帝政ロシア陸軍概説
最初に、何故1907~1918と年代をふってあるのかといいますと、簡単に言えば1907年に制服が更新されたということです。そしてブレストリトフスク条約により1918年にロシアは第一次世界大戦から離脱します。その前年の17年にはご存じロシア革命が発生しており、2月(ユリウス暦)の段階で帝政は打倒されていましたが、条約締結まで戦争は継続していました。要するに第一次世界大戦の頃の制服です。
1907年といえば、日露戦争が終わって間もない頃であり、その教訓をもとに制服も更新されたと思われます。制服に保護色(カーキ色)が導入されたということがこのことを如実に表しています。もっとも、日露戦争の段階で前線部隊では両軍とも保護色の制服を製作していましたが。
ここから、本題にはいるわけですが、申し訳ありませんが、このページの管理者はただいま研究中の身でありまして全ての情報が正確である保証はないですのでご了承下さい。
さて、本題に入ります。まず注意しなければならないことは、
- 兵科色が実を言うと兵科色ではなく連隊色である。
(→連隊ごとに違う)
- 特別な部隊が存在し、制服が異なる場合がある。
(特定のコサック部隊のチェルケスカ(工事中)など)
結局のところ制服の差異が連隊ごとに現れるのが特徴の一つです。このことは当時の他の国もそうですが。このページではコサックなどの特殊な部隊は除きます。
まず制帽ですが、カーキ色の制帽と連隊ごとのカラフルな制帽が制定されていました。カーキ色の制帽は規定では野戦時のみの着用となっていましたが、戦争突入後は広範囲に利用されました。
常勤服としては規定上、キーチェリとギムナスチョルカ(ルパシカ)と二つあります。さらに別に礼服もありますが、当分取り扱えそうにないのでここでは扱いません。
キーチェリとは将校用の勤務/野戦服で、ギムナスチョルカとは兵下士官用の勤務/野戦服です。これはあくまで規定上のことで開戦後は将校でもルパシカが着用されるようになります。各制服の詳細については別項にて紹介します。
キーチェリとは将校用の勤務/野戦服で、ギムナスチョルカとは兵下士官用の勤務/野戦服です。これはあくまで規定上のことで開戦後は将校でもルパシカが着用されるようになります。各制服の詳細については別項にて紹介します。
ズボンはブリーチ型の乗馬ズボンが一般的でしたが、当時の乗馬ズボンは後年に比べ、太もものふくらみが小さく、ストレートズボンに近い形状のものが一般的です。ただし、騎兵科ではキュロットの着用例も確認できます。
ブーツについては乗馬ブーツが一般的ですが、騎兵科で使用された乗馬ブーツには特殊な形状の物も散見されます。
装備品については詳しくは各制服ごとのページにて説明します。
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