- 父の形見のスプリンターを処分した話は何故削除したのか。
- 「居なくたって、俺には身内も居ないし...」(2005年06月11日)
(あれ?この時点では、お母様がまだご健在でしたよね?
連絡が取れていなかっただけではなかったですか?(要確認))
連絡が取れていなかっただけではなかったですか?(要確認))
自分が4〜5歳ぐらいの頃に両親が離婚して、俺は父親の元で育てられてたんだけど、毎年7月29日には親父の配慮なのか、離婚して離れ離れになっている母親に俺を合わせてくれていた。
(中略)
そして、7月29日、実に6年ぶりに母親と再会した(高校3年当時)。
自分が小学生の頃に会った母親の記憶と目の前に居る母親はイメージが随分と違っていた。
当時37歳の母は、母親ではなく、子供の目から見ても女性として意識して見てしまう程に綺麗だった。
(中略)
そして、母親はバツ2になり、新しい彼氏が居ると言う事と、水商売をやって居ると言っていた。「良かったら、私のお店でアルバイトしない?」と誘われ、ちょうどお金も無かったし、それに母親と一緒に居られると言う嬉しさもあって2つ返事でその日から夏の間だけバイトをする事になった。さっそく母の運転する車に乗って、お店に到着すると、店長の男性を紹介されたが、この人が母親の彼氏らしい。お店はショーパブとの事で、服を着替えるように言われ、ブリーフ姿1枚に、編みタイツを履いて上に柔道着を着せられた格好となった。何とも不恰好か姿だが、お客にビールを運んで、テーブルでお酌をすると言う簡単なものだった。もちろん、客は男ばっかり!
今思えば、そこはホモが集まるバーであり、当然の事ながら、客は俺の股間に手を伸ばしてきたり、パンツの中にチップを入れようとしてきた。本当に、嫌で仕方なかったが、母親の手前、嫌とは言えず、結局夜の12時まで働いて、日給15,000円もらって逃げるように帰ってきた。
(2005年07月06日)
(セレブは、両親を亡くしております。
それが真実であるのならばご冥福をお祈り致しますし、
違うのであればお金を大量に持っていようが・・・な人間だと思います。)
それが真実であるのならばご冥福をお祈り致しますし、
違うのであればお金を大量に持っていようが・・・な人間だと思います。)