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悪魔9」(2006/07/26 (水) 18:04:52) の最新版変更点

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オリジナル 悪魔8 【心、失せてしまった】 その昔、異界の秘術を用いてこの世のすべての真理を知った賢者がいた。 知りたいという欲から芽生えた願望は実を結び、彼は世界の成り立ちから悪魔の王の真実の名前、星の彼方に描かれているという運命の行く末すら全てを知った。 だがその瞬間から、彼は知りたいと思うものがなくなってしまった。 もはや彼にわからぬことはなく、それと同時に彼が人間である必要もなくなったのである。すべての答えを知った彼は人間という有限の肉体を永遠に保たせる方法まで知ってしまった。 そして彼は「答え」になったのだ。 「ナガガミ」 そこはどこにあるとも知れない荒野。生き物の気配のしない寂しい視界が広がる。唯一の色彩を持つのは、痩せた大地に巨大な根をはる紅い巨木だった。 本来の植物が持つ瑞々しさとは程遠く、枯れ果てた老人の肌のような地面に貼りつき、空にまで歪んだ悪意を押しつけているかのように見える。荒野の中心にある巨木はまるでそこら一帯の生気というものを奪い取っていた。 遠目には巨大な柳の木に似ているが実際は違う。紅く見えるのは人間の髪で、巨人のたわむれのように枝枝にかけられており、それが乾いた風に吹かれるたび弱くそよぎ、柳のように見えるのだ。 赤い髪の根本には人間が座していた。大人が囲んでも3人分は必要かと思われる太い胴回りの幹に背を預け、あまつさえ下半身を土に埋もれさせている。まるで幹から伸びた枝と根が抱き取るようにその体を幹に固定させていた。 「ナガガミ」 巨木の前に影が差す。どこから現れ出でたのか、血涙の悪魔がそこに佇んでいた。 ナガガミと呼び掛けられた人間は、伏せていた顔をあげる。その名は彼の忘れられた真実の名前ではなかったが、彼の意識を浮上させる鍵のようなものだ。 赤い髪にふちどられながらも、血色の悪い肌と落ちくぼんだ生気のない瞳。その色は虚無の空を映した灰色である。 「問いに答えろ」 ナガガミの名と、答えよという命令。その二つで、人外の叡智を得た彼の答えを得ることができる。ただし、答えを得るには相応の代償が伴う。 ナガガミが代償を求めるのではなく、ナガガミを『守る』ものが答えに見合う代償を求める。が、未だ血の痕を拭うことのない血涙の悪魔には特別にそれが要求されない。 「我が待ち人は」 「三界何処にも来たらず」 人間界、天界、魔界いずれにも。 低く掠れた声がナガガミから漏れた。 「そうか」 それだけの言葉で血涙の悪魔は納得したように飛びたった。 ナガガミは質問者が消えたことでまたうなだれる。 余りにも短い出来事である。 「ナガガミさん」 悪魔の禍々しい翼の影が消え失せたと同時に、かろやかな少女の声が降りたった。皮膜の翼の悪魔とは違い、薄緑色の羽毛がふわりと抜け落ちる。 翼女(ハルピュア)である。 全裸の愛らしい少女の姿をし、背中からではなく両腕と一体化した翼で空をかける低位の妖魔だ。 ふくらみかけた乳房をおしげもなく晒し、翼女はナガガミの前にちょんと立った。 「アタシの質問に答えて?」 翼女は過去に二度、ナガガミの元を訪れていた。一度目は好奇心から「明日の天気」、二度目は「餌になる獲物の場所」。仲間内で実在すら疑われていた「答える者」を偶然見つけた翼女はたわいもない質問ばかりで、代償も彼女の美しい羽根や髪の一房だけで済んでいた。 ナガガミはまったく情動のない仕草で顎を持ち上げ、翼女を見る。 「アタシの思い人、あのやさしい人間。あのヒトはアタシのものになる?」 「ならず」 間髪入れずにナガガミは答えた。躊躇いもなく、用意された答えを読み上げるように。 「えっ!?」 同様する翼女を尻目に、ナガガミを取り巻いていた木肌が蠢く。枝というより触手に近い茶色のそれが、翼女の前でテーブル状に平たく広がる。 ナガガミが背を預ける幹にも変化が起こる。ひび割れた幹が流動し、精悍な男の顔を形どる。 彼こそナガガミの守護者。質問者の代償を求める異形であった。 『代償を』 ナガガミよりも若さを感じさせる、だが重々しい雰囲気を持った声音が幹の人面から発せられる。 『代償を』 「なんでよ!アタシのあのヒト!どうしてアタシのにならないの!」 『代償を』 「イヤよ!ナガガミ!答えてよ!どうして!」 「翼女は」 びゅっと枝がしなった。赤い髪を絡めていた細い枝が閃き、髪がふわりと地に落ちた瞬間に、翼女は心臓を鋭利に尖った枝で指し貫かれていた。 「代償を払わなかった故に守護者に殺される」 きぃっと漏れた翼女の断末魔が荒野にあえなく消えた。 根が蠢き、事切れた翼女の肉体がゆっくりと大地の下へと呑み込まれてゆく。ナガガミはただそれを瞳に映していた。 『ナガガミ』 完全に妖魔の体を取りこみ、枝や根はまた元のようにするすると戻ってゆく。地に落ちたナガガミの赤い髪を掬い上げ、空へ遊ばせるように枝が持ち上げる。 『問いに答えてください。……ノアン・クフリオとは?』 木肌の守護者はこのうえなくやわらかな声音で尋ねた。 灰色の回答者はそれに応えた。 「全知の賢者。三界いずれにも属せぬ異界の秘術ハーラ・ムーダによりこの世の全てを知る。狭間のさまよえる荒野にて、血涙の悪魔と契約し、異形の木となった弟子のサーライ・ゼムの庇護下にある」 そこで初めてナガガミは一息ついた。そして、溜息のように密やかに、サーライ、と小さく反復した。己が口にしたその者の名を確かめるように。 「サーライ」 『ここにいますよ』 あなたのそばに。 異形の木肌、かつてはサーライという名前の人間だったそれは、愛おしげに枝をナガガミに絡めた。それはまぎれもない抱擁だった。 サーライが異形となり果ててまで守ろうとした賢者ノアンはどこにもいなかった。 「全知は罪」 ノアンを荒野に落とした天使はそう言い置いて去った。天使は人間を殺すことはできない。慈しむべき存在が身に余る業に見舞われたとしても。 「だが無知なる人間に利用されるよりは良いだろう」 死ぬことの出来ない、ただ質問に答えるだけの人間。それは周りの人間に影響を及ぼす。全知を従えたならば人界は途方もない乱世に至るだろう。 それは精一杯の天使なりの慈悲だったのかもしれない。 サーライはノアンの一番弟子だった。ともに全知を追求し、秘術の完成に携わったのもサーライだけだった。 「それはすでに人間ではない」 秘術をその身に受け、全知の存在となったノアンはすでにまともな精神をしてはいなかった。人間という入れ物には途方もない膨大な知識を注入したがために、彼本来のすべては押し潰されてしまったと言って良い。 「なおも求めるか?」 「人間から守るなんて言い訳だろう。天使も、悪魔も……みな同じだ。答えを求めるためにここへ来る。人間と、変わらないじゃないか」 制限されたのは人間だけだ。 「いずれこの方を狙う輩が出る。ならば俺がこの方を守る」 打ち捨てられた木偶のようなノアンを抱き上げたサーライは、荒野へと導いた悪魔を見やった。 「あんたはこの方の知識が欲しいと言ったな」 「そうだ。俺は捜し物をしている。三界を見通す目と運命を読みとる力があるならばそれが欲しい」 「俺の望みはこの方を見つけだすことだ。そして、二度と俺の元から離さぬこと。ハーラ・ムーダの秘術はこの方にしかかけられていない。引き離すことは不可能だ」 赤く薄汚れた髪に顔を寄せても、ノアンは瞬きひとつしない。 「悪魔よ、俺を異形に変えてくれ。その代わりにおまえが求める答えが見つかったらすぐに教える。俺はここでこの方を守り続ける。身の程知らずの答えを求める者には代償をつきつけてやる」 そうすれば理不尽な回答に激し、ノアンに危害を加えようとする者はいなくなるだろう。頑なに拒否をするよりもある程度の枠を設けて受け入れるほうが、二人が生き延びる可能性が高くなる。 「その契約、違えるな」 黒く皮膜の翼を畳み、喪服のように黒づくめの悪魔は頷いた。目を閉じたままの顔に二つの赤い線がくっきりと刻まれている。 「ああ。そうだ、悪魔。どうせなら俺を木に変えてくれ。こんな草もない荒野では寂しすぎる」 あの方は草木がお好きだったから。 「叶えよう」 そしてサーライは生半可な悪魔ですら屠る魔樹となり、回答者を永遠に守護する異形へと成った。 「サーライ」 全知の賢者ノアンの名は忘れられ、荒野を訪れるのは嘘か誠かもしれぬ回答者の存在を求める幾ばくかの者。あるいは、サーライと契約を交わした血涙の悪魔。彼の捜し物はいまだに見つからぬ。 そして時折、サーライはナガガミという名でしか反応しなくなった回答者に、「ノアン・クフリオ」の意味を求める。 そして必ず、その回答に含まれる「サーライ・ゼム」を口にすると、しばらくの間それを唱え続ける。 「サーライ」 精神、情動、すべての心の動きを止めてしまったナガガミの唯一の例外をサーライは至福として受け入れる。 『ここにいますよ、ロアン様』 「サーライ」 荒野に風が吹く。さらさらと枝にかけた赤髪が揺れる。 閉じられた、二人の異形の世界は生き物すべてを拒む荒野であってもサーライにはどうでもよかった。 ただそばに愛おしい者がいる。それだけで。 サーライはこの上もない幸福を感じられたのだから。
オリジナル 悪魔9 【第六仮定】 私は素早く移動することは得手ではない。鳥などに比べれば脆弱な羽を風に乗せながら動かすため、優雅だと賞賛はされても俊敏ではない。主は悠久の生をいかに長く飽くことなく過ごすかをよく考えるので火急の知らせ以外は全て私に任される。無駄を惜しまれる他の君には苛立ちを生むらしいが、無限に近い命数の主にとってはそれもまた暇つぶしのひとつにすぎないのだ。 《さて、何処に居られるか…》 私を主に推してくれ、全滅した群の中から私の宿った卵を拾い上げた、親とも言うべき相手。双方が認めたがらないが、主の寵愛する若き悪魔は… この身から落ちる黒い鱗分が人に麻薬のごとき悦を与えることから、「黒楽蝶」と名づけられた私は羽をはためかせた。 虫の本能にとらわれた者でも私には手出しができぬ。我が羽には我が一族の戴く模様の他に、かの君の所有と、かの君の使いである印が黒い羽の中で鮮やかに織り込まれている。 この封蝋と等しき印がなければ早晩そこらの虫に食われかねないのだ。 『俺は生まれたばかりの、位も持たない最下層の悪魔にすぎない。俺の印をおまえの羽につけたところで意味はあるまい』 羽化したばかりの私に花蜜を与えながら悪魔はそう言った。 『だからおまえを我が主の僕に推そう。主の印を持てば、おいそれとおまえを襲う馬鹿も居まい』 見込み通り、典雅な趣を愛する主は悪魔から献上された私を伝令として側に置くことに決め、この羽に複雑かつ美しい、主の通り名をはらんだ印を刻んだ。 主の印を戴くことにより私は同じ黒楽蝶より長い生を得ることとなった。悪魔は私を献上した頃から著しく力をつけ、周囲に主の変わり種の側近としての名も馳せるようになるのも間近で見ていた。 私は少し後悔している。選択の余地はなかったとはいえ、もしもあの時献上を拒み、主ではなくあの悪魔の印を刻むことができたならば、育ての親とも慕うかの悪魔の傍よりもっと近くにいられたのではないか… ああ、繰り言にすぎぬ。しかしそうした思いには常々捕らわれる。 主は気づいておられるやもしれるが、何も仰らない。時々、かの悪魔への伝令を私に任せられるだけだ。 蛹より幼く、醜い芋虫であった頃、私はかの悪魔の頬を伝う涙を啜ったことがある。空腹に耐えかねた上での行いだ。 悲哀より流れる血の色の涙は甘露のような味がした。 私は遠い遠い記憶を楽しみながら、あの涙の匂いを追った。

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