警察庁の『漫画・アニメ・ゲーム表現規制法』検討会問題まとめ @Wik

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誰のための法律か?
『児童ポルノ禁止法』に関する基礎知識(後編)
(正式名称『児童買春・児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律』)
(文責・鳥山仁+ROSF)


6:法案成立前夜

 自民党、社会党、新党さきがけの議員で構成される「与党児童買春問題等プロジェクトチーム」が、作製した法律案を「児童買春、児童ポルノに関わる行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律案」として発表したのは一九九八年三月の事だった。このずさんで問題点だらけの法案は、すぐさま数多くの批判にさらされることになった。何故なら、この法案が表現規制を含む内容であることは、誰の目にも明らかだったからである。

 最初に口火を切ったのは出版倫理協議会で、同年の四月には法案に対する批判的な見解を発表した。同年五月には東京新聞と日本弁護士連合会が、九月には日本雑誌協会が、十月には日本書店商業組合連合会が、十一月には日本ペンクラブが、十二月には日本書籍出版協会と日本出版取次協会が、それぞれ批判的な記事を掲載したり見解を発表したりした。こうやって時系列順に並べてみると、新聞を除く出版マスコミ関連団体が反対のために勢揃いしたという観があり、この法案を巡る争点が早くから表現規制であったことをうかがわせる。同時に、それは規制反対運動が憲法で保証されている『表現の自由』を守るためのリベラルな行為である、と受け取られている事への証左でもあった。

 その中でも鋭かったのが、扶桑社が出版している週刊誌『SPA!』で、同年五月に掲載した記事において、この法案の目的が未成年者(主に中高生)と成人男性の間で行われていた売買春、いわゆる『援助交際』を処罰する事にあると明言しているのは注目に値する。もっとも『SPA!』の主要な購買層を考えれば、「女子高生、あるいは女子中学生とセックスしたい」と本気で思っている成人男性がかなりの割合で含まれていたと推測するのは容易であり、あまり褒められた理由ではないのも事実である。

 右記のように、大部分のマスコミ関係者、特に出版に関わる者が法案に反対意見を表明する中で、数少ない規制推進派サイドに立った論調を展開したのが朝日新聞だった。同社は一九九八年五月に、社説という形で法案を肯定する旨の文章を掲載したし、それ以前にも東京本社社会部の大久保真紀氏(当時)が、東南アジアにおける児童買春の問題に関して誌面で言及した過去があった。

 規制推進派を支持するマスコミも、新しくできた『児童の人権』という概念を推進しようと言う意味において、法案支持がリベラルな行為であるという認識があった。従って法案を巡る対立は、リベラル派同士の内輪もめという側面を有していた。つまり、両者の間ではリベラルという意味が違っていたわけだ。

 規制推進派にとってのリベラルとは、平等や弱者救済と同意だった。だから、規制推進派の多くは女性解放運動と密接なつながりを持っていたし、推進派に女性の占める割合も高かった。規制推進派の泣き所は、法の強制による禁欲によってその道徳的な目的を達成しようとした点にあった。これは、近現代国家が弱者を従属させる為に用いる方法であり、実際にこの法案が成立する事によって不利益を被る人間の大多数は、社会的な弱者と呼んでも差し支えない人々だった。

 たとえば、ポルノを恒常的に愛好している男性の中には、身体が不自由であるという理由によって、あるいは僻地で生活しているという理由によって、生身の女性と触れあう機会を極端に制限されてしまった人達が少なからず含まれている。こうした人達に禁欲を強制することが、果たして弱者救済なのかと問われれば、筆者は断固としてNOであると答えたい。しかし、規制推進派にとって、性欲、特に男性の性欲は倫理的に悪であり、「そんなものがある方が悪いのだ」という事になってしまうのだ。

 けれども、性に関して宗教的なドグマを受け入れていたり、性そのものを嫌悪していない限り、「性欲が悪である」という理論が支持を得られないのは言うまでもないし、実際に受け入れられなかったのは皆さんの知る通りである。

 一方の規制反対派におけるリベラルとは、古典的な『国家と国民の対立』、つまり国家の強制から国民の権利や自由が守られなければならない、という価値観によって成り立っている。自由は民主主義における大原則であり、全体主義的な政権を成立させないためにも、国家には可能な限り国民の自由を尊重させるべきである。

 だが、自由には「犯罪行為に手を染める自由」や「他人から搾取する自由」という暗黒面が含まれている。そこまでの自由が許容されてしまえば、民主主義はおろか社会生活までもが崩壊する。

 従って、民主主義憲法が謳う自由の中に、「子どもを自分の性欲を満たすために、金を支払って意のままに操る自由」や「子どもをポルノ作品に出演させ、利益を得る自由」が存在するとは考え難いし、そもそも日本は一九九〇年に『児童の権利に関する条約』に署名しているのである。
 この条約の日本における位置づけは、憲法と同等、あるいは法律以上という重要視せざるを得ないもので、更にその第三四条には、

第三四条  締約国は、あらゆる形態の性的搾取及び性的虐待から児童を保護することを約束する。このため、締約国は、特に、次のことを防止するためのすべての適当な国内、二国間及び多数国間の措置をとる。
a.不法な性的な行為を行うことを児童に対して勧誘し又は強制すること。
b.売春又は他の不法な性的な業務において児童を搾取的に使用すること。
c.わいせつな演技及び物において児童を搾取的に使用すること。

 という文言が明記されている。だから、規制反対派が自由を振りかざして、「援助交際をする自由」や「児童ポルノを観る自由」を唱えることは法律違反を容認するのと同義であり、国民やその代表である国会議員から全面的な支持を得ることは難しい。けれども、当時の規制反対派には『援助交際』を容認する空気が少なからずあり、それらの意見が後々に禍根を残すことはほぼ確実だった。

 このように、互いの主張に欠陥を抱えていた推進派と反対派が妥協するためには、「実在する児童との買春行為、及びに実在する児童をポルノに出演させることは禁止する。ただし、ポルノそのもの、特に空想上の人物しか出てこないポルノは容認する」という折衷案を採用する必要があった。

 偶然ではあるが、そうした方向性に沿って活動を行ってきたのが、一九九二年六月に設立された『エクパット・ジャパン・関西』(俗称エクパット関西)である。エクパット関西は関西系フェミニストの集まりを母体としており、フェミニズム系の出版物を数多く扱っている、『オフィスオルタナティブ』を活動の本拠地にしている。その出自からも明らかなように、エクパット関西には女性学の専門家とのコネクションがあり、かつ出版に携わった経験も豊富という強みがあった。

 初期のエクパット関西は「海外子ども買春禁止法」という名称で、「与党児童買春問題等プロジェクトチーム」が提出した法案よりも明確に、海外において日本人が行っていた児童買春の禁止を目的とした法案を提示していた事もあって、自社さ案が当初の目的から外れて『援助交際』の処罰に用いられるのではないか、という懸念を早くから表明していたことは慧眼だった。また、同法案を本来の目的に従事させるべく、様々な団体や個人に呼びかけを行ったことも妥当な行動であったと思われる。

 この呼びかけに応じるように、規制反対派として大きな役割を果たしたのが『マンガ防衛同盟・有害コミック問題を考える会』(略称マンボウ)だった。同団体は一九九〇年代初頭に、和歌山県田辺市の主婦層を中心として発足した「コミック本から子供を守る会」が巻き起こした、有害コミック規制運動(風紀の観点から性描写のあるマンガを書店から撤去しようという趣旨の運動)に連なる一連の社会的な動きに対抗すべく立ち上げられた、「有害コミック問題を考える会 マンガ部会」という団体が名称を変更したもので、その主たるメンバーは漫画関係者だった。自社さ案が絵の規制を含む以上、同団体としてはこれを有害コミック規制運動と類似した法案であると断定せざるを得ず、民主党やエクパット関西を通じて反対運動に参加したものと思われる。

 規制反対派にとって行幸だったのは、自社さ案が欠陥を抱えたまま一九九八年五月に国会へと提出された事だった。規制推進派は法案成立を急ぐ余り、日本ユニセフや婦人団体が集めてきた多数の署名を盾にして、国会議員に同法案を早期可決を迫ってしまったのである。つまり、対案を提出することで法案を改善する余地が残されたのだ。

 これに対して、エクパット関西は一九九八年八月に独自案を提示した。また、この案の影響を受ける形で、同年一二月には民主党も対案を提示する。
 自社さ案と民主党案の主たる相違点は、

(1) 自社さ案では存在した絵の規制が、民主党案では削除された。

(2) 自社さ案では存在した児童ポルノの単純所持に関する禁止項目が、民主党案では削除された。

(3) 民主党案では売春防止法等と法案との兼ね合いが考慮されていた(自社さ案ではこの点に対する配慮が欠けてしまっていたために、児ポ法で保護された児童が売春防止法で逮捕される可能性が高かった。これは、児童保護という観点からすると大きな矛盾である)。

 の3つであり、特に(1)は民主党に対するマンボウの働きかけが功を奏した結果だった。また、マンボウは自らの支持基盤でもあるマンガ愛好者、いわゆるオタク層にも同法案の問題点を開示することで、これまで政治から最も遠いと思われていた人達に対して、積極的な政治参加を呼びかける役割を担っていった。この時期のマンボウで最も活躍をしたのが西形公一氏だったと言われている。

 とにもかくにも、民主党案は規制推進派から受け入れられた。翌一九九九年一月には「与党児童買春問題等プロジェクトチーム」に民主党や共産党が参加する形で「児童買春問題研究会」が発足し、同会で行われた議論をたたき台にして作製された新しい法案が、同年四月に超党派の議員立法として国会へと再提出される。これが今の児ポ法である。

 同年五月に参議院と衆議院を通過した児ポ法は、いよいよ本物の法律として運営されることと相成った。しかし、研究会の名称からして明らかなように、同法は最後まで『援助交際』取り締まり、ポルノ規制という性格が強く、本来の目的である実在する児童の保護を果たすかどうかに対しては、規制反対派ばかりでなく規制推進派の一部からも疑念の声があがっていた。
 また、同法案の第六条には、

(検討)
第六条 児童買春及び児童ポルノの規制その他の児童を性的搾取及び性的虐待から守るための制度については、この法律の施行後三年を目途として、この法律の施行状況、児童の権利の擁護に関する国際的動向等を勘案し、検討が加えられ、その結果に基づいて必要な措置が講ぜられるものとする。

 という文言が記されており、規制推進派と反対派が決して和解していないことを示していた。戦いはまだ始まったばかりだったのである。

7:児ポ法の問題点

 さて、長々と児ポ法成立までの過程を書いてきた本稿であるが、そろそろこの法律の問題点を具体的に列挙していきたいと思う。その為には、児ポ法と同等の目的で成立した法案、つまり性犯罪やそれに類する犯罪を取り締まる為の法律との比較が必要なので、非常に面倒くさい作業ではあるが、左記の条文を読んでいただきたい。

(わいせつ物頒布等)
第百七十五条 わいせつな文書、図画その他の物を頒布し、販売し、又は公然と陳列した者は、二年以下の懲役又は二百五十万円以下の罰金若しくは科料に処する。販売の目的でこれらの物を所持した者も、同様とする。

(強制わいせつ)
第百七十六条 十三歳以上の男女に対し、暴行又は脅迫を用いてわいせつな行為をした者は、六月以上七年以下の懲役に処する。十三歳未満の男女に対し、わいせつな行為をした者も、同様とする。

(強姦)
第百七十七条 暴行又は脅迫を用いて十三歳以上の女子を姦淫した者は、強姦の罪とし、二年以上の有期懲役に処する。十三歳未満の女子を姦淫した者も、同様とする。

(準強制わいせつ及び準強姦)
第百七十八条 人の心神喪失若しくは抗拒不能に乗じ、又は心神を喪失させ、若しくは抗拒不能にさせて、わいせつな行為をし、又は姦淫した者は、前二条の例による。

(未遂罪)
第百七十九条 前三条の罪の未遂は、罰する。

(親告罪)
{第百八十条 第百七十六条から前条までの罪は、告訴がなけれぱ公訴を提起することができない。
2 前項の規定は、二人以上の者が現場において共同して犯した第百七十六条から前条までの罪については、適用しない。}

児童福祉法第三十四条(禁止行為)
何人も、次に掲げる行為をしてはならない。
六 児童に淫行をさせる行為

児童福祉法第六十条(罰則)
(1)第三十四条第一項第六号の規定に違反した者は、これを十年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する。

 まず、児ポ法が処罰対象にしている児童買春と児童ポルノは、これらの法律でも取り締まりが可能である事を知っていただきたい。これは、検察官が容疑者を起訴する際に、右記の法律群と児ポ法のいずれかを選ばなければならないことを意味している。
 それでは、児ポ法で容疑者を起訴した場合、どのような処罰が下されるのだろうか? 児ポ法の罰則規定は次のようなものである。

(児童買春)
第四条 児童買春をした者は、三年以下の懲役又は百万円以下の罰金に処する。

(児童買春周旋)
第五条 児童買春の周旋をした者は、三年以下の懲役又は三百万円以下の罰金に処する。
2 児童買春の周旋をすることを業とした者は、五年以下の懲役及び五百万円以下の罰金に処する。

(児童買春勧誘)
第六条 児童買春の周旋をする目的で、人に児童買春をするように勧誘した者は、三年以下の懲役又は三百万円以下の罰金に処する。
2 前項の目的で、人に児童買春をするように勧誘することを業とした者は、五年以下の懲役及び五百万円以下の罰金に処する。

(児童ポルノ頒布等)
第七条 児童ポルノを頒布し、販売し、業として貸与し、又は公然と陳列した者は、三年以下の懲役又は三百万円以下の罰金に処する。
2 前項に掲げる行為の目的で、児童ポルノを製造し、所持し、運搬し、本邦に輸入し、又は本邦から輸出した者も、同項と同様とする。
3 第一項に掲げる行為の目的で、児童ポルノを外国に輸入し、又は外国から輸出した日本国民も、同項と同様とする。

(児童買春等目的人身売買等)
第八条 児童を児童買春における性交等の相手方とさせ又は第二条第三項第一号、第二号若しくは第三号の児童の姿態を描写して児童ポルノを製造する目的で、当該児童を売買した者は、一年以上十年以下の懲役に処する。
2 前項の目的で、外国に居住する児童で略取され、誘拐され、又は売買されたものをその居住国外に移送した日本国民は、二年以上の有期懲役に処する。
3 前二項の罪の未遂は、罰する。

 これら二つの条文を比べろと言われても、法律を学んだ者でなければ「何がなんだか訳が分からない」だろうし、見ただけで頭が痛くなる人も少なくないだろう。実は筆者もその一人である。そこで、もっと分かりやすい比較説明を順次行っていきたいと思う。

 最初に比べたいのは、

(わいせつ物頒布等)
第百七十五条 わいせつな文書、図画その他の物を頒布し、販売し、又は公然と陳列した者は、二年以下の懲役又は二百五十万円以下の罰金若しくは科料に処する。販売の目的でこれらの物を所持した者も、同様とする。

と、

(児童ポルノ頒布等)
第七条 児童ポルノを頒布し、販売し、業として貸与し、又は公然と陳列した者は、三年以下の懲役又は三百万円以下の罰金に処する。

の2つである。この法律の文言はほぼ同じであるが、(わいせつ物頒布等)の最高刑が懲役二年であるのに対して、(児童ポルノ頒布等)の最高刑は懲役三年である。従って、一見すると児ポ法で裁いた方が罪を重くできるように見えるのだが、ここでちょっとしたシミュレーションをして欲しい。

 たとえば、とある日本人のロリコン男性が、東南アジなどの海外まで旅行をして児童を買い、性行をしたあげくにその様子をビデオに収め、買った子どもの身体を酷く傷つけたとしよう。また、このロリコンは帰国後に自分の撮ったビデオを売り出して、警察に逮捕されたとする。しかし、犯行の現場が海外であるという事もあって捜査は難航し、被害にあった児童すら特定できない事態が発生すると………何とこの男性は(児童ポルノ頒布等)でしか起訴できず、最高でも懲役三年の処罰しか受けないのである! しかも、懲役三年という刑罰には大抵執行猶予がつく上に、あくまでも児童ポルノを売ったことだけが問題になるため、何人の児童と性交しようが刑期は一緒なのだ!

 おそらく、「何人もの子どもと性交しようが、最高刑が懲役三年にしかならない」という一節に驚かれた方も多いと思う。「何人もの児童と性交した者には、それだけ重い罪が課せられる」と考えるのが普通だろう。

 こんな奇妙な現象が発生してしまうのは、言うまでもなく(児童ポルノ頒布等)の条文が(わいせつ物頒布等)の条文と酷似しているせいである。少なくとも、法律の専門家は同じ趣旨の条文であると考えている。要するに、(わいせつ物頒布等)が風紀取り締まりを目的とした法律なので、(児童ポルノ頒布等)も同様の法律であると思われた結果、被告人が子どもとセックスをしたという事実は、どうでも良いことになってしまうのだ。

 (わいせつ物頒布等)はあくまでもわいせつな物を取り締まる為に存在する。つまり、モデルと同意の上で撮影されたアダルトビデオやエロ本もその対象とされる。だから、(わいせつ物頒布等)では、被害者が存在しないわいせつ物も被害者が存在するわいせつ物も、同じわいせつ物として扱わざるを得ない。すると、この法律で罪を問う場合は、被害者の有無が関係なくなってしまう。そこで、(児童ポルノ頒布等)で裁かれた場合にも同じ解釈が適応されるために、何人の子どもとセックスをしても被害者の有無が関係ないのだから、「罪は一緒」と言うことになってしまうわけだ。

 これだけでも十分無茶苦茶だが、こんなのはまだ序の口である。

児童福祉法第三十四条(禁止行為)
何人も、次に掲げる行為をしてはならない。
六 児童に淫行をさせる行為

児童福祉法第六十条(罰則)
(1)第三十四条第一項第六号の規定に違反した者は、これを十年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する。

と、

(児童買春周旋)
第五条 児童買春の周旋をした者は、三年以下の懲役又は三百万円以下の罰金に処する。
2 児童買春の周旋をすることを業とした者は、五年以下の懲役及び五百万円以下の罰金に処する。

(児童買春勧誘)
第六条 児童買春の周旋をする目的で、人に児童買春をするように勧誘した者は、三年以下の懲役又は三百万円以下の罰金に処する。
2 前項の目的で、人に児童買春をするように勧誘することを業とした者は、五年以下の懲役及び五百万円以下の罰金に処する。
を比較して欲しい。そう、児童福祉法第三十四条第一項第六号と、児ポ法の(児童買春周旋)や(児童買春勧誘)の内容はほぼ一緒である。にもかかわらず、児童福祉法で定められた最高刑が十年であるのに対して、児ポ法で定められた最高刑は五年にしか過ぎない。驚くべき事に、犯した罪は一緒であるはずなのに、児ポ法で裁かれれば最高でも児童福祉法の半分の懲役で済んでしまうのである!

「それなら、児ポ法で裁かずに児童福祉法で裁けばいいじゃないか」とお思いの方もいらっしゃることだろう。そこで、今度は2つの法律で定められている罰金刑の部分に目を通していただきたい。児童福祉法の罰金刑が最高で五十万円なのに対して、児ポ法の罰金刑の最高額は五百万円となっているはずだ。つまり、罰金刑に限って言えば児ポ法と児童福祉法の立場は逆転するどころか、何と十倍もの差がつくようになっているのである。

 これがどのような結果をもたらすのかは明らかである。検察官は容疑者に罰金刑を科そうと思ったら児ポ法で、懲役刑を科したいと思ったら児童福祉法で起訴すれば良いという選択権を得ることが可能になる。

 しかし、現実には多くの検察官が児ポ法で容疑者を起訴することを選んでいる。何故なら、懲役刑が少なく罰金刑が高い法律であれば、ちょうど交通違反がそうであるように、略式命令などで裁判を簡素化することが可能だからである。裁判の進行が早まれば、それだけ多くの容疑者を処理することができる。容疑者を数多く処理できれば、検察庁の業績は自動的に上昇する。検察官とて人の子なのだから、早くて簡単に仕事が済み、かつ成績が優秀であった方が良いに決まっている(児童福祉法で起訴する場合は家庭裁判所の管轄下とされるので、手続きなどが面倒であるというのも、児ポ法を選択する一因とされている)。
 裁判が簡素化されてしまえば、事実関係確認の為に入念な調査を行う必要性が消え失せる。そうなったら、児童被害の実態は闇に葬り去られることになる。児ポ法の法的存在意義は、まさにこの部分にある。「業務を迅速に処理することで、数多くの容疑者を起訴できれば、検挙者数や検挙率が上昇するのだから、児童被害の実態は無視しても構わない」というわけだ。

 これは、先述の(わいせつ物頒布等)と児ポ法との兼ね合いにも現れている。本来であれば、児童ポルノとは児童を虐待した映像的な証拠に他ならないのだが、これを証拠として扱ってしまうと、児童虐待の事実関係確認という地味で面倒くさい作業に手をつけなければならなくなる。しかし、児童ポルノをあくまでもポルノ=わいせつ物として扱えば、検察官はそうした問題から解放される。業務を迅速、かつ円滑に処理できるようになる。検察庁=法務省にとって、これほど都合の良い法律を見つけることは難しい。児ポ法の事実上の所轄官庁が、法務省であると言われるゆえんである。

 第5章にも書いたことなので重複になるが、日本の行政は縦割りが基本なので、一度所轄官庁が決定した法律に、他の省庁が積極的に関わる可能性はない。だから、児ポ法の所轄官庁が法務省であるという認識が広まってしまうと、他の省庁は積極的に関与しなくなる。法務省、及びにその下部組織である検察庁の存在意義は犯罪の検挙にある。従って、児ポ法が法務省の所轄に置かれた段階で、児童の保護や児童の権利を広めるための教育を謳った条文が実現される可能性は極端に低くなる。単なる取り締まりの道具としてしか機能しなくなる。

 いや、児ポ法の運営に関しては、取り締まりの道具としても十全に機能しているかどうか甚だ疑わしい部分がある。何故なら、児童ポルノや児童買春の捜査には、現段階では専属の捜査官は存在せず、その捜査主体はあくまでも容疑者の居住する所轄の都道府県警ということになっているからだ。これでは、日本人による海外での児童買春行為や、児童ポルノ制作を発見、調査することは困難である。

 知っての通り、都道府県警が積極的に捜査可能な区域は、基本的に所轄内に限られる。海外まで出張して現地の警察と協力するためには、何重もの高いハードルを乗り越えなければならない。これでは、熱心な検察官であっても、腰が引けるのは仕方がない。児ポ法の必要性が叫ばれた理由が、東南アジアにおける児童買春を止めさせようと言うものであったことを考えると、暗然とした気持ちにさせられる。

 誤解の無いように釘を刺しておくが、筆者は児童買春や児童ポルノに対して厳罰化を要求しているわけではない。この法律が本来の目的である『実在する児童の人権』を保護するためには、ほとんど役に立っていないと言う事実を指摘したいのである。規制推進派の一部や、反対派の中にすら「厳罰化を行えば犯罪発生率は低下する」と主張する人間が少なからず存在するが、児ポ法のからくりを見れば明らかなように、法律とは運用者次第でどのような結果でも導き出せる道具なのだ。罪を重くすれば事足りるという問題ではない。

 児ポ法を本来の目的―――実在する児童の人権保護―――に沿って運用するためには、所轄官庁を変える必要がある。おそらく、厚生労働省あたりが妥当な官庁であろう。少なくとも、所轄官庁が法務省のみである限り、被害を受けた児童の保護はおざなりにされ続けてしまう。法務省、及びに検察庁は、実在する児童の人権を保護する為に存在するのではない。法律の各条文を見直して、厚生労働省が運用しやすい内容に変更すべきである。

8:見直しに向けて

 そう、この法律には見直しの必要性がある。ただし、規制推進派にとっての見直しとは、児ポ法成立過程で削除されてしまった児童ポルノの単純所持規制と、児童に見える絵や成人女性が出演した疑似ロリータもののアダルトビデオを取り締まる趣旨の条文を、復活させることを意味している。

 規制推進派が絵の規制と単純所持にこだわるのは、海外でこの2つの項目を既に法制化してしまった国が存在するからである。たとえば、エクパット東京が一九九四年の三月に開催した「一年で成ったオーストラリアの法改正」で取り上げられたオーストラリアの法律では、児童に見える絵によるポルノは規制の対象とされている。他にも、ドイツの法律では児童ポルノの単純所持を禁止する旨が明記されている。

 だが、第7章で検証したように、今の日本における児ポ法の位置づけは、法務省の所轄下にある犯罪取り締まりを目的とした法律でしかなく、単なる検察庁の点数稼ぎ以上の役割を果たしていない。絵の規制や児童ポルノの単純所持規制が、ただちに実在する児童の人権保護に結びつかないのは明白で、そのような改正が必要なのかという点に関しては大きな疑問が残る。

 規制推進派のほとんどが、こうした運営上の問題点を軽視するのは、海外で法制化されたものが日本で不可能ということはあり得ない、という意識に囚われているためである。彼らは日本の行政システムが持つ特徴を理解しようとしないし、理解していたとしても法制化を優先させる余り目をつむるという行いに走り、結局一部省庁の官僚にとって都合の良い状況を作り出している。要するに、片棒を担がされているのだ。

 これに対して、規制反対派の運動はかなり厳しい状況に陥っている。規制反対派が元々この問題を『表現の自由』を守る戦いであると認識していた事は先に述べたとおりだが、あまりにも『表現の自由』を重視過ぎた結果、実在する児童への性的虐待に関する理解や調査を怠ってしまい、規制推進派が押し立ててくる『理念としての児童の人権』に対抗するロジックを構築する時間を浪費してしまったのだ。

 また、規制推進派に多くの女性、それも年配で社会的地位の高い女性や、悪名高い『従軍慰安婦問題』で事実をねつ造してまで政府に謝罪を迫った疑惑をもたれているメンバーが含まれている事から、児ポ法成立以降の反対運動には反動形成的に右翼的な思想の持ち主や保守的な思想の持ち主が大量に参加したことが、状況の悪化を促進させている。

 たとえば、保守的な思想の持ち主は、女性が社会的に高い地位につくことを嫌う傾向があるために、そうした女性、特に女性国会議員を罵倒する行為を繰り返し、規制反対派に成人女性が参加しづらい環境を作り出してしまっている。同時に、あまりにも女性を目の敵にするものだから、規制推進派に参加している男性層が重要な役割を果たしているという事実に目が届かず、彼らを自由に活動させる環境を作り出してしまっている。

 また、右翼的な思想の持ち主は『親権』を重視するために、実在する児童の人権を擁護しようと言う動きが規制反対派の間で持ち上がるたびに、それを無視したり反故にしたりすることで、結果として反対運動そのものを阻害してしまっている。これでは、規制反対運動の成功はおぼつかない。

 今の規制反対派がなすべきなのは、『実在する児童の人権保護』を根幹とした対案を提出することで、『理念としての児童』を保護しようとする規制推進派の動きを牽制する事であるはずなのだが、現実にはこうした動きはごく少数の人間の間でしか見られない。

 児ポ法の見直しは今年度の十一月に迫っている。

 改正案の内容は、現段階では不明である。

(了)
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