喉の痛みに耐えながら、桂言葉は道を急いだ。今の彼女は丸腰だ。この状態
で男性の参加者に襲われでもすれば、武器も持たぬただの女性である彼女にと
って、かなり不利な状況が生まれることは間違いない。それを自覚している桂
は、周囲にできる限り気を配りながら動く。遠目からでもすぐわかるような開
けたところは避けたかったので、わざと森の中を歩いた。相馬の死体のある場
所はあまり細かく覚えていなかったが、少なくとも道端ではなかったはずだ。
地図も何もなかったが、太陽の位置でおおよその方角はわかるので、もともと
いた場所に戻るのにはさほど支障がなかった。

(暗くなる前にたどり着かないといけませんね……明かりもないから、夜にな
 ったら下手に動けなくなる……)

 冬の陽が落ちるのは早い。もう随分と位置を低くした太陽は、しばらくすれ
ば滴るような赤に空を染めることだろう。そうなってしまえば、森の中を動く
のは容易なことではなくなる。この田舎なら星や月の明かりは期待できそうだ
が、それでも昼間と同じ条件とは言えない。デイパックを持たない桂は、当然
支給品のランタンも持っていなかった。自分の足許、手許を照らすほどの明か
りもない状態で迎える夜は、どうにも歓迎できはしない。彼女は幾分、焦りを
感じる。

(……誠くんは、どこにいるんでしょう)

 昼の放送では、伊藤誠の名前は呼ばれなかった。とはいえ、その身の安全が
完全に保証されているわけでもない。彼女は早く伊藤と合流したいと考えてい
た。学校対抗などというが、要するに、他が全て死んでしまえば終わりだ。桂
にとっては、それで済む話だった。他の同級生になど特に興味もなかったし、
その生死など知ったことではない。伊藤誠の希望がわからない以上、彼に会う
までは大人しくしていようと思っている彼女だが、正直なところ、彼以外の同
級生に気を払う必要は微塵も感じていなかった。桂にとって、同じ学校の人間
は守るべき仲間ではない。わざわざ消すほど邪魔な人間ではないが、どこで何
をしていようとどうでもいい程度の人間だ。それは、他の参加者たち――宮崎
都を除いて――とは明らかに大きくかけ離れた感覚だった。

 実際には、桂の知らぬところで伊藤誠の命はすでに尽きているのだから、現
実は非情なものだ。彼は2人の女に囲まれて、神社の境内で眠っている。彼を
求めてやまない彼女を置いて、他の女と逝ってしまった。もう数時間もすれば、
桂は伊藤の命が散ったという、重い事実を知ることになるだろう……が、今は
まだ、桂に真実を告げるものはいない。

 葉の落ちた木々の枝をかきわけ、桂は森の中を進む。一時間、いや二時間は
歩いただろうか、喉の痛みも随分と薄れたころ、木々の間に、地面に奇妙な格
好で盛り上がっている毛布を彼女は見つけた。それは何の変哲もないごく普通
の毛布だったが、森の中では、その幾分人工的な色がよい目印になる。

(……誰も、触っていないようですね……好都合です)

 ガサガサと枝をかきわけながら、彼女はそれに近づく。毛布の傍らにしゃが
み込むと、あたりを見回した。今のところ人の気配はないが、この位置からだ
と、近くを通る道が見える。そういえば、この道を行く途中で相馬に声をかけ
られたのだった。これでは誰かが通って自分の姿を見ないとも限らない。こち
らから狙えるのも確かだが、同時に向こうからも狙いやすい。あまり長居に適
した位置ではない、と判断した桂は、すぐに毛布をめくりあげる。

 彼女が命を奪った女は、生前の美しさを欠片も思わせぬ醜い表情のまま生首
になっていた。ご丁寧に、繋がっていたはずの頸部の付近に仰向けで転がされ
ていた生首は、しかし相馬の身体が俯せに倒れていたので、どうにも気味の悪
い光景をつくり出している。これをやった川添は、おそらく生首とはいえ、人
の顔を地面に向けておくというのに抵抗があったのだろうが、結果はなかなか
に悲惨であった。その横には、相馬の首に巻き付いていた首輪も転がっている。
桂はそれを持ち上げて、何とはなしに眺めてみた。もちろん、彼女の首にも同
じものが嵌っている。

(そういえば、これは爆発するんでしたね……)

 教室で見た、首輪の爆発。これで男子生徒がひとり死んでいた。何かリモコ
ンのようなもので操作していたけれど、恐らく中には爆薬が入っているのだろ
う。ならばひょっとして、何かに使えるかもしれない。桂はそう考え、その首
輪と、横に落ちていた、革の鞘つきの鉈らしきもの――どうやら相馬の支給武
器だったようだ――を相馬のデイパックに放り込む。相馬の荷物は、そっくり
そのまま持っていくつもりだったからだ。そのまま、バッグに突っ込んだ手で
中を探っていると、相馬の支給品の銃が見つかった。桂はそれを手にとり、す
ぐさまセーフティーレバーを押し上げると、制服のスカートのポケットにしま
う。それなりにサイズの大きい銃なので、外から見えないようにと、気を使い
ながら。

 そのとき、桂の耳に、何やら排気音のようなものが聞こえた。彼女は急いで
顔をあげ、前方に見える細い道を確認する。音は彼女から見て右手から聞こえ
てきていたので、桂は目をこらしてそちらを見つめた。

(スクーター、でしょうか……? そんな移動手段があったとは、気づきませ
 んでした……)


 まだ幾分距離はあるが、2台のスクーターがこちらに向かって走ってくる。
男がひとり、女がひとり。どちらも金色の髪をしている。制服の感じからする
と、互いに同じ学校の生徒のようには思えない。ということは、戦う気のない
2人、ということだろうか、桂は考える。けれども、戦う気のないふりをして
誰かに同行しながら、相手を利用しようと考える……あたかも彼女のような人
間もいないわけではない。自分自身がそうした人間であるぶん、桂言葉は疑い
深くなりがちだ。

 どちらにせよ、2人とも自分の学校の制服ではないし、当然ながら彼女の探
す伊藤誠でもない。それならばわざわざ接触する意味はなさそうだった。あち
らには男もいる。相手が何の武器も持っていないのなら、襲われてもこの銃で
片付けられるかもしれないが、何か武器を持っているとなれば面倒だ。同じ条
件となれば、2対1の上に相手に男がいる、というのは彼女にとって圧倒的に
不利な戦いになる。最悪の場合まで考えた結果、彼女は身を隠してこの場をや
り過ごすことを選んだ。

 ……しかしながら、隠れられる具合のいい場所、というのもあまりない。仕
方なく桂は、相馬の死体の上にかぶせられた毛布の下に隠れた。屍との同衾は
彼女にとってもあまり気持ちのよいものではなかったが、この際我慢するしか
ない。

 そうこうしているうちに、スクーターの排気音はだんだんと桂のほうへと近
づいてきた。このまま音が通り過ぎて、遠くなっていけばそれが一番望ましか
ったのだが、悪いことにそれは、彼女にかなり近い位置まできたところで停ま
る。何やら2人の話す声が聞こえてきて、しばらくすると枝葉を踏みしだく足
音も近づいてきた。

(……最悪、ですね)

 桂は溜息を吐きながら、ポケットの上から銃に触れる。毛布をめくられたら、
状況によっては撃たざるを得ないかもしれない。積極的に戦いを選ぶことはし
ないと決めたが、こんなところで命を落とすわけにもいかないのだ。毛布越し
で少しばかりくぐもった、暢気な声が桂の耳に響く。

『春道くーん、この毛布、中になんかある気がしますよ!』

 これなら、そう危なくはないかもしれない……女の声音に桂はそう考えて、
少しだけ唇の端をつり上げたのだった。





 坊屋春道と千葉紀梨乃の2人は、比較的のんびりとした様子で、スクーター
を並べて走っている。彼らはどちらも、命に関わるような事態であるとか……
目の前に転がる死体であるとか……を、いまだ目にすることなく進んできた。
そういった意味では、どちらもまだ、このプログラムの非情さを生々しく体感
してはいない。

 とはいえ、坊屋は大切な友人である桐島ヒロミを失った。たくさんの思い出
を共有する、大切な仲間であった彼を失ったことは、坊屋の心に深い傷を残し
ている。だが彼はそれでも、友人の死を受けとめるだけの強さを持っている男
だった。泣くことも喚くことも、人にあたるような真似もせず、激しく、そし
て静かな怒りをひとりで噛みしめる強さ。己の動揺を千葉に見せぬよう、彼女
の前を辞する優しさ。どちらも、坊屋春道の拳に宿るものを思わせる。

 それに対して千葉は幸運にも、放送の時点で、まだどの友人も健在とわかっ
ていた。本当に誰かが命を落としたという事実、それもこんな短時間で10人
もの人間が亡くなるという事実には、とても強い衝撃を受けはしたし、自分の
横にいる坊屋の友人が逝ったことも、千葉の胸に影を落としはしたが……それ
でも、少なくとも……桑原も、川添も、宮崎も、栄花も、どこかで生きている。
その事実が、千葉の精神を強く保たせていた。

 だからこそ彼女は、友人を失った坊屋に対しても、彼女のやり方で十分に気
遣いを見せることができたのだ。千葉紀梨乃は、傷ついた坊屋を顧みずに甘え
るような、無神経な女ではない。彼女は、動揺の中にあってなお、目の前の坊
屋を気遣ってみせた。彼女が笑顔を向けることで、坊屋の荒れた心が癒された
のは間違いない。千葉は、人の胸の内をあたためる、優しい笑顔を持つ女だ。
彼女の明るさは、坊屋にとっても救いである。

 2人は互いに、互いを思いやりながらここまで来た。この島で初めて会った
相手だというのに、彼らは不思議なほどうまく互いを支えあえている。悲惨な
戦いがいくつも巻き起こるこの島で、それは奇跡のような出会いだった……そ
して、この2人が初めて目にする生々しい現実もまた、互いへの思いやりに端
を発する。

「は、は、はっくしゅん!」

 道中、千葉がひとつクシャミをして、その拍子にブレーキをかけた。坊屋は
それを見て、自分もスクーターを停めると、彼女の身体をいたわる言葉をかけ
る。

「キリノちゃん、寒いのか?」
「だ、大丈夫です! ちょっと鼻がむずむずしちゃって」
「いや、風邪ひいたらマズいだろ、これ着てろよ」
「えっ?! ダメですよ、春道くんが風邪ひいちゃいますから!」
「いーからいーから!」

 坊屋は自分の着ていたスカジャンを彼女に着せかける。女の子にこういうこ
とするの夢だったんだよなあ、などと思いつつ。千葉としては、確かにちょっ
と肌寒かったものの、ここまでさせるのは申し訳ない、と固辞しようとしたの
だが、坊屋はそれを許してくれない。仕方なく、彼の優しさに甘えることにし
たのだが、上がロングスリーブのシャツ一枚になった坊屋が寒そうで、どうも
気にかかる。

「あの、ほんとに寒くないですか? そのシャツ一枚じゃ……」
「ダイジョーブ! キリノちゃんはそーいうこと気にすんな!」
「……春道くん」
「さ、そろそろ行こうぜ。日が暮れねえうちに神社まで行ったほうがいいだろ?」
「……はい、あの、ありがとうございます!」
「いやー、どーいたしまして! はっはっはっ……」

 そんなほのぼのした会話を繰り広げながら、彼らは道を行く。しばらく、た
わいもない会話を続けながら走っていると、千葉が少し先の森の中に、何かが
落ちているのを見つけた。

「あ、あれってひょっとして……毛布じゃないですか?」
「ん? ああ、それっぽいな……なんであんなとこに」
「……あれ、誰のでもないですよね、多分」
「うん、まあ、要るものだったらあんなとこ置いとかねえだろうしな……もら
 ってこようか? 夜になったらもっと寒ぃだろうし」
「そうしたほうがいいかなって、私も今思ってました」
「よし、決まりだな」

 そう言って、坊屋はスクーターから降りる。千葉もすでに降りていて、彼よ
り先に毛布のもとに駆けていった。それを追って、坊屋が大股で森の中に入っ
ていく。

「春道くーん、この毛布、中に何かある気がしますよ!」

 まだ少し後方にいる坊屋に、千葉の声がかかる。それを聞いて、坊屋は何と
なく……これはもはや、何となく、としか言いようのない、嫌な予感がした。
こんな場所で、毛布が森の中に落ちていて、中に何かある。それは多分、あま
り見ない方がいいものが、中に入っているのではなかろうか……そういう、予
感だ。

「キリノちゃん、それ……」

 坊屋が言いかけたとき、千葉はすでに毛布の端に手をかけていた。角の部分
を持って、ぺらり、と軽くめくったその瞬間、ごろり、と転がったもの。

「ひっ……!」
「キリノちゃん!」

 ……それは、相馬光子の生首であった。

 坊屋の勘は正しい。この毛布の中には、見るべきでないものが二つも入って
いる。相馬光子の死体と、銃を携えた桂言葉だ。千葉は、布がめくれた勢いで
転がり出た生首に腰が抜け、すぐに持っていた毛布から手を離したので、桂の
姿は見ないで済んでいた。

 坊屋は、ぺしゃりと座りこんだ千葉に駆け寄る。生首を目にした千葉の顔は
蒼白だった。坊屋自身も、転がる首と目があってしまって一瞬吐き気を催した
が、何とか耐えると、千葉の目を手で覆い、力の入らないその身体を引き寄せ
た。

「キリノちゃん、しっかりしろ……もう、見ちゃダメだ」

 言いながら、坊屋はもう一度毛布と生首を見やる。この膨らみの具合からし
て、首だけでなく胴体も入っていそうだ。これ以上触らない方がいいだろう、
そう判断して、千葉をつれてスクーターを置いた場所に戻ろうとした、そのと
きだった。

 ……毛布の膨らみが、ほんのわずかに動いた。

 坊屋は初め見間違いかと思ったのだが、用心してしばらくそのあたりに視線
を固定してみた。やはりわずかに動いているように見受けられる。呼吸の動き、
とでも言えばいいだろうか、人間が生きているが故の、隠しようのない動きだ。
坊屋は千葉を背中にかばうと、渡されていた銃を手にとって構える。その行動
は言うなれば、喧嘩という形で……他人と戦うことを繰り返してきた坊屋の本
能的な警戒だった。

 中に誰かいる、ということはつまり、ここで背中を見せて去ったら、後ろか
ら狙われる可能性がある、ということだ。坊屋は頭でそこまで考えはしなかっ
たが、本能的に状況を理解していた。

「……おい、中に誰かいるだろ、出てきやがれ」

 低い声でそう告げた坊屋の背中で、千葉がびくりと震える。坊屋としては、
生首に衝撃を受けている千葉をこれ以上、怖がらせたくはなかったのだが……
こればかりは、如何ともしがたかった。

 坊屋が毛布に照準をあわせたまま、微動だにせずいると……やがて、その毛
布が、べろり、と皮をむくように地面からはがれる。あらわになる相馬の首か
らの下の胴体、そして現れる――ひとりの、女。

「それをこっちに向けないでもらえませんか。何も……しませんから」





 千葉が毛布をめくった瞬間、桂は息をひそめてじっとしていた。毛布の中か
らではあまり状況がつかめなかったし、自分のいる側とは逆の端をめくられた
ことは何となくわかったので、大人しくしている方がよさそうだ、とふんだの
だ。口調からして、どうみても攻撃的な相手ではなさそうだし、下手に動くよ
り、黙ってやり過ごそう、そう彼女は考えた。

 そして聞こえた女の悲鳴と、それをかばう男の声。これなら、2人ともすぐ
にこの場を去ってくれるだろう、そう桂は期待する。生首ひとつに動揺するよ
うな女を連れているのだ。これ以上、中を確かめようとは思うまい。そう考え
た桂は、できる限り呼吸を小さくし、息を止めていた。

 しかし、生きた人間であるが故に、それにも限界があった。呼吸にあわせて
ほんのわずかに上下する身体を、おさえることはできない。それを、坊屋はめ
ざとく見つけたのだった。

「……おい、中に誰かいるだろ、出てきやがれ」

 わずかに響く金属音と、今までとはうって変わった男の低い声に、桂はぴり
り、と緊張する。これはこのままやり過ごすことはできなさそうだ。彼女は毛
布の下で小さな溜息をまた吐いて、それから少し考えたあと、バッと毛布をめ
くってみせた。

「それをこっちに向けないでもらえませんか。何も……しませんから」

 そう言って桂は立ちあがる。銃は手にせず、ポケットに入れたままだった。
いきなり撃つことはないだろう、そのつもりなら毛布の上から撃てばいいのだ
から。ただ単に相手は、自分の存在を確認したいだけだ……そう読んで、桂は
わざと堂々とした態度をとったのだ。

「……ワリぃ、女の子とは思わなかった!」

 桂に銃を向けていた男の声は、先ほどまでの低いものから、すぐに調子を変
える。銃口も下がった。どうやら相手はフェミニストらしい、と桂は思う。こ
れは与し易そうだ。銃も持っていることだし、この際、一緒に行動して利用す
る、というのもありかもしれない。そう考えた彼女は、言葉を選んだ。

「驚かせてしまったようで、申し訳ないです……あなたがたが向こうから来る
 のが見えて、咄嗟に隠れたものですから」
「や、こっちこそゴメンな、こんなもん向けて」
「こんな、場所ですから……何があるか、わからないと思いまして……でも、
 よかったです……ここにいらしたのが、あなたのような、優しそうな人で。
 怖い人だったら、もう撃たれていたかもしれませんし……」
「いやぁ、だっはっは……優しそうなんて女の子に言われたの初めてだなぁ!」

 男は鼻の下をのばしてそんな台詞を吐いている。これならとりいるのは簡単
そうだ。桂はそう考えて、言いつのる。

「あの、ぶしつけなお願いで、とても申し訳ないのですけれど……もし、よけ
 れば……私も、ご一緒、できませんか……? ひとりでは、怖いので……」

 ゆっくりと、本当に怯えているかのような口調で、桂はそう口にした。男の
顔は、先ほどの警戒を解いたのか、幾分緩んでいるように思える。これなら、
うまくすれば……そう思った矢先、座りこんで男の後ろに隠れたままの女が、
口を開いた。

「は、春道くん……私、この人、怖いです……」

 面倒なことになった、と桂は思う。男の背中で怯えていたかと思えば、何を
言い出すのだこの女は。心の内で悪態をつきながらも、桂は表情を崩さない。

「……どうした、キリノちゃん」
「だって、この人……その、首……っ、のひと、がいる、とこに、いたんです
 よ……っ、普通の、顔で……!」

 ……まったく、首のひとつやふたつ転げていたところで何だというのだ。い
くら自分だって、こんなものと同じ布の下に進んで隠れたわけではない。仕方
がなかったのだ。桂は少し苛つきながら、女に言葉を投げる。

「私だって、したくてしたことではありません。さっきも言った通り、貴方た
 ちがこっちに来るのが見えましたので、咄嗟に隠れただけです……、私は丸
 腰でしたので、何かされても困りますから」





「私だって、したくてしたことではありません。さっきも言った通り、貴方た
 ちがこっちに来るのが見えましたので、咄嗟に隠れただけです……、私は丸
 腰でしたので、何かされても困りますから」

 ……それはまあ、真っ当な言い分だ。そう坊屋は思った。真っ当なのだが、
どうも気に食わない部分がある。坊屋の目に映るのは、長い黒髪と美しい顔、
そして豊かな胸――どうしてもこれには目がいってしまった――を持った少女
の、腰のラインだ。

 坊屋は男として非常に正直であったので、女が毛布の下から姿を現したとき、
その容姿の美しさに一瞬、目を奪われた。そして、美しい女性に対する礼儀と
でも言わんばかりに、その肢体をきっちり眺めた。上から下まで、その衣服の
下の裸を想像していたとまでは言わないが、身体のラインをその目でしっかり
追ってはみた。男のさが、というやつだ。誰も彼を責めることはできない。

 そして坊屋は、その男の哀しい性質故に、気づいたのだ。女の魅力的なくび
れと、そこから熟れた曲線を描く、腰の右側。スカートのポケットがどうも、
無粋に膨らんでいた。はっきり言って、まともなものが入っているとは思えな
い膨らみだ。目をこらしてみれば、何か金属的なものが、ポケットからわずか
にはみ出している。

 確実ではない。確実ではないが……あれは、拳銃ではなかろうか。坊屋はそ
う考えた。実際に自分も持っているから、形から想像がついてしまったのだ。

 女が拳銃を持っていたところで、それ自体は問題ない。自分も持っているし、
支給されたなら身を守るために持つ可能性はあるだろう。だが、それを持って
いるのに、『丸腰』だなどというのはあまり好ましくない。それに、千葉が言
うとおり……屍と平然と同衾できる女というのは、いくら美人でもごめんこう
むりたい、と坊屋も思う。

 千葉は、毛布の下から現れた女を、本当に恐れていた。あんな怖いもの……
怖くて、悲しいものと一緒に、毛布の下にいられて、しかも全く平気な顔をし
ているなんて。どう考えても普通の神経じゃない、千葉はそう感じた。自分だ
ったら、いくら誰かが来て、隠れなければと思ったとしても、絶対にこの毛布
の下は選ばない。もし、中に何があるのか知らないで隠れようとしたのなら、
毛布をめくった瞬間に隠れるどころの騒ぎではなくなる。なのに、そんなこと
を普通にやってしまえる女が、千葉は本当に信じられなかったし、恐ろしくて
たまらなかった。だから、震えながら坊屋に訴えたのだ。この女には近づくべ
きではない、危険だ……と。千葉の心は、そう叫んでいた。

 千葉紀梨乃は、容易に人を拒むような性格の持ち主ではない。彼女にとって、
これはほとんど……人生で初めての、本格的な他者の拒絶、と言っていいかも
しれなかった。そんな千葉の心を知ってか知らずか……坊屋春道は口を開く。

「心配すんな、女の子に手ぇ上げたりしねえよ」

 坊屋は、桂の言葉に応えてそう告げ、それから続けて、こう言った。

「でも……な」

 その微妙な響きに、毛布の下から現れた女は訝しむように答える。

「……何ですか?」
「嘘はあんま、好きじゃねえな……ポケットから、見えてる」

 坊屋のその答えに、女は一瞬顔色を変えた。まるで仮面でもかぶったように、
ほんの一瞬、表情がそぎ落とされたのだ。それは、とても奇妙な顔で、坊屋は
少しばかり、胆の冷える思いがした。

 対する女……桂のほうは、自分の手痛いミスに胸の内で舌打ちしていた。銃
をポケットに入れたのは、武器を携帯するためには仕方のないことではあった
し、彼女の拾った相馬の銃が、少々サイズの大きい武骨なものであったことも、
どうにもならぬ問題だ。制服の上のジャケットの裾で隠れるだろうから、気づ
かれにくいだろうと思ったのだが、まさか見えているだなんて、思いもよらな
かった。ポケットに入れたときには十分に気をつかっていたから、おそらく毛
布の下から出てくるとき、スカートの布が気づかぬうちに引っぱられたか何か
したのだろう。全く、間抜けなことだ、と彼女は思う。丁度、この生首女の三
文芝居――相馬光子は、この銃をポケットの中で握りしめているのを見破られ
たのだった――のようではないか。

「……嘘をついたのは、謝ります……武器を持ってるなんて言って、攻撃され
 るのが、怖かったものですから」

 それでも冷静さを失わず、彼女は続ける。ここでうろたえては、逆におかし
な目で見られかねない。そう考えての、台詞だった。

「ふーん、そっか……じゃあ、しょうがねえな。女の子だもんよ」

 それに対する坊屋の答えは、実に暢気なものだったので、その後ろで千葉は
ぎょっと目をむいていた。女が銃を持っていながら、丸腰だ、などと言ったこ
とで、千葉の中での女の印象の天秤は、さらに悪いほうへと傾いたのだ。なの
に、坊屋は平然とそんなことを言う。

「……優しいんですね、春道クン、は」

 桂のほうも、少し安心したように口許に笑みを浮かべて、坊屋に答える。そ
れに対する坊屋の口調も、いたってのどかなものだった。

「いやあ……春道くん、って、いい響きだよなあ……」

 その言葉に、千葉が愕然としたのは言うまでもない。そんな話をしている場
合ではないのだ。彼女が思わず坊屋を諌めようとしたそのとき、坊屋はスッ、
と声のトーンを変えて、こう言った。

「……ただ、オレはどうも、キリノちゃんが呼ぶ『春道くん』のほうが好きみ
 てェだ」

 千葉はハッ、と顔をあげる。自然に上がった彼女の視線がとらえたのは、ス
カジャンを脱いで、シャツ一枚になった坊屋の背中……そこには、天へ昇る、
力強い龍の姿があった。

 ……坊屋春道は、わかりやすい女好きだ。かわいい女には目がない。女の胸
も尻も大好きだし、有り体に言えば、スケベだ。そして、それ故に、間違って
も女に手を上げたりはしない。そういう男だ。だが、だからといって……与し
易い男かと言えば、それは違う。

「だから、ワリぃけど……あんたとは一緒にいねえ方がいい気がする。できた
 ら女の子はみんな守ってあげたいんだけどよ、多分ホントはあんたも……そ
 れを望んでねえだろ」

 言い切った坊屋は、笑っていた。その顔に桂は、ただならぬ気配を感じて、
退くことにする。この男は、ただのフェミニストではない。言葉にこそしない
が、この男は自分にここを去れと言っている。この男の側から去るのではなく、
自分に、去れと。つまりそれは、自分に背中を見せるつもりはない、そういう
ことだ。坊屋が桂に示したのは、はっきりとそれを悟らせる物言いと、有無を
言わせぬ笑顔だった。

「……当たり、です。私は、ここからいなくなった方が良さそうですね」
「そうみてぇだ、ゴメンな」

 笑ったまま、坊屋は答える。今度は、優しい声で。桂は、自分が相手を読み
違えたことを理解する。この男は、全くもって簡単な男ではなかった。

「謝られることではないと思います……それでは、荷物だけ持たせていただい
 て、私は退散することにしますね」

 この状況で、最大限の利益を得るために、桂はそう言った。荷物は実のとこ
ろ、相馬のものであったのだが、状況を知らない2人に、それを嘘と見抜くこ
とは不可能だ。坊屋も、それをとがめるような真似はしなかった。

「ああ、じゃあな……アンタも死ぬなよ」

 笑ってそう言った坊屋に、相馬の荷物を持った桂は、軽く会釈をした。それ
から、堂々と2人の前を横切っていく。横を通るとき、男がさりげなく女をか
ばいながら、自分に背を向けないように動いたのを、桂は見た。その様子を、
忌々しく思いながら通り過ぎると、男の背中から、か細い声が聞こえた。

「……気を、つけて、ね」

 怯えながら、それでもそう言う女を桂は笑う。まったく、お人好しというか、
偽善者というか。拒絶しておきながら、それでも自分を気遣ってくる女が、桂
は心底可笑しいと思った。

「ふふ……ありがとうございます。お二人ともお優しいんですね。それでは、
 さようなら……」

 そう言って桂は、ゆっくりと東に向かって歩き出す。西は禁止エリア、北は
自分が来た方向だし、南は端に海があるだけなので、自然と行き先は東に決ま
った。その足取りに迷いはまるでない。

 桂の奇妙なほど真直ぐに伸びた背を、血が滴るような夕陽が染めている。真
っ赤に灼けたようなその背は、次第に遠くへと消えていった。


【H-4 森/1日目 夕方】

【桂言葉@School Days】
 [状態]:喉に軽いダメージ(治癒しつつあります)
 [装備]:ワルサーP38(9/8+1)、
     ワルサーP38の予備マガジン×5、鉈
 [道具]:相馬光子のデイパック、支給品一式、相馬光子の首輪
 [思考]
基本:全ては誠くんのために。優勝狙いだが最終的にどうするかは誠次第
1:東へ向かう
2:伊藤誠、清浦刹那との合流
3:川添珠姫には近づきたくない
4:誠の無事と意思を確認するまでは積極的に戦わない
  ただし誠を害する可能性がある者は何をしてでも殺す
※誠以外の人間に対して心を閉ざしました。普通に会話はできます。
 色々と変化していますが、本質は変わっていません
※伊藤誠と合流するか、何か言葉にとって衝撃的な出来事があれば元に戻るかもしれません





「……キリノちゃん、大丈夫か?」

 銃をポケットにしまいながら、坊屋は千葉の身を案じる。千葉の震えは少し
おさまったようだったが、いまだに顔は青いままだ。

「あ……大丈夫、です、ごめんなさい、ちょっと、腰抜けちゃって……」

 千葉は足に力が入らない様子で、くったりと地面に座りこんでいる。その背
をそっとさすりながら――本気で心配しながらも、彼の心の片隅に『役得』と
いう言葉が浮かんでいたのは言うまでもない――、坊屋は声をかける。

「じゃあ、おんぶしてやるよ! ……このまま、ここには、いたくないだろ?」

 そう言った坊屋に、千葉は少し沈黙したあと、青白い顔で笑ってみせた。

「ありがとう、ございます……でも、その前に、この人、せめて、元に戻して
 あげたいです」
「キリノちゃん……」
「私、怖くて……怖くて、腰なんか抜かしちゃいましたけど、この人も、生き
 てたんだから……きっと、殺され、ちゃったんだから、せめて、ちゃんとし
 てあげたいんです」

 その台詞に、坊屋は胸を打たれた。そこに転がった恐ろしい生首を、千葉は
ちゃんと人間の一部として見ていたのだ。彼は、千葉の言葉に無言で頷くと、
転がる胴体をそっと持ち上げ、仰向けに戻してから、頭部を首にあわせて置い
てやった。途中、坊屋はその首に嵌っていたはずの首輪がないことに気づいて
訝ったが、さすがにそれを桂が持って行った、というところまでは考えが至ら
ない。そのまま、もう一度静かに毛布をかけてやって……2人は、名も知らぬ
遺体に手をあわせた。

 枝葉の間からこぼれ落ちる赤い光が、毛布と2人の金の髪を温かく照らして
いる。その光は桂の背を照らすものと同じであるのに、まるで違う色合いを持
って、そこに降り注ぐのだった。


【H-4 森 相馬の遺体近く/1日目 夕方】

【千葉紀梨乃 @BAMBOO BLADE】
 [状態]: 腰が抜けている、生首を見たことによる精神的動揺
 [装備]: 短刀 、原付スクーター
 [道具]:デイパック、支給品一式、チャッカマンなどの雑貨数点、常備薬
 [思考]
  基本:殺し合いはしない。
  1:室江高校のみんなを探す
  2:そのために島を一周する。次は鷹野神社経由で平瀬村へ
  3:春道を、信用しようと思っている
 [備考]
※春道から、加東秀吉以外の鈴蘭高校出身者の特徴を聞きました。

【坊屋春道@クローズ】
 [状態]:健康、精神的緊張感
 [装備]: ワルサーPPK(6+1)、改造ライター(燃料:90%)、原付スクーター
 [道具]:デイパック、支給品一式、救急箱、缶詰、私物のタバコ、ワルサーPPKのマガジン
 [思考]
  基本:キリノと仲を深める
  1:キリノを守る
  2:電話番号をもらう
  3:できれば、その先も……
 [備考]
※紀梨乃から、室江高校出身者の特徴を聞きました。

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最終更新:2010年10月14日 15:04