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セムリリ2 【「おやすみ」】
刻一刻と迫る、明日。今日はもう、あと数分。
それでも私は眠らない。一人きりの夜に怯えることはなくなった。
私を眠らせないのは、今必死でこの家へと向かっているただ一人の人。
私は目が覚めて、最初に言葉を交わすのがあの人であり。
目を閉じる間際、最後に言葉を交わすのがあの人であればいい。
それだけを待って、静かな部屋の中にいる。玄関から入ればすぐに見通せるソファで雑誌を広げるふりをして。
私は特別、五感が優れているとは思わない。第六感といわれる感覚も飛びぬけて優れているわけではない。
けれどあの人が、近づいてくる感覚は誰よりも敏感に察することができる。呼び合うように遠かったシグナルが近づくような、もとの形に戻ろうとするような動きを、感じる。
それが私とあの人をつなぐ糸であり、私とあの人を隔てる壁であることを、とっくの昔に知っていた。
がちゃん
ドアノブをまわして表した姿は間違うことのない背の高い兄。
「…リリス? まだ起きてたのか」
「おかえりなさい」
「寝てても、いいんだぞ」
靴を脱いで、ソファまでやってきた兄は酩酊の様子はない。この家に帰るまでにはアルコールはどこかに飛ばしてしまう。
兄が理性を飛ばすところは見たことがない。
見せたくないから? 抑えているから? それとも単に酒豪なだけだろうか?
兄自身も気づいていないことだろうから、私は訊かない。
「つい、待っちゃうの。ごめんなさい」
「いや…俺も気をつける。あんまり遅くなると、おまえが寝坊してしまう」
兄はきっと、私が眠っているあいだに両親を失ったから意識のあるうちはぬくもりを求めているのだと未だに思っている。小さなころは確かにそうだった。もう、顔を覚えていない、私によく似ていたという母親のぬくもりが恋しくて夜は兄のベッドで眠っていたことがあった。とても、短い間だったけれど。
今考えれば、あれこそが私にとっての、至福の時間だったのかもしれない。
「帰るとき、電話する」
「ええ」
「今日は、もう寝ろ。俺はちょっと裁断したいデザインがあるから」
「兄さんも早めに寝てね」
「ああ、おやすみ」
午前零時。今日と言う日が始まってしまった。それでも最初に聞けたあの人の声、息、足音。最初に見られた姿、顔。
「おやすみなさい」
それを抱いて私はやっと眠ることができる。
セムリリ3 レジェンド
「兄さん」
完全オフと決めた日は兄は電池の切れたおもちゃのようにぴくりと動かない。働き蟻より休む間のないスケジュールで蓄積された疲労も何もかもをその日一日『機能停止』することで解消するように。
そういう日はリリスも出かけずにひたすら家にいることにしている。
夕刻もすぎてしばらく。そろそろ目覚める頃だろうとベッドの傍らに座り込む。
うつ伏せ寝で熟睡する兄の寝息は息を潜めても聞こえるかどうかのひそやかさで、リリスは時々、魂の遊離してしまった器のそばにいるような気にさえなる。顔をよせて、静かすぎる寝息に耳をすまし、上下する背中の骨の線を確認しても消えない不安に駆られる。
「毒林檎を食べた白雪姫ってこんな感じかしら」
それとも百年の眠りにとらわれた茨姫か。
どちらでも大した差はない。
「兄さん」
呼びかけても微動だにしない横顔に添う。
「キスをしたら、目を覚めてくれる?」
まるで逆の立場でも、それであの黒瞳に自分が映るのならば、いくらでもキスを捧げるのに。