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「悪魔7」(2006/07/26 (水) 06:35:16) の最新版変更点
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オリジナル 悪魔6 【君は人魚】
人魚姫は愚かであるとセイレーンは嗤う。
「喰っちまえば良かったんだよ」
性欲と食欲が極端に近い人魚種は愛情は欲情であり食欲だ。食欲に支配されているというとヤジフーもそうであるが、暴食のヤジフーと人魚種は違う。
「綺麗な鰭も綺麗な声も失うことはなかったんだよ。愛しい相手は喰う。これに限るね、我が身の血となり肉となり至上の交わりとなす、だ」
愛情が湧かない相手にはセイレーンは誘惑の美声どころかこうした擦れた娼婦のような口ぶりだが、ひとたびそれが意中の相手となれば麗しいオペレッタとなる。
「それで?アンタが来たのは何の御用だい」
「単に使いだ。我が主から海王殿へ」
セイレーンは海面より岩場に立つ血涙の悪魔を見あげる。両目を閉じ、頬を血で濡らす他にはこれといって平凡な悪魔である。蝙蝠の翼、黒衣。
「密書かい? アンタの主は炎魔様と仲がよろしいっていうじゃないか」
火と水の相性の悪さは今に始まったことではない。セイレーンは海妖といえど水の性、火を嫌い、炎獄の王から使いを堂々と海の藻屑にすることも厭わない。実際のところ、トップ同士はさして仲違いをしてはいないのだが、主君ほど配下は他属のものを思いやることができないのが現状である。
血涙の悪魔が懐にしまっている黄金色のの封蝋が成された親書も中身は炎獄の君から海王に向けての親書だ。たまたま地上から戻ってきたところで主ににっこりと「使いに行け」と押しつけられたのである。
ちなみにセイレーンは愛しいものを喰う性質があるが、逆に忌み嫌うものと出会った時は容赦なく五体を引き裂き、魚の餌にする。それも自分の体に血や肉がつくことを嫌って、鮫やらを呼び出して少しずつ喰わせたりもする。
「セイレーンが気にすることじゃない。主には主の思惑があるのだろう」
「はっ、お高くとまってるね」
それでも炎魔ではなく血涙の悪魔を手にかける愚をセイレーンは犯さない。目下、彼の主はこの目の前にいる平凡そうな悪魔に目をかけているのだ。悪戯に鮫に噛みつかせようものならセイレーンが咎を受ける。
「行くがいいさ。深海宮の道は開いてやるから自分で行きな」
「礼は言っておく」
「ねぇアンタ」
海を割って海底を歩くことを許された血涙の悪魔が、濡れた岩肌を進み始めた時セイレーンは分かれた波間で尋ねた。
「アンタはどう思う? 人魚の最期は」
「選択肢を持てなかったものの末路だ。興味はない」
生意気だねっ、とキンとした声で言われたが、彼の顎からは一滴、血が落ちただけだった。
「おまえはセイレーンといっても、結局人魚でしかない。喰いたい相手しか見つからないのならば、喰い続ければいい。きっとその人魚は脚を持った時点で人間だったんだろうよ。喰わずに添い遂げたいと願ったのだから」
たとえ叶わずに自らが泡となる運命を背負ったとしても。
オリジナル 悪魔7 【幸福論】
※グロ?描写あり。食べ物注意。
「それでいいのか」
血に染まった手をひたすらに見つめる男の背に立ちながら、血涙の悪魔は問うた。光を見ることがなく、赤き涙の跡を刻む頬をのぞけば、そこそこに整った顔立ちの黒衣の男。彼は悪魔であり、その蝙蝠のような羽は黒く大きく、鴉のような艶を持ち合わせないかわりに何者をも拒絶する暗い絶望の光を宿していた。
気まぐれにそれを人間が目にすれば、すぐさま街中の人間に刃物を向けて狂い死にでもさせるような強烈な負の匂いを漂わせる。
血涙の悪魔は残酷な性質ではなかった。だが彼が持つ性質は確実に人間の精神を蝕み、圧迫し、瓦解させる力を持つようになっていた。
「それで満足なのか、神父」
かつて、初めて人間を喰らった時も血涙の悪魔は神父の肉を貪った。清童の匂いのする肌を引き裂き、血を啜った。
それから幾ばくかの時が流れると、血涙の悪魔は自然と肉食を控えるようになった。肉を喰らうことよりも、魂を堕落させることに興味を持ち始めたのである。それは力をつけてきた証拠であり、今では人間を餌として扱うことは半々になっていた。
「これで良いのです。いえ、私にとってはこれが良いのです」
神父の目の前には、普段清貧を説く者として教会の裏手で育てた野菜やパンのような質素な食事ではなく、よく煮込まれ飴色になったシチューが食卓を飾っていた。
「もともと、私は神の愛を説きながらそれを信じてはいなかったのです。でなければ、聖職者として狂い死にしてしまいたいほどの苦悩を抱えることはなかったでしょう」
「今はそれがないというのか?」
「ありません。物心ついた時から常にわだかまっていたものがこうもあっさりも消えるとは想いませんでした。今では、なにか寂しいものすら感じているのです」
神父の胸にはロザリオがなかった。その残骸はきっと暖炉にでもあるのではないだろうか、昨日、薪の代わりにいくつかの衣料とともに燃やしていたから、多少は焼け残っているかもしれない。溶けた聖人の顔だとか、へしゃげた十字架だとか。
「あの子も幸せだと想うのです。これで私たちを隔てるものは何もなくなった」
神父は祈りも捧げず、スプーンを取ってシチューを口にした。一口一口、感慨深くも敬虔そのものといった表情。
いや、多くの人間の表情を見てきた血涙の悪魔にはわかった。
それは、法悦の表情だ。恍惚にとろけて、その頭の中こそが天国に昇ってしまったかのような幻に包まれて。
「おいしい」
神父はシチューに向かって、美味しいともう一言呟いた。
「とても、おいしいよ。クラヴィ」
愛おしい者に囁くように睦言を吐き続ける神父の背中を血涙の悪魔はじっと見つめていた。何かを待つように。
ビクター神父といえば教区の中でも徳の高い人物として街の人間からの人望厚く、多くの信頼を集めていた。
穏やかでしんと染みいるような声で聖書の一節を読み、その説教は厳かであっても心に深く重なるものだった。
その教会では小さいながらも聖歌隊があった。もちろんきちんとした役職ではなく、街の子供たちを預かり、昼の間は簡単な読み書きを教えたりする代わりに、聖歌を覚えさせて日曜礼拝の時に歌ってもらうのだ。大きな街の本格的な聖歌隊のような荘厳さはないが、その街の活気がありながらも穏やかな気質を受け継いだ子供たちの歌声はのびやかで可愛らしさが漂う。
教会の中で子供達に歌を教え、オルガンを弾く役目の少年がいた。出自は定かではなく、教会の前に捨てられていたためにビクター神父自身により育てられた。年老いたシスターから行儀見習いやオルガンの弾き方を習い、修道士として神父の補佐としての役目を担っていた。
くすんだ茶色い髪と同じ色の瞳をしており、そばかすの跡が目立つ平凡だが心優しい少年の名前はクラヴィといった。
「私は幼い頃から、何でも口に入れる癖がありました。母の乳房、自分の指に玩具。お気に入りのものばかりです。ただ口に含むだけならば問題はありません。しかしいつからか、それを咀嚼し呑み込みたくなったのです」
それが食物でなくとも関係はない。己が愛したものは口にいれなくては気が済まなくなったのだ。
「私は神に救いを求めました。浅ましい私の魂をお救いくださいと。自らを律し、神の愛を一心に信じ続ければ、いつかこの恐ろしく醜い欲が消え去るものだと」
「だがそれは叶えられることはなかった。俺と出会ったからか?」
「そうかもしれません。そうでないかもしれません。神の愛を受け入れてから10数年私はその餓えを抑えることができました。……誤魔化していたのかもしれませんね。愛を説きながら己の愛を押し殺していたのですから」
神父の言葉は悪魔の言葉をはぐらかすというよりも、自分でもわからないと言いたげだった。
「クラヴィは赤子の時、私が教会の扉の前に捨てられているのを見つけ、私が名づけ、私が育ててきました。あの子は神父の私では得ることのできない息子のような存在のはずでした」
神父はシチューを口にしながらも淡々と背の悪魔に語った。鍋のシチューは多く、神父一人では食べきれる量ではないのに手を動かし続けている。
「ある時クラヴィが言いました。私を愛していると。父親のように接してくれる神父様が大好きだと。それで満足するべきでした。いえ、満足するのが人間というものなのでしょう」
私はすでに外れてしまいました。
何杯目かのシチュー皿にたくさんの肉と汁を盛りながら神父は言葉をつなげた。
「私は言いました。私はおまえ以上におまえのことを愛していると。おまえは私の愛に応えてくれるだろうかと」
父性への慕情と幼い恋情を混同させて神父は少年から愛という名前のついた思慕を受け取った。
そうして気づいた。
「おまえを食べてしまいたいと」
神父は自らの欲を目覚めさせた。
そして。
欲望の赴くまま彼を貪った。その肉体を犯すことは一切ないまま。
彼が好きだった薄味で飴色のシチューを仕立て上げた。彼自身の肉で。
血涙の悪魔が神父の心の闇を肥え太らせたのは、ごくごく僅かだった。もともと持ちうる欲望を、心の囁きのようにごく近くで神父の耳に届けただけだ。
喰らってしまえばいいと。
誰かに取られて、汚されてしまう前に。
美しく、清らかな間に。
自分を愛していると告げた少年を。
ほんの少し、肯定の言葉を投げかけてやるだけだった。
あっけないとも言える。
だが、確かにそれで神父は神よりも堕ちる快楽の中で至福を見つけたのだ。
「クラヴィ」
鍋の一滴でさえ舐めとるように舌を這わせて神父は、恍惚とした顔でその名前を呼んだ。
「愛している」
その瞬間に血涙の悪魔は神父の背中に手をあてた。
血色の悪い指先が心臓のある位置でぴたりと止まり、くるりくるりと円を描いた。
「クラヴィ」
小さな呟きを残して神父は頽れた。食卓はひっくり返り、空の鍋と皿が床に落ち、スプーンが甲高い悲鳴をあげた。
神父は事切れていた。最愛の少年を食らって大きく膨らんだ腹から逆流し、わずかなスープを口から滴らせながら。
それらを眺めていた悪魔の目には何の感慨も浮かんでいなかった。
彼の手にはどす黒く染まって、自ら光るというよりは闇の塊と化してしまった発光体が浮かんでいた。その大きさはちょうど心臓ほどで、ゆらゆらと所在なく浮かんでいる様は風に翻弄される蝋燭の炎のように頼りなかった。
「神は残酷だ。殺すこともしてやらないで、ただ生き地獄を味わわせて、芝居の見せ物くらいにしか思っていない」
所詮そんなものなのだと笑いながら、どす黒く染まった塊を血涙の悪魔は一口で呷って咀嚼した。頼りない姿をしているが咀嚼すると感触を持って歯を愉しませる。
「欲の突っ張った人間などより、おまえのように己を殺しながら誰かに肯定してほしいという苦悩を抱えているほうが俺にとっては、美味いものだよ」
次なる獲物を求めて、血涙の悪魔は翼を広げ飛びたった。
その教会にはもう誰もいなかった。