん? プログラムやることになっても
ーて、バト、……バトルロ……、バ、トルロイヤルな感じになってるわけやん?
なのにミツハシくん、めっちゃスヤスヤ寝とったやん? やから、何か知っと
るんかなーとか思たんやけど」

 やっとのことで聞くべきことを聞いた春日だが、相手は眠りっぱなしだった
せいで基本情報が抜け落ちている三橋である。当然、彼女の質問の意味など理
解できていない。おかげで彼は質問に質問で返すことになった。

「なあ、よくわかんねーんだけどよ、プログラムがどうのって何のことだ?」

 この言葉を聞いたときの滝野と春日の顔といったら、とても人様に見せられ
るものではなかった。ビックリも極まれり、である。あまりのことに二人とも
しばらく放心していたのだが、何とか先に正気をとり戻した滝野が口を開き、
それに続いて春日も言葉を発した。

「だ、だからプログラムだよ! いま私らプログラムやらされてんだろ! 朝
の話聞いてなかったのかよ、ほら、あのエセ金八みてーな……」
「な、なあ、ミツハシくん、今日の朝、坂持いう人が話してたやん? 聞いと
ったやろ?」
「……? 朝の話? 坂持? ナンのことじゃ?」

 このセリフに二度目の人に見せられないビックリ顔を晒した滝野と春日だっ
たが、彼女たちは気丈にも、目の前のゆかり車以上に衝撃的な人物との会話を
続けた。

「……え、えーっとな? ミツハシはさ、どこの学校なわけ?」
「ガッコー? 軟葉だけどよ」
「ナンヨウ……大阪、名簿出して、名簿!」
「うん、ちょお待ってな」

 滝野に言われて、春日はデイパックから名簿を出す。文字列を指で辿ってい
くと、『軟葉高校』の項には確かに『三橋貴志』の名前があった。

「あった、ともちゃん、ミツハシくん、軟葉高校の三橋貴志くんいうんや……
ほかの子は、伊藤真司くん、高崎秀一くん、田中良くん、あと女の子が一人お
って、赤坂理子ちゃん」
「よし、ナンヨウ高校のミツハシな! 今言ったのがお前の仲間だかんな! 
覚えとけよ!」
「……? ガッコーが何のカンケーあんだよ? その紙何だ? イトーとかリ
コとか……」

 滝野はその声に勢いよくふりむくと、ビッ、と人差し指で三橋の額のあたり
を思いっきり指差しながら、高らかに宣言してみせる。

「いいか、ミツハシ、これから説明するからな! よく聞けよ! ビックリす
んなよ! いや、ビックリしろ!」
「……お、おお、どっちだ?」

 あの三橋を若干ひるませた女として、ちょっぴり歴史に残るかもしれない滝
野は、無駄に大きなモーションで話を始める。はっきり言って、三橋は彼女た
ちの予想以上に『アホの子』であったので、これはちゃんと状況をわからせて
やらないといけない、という使命感が二人に芽生えたのだ。これで彼女らが三
橋の目覚めを待っていた意味はまったくなくなったとはいえ、まさか、いつ銃
弾やら何やらが襲ってくるかもわからない状況で、何も知らないままの『アホ
の子』をこの場に放置するほど、二人は冷たくなれなかった……たとえそれが、
余計な危険を招くかもしれない行為だったとしても。

 というわけで三橋貴志はとりあえず土間から堂内へと上がり、滝野&春日の
ボンクラーズから現状把握のための講義を受けることと相成ったのである。





 講義の始まりから十数分。この島の中にいる他のメンバーよりも、ざっと5
時間半ほど遅れてではあったが、三橋はついに大方の状況を理解した。滝野と
春日の努力の賜物である。

「……ほー、つまり、学校対抗の殺しあいみてーなもんなんだな?」
「まあ……、そういうことだな、あんま『コロシアイ』とか言いたくねーけど」
「うん……」
「……で、水とか食い物とか、あと武器みてーのがカバンの中に入ってるって
言ったよな?」
「おう」
「あ、ミツハシくんのカバンな、そっちにおいてるよ~」
「あー、コレか」

 一通りの説明を受けた三橋は、自分の持ち物を確かめるためにデイパックに
手を伸ばした。ジッパーを開けると、水や食料、名簿といった基本の品の他に、
デイパックから出てきたのは3つ。そのうちの1つ、扇子を開いていた三橋の
手元を覗き込んだ滝野が、声をあげた。

「何だコレ……シュノーケルに水中ゴーグルに扇子かよ、ミツハシのも武器ら
しい武器じゃねーな!」

 言いながら、内心滝野はホッとしていた。彼女は基本的に、『アホの子』三
橋が攻撃などしてくるはずはない、と思っている。だが一方で、明らかに自分
たちより力のありそうな彼が、凶器を持っていたら怖かっただろうな、とも思
う。それはこの状況下において、ごく当然の反応だと言えた。一片の恐れもな
く目の前の初対面の男を信じるなど、そうそうできることではない。

 ……とはいうものの、こんな武器しか支給されていないなら、さすがに三橋
が襲いかかってくる可能性はゼロだろう、と滝野は思った。いくら自分たちが
女であるとはいえ、何か武器を持っているかもしれない二人を前に、素手でぶ
つかってくることはあるまい、と考えたのである。それに、もしものことがあ
ったとしても、春日の銃で脅せばいい……と、そう思ったところで滝野は、知
らぬ間に物騒なことを考えていた自分自身が嫌になり、(いやいや……こいつ
バカだし、襲ってくるなんて、ないない!)と思考を中断した。そんな滝野の
思いなど知らず、春日はのんびりした口調で、滝野を少し憂鬱な気分にさせる
言葉を吐く。

「ミツハシくんもはずれやね~」

 “はずれ”。そう、“あたり”の武器を持っているのは今、春日だけだ。滝野は思
う。実のところ、春日の“あたり”やら“はずれ”やらの言葉の裏には何もないし、
大した意味もこもってはいなかったのだが。
 ……そして次に口を開いたのは、滝野の思惑も、春日の無心も知らない三橋。

「……みてーだな、しょーがねーか」

 そうこぼしたものの、三橋の胸中は別だった。(シュノーケルに水中ゴーグ
ル、こいつらはまあ、武器としちゃ“はずれ”だ、けどこの扇子は使えっかもしん
ねー)、というのが彼の内心であった。三橋に支給されたこの扇子、実は600g
もの重さのある代物だ。それは、普段こうしたものにふれることのない彼です
ら、明らかに普通のものより重いと判じるに足る、異様な重さである。
 それもそのはず、三橋に支給されたこの扇子は、いわゆる鉄扇であった。開
いた扇面は普通の紙製だが、骨は鉄でできている。これで打擲すればそれなり
のダメージを与えられるくせに、周りからはとても武器には見えないという、
れっきとした暗器なのだ。

 もちろん鉄扇というものについてはまるで知らない三橋だが、内心、(こり
ゃ、けっこーいい武器になりそうじゃねーか)と思いはした。そこにいる二人
には悟られないように、ひっそりと。

 ……そう、本来の三橋は、危機的状況において『アホの子』ではないのだ。
むしろ、そういう場面でこそもっとも頭が回転するタイプだと言っていい。彼
は、あえて扇子の重さを口にしなかった。“使える武器を持っている”と思われ
ることは得策でない、と考えたからだ。これは決して的はずれな考えではない。
現に滝野は、三橋の武器が無力であると思いこみ、僅かばかり持っていた警戒
を緩めてしまったのだから……それが、どんな結果を招くか、知りもせずに。
 すでに駆け引きを始めていた三橋は、さりげなく鉄扇だけをポケットに入れ、
あとをバッグに戻すと、ごく普通に気になったから聞いた、という態度で二人
にたずねる。

「そういや、オメーらの武器は何だったんだよ?」

 先ほど、春日――三橋の中ではいまだに“大阪”のままだったが――は『ミツ
ハシくん“も”』と言った。抜け目なくそれを頭に入れていた彼は、少なくとも
彼女たちのうちどちらかには、武器にならないものが支給されたと考えていい、
と読んでいた。同時に、片方が何か武器らしい武器を持っている可能性も忘れ
てはいない。もしそうであった場合、ちょっと厄介だ、と三橋は考えた。いく
ら女二人――しかも、わざわざ自分にプログラムの内容を説明してくれるよう
なお人好し――とはいえ、銃だの何だのを持っていたら、“失敗したとき”にこ
ちらが怪我をする可能性だってある……と。そんな三橋の脳味噌の高速回転ぶ
りなどつゆ知らず、滝野は素直に彼の問いかけに答えてしまう。

「あー、私のはこれだ」

 滝野が割り箸一膳とフライパンをとり出す。それを見て三橋は少し笑った。
フライパンはまだしも、割り箸は役に立つまい……反撃の、役には。

「プッ、そりゃヒデーな……オメーは?」
「えっと、うちのはこれや~」

 その言葉とともにとり出されたのは、十徳ナイフとFN M1906。気の抜ける
口調とは裏腹に、殺傷力の高さではこの場でもっとも上と思われる武器が姿を
現す。

 ……瞬間、三橋の瞳はギラリと光った。

 その光に彼女たちのどちらかが気づいていれば、結果は違ったかもしれない。
だが、現実は非情だった。三橋と二人とでは、くぐり抜けてきた修羅場の数が
違いすぎる。何せ三橋はこう見えて、千葉随一の不良なのだ。それに彼女たち
は、お調子者で身勝手なこの男が、いざという時には守るべきもののために血
を流すだけの激情を持っていることを、まるで知らなかった。

「すげー、銃じゃねーか! オレ触ったことねーんだ、触らしてくれよ!」

 すぐさま表情を作りかえた三橋は、目をキラキラ光らせて春日にそう言う。
その目を見た春日に、(ああ、いつものともちゃんやったらこんな感じやった
やろな~……)という、軽い感傷が訪れた。三橋の顔はまるで、子供そのもの
だったから、滝野も、(なんだ、やっぱりこいつバカだなあ、ガキみたいだ)
と思って、少し笑う。

 ……だから、春日は、三橋に自分の銃を渡すことをためらわなかった。
 ……だから、滝野は、春日が三橋に銃を渡すことを止めはしなかった。

 “金髪の悪魔”こと三橋貴志、一流の演技。喧嘩も強いが卑怯でずる賢い、こ
の男のその見事な手管に、春日も滝野もあっけなく絡めとられたのだ。笑顔で
春日の手から銃をとった三橋の目が、またも暗く光る。瞬間、滝野はその危う
い色に気づいたが、すでに遅かった。

 男の手には少し小さなグリップが、しっかりと握り込まれる。その衝撃で、
グリップセイフティがはずれた。三橋が、トリガーを引く指に力をこめる。

 銃を使うつもりのなかった春日は、FN M1906の説明書にあったセイフティ
の項まできちんと読んでいなかった。銃という武器に対する恐れもあったのか
もしれない。そのせいで、もうひとつの安全装置……サムセイフティのかかっ
ていない状態でこの銃が自分に支給されていたことに、彼女はまったく気づい
ていなかった。三橋とてセイフティのことまでは頭になかったのだから、もし
サムセイフティがかかっていれば……こればかりはもはや、運が悪かったとし
か言いようがない。

 ……そして、.25口径が、火を噴いた。

 ズガァン、という無粋な音が、静かな無学寺の敷地内に響きわたる。
 滝野は数秒間、呆然と三橋の手元を見ていた。銃口から細い煙が上がる。彼
女は何が起こったのか、すぐには理解できなかった。向けられた銃口から腕、
首を通って、三橋の顔に滝野の視線がやっと届く。彼の目は、前方……滝野の
座っている場所のすぐ左、やや下方を見ていた。つまり、春日歩が座っていた
はずの、その場所を。

 滝野の視線が、三橋の視線を辿る。まるで油の切れたブリキ人形のように、
ぎこちない動きで彼女の首はゆっくりと左にまわされる。ついさっきまですぐ
横には、春日の横顔があったはずだった。けれどもそこには何もなく……視線
をゆっくりと下げれば、冷たい堂内の板張りの床の上、左胸の心臓より少し上
あたりから大量の血を流してうずくまる、春日の姿があった。

「……お、おーさかぁあああああああああ!!!!!!!」

 滝野が春日のあだ名を呼ぶ声は、次第に悲鳴へと変わっていった。倒れ伏し
た春日の身体には力がない。喉からは、ひゅうひゅうと細い呼吸音が漏れてい
たが、頭に血ののぼった滝野には聞こえていなかった。

 ……滝野智の精神のたがは、そのとき、派手な音を立てて外れた。

 留め金を失ってバラバラになった彼女の心を占めたのは、純粋な怒りだった。
恐怖でも、悲しみでもなく、ただ、ひたすらな怒りだった。ただただ彼女は、
許せない、と思った。この目の前の金髪の男に対して、湧き上がったのは言葉
にできないほどの憎悪だった。

「お、まえ、おまえ、何てこと、何てことをーーーーーーーーー!!!!」

 滝野は、怒りに我を忘れ、傍にあったフライパンを手に襲いかかる。だが、
身体をわずかに横にずらしてかがめただけの動作で、あっさりとその渾身の一
撃をかわされ、勢いのままに三橋の後方へと倒れ込むはめになった。ドゴッ、
と床板に左半身を激しく打ちつけた滝野は、それでも憤怒にその眼を燃やしな
がら、彼に向かっていこうともう一度立ち上がりかけた……が、その滝野の動
きはピタリと止まった。彼女が倒れこんだ隙に身体の向きを変えた三橋は、す
でに滝野の胸に狙いを定めている。

「ワリーが、次は、外さねー……さっきは撃ったの、初めてだったからよ」

 撃たれたことはあるんだぜ、当たったことはねーけど、真っ黒な目でそう呟
きながら、三橋はもう一度グリップを握りなおした。視界が真っ赤に染まるの
を感じ、滝野はちくしょう、と呟く……

「ちくしょう、ちくしょう、おーさかのかたき、ちくしょう……!」

 彼女の思考は混乱する。死ぬ前に見るという走馬灯は訪れず、悔しさと憎悪
だけが彼女の胸にあふれていた。滝野は唇を噛み、目をつむる。トリガーにか
かった三橋の指先に、力がこもり始め……銃口が再び火を噴かんとした、その
ときだった。

「とも、ちゃん、にげて!」

 か細いけれど、それでも凛とした響きの声が、滝野の耳をうった。反射的に
目を見開いた彼女は、壮絶な光景を目にする。

「クソッ、オメー……っ」

 血まみれの春日が、手にした十徳ナイフで、三橋の右腕の付け根を刺してい
た。柄まで押し込むように、渾身の力で、その小さな刃物を、金髪の悪魔にね
じ込んでいた。春日の目からは、涙が滝のように流れ落ちている。撃たれた痛
みではなく、その手で初めて他人を傷つけた胸の痛みが、彼女の涙腺を決壊さ
せていた。春日が突き立てた十徳ナイフの刃は短い。それでもその刃は、三橋
が滝野に向けていた銃口を下に向けさせるだけの力を持っていた。
 滝野は、ひゅっ、と喉元で息が詰まるのを感じる。なんとかもつれた足で走
り出そうとしたが、春日をおいていくことにためらいが生まれ、玄関口で一瞬
ふり返った。

「はよ、行、てぇええええええ!」

 春日のその叫びの最後はほとんど嗚咽だった。三橋が立ち上がりざま、力任
せに春日の身体を振り落とす。ナイフは抜け落ち、床に転げた。それでも春日
は三橋の足にすがりつく。またも銃口は滝野に向けられようとしている。滝野
は今度こそ、必死で逃げた。春日をふり返らず、寺の玄関口から全速で走り出
た。血まみれの友人が、最後の力で自分を逃がそうとしていたのがわかってし
まったから、滝野は決してふり返らなかった。ただ、ひたすらに走り続けた。

 ……そして、彼女の背中は、無学寺から遠く、遠く離れていった。三橋の銃
の射程距離をこえて、遠くへと。



【F-8 森/一日目 昼】


【滝野智@あずまんが大王】
【状態】:左半身に打ち身 強度の精神的動揺
【装備】:フライパン
【所持品】:(すべて無学寺にデイパックごと置きっぱなし)

【思考・行動】
基本:
F-8の無学寺から出て、森の中を走っている。
春日をおいて逃げたのは正しかったと理性ではわかっているが、感情がついて
いかない。三橋のことが許せない。

1:大阪、ごめん、ごめん……!
2:三橋、絶対に許さない





 滝野の背中を見送ることになった三橋は、ハァ、と溜息をひとつ吐いて、そ
の場に座り込んだ。その横には、息も絶え絶えの春日がうつぶせに倒れている。
右頬を床板につけて、うつろな目で自分を見ている春日のこめかみに銃口を押
しあてながら、三橋は口を開いた。

「……けっこー、痛かったぜ、さっきの」

 それを聞いた春日は、少し眉間に皺を寄せ、小さな声で返事をする。

「あんな、んで、刺しても、血、いっぱい、出るんやね……ミ、ツハシ君、ご
めん、なー、痛か……たやろ」
「……オメーのほうがよっぽど血まみれだろーが」
「あは、そや、ね……」

 言いながら、泣きはらした赤い目と青い顔で春日は笑う。もうあまり彼女に
時間は残されていないようだった。そんな春日を見て三橋は、何とも言えない
苦い思いを噛みしめる。彼女の笑顔は、どんな罵声よりもよほど三橋の胸に突
き刺さった。

「なんで……俺の心配なんか、してんだよ」
「え……?」
「俺がオメー撃ったんだぜ、今だって……コレ見えてねーわけじゃねえだろ」

 まだ、三橋は銃口を春日のこめかみにあてがったままだ。その冷たい金属の
感触は、確かに彼女に伝わっているはずなのに、春日は苦しそうな呼吸の中で、
それでもたどたどしく言葉を紡ぐ。それは少しばかり、素っ頓狂な質問だった。

「……ミツ、ハシ君な、ひゃくメー、トル、何、秒で、走れるん?」
「あァ?」

 突然の脈絡のない質問に、三橋はいぶかしく思って声をあげる。それを気に
することもなく、春日は荒い息のまま、話を続けた。

「うち、おっ、そいねん……じゅ、さいの……ちよちゃ、にも、勝て、へん」
「……」
「きっ、と……みん、なと、会え、ても、足、手まと、い、なる……これ、で、
よか、た、かも……」
「……そーでもねーぞ、オメーのおかげで俺はあいつ、撃てなかったからよ」
「あ、そや、ね……うち、に、した、ら、じょ、でき、やぁ……」

 春日の哀しいセリフを聞いて、三橋の胸は痛んだ。彼とて、決して好きで彼
女に銃を向けたわけではない。彼にも、彼なりに守るべきものがあったから、
やむを得ずそうしただけだ。三橋は、被害者である春日を相手に、撃った言い
訳をするつもりなどなかった。それでも、自分のこの、やむにやまれぬ心情を、
胸の内にとどめておくのは辛すぎる気がして、ぽろりと言葉をこぼす。

「……俺、の」
「……な、に?」
「俺の、ガッコの奴らはよ、みんな、バカみてーなマジメ君ばっかでよ……イ
トーなんかぜってー人殺すなんてありえねーし、リコのチビも、良クンも……
高崎のヤローなんてなおさらそんなマネ、できるわけねーんだ」
「……」
「俺は……俺は、ヒキョーもん、だからよ……」

 周りの誰もがそう言い、自分でも認めていたことだったが、こうして口にし
てみればあまりにも、自分自身に似合いすぎる言葉である気がして、三橋は自
嘲する。

「……ミ、ツハ、シく、やさ、しん、やね」

 春日の返した言葉に、一時、三橋は言葉を失った。むしろその言葉こそが、
愚かしいほどに優しかったから。

「バーカ……優しい奴がなんでオメー撃つんだよ」
「……やさ、し、から……う、たん、やろ……」

 そう言って、春日は血の気のない顔に、もう一度笑みを浮かべた。それが酷
く綺麗で、三橋は見とれる。こめかみに押しつけていた銃口をもちあげると、
彼は左手をその額に伸ばして、乱れてはりついた髪をそっと整えてやった。
 ……それから、三橋は、どこか不安げな眼差しで、春日に問う。

「なあ、大阪……俺が、他の奴ら全部……殺して、イトーとか……リコは」

 そこで、三橋は一度、言葉を切った。妙に粘つく口内にたまった唾液を飲み
下してから、肚の中に埋まったままの言葉を探すように、ゆっくりとその問い
を口にする。

「……リコは、『しょ~がないわね、三ちゃんは~』とかって、言ってくれる
と思うか?」

 静かな堂内で、その問いはおかしな程に響いた。答えはない。春日の唇から
はもう、何の言葉も聴こえてはこなかった。

「……なあ、答えてくんねーのかよ」

 そう言って三橋は、春日の顔をのぞきこむ。その顔は、笑みを浮かべたまま
に固まっていて、もはやぴくりとも動きはしない。

「あー……、そうか、死んじまったのか……」

 彼女の死を確認するように言葉を紡いで、彼はうなだれた。その目からこぼ
れ落ちた、塩辛い水滴が一粒、春日の頬の上ではじける。

 ……外では、冬空を駆ける百舌が、ひときわ高い声をあげて、鳴いていた。


【春日歩@あずまんが大王 死亡】
【残り33人】


【F-8 無学寺/一日目 昼】


【三橋貴志@今日から俺は!!】
【状態】右腕付け根に刺し傷(軽傷だが少し痛みはある) 殺人に対する後悔
からくる精神の不均衡
【装備】FN M1906(5/6)(元は春日歩の支給武器)、鉄扇(重さ600g程度)
【所持品】支給品一式、シュノーケル、水中ゴーグル

【思考】
基本:
軟葉高校の他の仲間たちはどう考えても人殺しなどできない。
だから、仲間を守るためには、他の学校の人間を殺すことも仕方ない。

1:……あー……、……畜生
2:リコは、『しょうがないわね~、三ちゃんは』と言ってくれるだろうか
3:イトーやリコたちは無事なのか、どこにいるんだろうか

【三橋についての備考】
プログラムについての知識および情報は、滝野・春日両名によって補完されま
した。最初から理解していた人間と比較しても、遜色はありません。ただし、
名簿はまだ実際には見ておらず、春日が読み上げた自分の仲間の名前を覚えて
いるだけなので、春日の本名を大阪だと勘違いしたままです。
基本としては仲間を守るために他者を殺すことは仕方のないことだと考えてい
ますが、春日歩を実際に殺したことがかなり響いており、後悔の念が押し寄せ
て、強い動揺を覚えています。

【春日、滝野の所持品等についての備考】
無学寺の堂内に、春日歩のデイパックと三橋を刺した十徳ナイフ、滝野智のデ
イパックと割り箸一膳が落ちています。フライパンは滝野が持ったまま走って
いきました。




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最終更新:2008年09月23日 12:31