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The Gold Experience No.2:<黄金の背に追い縋り少年は冬の路傍に立ちぬ>」(2010/10/14 (木) 15:14:01) の最新版変更点

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 金色の髪が風にたなびく。長いそれは柔らかく揺れて、寒空に低くなった陽 光を反射する。きらきらと輝くそれは、何か神々しいもののように七原の目に は映った。何も信じられるものも、拠り所にするものもない今の彼にとって、 沢近の存在は唯一のしるべのようなものであったから、余計にそんなふうに思 えたのかもしれない。自分の前を歩いている、年上の美女の背中を見つめなが ら、七原はとぼとぼと歩く。彼女はどこへ向かうのだろう。自分はそれすら知 らない。民家のあった平瀬村の中を通り抜けていることと、何となくの方向は わかるのだが、行き先は不明だった。  あの民家で、眠っている沢近を見つけて……何というか、まあ、生理的にど うしようもなかったとはいえ、何とも言いがたい罪悪感と羞恥の残る行為をし てしまった彼の中には、未だ自己嫌悪という澱が沈殿している。その濁った色 の澱は、ずいぶん前から、彼の中に降り積もって層を成してはいたから、あの 行為をやらかしたときに初めて生まれたものではなかった。が、あれで余計に その沈殿物のかさが増したことは間違いない。  ……いったい、自分は何をやっているのだろう。必要なことは何もしていな いくせに、余計なことはしてしまう。結局何もできない、弱くてどうしようも ない自分。どうしようもなさすぎて、何をやるべきなのかすら、もうわからな い、生きていていいのか、いっそ死んだほうがマシか、でも自分が死んだら同 じ学校の奴らは……ああ、どうしたら。七原は、そんな心の迷宮に入り込んで、 未だに出られずに彷徨っている。たまたま出会えた沢近の、長い髪のはなつ黄 金の光は、迷宮の出口からさしこむ救いの光かもしれない、そんな勝手な幻想 を抱きながら。 (……ホント、すげー、綺麗な色)  あれは、陽の色だ。こんな冬ではなく、夏のそれ。真っ青に晴れた、夏の空 の太陽のような色を追って、七原は溜息を吐く。もはや身の内に「自分」のい ない彼は、このまま自分の探す答えのある場所へと、沢近が連れていってくれ ることを期待した。それは全くもって厚顔無恥な望みだ。七原は勝手に、沢近 を、自分の何かを変えてくれそうな相手だと思い込んでいる。  あの家を出るとき、七原が沢近についていくことを選んだのは、何よりもま ず、自分ひとりではもう何をしていいのかわからなかったからだ。あてどもな く歩いていたときに、初めて会ったのが彼女だったから、縋ってしまった。正 直なところ、あのときの彼には誰でも良かったのだ。あの場で出会ったのが彼 女ではなくとも、七原はついていったに違いない。  だが、七原が沢近を自らの混迷に対する光のように感じるのは、それだけが 理由ではなかった。あまりにも悲惨な経験をしながら、それでもなお復讐を誓 って未来へと足を踏み出すだけの強さを、彼女が持っていたからだ。自分のよ うに絶望して止まったままでいるのではなく、理由がなんであれ、沢近は前へ 進もうとしている。その沢近の強さを、七原は羨まずにはいられない。彼は沢 近が、なぜそれほど強くいられるのかを知りたかった。彼女の強さの秘密を知 れば、自分も少しは前に進めるかもしれない、そう思ったのだ。  視界を染める黄金は、寒空の下でも力強く光り輝いている。彼は、おずおず と口を開いた。目の前で揺れる金髪に向かって、返答を期待しない、独白とも とれる言葉をはなつ。 「……なあ、沢近、さん」 「……なあ、沢近、さん」  沢近は答えない。彼女にとって七原は、ただ勝手に後ろからついてくるだけ の愚かな子供だ。一緒に行動をしているわけでもないのだから、わざわざ返事 をしてやる義理などなかった。大体にして、沢近はこの七原にあまり好意を持 てないのだ。寝ている自分の身体を前にしてあんなマネをした初対面の男に、 いい印象を持つ女がいるというのならば、その女は頭のネジがどこかはずれて いるに違いない。  ……まあ、女の側としては、自分の身体が男の性欲を刺激する程度の魅力を 備えている、という事実を確認できはするわけだが、そんなもの、真っ当に生 きる女なら……惚れた男が相手でもない限り、そうそう意味はない。特にこん な場所では。自分の魅力で誰かを虜にして、利用しようとでも考えているのな ら別だが、沢近はそういった類の女ではなかった。しかも彼女の場合、確認す るまでもなく自分の容姿には確固たる自信を持っているわけで、さらには…… 惚れていた、かもしれない男がもう、あのピンク女のせいで三途の川を渡って しまっている、という最低最悪のオマケつきとくるわけである。それこそまさ に……はしたない言い方をするのなら、クソの役にも立たない、というやつで はないか。  ……そうとはいえ、彼女は七原に対してそこまで腹を立てていはなかった。 もとより自覚済みの自らの美貌にのぼせたガキのやったことだし、自分の身に 物理的な危害は及ばなかったのだから。全く最低だとは思ったけれども、もう 今となっては大して気にもしていない……が、最初に傾いた印象の天秤はなか なか戻るものではないのだ。しかも、そのあとに民家の中で話しかけたときも、 どうもこう、うじうじとした態度で煮え切らず、あげくの果てに『自分が殺し たようなものだ』という相手までいるときては、好ましい要素など、どこを探 しても見当たりはしない。  とはいうものの、七原からは重要な情報を得たので、それに対しては素直に 感謝している沢近である。そういう部分がきちんとしているのは彼女の美点で あり、高慢さの鎧から時折のぞく可愛らしさの一端でもあった。沢近は高圧的 で物事をはっきり言い過ぎるし、ひねくれた感情表現をするきらいのある女だ が、性根は真直ぐで柔らかい。だから七原にも、勝手についてくるのなら止め はしない、と言ったのだ。あからさまに寄る辺のない顔を見せて縋る子供への、 それは彼女なりの優しさだった。  ……かといって、それ以上の優しさを見せて甘やかすこともしないのが沢近 である。彼女は無言のまま、スタスタと道を急いだ。目的地、というのが特に あるわけではないが、あのピンクの髪の女ともう一度出会う、というのは、今 の時点ではまだ、得策ではないと彼女は考えている。あの女に復讐するために は、武器も手に入れなければならないし、もっと身体も回復させなければなら ない。今、あの女がどこにいるかは知る由もないが、少なくとも自分があの女 と出会った場所……つまり、ここよりも北の方には行かないほうが、あの女と はちあわせる確率は低いだろう。沢近はそう考えた。自分のいた場所が西端で ある以上、残りの行き先は南か東ということになる。だが、南はHー3が17 時から禁止エリアになるはずだ。その付近に近づくのは避けたかったから、必 然的に行き先は、残った東となった。  そうしたわけで、沢近は東に向かって平瀬村を抜けている。その後ろを、殻 を破れぬ間抜けなひよこが、追いかけてきているのだ。 「え、と……オレが勝手についてってるだけ、だしさ、だから、勝手に喋って  るだけだ、わかってる、それで……いいんだ、それでいい、から……喋らせ  て、ほしい」  答えない沢近に、ひよこはなおも言いつのる。相変わらず彼女は無言だが、 実のところその言葉を聞いてはいた。勝手に耳に入ってくるものを、わざわざ 妨げようとまでは思わない。沢近にとって、聞くともなく聞くことになる七原 の独り言は今のところ、揺れる森の木々のざわめきと、大して変わりはしなか った。 「オレ、さ、さっきの話、聞いて……思ったんだ、沢近さんが襲われたってい  う……、ピンクの、髪の、女」 「……」  ピンク、という色の名前にすら、はらわたの煮えくり返るほどに憎いあの女。 その相手について七原が話し出したことで、わずかに沢近の肩がぴくりと動い た。それでも、振り返ることも、言葉を返すこともせずに、彼女は先へと進む。 「その、女のせいでさ、そんな……包帯だらけになるような、怪我して、それ  でも、なんで……なんで、沢近さんは、そんな」  初めからずっと途切れがちだった七原の言葉は、そこで一度、本当に途切れ た。風の音とそれに揺れる枝の音、二人の足音以外に何もない、重たい沈黙を しばし噛みしめたあと、七原はもう一度、口を開く。 「なんで、沢近さんは、そんな……そんなに、強く、いられるんだ」  質問なのか。それともただ、言い切ったのか。もはや七原自身にもよくわか らない、曖昧な語尾の『だ』が、冬の冷たく澄んだ大気にとける。しばらく、 先ほどのそれに似た沈黙が続いた。返答が期待できないことを知っている七原 は、沢近を待っているつもりでもなく、かといって完全に返答を望んでいない のかといえばそうでもない、何とも形にならない茫洋とした思いを抱えて黙る。 沢近のほうは、何かに溺れてもがいている子供の、問いになりそこねた問いを 受けとめるべきか否か……そして、受けとめるのなら、どう返すべきか……そ れを考える時間が欲しくて、口をつぐんだ。 (……アンタになんでそんなこと答えなきゃいけないのよ。だいたい、私が強  いですって? バカね、そんなわけないじゃないの。強かったらあんな女に  こんな目に遭わされたりしないわよ。あのピンク女を、もう、殺して……)  そこまで考えて、沢近は口を開きかけた。だがもう一度、その花びらのよう な唇を閉じる。この、自分の背を追ってくる子供が聞きたいのは、きっと…… そういう、物理的なことではないのだ。そう考えたから。 (……そういうことじゃなかったわね。でも、こんなとこにいて、強くなかっ  たら、死ぬしかないじゃないの。あんな真似されて、じゃあアンタは泣き寝  入りするって言うわけ? そのくらいならさっさと死んじゃえばいいのよ。  泣いたって、喚いたって、何にも変わらないなら、怒るしかないじゃない。  怒る、しか……)  心の中の呟きを噛みしめるように、沢近は唇を噛んだ。怒るしかない、そん なの、本当に強いとは言えない、そう知っていたからだ。なぜか、大切な友人 だったあの塚本天満の、明るく屈託のない笑顔を思い出して、沢近の胸は痛む。 (……違う。そうじゃない。こいつにこんなこと本気で答える義理なんてない、  でも、そうじゃないのよ。ヒゲを殺して、この私をこんな目に遭わせたあの  ピンク女を殺してやりたいのは、私が……)  言葉を飲み込んだまま、それから数分、いや、十数分が過ぎた。長い沈黙は、 沢近の小さな、しかし、凛とした声によって破られる。 「……強くなんか、ないからよ」 「……強くなんか、ないからよ」 「っ、……」  その言葉に七原は、何かを言いかけて……言葉がうまく見つからずに、もう 一度、口を閉じる。その沈黙は、図らずも沢近に先を促すこととなった。 「……強くなんかないから、私はあの女を許せない。そうよ……絶対に許せな  いから、あの女を殺すまで、死ねないのよ」 「沢近、さん……」  七原は息を呑んだ。強くないから許せない。沢近はそう言った。あれだけ大 変な目にあって、それでも生きる意志を失わず、復讐という方向へと進もうと している彼女の、その「強さ」の秘密が知りたいと七原は思ったのに。 (……ああ、でもきっとそうだ。本当に強ければ、許せてしまう)  どれほどひどい目にあっても、罪だけを憎み、相手は許して笑う。きっとそ れが、本当に強い、ということだ……それがきっと、本当の強さなのだ。罪を 憎んで人を憎まず……それが多分、本物。七原は理解する。全てをわかってい ながら、沢近は、罪ではなく、人を憎んだのだ、と。  弱いからこそ彼女は、苛烈に生きる。純粋な憎しみこそが今の彼女の、生へ の原動力だ。弱さこそが彼女を生かし、弱さこそが彼女の足を進める。  ――沢近愛理は弱い。だが……いや、だからこそ、強く生きられる。  七原は、沢近の背を見つめた。彼女は振り返らない、だが、その真直ぐに伸 びた背中は、確かな答えを七原に与えていた。ここに至って、信ずるものを失 った七原秋也の沢近への身勝手な期待は、幻想ではなく現実のものとなる。弱 くて何もできなかった、何も変えられなかった自分を恥じ、嫌悪していた七原 は、沢近の背中に一つの答えを見いだした。 (……弱くても、いいんだ)  何もできない、無力で下らない自分。そんな自分が生きている意味なんてあ るのだろうか、そう思いつつも、自分の命が失われれば友の命も失われる可能 性のあるこの状況で、死ぬ勇気も持てないままに彷徨っていた七原は今、ある 選択をした。ほんの、ちっぽけな……だが、何よりも本質的な、選択だった。 (……オレは、生きる)  この先の展望なんてない。先のこともなにもわからない。でも、死ぬか生き るか、そういう場面では、ただがむしゃらに生きよう。ただ、それだけを七原 は決めた。青い勇気を失った七原は、かつての七原には決して戻れない。でき るのは、新しい七原秋也になることだけだ。全てを失ったなら、新しく作りな おすしかないのだから。 「沢近さん、ありがとう」  もう一度、口を開いた七原から発せられた声は、今までのものとはまるで違 う強さで響く。その声に何かを感じて、沢近は足を止めた。 「オレ、これからどうしたらいいかなんて、まだわからないけど……それでも、  できるだけ、生きようと思う」  別人のような口調で言い切った七原を、沢近は振り返る。いつの間にか太陽 は、七原のむこう側にあって……沢近は、その眩しさに、目を細めた。 「だけどやっぱり、もう少し……沢近さんと、一緒にいていいかな?」  七原は、逆光の中でもわかるほどに晴れやかな顔で、そう沢近に問う。今こ こに、新しい七原秋也が、産声を上げた。新しい彼が、何者なのかはまだ誰も 知らない。良いものか、悪いものか、賢いものか、愚かなものか。今の彼は、 未来しかない赤ん坊だ。そんな彼は、沢近の目に初めて、清々しく映った。 「……勝手にすれば?」  いつものようにひねくれた言葉が、少しだけ微笑んだ沢近の口をついて出る。 その視線の先では、傷だらけの七原秋也が、西の空を真っ赤に染めはじめた夕 陽を背負って、笑っていた。 (Fー2 平瀬村内部 一日目/夕方) 【七原秋也@バトル・ロワイアル】 【状態】:疲労小 全身を負傷 失意を越え精神的回復 男としての爽快感 【装備】:手鏡 【所持品】:デイバック 支給品一式 【思考・行動】 基本:とりあえず、できるだけ生きてみよう 1:沢近さんと一緒に行こう 2:自分がこれからどうしていくか、少しずつ考えたい 【沢近愛理@School Rumble】 【装備】: 古い果物ナイフ(刃こぼれ・錆) 【所持品】: 自家製地図(禁止エリア、参加者を補完できるもの) 【状態】:身体的衰弱 腕と肩に銃のかすり傷(包帯ぐるぐる巻き) 【思考・行動】 1:ピンク女を殺す 2:美琴、かれんと合流 3:七原が一緒に来てもまあ、かまわない
 金色の髪が風にたなびく。長いそれは柔らかく揺れて、寒空に低くなった陽 光を反射する。きらきらと輝くそれは、何か神々しいもののように七原の目に は映った。何も信じられるものも、拠り所にするものもない今の彼にとって、 沢近の存在は唯一のしるべのようなものであったから、余計にそんなふうに思 えたのかもしれない。自分の前を歩いている、年上の美女の背中を見つめなが ら、七原はとぼとぼと歩く。彼女はどこへ向かうのだろう。自分はそれすら知 らない。民家のあった平瀬村の中を通り抜けていることと、何となくの方向は わかるのだが、行き先は不明だった。  あの民家で、眠っている沢近を見つけて……何というか、まあ、生理的にど うしようもなかったとはいえ、何とも言いがたい罪悪感と羞恥の残る行為をし てしまった彼の中には、未だ自己嫌悪という澱が沈殿している。その濁った色 の澱は、ずいぶん前から、彼の中に降り積もって層を成してはいたから、あの 行為をやらかしたときに初めて生まれたものではなかった。が、あれで余計に その沈殿物のかさが増したことは間違いない。  ……いったい、自分は何をやっているのだろう。必要なことは何もしていな いくせに、余計なことはしてしまう。結局何もできない、弱くてどうしようも ない自分。どうしようもなさすぎて、何をやるべきなのかすら、もうわからな い、生きていていいのか、いっそ死んだほうがマシか、でも自分が死んだら同 じ学校の奴らは……ああ、どうしたら。七原は、そんな心の迷宮に入り込んで、 未だに出られずに彷徨っている。たまたま出会えた沢近の、長い髪のはなつ黄 金の光は、迷宮の出口からさしこむ救いの光かもしれない、そんな勝手な幻想 を抱きながら。 (……ホント、すげー、綺麗な色)  あれは、陽の色だ。こんな冬ではなく、夏のそれ。真っ青に晴れた、夏の空 の太陽のような色を追って、七原は溜息を吐く。もはや身の内に「自分」のい ない彼は、このまま自分の探す答えのある場所へと、沢近が連れていってくれ ることを期待した。それは全くもって厚顔無恥な望みだ。七原は勝手に、沢近 を、自分の何かを変えてくれそうな相手だと思い込んでいる。  あの家を出るとき、七原が沢近についていくことを選んだのは、何よりもま ず、自分ひとりではもう何をしていいのかわからなかったからだ。あてどもな く歩いていたときに、初めて会ったのが彼女だったから、縋ってしまった。正 直なところ、あのときの彼には誰でも良かったのだ。あの場で出会ったのが彼 女ではなくとも、七原はついていったに違いない。  だが、七原が沢近を自らの混迷に対する光のように感じるのは、それだけが 理由ではなかった。あまりにも悲惨な経験をしながら、それでもなお復讐を誓 って未来へと足を踏み出すだけの強さを、彼女が持っていたからだ。自分のよ うに絶望して止まったままでいるのではなく、理由がなんであれ、沢近は前へ 進もうとしている。その沢近の強さを、七原は羨まずにはいられない。彼は沢 近が、なぜそれほど強くいられるのかを知りたかった。彼女の強さの秘密を知 れば、自分も少しは前に進めるかもしれない、そう思ったのだ。  視界を染める黄金は、寒空の下でも力強く光り輝いている。彼は、おずおず と口を開いた。目の前で揺れる金髪に向かって、返答を期待しない、独白とも とれる言葉をはなつ。 「……なあ、沢近、さん」 ----- 「……なあ、沢近、さん」  沢近は答えない。彼女にとって七原は、ただ勝手に後ろからついてくるだけ の愚かな子供だ。一緒に行動をしているわけでもないのだから、わざわざ返事 をしてやる義理などなかった。大体にして、沢近はこの七原にあまり好意を持 てないのだ。寝ている自分の身体を前にしてあんなマネをした初対面の男に、 いい印象を持つ女がいるというのならば、その女は頭のネジがどこかはずれて いるに違いない。  ……まあ、女の側としては、自分の身体が男の性欲を刺激する程度の魅力を 備えている、という事実を確認できはするわけだが、そんなもの、真っ当に生 きる女なら……惚れた男が相手でもない限り、そうそう意味はない。特にこん な場所では。自分の魅力で誰かを虜にして、利用しようとでも考えているのな ら別だが、沢近はそういった類の女ではなかった。しかも彼女の場合、確認す るまでもなく自分の容姿には確固たる自信を持っているわけで、さらには…… 惚れていた、かもしれない男がもう、あのピンク女のせいで三途の川を渡って しまっている、という最低最悪のオマケつきとくるわけである。それこそまさ に……はしたない言い方をするのなら、クソの役にも立たない、というやつで はないか。  ……そうとはいえ、彼女は七原に対してそこまで腹を立てていはなかった。 もとより自覚済みの自らの美貌にのぼせたガキのやったことだし、自分の身に 物理的な危害は及ばなかったのだから。全く最低だとは思ったけれども、もう 今となっては大して気にもしていない……が、最初に傾いた印象の天秤はなか なか戻るものではないのだ。しかも、そのあとに民家の中で話しかけたときも、 どうもこう、うじうじとした態度で煮え切らず、あげくの果てに『自分が殺し たようなものだ』という相手までいるときては、好ましい要素など、どこを探 しても見当たりはしない。  とはいうものの、七原からは重要な情報を得たので、それに対しては素直に 感謝している沢近である。そういう部分がきちんとしているのは彼女の美点で あり、高慢さの鎧から時折のぞく可愛らしさの一端でもあった。沢近は高圧的 で物事をはっきり言い過ぎるし、ひねくれた感情表現をするきらいのある女だ が、性根は真直ぐで柔らかい。だから七原にも、勝手についてくるのなら止め はしない、と言ったのだ。あからさまに寄る辺のない顔を見せて縋る子供への、 それは彼女なりの優しさだった。  ……かといって、それ以上の優しさを見せて甘やかすこともしないのが沢近 である。彼女は無言のまま、スタスタと道を急いだ。目的地、というのが特に あるわけではないが、あのピンクの髪の女ともう一度出会う、というのは、今 の時点ではまだ、得策ではないと彼女は考えている。あの女に復讐するために は、武器も手に入れなければならないし、もっと身体も回復させなければなら ない。今、あの女がどこにいるかは知る由もないが、少なくとも自分があの女 と出会った場所……つまり、ここよりも北の方には行かないほうが、あの女と はちあわせる確率は低いだろう。沢近はそう考えた。自分のいた場所が西端で ある以上、残りの行き先は南か東ということになる。だが、南はHー3が17 時から禁止エリアになるはずだ。その付近に近づくのは避けたかったから、必 然的に行き先は、残った東となった。  そうしたわけで、沢近は東に向かって平瀬村を抜けている。その後ろを、殻 を破れぬ間抜けなひよこが、追いかけてきているのだ。 「え、と……オレが勝手についてってるだけ、だしさ、だから、勝手に喋って  るだけだ、わかってる、それで……いいんだ、それでいい、から……喋らせ  て、ほしい」  答えない沢近に、ひよこはなおも言いつのる。相変わらず彼女は無言だが、 実のところその言葉を聞いてはいた。勝手に耳に入ってくるものを、わざわざ 妨げようとまでは思わない。沢近にとって、聞くともなく聞くことになる七原 の独り言は今のところ、揺れる森の木々のざわめきと、大して変わりはしなか った。 「オレ、さ、さっきの話、聞いて……思ったんだ、沢近さんが襲われたってい  う……、ピンクの、髪の、女」 「……」  ピンク、という色の名前にすら、はらわたの煮えくり返るほどに憎いあの女。 その相手について七原が話し出したことで、沢近の肩がわずかに動いた。それ でも、振り返ることも、言葉を返すこともせずに、彼女は先へと進む。 「その、女のせいでさ、そんな……包帯だらけになるような、怪我して、それ  でも、なんで……なんで、沢近さんは、そんな」  初めからずっと途切れがちだった七原の言葉は、そこで一度、本当に途切れ た。風の音とそれに揺れる枝の音、二人の足音以外に何もない、重たい沈黙を しばし噛みしめたあと、七原はもう一度、口を開く。 「なんで、沢近さんは、そんな……そんなに、強く、いられるんだ」  質問なのか。それともただ、言い切ったのか。もはや七原自身にもよくわか らない、曖昧な語尾の『だ』が、冬の冷たく澄んだ大気にとける。しばらく、 先ほどのそれに似た沈黙が続いた。返答が期待できないことを知っている七原 は、沢近を待っているつもりでもなく、かといって完全に返答を望んでいない のかといえばそうでもない、何とも形にならない茫洋とした思いを抱えて黙る。 沢近のほうは、何かに溺れてもがいている子供の、問いになりそこねた問いを 受けとめるべきか否か……そして、受けとめるのなら、どう返すべきか……そ れを考える時間が欲しくて、口をつぐんだ。 (……アンタになんでそんなこと答えなきゃいけないのよ。だいたい、私が強  いですって? バカね、そんなわけないじゃないの。強かったらあんな女に  こんな目に遭わされたりしないわよ。あのピンク女を、もう、殺して……)  そこまで考えて、沢近は口を開きかけた。だがもう一度、その花びらのよう な唇を閉じる。この、自分の背を追ってくる子供が聞きたいのは、きっと…… そういう、物理的なことではないのだ。そう考えたから。 (……そういうことじゃなかったわね。でも、こんなとこにいて、強くなかっ  たら、死ぬしかないじゃないの。あんな真似されて、じゃあアンタは泣き寝  入りするって言うわけ? そのくらいならさっさと死んじゃえばいいのよ。  泣いたって、喚いたって、何にも変わらないなら、怒るしかないじゃない。  怒る、しか……)  心の中の呟きを噛みしめるように、沢近は唇を噛んだ。怒るしかない、そん なの、本当に強いとは言えない、そう知っていたからだ。なぜか、大切な友人 だったあの塚本天満の、明るく屈託のない笑顔を思い出して、沢近の胸は痛む。 (……違う。そうじゃない。こいつにこんなこと本気で答える義理なんてない、  でも、そうじゃないのよ。ヒゲを殺して、この私をこんな目に遭わせたあの  ピンク女を殺してやりたいのは、私が……)  言葉を飲み込んだまま、それから数分、いや、十数分が過ぎた。長い沈黙は、 沢近の小さな、しかし、凛とした声によって破られる。 「……強くなんか、ないからよ」 ----- 「……強くなんか、ないからよ」 「っ、……」  その言葉に七原は、何かを言いかけて……言葉がうまく見つからずに、もう 一度、口を閉じる。その沈黙は、図らずも沢近に先を促すこととなった。 「……強くなんかないから、私はあの女を許せない。そうよ……絶対に許せな  いから、あの女を殺すまで、死ねないのよ」 「沢近、さん……」  七原は息を呑んだ。強くないから許せない。沢近はそう言った。あれだけ大 変な目にあって、それでも生きる意志を失わず、復讐という方向へと進もうと している彼女の、その「強さ」の秘密が知りたいと七原は思ったのに。 (……ああ、でもきっとそうだ。本当に強ければ、許せてしまう)  どれほどひどい目にあっても、罪だけを憎み、相手は許して笑う。きっとそ れが、本当に強い、ということだ……それがきっと、本当の強さなのだ。罪を 憎んで人を憎まず……それが多分、本物。七原は理解する。全てをわかってい ながら、沢近は、罪ではなく、人を憎んだのだ、と。  弱いからこそ彼女は、苛烈に生きる。純粋な憎しみこそが今の彼女の、生へ の原動力だ。弱さこそが彼女を生かし、弱さこそが彼女の足を進める。  ――沢近愛理は弱い。だが……いや、だからこそ、強く生きられる。  七原は、沢近の背を見つめた。彼女は振り返らない、だが、その真直ぐに伸 びた背中は、確かな答えを七原に与えていた。ここに至って、信ずるものを失 った七原秋也の沢近への身勝手な期待は、幻想ではなく現実のものとなる。弱 くて何もできなかった、何も変えられなかった自分を恥じ、嫌悪していた七原 は、沢近の背中に一つの答えを見いだした。 (……弱くても、いいんだ)  何もできない、無力で下らない自分。そんな自分が生きている意味なんてあ るのだろうか、そう思いつつも、自分の命が失われれば友の命も失われる可能 性のあるこの状況で、死ぬ勇気も持てないままに彷徨っていた七原は今、ある 選択をした。ほんの、ちっぽけな……だが、何よりも本質的な、選択だった。 (……オレは、生きる)  この先の展望なんてない。先のこともなにもわからない。でも、死ぬか生き るか、そういう場面では、ただがむしゃらに生きよう。ただ、それだけを七原 は決めた。青い勇気を失った七原は、かつての七原には決して戻れない。でき るのは、新しい七原秋也になることだけだ。全てを失ったなら、新しく作りな おすしかないのだから。 「沢近さん、ありがとう」  もう一度、口を開いた七原から発せられた声は、今までのものとはまるで違 う強さで響く。その声に何かを感じて、沢近は足を止めた。 「オレ、これからどうしたらいいかなんて、まだわからないけど……それでも、  できるだけ、生きようと思う」  別人のような口調で言い切った七原を、沢近は振り返る。いつの間にか太陽 は、七原のむこう側にあって……沢近は、その眩しさに、目を細めた。 「だけどやっぱり、もう少し……沢近さんと、一緒にいていいかな?」  七原は、逆光の中でもわかるほどに晴れやかな顔で、そう沢近に問う。今こ こに、新しい七原秋也が、産声を上げた。新しい彼が、何者なのかはまだ誰も 知らない。良いものか、悪いものか、賢いものか、愚かなものか。今の彼は、 未来しかない赤ん坊だ。そんな彼は、沢近の目に初めて、清々しく映った。 「……勝手にすれば?」  いつものようにひねくれた言葉が、少しだけ微笑んだ沢近の口をついて出る。 その視線の先では、傷だらけの七原秋也が、西の空を真っ赤に染めはじめた夕 陽を背負って、笑っていた。 (Fー2 平瀬村内部 一日目/夕方) 【七原秋也@バトル・ロワイアル】 【状態】:疲労小 全身を負傷 失意を越え精神的回復 男としての爽快感 【装備】:手鏡 【所持品】:デイバック 支給品一式 【思考・行動】 基本:とりあえず、できるだけ生きてみよう 1:沢近さんと一緒に行こう 2:自分がこれからどうしていくか、少しずつ考えたい 【沢近愛理@School Rumble】 【装備】: 古い果物ナイフ(刃こぼれ・錆) 【所持品】: 自家製地図(禁止エリア、参加者を補完できるもの) 【状態】:身体的衰弱 腕と肩に銃のかすり傷(包帯ぐるぐる巻き) 【思考・行動】 1:ピンク女を殺す 2:美琴、かれんと合流 3:七原が一緒に来てもまあ、かまわない

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