響きblog
Tabi-taroの言葉の旅「今こそ江戸に学ぼう!」
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hibiki
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(ブログのコピペ)
2007年07月22日 / 言葉の旅
第一回「江戸しぐさ」
ある中学生がこんな作文を書いています。
その日小雨の降る中、僕は父と一緒に狭い道を歩いていた。すると向こうから来た人がすれ違う時、僕たちが通りやすいように傘を横に傾けてくれたのである。その人にお礼を言った後、父は、江戸しぐさがまだ残っているんだねと嬉しそうにつぶやいた。僕はこの「江戸しぐさ」ということばに興味を覚え、家に着くまでに父に教えて貰うことにした。
その日小雨の降る中、僕は父と一緒に狭い道を歩いていた。すると向こうから来た人がすれ違う時、僕たちが通りやすいように傘を横に傾けてくれたのである。その人にお礼を言った後、父は、江戸しぐさがまだ残っているんだねと嬉しそうにつぶやいた。僕はこの「江戸しぐさ」ということばに興味を覚え、家に着くまでに父に教えて貰うことにした。
傘を横に傾けて相手に雨の滴がかからないように気を配る「傘かしげ」、狭い道ですれ違う時に右肩を引いてぶつからないようにする「肩引き」など、「江戸しぐさ」にはいろいろなことばがある。要するに、お互いが気持ちよく過ごすためのちょっとした思いやりのある行動が江戸しぐさと呼ばれるものだろう。
僕の住む町、墨田区にはまだその精神が生きている。例えば、家の玄関先や通りを掃く時、両隣の分もきれいに掃いたり、体の不自由な人がいれば荷物を家まで持っていってあげたりというように。ただ残念なことに、これらの行動をとっているのはお年寄りの方だけになりつつあるという気がする----
こんな「ちょっとした思いやり」にあふれた社会なら、人々はどんなに気持ちよく過ごせるでしょう。花のお江戸はそういう都会だったのです。
2007年07月23日 / 言葉の旅
第二回「束の間付き合いと世辞」
江戸は西南に鈴ヶ森、東北に飛鳥の森と、二大森林地帯に挟まれ、運河や堀をめぐらした緑と水の美しい町でした。最盛期には人口100万人に達し、60万人のロンドン、70万人のパリを凌ぐ世界最大の都市でした。
100万人の内訳は武士と町人が半々でしたが、武士は参勤交代で入れ替わります。町人50万人が江戸の定住人口でした。その大部分は、小売商、食べ物屋、風呂屋、大工などの商売人でした。諸国から人が集まる大都市の中で、毎日、多くの見知らぬ人々と行き交い、商売をします。そういう中で、いかに互いに気持ちよく生きていくか、という智慧が発達しました。
江戸では毎日、多くの見知らぬ人と行き交います。そこに「束の間付き合い」というしぐさが発達しました。たとえば船着き場で渡し船を待っていたら、もう一人、客がやって来ました。先客は和やかに軽く会釈をし、「こぶし腰浮かせ」と言って、こぶしをついて腰を浮かせて席をつめて、新来の客が座れるようにします。
現代では、電車の中で立っている人がいるのに、二人分くらいのスペースをとってゆったりと座っている人がいます。そんな所に「すみません」と声をかけて座っても、無言のまま、席も詰めない無神経な人が少なくありません。そんな殺伐とした光景とは大違いの和やかな付き合いが江戸にはありました。
会話が始まっても、差し障りのない天気の話題などを選んで、職業や名前、年齢などを聞いたりしないのが決まりでした。「束の間付き合い」を楽しみつつも、お互いのプライバシーを尊重して、気持ちよく過ごそうという考えです。
「こんにちは」などの挨拶の後に、「今日はよいお天気ですね」とか「寒くなってきましたね」などと「世辞」をいうのが、江戸しぐさです。「世辞」とは今で言う「お世辞」ではなく、人付き合いを円滑にする応対の言葉でした。
2007年07月24日 / 言葉の旅
第三回「人間はすべて仏の化身」
「束の間付き合い」や初対面の人に対して、名前や職業、年齢などを聞かないのを「三脱の教え」といいます。それは都会的に他人と距離を置く、という意味ではありません。
「人間はすべて仏の化身」と考え、身分や職業、年齢に関わらず、互いに対等の付き合いをすることが原則だからです。そういう外的なものよりも、人間としての品格の方が江戸社会では大切にされました。だから、自分が大店の旦那で、相手が小僧風情だからといって、偉ぶって威張った口をきいたり、自分をひけらかすような自慢をするのは、下品なこととされました。小僧風情の相手が「おはようございます」と挨拶すれば、旦那も「おはようございます」と対等に応えるのが、江戸しぐさでした。
相手の身分によって態度を変えるのは、はしたない振る舞いでした。初対面の時に対等な口をきいた後で相手が身分の高い人だったと分かって「そんなに偉い人とは知らず、失礼しました」などというのは、禁句です。それでは偉くない人には失礼にしてもいいということになってしまいます。
そして相手と会うのも、今生でこれっきりかもしれない、という「一期一会」の気持ちで、人と接します。相手との生涯に一度の、しかも一瞬のつきあいを、いかに美しいものにするか、そこから「束の間付き合い」というマナーが発達しました。
2007年07月25日 / 言葉の旅
第四回「袖擦り合うも多生の縁」
花のお江戸は路上で行き交う人も多いです。その往来を気持ちよくするために、様々な江戸しぐさが生まれました。道路は「江戸城に続く廊下」と考えられ、ゴミを捨てたり、唾を吐いたりするのは、とんでもない行為とされました。歩きながらタバコを吸うこともありませんでした。混んだ道を早く走ることは危険なので「韋駄天しぐさ」と言って禁じられました。韋駄天とは、仏教での足の速い守護神のことです。
横に並んで話しながら歩く「とうせんぼしぐさ」や、往来の中で「仁王立ち」して、他人の邪魔をするのは御法度。「七三の道」と言って、自分は道路の片側三分を歩きます。こうすれば、急ぎの人も、また怪我人を戸板に載せて運ぶ(今の救急車と同じ)際も、追い抜いていけます。
狭い路地を歩いていて、向こうから人が来た場合には、互いに体を斜めにしてすれ違う「肩引き」をします。雨の日には「傘かしげ」で、しずくが相手にかからないようにします。こうしたすれ違いの際には、互いに目でちょっと挨拶し合う「会釈のまなざし」で、心が和みます。雑踏の中で人に足を踏まれた場合、踏んだ方は当然謝りますが、踏まれた方も「こちらこそ、うっかりいたしまして」と「うかつあやまり」をします。
すれ違いの際にも、「袖擦り合うも多生の縁」という気持ちからの思いやりによって、心和む付き合いができるのです。
2007年07月26日 / 言葉の旅
第五回「粋(いき)な江戸っ子」
江戸っ子は「粋(いき)」の良さを尊びました。船着き場で人が来たら「こぶし腰浮かせ」で席を詰め、「お暑うございます」などと世辞を言います。そんなしぐさがさりげなく出来るのが、粋な江戸っ子でした。粋の反対が「野暮」です。往来で他人の迷惑を考えずに「とうせんぼしぐさ」や「仁王立ち」するのは野暮な人間のすることです。
「粋(いき)」は「息」でもある。 二人以上の間では「息が合う」のが大切です。狭い道では互いにすっと「肩引き」してすれ違い、軽く「会釈のまなざし」をします。そんな息のあったすれ違いはなんとも粋です。
さらに「粋」は「生き」「活き」「意気」にも通じます。「いきが良い」というのは、威勢のよい江戸っ子への賛辞ですが、不機嫌や体調不良などを表に見せて他人を不愉快にするのは「野暮」の骨頂。年をとっても「耳順(60代)のしぐさ」と言って「己は気息奄々(きそくえんえん)、息絶え絶えのありさまでも他人を勇気づけよ」「若衆(若者)を笑わせるよう心掛けよ」と、やせ我慢でも元気はつらつ、かつユーモアを忘れずに 生き生きと振る舞うのが、意気のいい江戸っ子ぶりでした。
こうして日常生活のマナーが、美的な感性にまで高められたのが「粋な」江戸しぐさでした。
2007年07月27日 / 言葉の旅
第六回「講座と江戸風レディーファースト」
自治都市として、町民たちが寄り合い、何が問題か、どうすれば良いかを議論する場が「講」でした。今で言う町内会のようなものでしょう。また、この場で、手とり、足取り、口移しで江戸しぐさを教えました。「講」は江戸を支える話し合いの場であり、教育の場でした。講ではメンバーが円をなして座ります。これが「講座」です。その際に尻に敷くのが「座布団」。そこで「講師」が「講義」をします。そのための建物が「講堂」でした。
講は原則として、月に2回開かれました。その日は商売はお休みです。準備は明け六つ(午前6時)から、茶碗を熱湯で四半刻(約30分)ほど、煮沸消毒する事から始まります。風邪などが流行らないようにするための用心です。子ども達は、そこで茶碗の洗い方、畳の掃き方、廊下の雑巾がけなどを、見よう見まねで習い覚えます。講では、武士の悪口であろうと、役人の批判であろうと、何でも自由に言えました。それが江戸っ子の批判精神を育てました。
また、男は先に着いても、玄関で履き物を脱ぐときに、1、2列分開けました。後からくる女性のためです。男は足を広げて跨げるが、女性はそれができないからです。江戸時代の初期は男の出稼ぎが多く、女性が少なかったので、大切にされました。
2007年07月28日 / 言葉の旅
第七回「世辞が言えたら一人前」
子どもたちの教育は主として寺子屋で行われました。親は商売人のため、子供を教える時間がありません。そこでお金を出し合って、寺子屋の師匠に子供たちを預けました。お金の不自由な家の子は、師匠が面倒を見ました。子供のない人も、子供が立派に育つことは江戸のためになることと、いくばくかのお金を出したといいます。
必要最低限の読み・書き・算盤をマスターした後、子供たちは9歳までには「さようでございます」「お暑うございます」などの大人言葉を学ぶのが必須でした。「世辞が言えたら一人前」とされました。入門してきた子供たちに、師匠はこんなふうに語ったといいます。
私たちが生まれ、育ち、住まわせて貰っているこの大江戸は、日本一、世界一の町です。何が一番かというと、しっかりした「講」があるということです。講は、人と人とが手を取り合って、住み良い暮らしを考えるおおもとです。講がしっかりしていれば、人間は安心して住むことができます。また、講はおつき合いの場です。人間がおつき合いしている世の中を「世間」といいます。だから、講は世間ということができるでしょう。皆さんもこの寺子屋で、人と人とがしっかりと手を取り合ったおつき合いができる人間となるよう勉強してください。そして、日本一のお江戸で、人の心がわかる商人を目指してください。
講や寺子屋、広くは江戸全体で目指していたのは、金儲けや立身出世ではなく、「人の心がわかる」人間であり、そのような人々が「しっかりと手を取り合ったおつき合い」をしている「世間」だったのです。そうした社会なればこそ、「花のお江戸」というほどに経済も繁盛したのでしょう。江戸しぐさは、繁盛しぐさとして、全国の商人に広がっていきました。
2007年07月29日 / 言葉の旅
最終回「未来に伝えよう、江戸しぐさ」
江戸しぐさのビデオを観た中学2年生の男子生徒が感想文に「なぜ大人たちは僕らにこの美しいしぐさを教えなかったのですか」と書いたといいます。
東京都台東区の忍岡中学校では、平成16年から道徳の時間に「傘かしげ」や「肩引き」を取り入れた寸劇を先生たちが披露するなど、江戸しぐさを教えてきました。その劇は生徒たちの喝采を浴びているそうです。
同校では「あいさつ運動」も実施しています。上級生から下級生に「おはよう」と積極的に声をかけると、下級生も真似して挨拶するようになります。「挨拶するとやっぱ気持ちがいい!」地域の住民からも「道を広がって歩く子が減った」「挨拶する子が増えた」という声が聞こえるようになりました。
江戸しぐさは企業の社員研修でも取り入れられています。ディズニーランドでは、社内に「江戸しぐさ研究会」を設置して、数百人がセミナーを受講しました。「こんなすばらしいものが日本にあったなんて知らなかった」「これさえきちんと身につけていれば、自分に自信がもてる」「ここに来られたお客様に、私たちのしていることをお持ち帰りいただければ最高」などという感想が寄せられています。
美しい国への道は、ご先祖様がすでに示されていたのです。