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オリジナル 悪魔10 【気狂いの引き算をしようか】 ごう、と海風が血涙の悪魔をなぶる。髪が外套が容赦のなく弄ばれるのも気にせず、彼は波が削っていった海岸線のそばを飛んでいた。冬を迎えた海は暗く沈んだ紺色で白く砕ける波と相まってうら寂しい情景を見せている。そこに一際、海に突き出た岬があった。剣の切っ先めいた鋭い先端には断崖にもかかわらずぽつりと人家があった。大きなものだが、木造で丈夫そうには見えない家だ。 「あそこか」 悪魔はそこに降りたった。びょうびょうと吹く風はやまず、彼の目の前に建つ家もそれにあおられ小刻みに震えているような気がした。 真実、そうかもしれない。ただしそれは風に家が震えているのではなく、内側のものによって。 「エスタローザ」 血涙の悪魔は盲目ではない。瞼と皮膚が縫い止められたように開かず、その奥に隠された瞳が何色であるか、またそれが眼球としての役割を果たしているのか誰も、彼の主すら知るところではない。瞼は常に下ろされ、その眦からは絶えることのない血を滴らせている彼の動きは盲いた者のそれではない。 人ならざる悪魔の世では欠けた器官や健やかではない外見の者が直裁的に他より弱者、とは見られない。黒子や傷同様ひとつの特徴、程度の扱いだ。 それでもやはり血涙の悪魔はどこかしら視覚を補ってあまりある五感が働いている、らしい。淡泊を通り越して無機質なこの悪魔は自身の興味も薄かった。 悪魔の耳には海風以外音が聞こえていた。寂しげな、と綴りたくなる細く儚い音が。 「よくきたね」 「久方ぶりだ」 ぎぎ、と軋ませながら扉を押し開いて悪魔を迎えたのは妙齢の女性。このような海に住まう民にしては色白で、顔だちも繊細なつくりをしていた。着ているものはそこそこに上等で家の造りとまったくそぐわない。 「まあ入りな、ここに客が来るのは……そうだね、7年ぶりくらいか」 「その客、まさか俺ではないな」 「さぁ、忘れてしまったよ」 女・エスタローザはやわらかに嗤った。そして悪魔を向かい入れた。 「すきま風が入るのは見逃しておくれ。こうしておくと<彼ら>がよく歌ってくれるのさ」 あちこちから入る風がひょう、と入り家の中はあまり暖かではなかった。 「増えたな」 「あんたのおかげさ。そろそろ改築しないといけない程」 暖炉の前であたためた鉄瓶から湯を注ぎ、ささやかながら茶を煎れはじめた女に「必要ない」と悪魔は言うが、「気分ってものさ」と女は笑い、二人分の茶器を用意した。 ひょう ひょう ひゅう あちらこちらの隙間から風が入りこむ。それにまじり、小さな小さな、玻璃を転がすようなかろやかな音が聞こえた。極上の銀の鈴でもこのような音は奏でられない。 極細の絹の糸がふれあって奏でるような、細く細く儚い音が悪魔の耳に届いた。 「良い音だ」 「そう。この地は風が強くて、良い音が自然と聞こえてくる」 エスタローザは懐から「昨日獲ってきたばかりだよ」と懐から小さな玻璃玉を取り出した。凝った細工があるわけでもなく、ただの球体であるそれを女がふっと息をふきかけると先ほど悪魔が聞いたものより幾分澄んだ音が玉から漏れた。 「あんたは神父だの、お綺麗な魂がお好きなようだがね、あたしは子供が好きだよ。悲しくて寂しいと泣く声がいい」 「魂を俺に届ける限り、好きなだけ狩ればいい。おまえが欲しいものは声なのだろう?」 「ああ。本当に、あんたには感謝しているよ」 悪魔を目の端に置きながらもエスタローザは玻璃玉に頬ずりをする。 エスタローザは、音に、その美しさに取り憑かれた女だ。悪魔が出会った時からすでにその偏執は根深いものでもはや狂気の域にあった。しかし日常を送る上では何の問題もないエスタローザは夜な夜な老若男女かまわずその細腕で連れ去ると縊り殺し、切り刻んでから海に捨て、頭蓋骨だけを持ち帰って愛でていた。 「声が聞こえるのさ」 錐で小さな穴を開けながらエスタローザは歌うように悪魔に教えた。骨を通う風の音を女は「声」と表し、「歌」と言って楽しんでいるのだという。女の家の地下室には穴をあけられた頭蓋骨が整然と棚に並べられていた。 「それでもさすがに隠してばかりで聞くことはなかなか難しい。魔女の家でもこんなにおどろおどろしくはないだろうから」 閉ざした窓にひとつ置いて日替わりで聞くことしかできないことをエスタローザは嘆いていた。 そこへ悪魔は取引を持ちかけたのだ。 「殺めた者の魂をくれるならば、もっと簡単に声を手に入れるようにしてやろう。おまえの生きる命も殺す限り延ばしてやろう」 悪魔は手をのばし骸骨のひとつを玻璃玉に変えた。ふっと小さく息を吹きかけると骨を通るような太い音ではなく、風にかき消えそうな何とも妙なる音を奏でた。 エスタローザはそれを聞いて、快諾したのである。悪魔の奏でる誘惑の音は、すでに救いの道を閉ざした彼女にとって、魔性の招く楽園の音楽だった。 人が人を殺められた魂を捧げるかわりに、エスタローザは骸を玻璃玉に変える術を授けられた。わずかな風にも応えて歌う声に彼女は酔いしれ、いつしか海風の強い岬に移り住むようになった。すでに己がどれほど生きられるのかもわからないほどその手を汚したエスタローザは気の向いた時に新たな歌を求めて、街におりては人を殺めて玻璃玉に変えるようになった。 「私の魂はいつか持っていくのかい」 「いまのところは」 エスタローザの魂はすでに堕ちるところまで堕ちていた。触れればぽろりと枝から離れる、熟れすぎた実のように。 だが血涙の悪魔は知りたい。この狂気と正気が混じり合わず、むしろ理性的に同族を屠る女の行く先を。悪魔は人の命を無限に伸ばす力はない。あくまでエスタローザが殺した者の命を彼女の命につなげているだけのこと。そして玻璃玉を造る時には寿命の半ばを消費しなければならないことを告げている。 継ぎ足す命と消える命、その計りを見誤ればエスタローザは朽ち果てる。 「そうだね、もう百年ばかりはこうしていようか」 玻璃玉を心底愛おしく撫でながら、エスタローザはできもしないことを呟いた。 「あんたを玻璃玉にしたら、どんな歌になるだろうね」 「詮無いことだ」 「まったくだね」 彼女は立ちあがり、部屋の奥にある扉を開け放った。ぎっしりと詰めこまれた玻璃玉が開け放たれた風と吹き込む風で複雑に鳴り響く。 「さあ、あんたも聞いていくがいい」 恍惚の表情でエスタローザはまるで指揮者のように、または目に見えない音の波を受けとめるように腕を広げた。 小粒お題by黒鶫の歌さま

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